婚約破棄された悪役令嬢。破滅するのは構いませんが、全部あなたの自業自得ですよ?
「マリーシア・フォン・ローゼンベルク! 私は今日この場をもって、君との婚約を破棄する!」
王立学園の卒業を祝う夜会。
王城の大広間には、王国中から集まった貴族の子息令嬢たちが華やかな衣装に身を包み、宮廷楽団の奏でる優雅な音楽に耳を傾けていた。天井から吊るされた巨大なシャンデリアが無数の燭台の光を反射し、磨き上げられた大理石の床には色とりどりのドレスが映り込んでいる。
そんな祝宴の最中、王太子レオンハルトの怒声が響き渡った。
突然の宣言に楽団の演奏が止まり、談笑していた貴族たちが一斉に声のした方へと振り向いた。
その視線の先にいたのは、王太子レオンハルトと、その婚約者であるローゼンベルク公爵令嬢マリーシア。そして、レオンハルトの傍らで彼の上着の裾を握り締めている、一人の少女だった。
少女の名はアシュリー・フォン・ベルモンド。ベルモンド男爵家の令嬢である。
淡い栗色の髪を肩まで伸ばした可憐な少女で、今にも泣き出しそうなほど瞳を潤ませながら、レオンハルトの背後に身を寄せている。
一方、婚約破棄を宣言されたマリーシアはというと、まるで理解できない冗談を聞かされたかのように、ぽかんと口を開けていた。
「……はい? 殿下、今なんと仰いました?」
「君との婚約を破棄すると言ったのだ!」
「……婚約破棄? この私が?」
マリーシアは自分の胸元に手を当て、信じられないという表情でレオンハルトを見つめた。
艶やかな金髪に、宝石のような碧眼。王国でも指折りの名門公爵家に生まれ、幼い頃から王太子妃となるべく教育を受けてきた彼女は、誰もが認める美しい令嬢だった。
その自分が、よりにもよって男爵令嬢を隣に侍らせた婚約者から、一方的に婚約破棄を宣言されているのである。
「殿下。冗談にしては少々度が過ぎますわ。いくら殿下でも、許されることと許されないことがございますのよ?」
「冗談ではない! 私はもう我慢の限界なのだ! なぜ君は、いつもそういう態度しか取れないんだ!」
「あら、何のことでしょう?」
「アシュリーに対する数々の嫌がらせだ! 君が彼女に何をしてきたのか、知らないとは言わせないぞ!」
マリーシアは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに困ったような笑みを浮かべた。
「嫌がらせだなんて、とんでもございませんわ。私はただ、貴族としての礼儀作法を知らないアシュリー様に、少々ご指導を差し上げただけですもの」
「指導だと? 君は彼女の持ち物を取り上げ、大勢の前で侮辱し、時には暴力まで振るったそうではないか!」
「まあ! 人聞きの悪いことを仰いますのね。私は彼女を友人のように思っておりますのよ? だからこそ、身分に相応しい振る舞いを身につけていただきたかったのですわ」
「友人だと……?」
レオンハルトは怒りに顔を歪めた。
「君は彼女の美しさに嫉妬しているのだろう! 自分よりも注目を集める女性が許せない。だから陰湿な嫌がらせを繰り返してきたのではないのか!」
その言葉に、マリーシアは心底呆れたようにため息をついた。
「殿下。私がそのようなくだらない理由で人を妬む女に見えますか? 確かにアシュリー様はお美しい方ですが、私だって容姿にはそれなりの自信がございます。それに、女性の価値は見た目だけで決まるものではございませんでしょう?」
「だったらなぜ、彼女は何度も私に助けを求めてきたのだ!」
「存じませんわ。何か誤解でもなさっているのでは?」
「誤解で済ませられるものか! 彼女は君からの嫌がらせをやめさせてほしいと、何度も私に懇願してきたのだぞ!」
「まあ……」
マリーシアはアシュリーへと視線を向けた。
アシュリーはびくりと肩を震わせ、レオンハルトの背後に隠れるように身を縮めた。
「アシュリー様。私たち、お友達ですわよね?」
「……っ」
「どうなさったの? 何か仰ってくださいな」
「マリーシア! 彼女を威圧するのはやめろ!」
レオンハルトが二人の間に割って入る。
マリーシアは小さく肩をすくめた。
「威圧だなんて。私はただ、お友達に話しかけただけですのに」
