恋人になってほしい
ダァッ‼︎
放課後、僕は鞄を肩に掛けて教室を出た。部活には入っていないし、今日は特に用事もない。このまま帰ってのんびりしようと思いながら廊下を歩いていると、後ろから声を掛けられた。
「神代くん」
聞き覚えのある声だった。
振り返ると、そこには九条先輩が立っていた。
思わず足が止まった。
九条先輩は二年生で、生徒会副会長。成績優秀、運動神経抜群、容姿端麗。先生からの信頼も厚く、生徒からの人気も高い。特に女子からは絶大な人気を誇っていて、告白された回数は数え切れないらしい。
僕は時々生徒会の手伝いをしている。
その関係で九条先輩とも何度か話したことがあった。
「少し時間はあるか?」
「はい、大丈夫です」
先輩は安心したようにうなずいた。
「よかった」
その一言だけで女子が騒ぎそうだなと思った。
「生徒会室まで来てほしい」
「生徒会室ですか?」
「ああ。大事な話がある」
嫌な予感しかしなかった。
数分後、生徒会室。
部屋の中には誰もいなかった。
僕は勧められるまま椅子に座る。向かい側に座った九条先輩は何かを考え込むように腕を組んだ。
静かだった。
気まずかった。
先生に呼び出された時より緊張する。
しばらくして、先輩が顔を上げた。
「神代くん」
「はい」
「頼みがある」
やっぱりか。
僕は心の中で身構えた。
「なんでしょう」
九条先輩は真っ直ぐ僕を見た。
「恋人になってほしい」
思考が止まった。
本当に止まった。
数秒間、何も考えられなかった。
「……はい?」
やっと出た言葉がそれだった。
「恋人になってほしい」
先輩はもう一度言った。
どうやら聞き間違いではないらしい。
「えっと……僕ですよね?」
「ああ」
「神代凪ですよ?」
「ああ」
「男ですけど」
「ああ」
そこまでは認識しているらしい。
「じゃあなんでですか?」
すると九条先輩は少し考え込んだ。
そして真面目な顔で答えた。
「神代くんだからだ」
「理由になってません」
「そうなのか?」
先輩は少し驚いた顔をした。
どうやら本気で理由になっていると思っていたらしい。
「正確には恋人の練習だ」
「練習?」
「ああ」
先輩はうなずいた。
「私は恋愛というものがよく分からない」
それは少し意外だった。
これだけモテる人だ。
恋愛経験も豊富だと思っていた。
「告白されたことはある」
「そうでしょうね」
「だが恋愛感情が分からない」
「はあ」
「付き合うとは何をするんだ?」
「僕に聞かれても」
「そうか…」
なぜ少し残念そうなんだろう。
「だから実践して学ぼうと思った」
「なるほど」
「恋愛は経験が大事だと聞いた」
「まあ、そうかもしれません」
「そこで神代くんだ」
「なんでですか」
話が戻った。
先輩は僕を見ながら言う。
「話しやすい」
「ありがとうございます」
「優しい」
「どうも」
「信用できる」
「ありがとうございます」
「それに、可愛い」
「はい?」
「女子に見える」
「はい?」
「最初は本当に女子だと思った」
「そんなことあります?」
「ある」
即答だった。
少し傷付いた。
確かに昔から女子に間違えられることは多い。
髪が長めなのもあるし、身長も高くない。
顔も中性的らしい。
だが本人としては複雑である。
「だから恋愛の練習相手に向いていると思った」
「全然向いてないです」
僕は即答した。
「僕は男です」
「知っている」
「そこが大事なんです」
「そうなのか?」
本当に知らなかったみたいな反応をしないでほしい。
しばらく沈黙が流れた。
先輩は真剣な顔のまま僕を見ている。
どうやら、冗談ではないらしい。
"本気"で恋愛の勉強をしたいらしい
だがこちらにもプライドというのがある。
「すみません」
僕は首を横に振った
「さすがに無理です」
当然だ
恋人ごっこなんて意味が分からない
しかも相手は男
普通に考えておかしい。
すると九条先輩は黙り込んだ。
少しだけ視線が下がる。
なんだろう、
断ったのは正しいはずなのに、なぜか罪悪感がある。
この人、天然なのに妙に人の良心を刺激してくる。
数秒後。
先輩は立ち上がった。
そして。
頭を下げた。
「頼む」
僕は目を見開いた。
学校中の人気者が。
完璧超人と呼ばれる人が。
僕なんかに頭を下げている。
しかも本気だ。
恋愛を知りたい。
そのために僕を頼っている。
それが伝わってきた。
ずるい。
この人は本物の天才だ。
こんなの断りづらいに決まっている。
「……期間は?」
先輩が顔を上げる。
「一か月」
「放課後だけ?」
「ああ」
「学校では普通の先輩後輩ですよね?」
「ああ」
「変なことはなしですよ」
「もちろんだ」
少し考えた後、僕は大きくため息をついた。
「……分かりました」
九条先輩の表情が明るくなる。
本当に分かりやすい人だ。
「引き受けてくれるのか?」
「一か月だけですからね」
「ああ」
先輩は少し笑った。
普段は完璧で近寄りがたい人なのに、その笑顔だけは年相応の高校生に見えた。
「ありがとう、神代くん」
その時、なぜか胸が少しだけざわついた。
きっと気のせいだろう。
そういうことにしておく。
この時の僕はまだ知らなかった。
一か月だけのはずだった恋人ごっこが、想像以上に面倒で、騒がしくて、そして楽しいものになることを。
ワァッ‼︎