「もういい! 君がどれほど言い逃れをしようとも、こちらには既に証拠がある!」
その言葉に、マリーシアの表情がわずかに変わった。
「……証拠?」
「ああ。アシュリーから全て聞いている。君がこれまで彼女にしてきたことも、他の令嬢たちにしてきたこともな」
「でしたら、その証拠とやらを見せていただけますか?」
「それはできない」
「あら、どうして?」
「彼女のプライバシーに関わることだからだ。君のような人間に、無闇に見せていいものではない」
マリーシアは数秒ほど黙り込んだ後、ふっと鼻で笑った。
「つまり、証拠など存在しないということですわね?」
「何だと?」
「見せられない証拠など、ないのと同じですわ。まさか男爵令嬢の一方的な証言だけで、このローゼンベルク公爵家の娘を断罪なさるおつもりですか?」
周囲の貴族たちがざわめき始めた。
確かにマリーシアの言う通り、王太子と公爵令嬢の婚約は当人同士の恋愛感情だけで結ばれたものではない。王家と公爵家の間で正式に取り交わされた契約であり、一方的な破棄には相応の理由と手続きが必要となる。
ましてや、証拠も提示せずに公爵令嬢を公衆の面前で糾弾するとなれば、王太子といえども無傷では済まない。
マリーシアは勝ち誇ったように微笑んだ。
「殿下。婚約とは家同士の取り決めでございます。一方的な破棄には当然、相応の賠償が伴いますわ。そのことは十分にご理解なさっているのでしょうね?」
「無論だ」
「でしたら結構。ローゼンベルク公爵家としても、今回の件は正式に抗議させていただきます。覚悟なさってくださいませ」
マリーシアがそう言い放った時だった。
「……あの」
それまで黙っていたアシュリーが、小さく声を上げた。
「殿下。もう、構いません」
「アシュリー?」
「私のことを守ろうとしてくださって、ありがとうございます。でも……もう、隠していても仕方がありませんから」
アシュリーは震える手で、小さな革鞄から数枚の書類を取り出した。
「こちらを、ご覧ください」
差し出されたのは、王都の医療院が発行した診断書だった。
レオンハルトがそれを受け取り、周囲にも聞こえるように内容を読み上げる。
「重度のストレス性睡眠障害。継続的な精神的負荷による不眠、食欲不振、動悸……」
マリーシアは眉をひそめた。
「それが何だというのです? アシュリー様が体調を崩されたことと、私に何の関係がございますの?」
「まだある」
アシュリーはそう言うと、ためらいながらドレスの袖をまくり上げた。
白い腕には、痛々しい青紫色の痣がいくつも残っていた。
会場のあちこちから息を呑む音が聞こえる。
「これは……」
「マリーシア様に、腕を掴まれた時のものです」
アシュリーは俯きながら答えた。
「廊下で呼び止められて、誰もいない教室に連れて行かれて……。私が泣いて謝っても、許していただけませんでした」
「まあ!」
マリーシアは驚いたように目を見開いた。
「アシュリー様! 殿方の前で肌を晒すなど、なんとはしたない! そのような振る舞いをなさるから、私はいつも注意して差し上げているのですよ!」
「……マリーシア」
レオンハルトの声は低かった。
「彼女がどんな思いで、その傷を私に見せたと思っている」
「ですから、礼儀の問題を申し上げているのですわ!」
「もう黙れ!」
大広間に怒声が響いた。
マリーシアは思わず口を閉じた。
「君は何も分かっていない。彼女がどれほど苦しんできたのか、どれほど勇気を振り絞って私に助けを求めたのか……。君には想像すらできないのだろう!」
「……殿下、それはあまりにも一方的ではございませんか?」
「一方的なのは君だ!」
レオンハルトは傍らに控えていた従者へ合図を送った。
従者は一礼すると、厚い書類の束を差し出した。
「アシュリーの件を調べる過程で、君について他にも多くの証言が寄せられた。私はそれらを無視することができなかった」
「……他にも?」
「ああ。君がこれまでに関わってきた令嬢たちだ」
レオンハルトは書類をめくった。
「今年の四月、王立音楽院で優秀な成績を収めていた子爵令嬢が、突然退学に追い込まれた。彼女の実家に対して取引停止をちらつかせ、退学を迫った者がいたそうだな」
「……存じませんわ」
「半年前には、社交界で評判になっていた伯爵令嬢が、身に覚えのない不貞の噂を流されて婚約を解消されている。噂の出所を辿ると、君の侍女に行き着いた」
「侍女が勝手にしたことでしょう」
「昨年には、君よりも魔法の成績が優れていた令嬢が、試験で不正を働いたとして学園から処分を受けている。しかし、当時の担当教官が君の父上から多額の寄付を受けていたことが分かった」
「それは偶然ですわ!」
レオンハルトは書類を閉じた。
「今挙げた他にも平民出身の者や下級貴族の令嬢たちなど、証言はまだまだある。君は自分よりも美しい者、人気のある者、才能のある者を、次々と排除してきたのではないか?」
「違います!」
「公爵家の権力と人脈を利用して、自分の障害となる人間を潰してきた。そうした証言が何人もの人から寄せられている」
「全部、でたらめですわ!」
マリーシアは声を荒らげた。
「殿下は一体、誰のお言葉を信じていらっしゃるのですか! 私ですか? それとも、どこの馬の骨とも知れない女たちですか!」
「私は証拠を信じる」
レオンハルトは静かに答えた。
「近々、君が王家の一員となるに相応しい人物なのか、第三者による正式な調査と審査を求めるつもりだ」
「……な」
「婚約破棄に伴う賠償についても、その結果を踏まえて判断する。君の行為が正式に認定されれば、むしろローゼンベルク公爵家が賠償を求められる可能性もあるだろう。君の父上にも詳しく話を聞かないといけなくなるだろうね」
「そんな……!」
マリーシアの顔から血の気が引いた。
どうして。
どうして、こんなことになっているの?
私は何も間違っていないはずなのに。
だって、私は……。
「……嘘よ」
マリーシアは呟いた。
「こんなの、おかしいわ……」
「マリーシア?」
「だって……こんな展開、ゲームにはなかった……」
レオンハルトは怪訝そうに眉を寄せた。
「ゲーム?」
「そうよ! こんなの絶対におかしい! 私はちゃんと破滅フラグを回避してきたのよ! なのにどうして……!」
マリーシアは頭を抱えた。
彼女には、誰にも明かしていない秘密があった。
マリーシア・フォン・ローゼンベルクは、この世界の人間ではない。
正確には、前世の記憶を持つ転生者だった。
前世の彼女は日本で暮らす、ごく普通の女性だった。仕事を終えた後の楽しみは、乙女ゲームを遊ぶこと。中でもお気に入りだったのが、王立学園を舞台とした恋愛シミュレーションゲーム『恋と魔法のアカデミア』である。
そして、ある日突然命を落とした彼女が次に目を覚ました時、そこはゲームの世界だった。
しかも、転生先は主人公をいじめ抜き、最後には王太子から婚約破棄を言い渡される悪役令嬢、マリーシア・フォン・ローゼンベルク。
ゲームの中では、彼女は最後に全てを失う。
婚約を破棄され、公爵家からも見放され、惨めな末路を迎えるのだ。
そんな未来、絶対に御免だった。
だからこそ、彼女は努力した。
幼い頃から王太子妃となるための教育を受け、礼儀作法を学び、魔法の鍛錬にも励んだ。社交界での立ち回りを覚え、父親の権力を利用する術も身につけた。
そして何より、自分の未来を脅かす存在を、徹底的に排除してきた。
ゲームの主人公は勿論、他のサブヒロインも自分よりも優秀な女性であれば、王太子妃の座を奪われるかもしれない。他の誰かが自分よりも美しいと噂されれば、その女性こそが新たなヒロインになるかもしれない。
だから、そうなる前に手を打った。
噂を流し、家同士の取引を利用し、時には父親に頼んで相手の家を追い詰めた。自分が直接手を下さなくても、方法はいくらでもあった。
全ては破滅の未来を回避するため。
自分の幸せを守るため。
それなのに、主人公どころかサブヒロインですらない、下級貴族の娘に自分のこれまでの苦労が否定されている。
「おかしいじゃない! 私は悪役令嬢なのよ! だから破滅しないように頑張ってきたのに! なんで物語の強制力が働くのよ!」
マリーシアの叫びに、会場が静まり返った。
レオンハルトは困惑した表情で彼女を見つめている。
「……何を言っているんだ、君は」
「殿下には分からないでしょうね! 私はずっと頑張ってきたのよ! あなたに捨てられないように、誰にも邪魔されないように!」
「だからといって、他人を傷つけていい理由にはならない」
「違う! 全部、全部あなた達のせいでしょう!」
マリーシアは叫んだ。
「私がこんなことをしなければならなかったのも、全部あなた達のせいよ! 私だって好きでこんなことをしてきたわけじゃない! 誰も私の苦労なんて分かってくれないくせに!」
レオンハルトはしばらく黙っていた。
やがて、深いため息をつく。
「……もういい」
「殿下……?」
「君が何を言っているのか、私には理解できない。だが、一つだけはっきりしていることがある」
レオンハルトはマリーシアを真っ直ぐに見据えた。
「こうなったのは、全て君自身が招いた結果だ」
「……っ!」
「君の行いについては、今後正式に調査されることになる。今夜はもう下がりなさい」
周囲からひそひそと囁く声が聞こえてきた。
「あの方、何を仰っているのかしら……」
「以前から随分と高慢な方だとは思っていたけれど……」
「ローゼンベルク公爵家も大変なことになりそうですわね」
マリーシアは唇を噛み締めた。
誰も、私の味方をしてくれない。
どうして。
どうして、こんなことになってしまったの。
彼女は耐えきれなくなり、踵を返して大広間を飛び出した。
背後からレオンハルトが何かを言っていたが、もう聞きたくなかった。
ただ、この場から逃げ出したかった。
それだけだった。
* * *
王城の長い廊下を、マリーシアは一人で歩いていた。
窓の外には王都の夜景が広がり、遠くには街灯の明かりが星のように瞬いている。先ほどまで大広間を満たしていた音楽も、今では遠くから微かに聞こえてくるだけだった。
マリーシアは目元を拭った。
涙が止まらなかった。
私は、何も間違っていない。
だって、私は悪役令嬢だったのだから。
あのまま何もしなければ、いずれヒロインに全てを奪われていた。
だから先手を打った。
ただ、それだけのことなのに。
「マリーシア様」
不意に背後から声がした。
振り向くと、そこにはアシュリーが立っていた。
先ほどまでレオンハルトの背後で震えていた少女は、今では不思議なほど落ち着いた表情をしている。
「……アシュリー様」
「もうお帰りになるのですか?」
「ええ。もう、あのような場所にいる必要はございませんもの」
「そうですか」
アシュリーはにっこりと微笑んだ。
「では最後に一つ、私からお話ししてもよろしいでしょうか?」
「……何かしら」
「ふふっ。私、どうしても言いたくって」
アシュリーは口元に手を当て、小さく笑った。
「貴女って本当に愚かですね、マリーシア様♪」
「……は?」
「自分の都合で他人を傷つけて、思い通りにならなければ全部周りのせい。挙げ句の果てには、物語の強制力ですって?」
その言葉に、マリーシアは息を呑んだ。
「……あなた、今なんて?」
「聞こえませんでしたか? 物語の強制力なんて……ふふっ、そんなのある訳ないじゃ無いですか。……ぷくく、随分と便利な言い訳をお持ちで……笑いを堪えるのに必死でしたわ」
「どうして……」
マリーシアは目を見開いた。
「どうして、あなたがその言葉を知っているの……?」
アシュリーは答えなかった。
ただ、楽しそうに笑っている。
「まさか……あなたも……!」
マリーシアは一歩踏み出した。
「あなたも転生者なの!? そうなんでしょう!?」
「いいえ」
アシュリーは即答した。
「私は紛れもなく、この世界の人間です」
「嘘よ! だったらどうして、そんなことを……!」
「マリーシア様」
アシュリーの声が、少しだけ低くなった。
「あなたはここが『ゲームの世界』だとでも思っていたのですか?」
「……っ」
「自分だけが未来を知っていて、他の人間は決められた通りに動く。だから、自分にとって邪魔な人間は排除しても構わない。どうせ物語の登場人物なのだから、と」
「そ、それは……!」
「でも、残念でしたね」
アシュリーは微笑んだ。
「現実は、ゲームのように思い通りにはならないんですよ」
廊下を吹き抜けた夜風が、アシュリーの栗色の髪を揺らした。
「あなたが退学に追い込んだ彼女……エリーにも、人生があった。婚約を壊された他のヒロインにも、愛する人がいた。あなたが自分の未来を守るために傷つけてきた人たちは、みんな自分の人生を生きていたんです」
エリー。
『恋と魔法のアカデミア』における本来の主人公で、私が退学に追い込んだ女の名だ。平民だが頭がよく、村の期待を受けて学院に入学して、いずれ王子に見初められるはずだった女性。
「……貴女、まさか彼女の為に?」
アシュリーは答えなかった。
「でも、あなたにはそれが分からなかった。自分だけが特別で、他の人間は自分のために存在していると思っていたから」
アシュリーは一歩、マリーシアへと近づいた。
「あなたの失敗は、そこに生きている人間を自分の都合で物語の登場人物として扱い、歪めようとしたことです」
「……違う」
「何が違うんですか?」
「私は……私は、ただ幸せになりたかっただけで……!」
「いい事を教えてあげます。人はみんな、誰だってみんな幸せになりたいんですよ」
アシュリーは静かに答えた。
「それなのに、あなたは自分の幸せのためなら、他人の幸せなんてどうなってもいいと思っていた」
「……」
「だから、こうなったんです。自業自得ですよ、マリーシア様」
アシュリーはくすりと笑った。
その笑顔には、先ほど大広間で見せていた怯えも、悲しみもなかった。
「あなたに目を付けられるようになるまで私も随分と苦労しましたよ? 未来を知ってるのは、やっぱりズルイです。でもまぁ。流石にこの未来は予測出来ませんでしたかぁ?」
「……アシュリー」
「ああ、でもこれから楽しみだなぁ!」
アシュリーは心底愉快そうに目を細めた。
「あなたがこれから、どんなふうに破滅していくのか。想像するだけでどうにかなってしまいそうです」
マリーシアは言葉を失った。
目の前にいる少女は、自分の知っているアシュリーではなかった。
いつも怯えていて、泣いてばかりで、何を言っても逆らわなかった男爵令嬢。
その彼女が今、自分を見下ろすように笑っている。
「……ふふ、これでやっと彼女に会いに行ける。それではマリーシア様。名残惜しいですが、私はそろそろ王子様の元に戻らせていただきますね。あの王子ときたら、どうやら私の事を好きになったらしいので」
アシュリーは優雅にカーテシーをすると、踵を返した。
「あっ、そうそう」
数歩進んだところで、彼女は思い出したように振り向いた。
「うっかりしていて大事なことを伝え忘れてました。最後に少しだけいいですか?」
「……何よ」
「私、あなたのことが大っ嫌いです」
アシュリーはにっこりと微笑んだ。
「今も昔も、そしてこれからも。ずっとずっとずっと。それではご機嫌よう」
そう言い残して、彼女は廊下の向こうへと歩いていった。
マリーシアはその場に立ち尽くした。
何も言い返せなかった。
足元の大理石に、涙が一粒落ちた。
「……どうして」
震える声が漏れる。
「どうして、こんなことになったの……?」
私は、幸せになりたかっただけなのに。
破滅する未来を知っていたから、必死に努力してきたのに。
誰よりも頑張ってきたはずなのに。
なのに、どうして。
「……どこで、間違えたのかしら……」
答えてくれる者は、誰もいなかった。
マリーシアは一人、王城を後にした。
夜の王都には冷たい風が吹いていた。石畳の通りを馬車が行き交い、酒場からは酔客たちの笑い声が漏れ聞こえてくる。
いつもと変わらない、人々の営み。
誰も彼女を気に留めることはなかった。
マリーシアはその人混みの中へと歩いていった。
どこへ向かうのかも分からないまま、ただ一人で。
その後、マリーシア・フォン・ローゼンベルクの姿を見た者は、誰もいなかった。
彼女が何を思い、どこへ消えたのか。
それを知る者も、また誰一人としていなかった。
ただ一つ確かなのは、彼女が恐れていた破滅の未来が、彼女自身の手によって招かれたということだけだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます╰(*´︶`*)╯♡
以下、裏設定
(読みたい人だけ読んで下さい)
エリーは転生者ですが、アシュリーは転生者ではありません。
アシュリーはエリーの友達で、エリーの事が好きでした。
エリーは入学して間もない頃イジメにあって退学、退学して村に帰った後の翌年、流行病で亡くなりました。




