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返信  作者: 八町
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五話

 まあ、なんだかんだ言っても、勇樹の隣には正人がいた。ワンボックスカーの最後尾に押し込められて、二人は恋人のようにくっついていた。その前列には文江、奈々枝、さゆりのお姉さまトリオ、そして、運転席には大森、助手席には天田が座っていた。

 七月の太陽は、梅雨の合間を縫ってギラギラとした光を、地上に降り注いでいる。そんな気候もあってか車の中は若い女の子の声やら、大森のおやじギャグやら、勇樹と正人の叫び声やらが交錯していた。

「正人、お前くっつきすぎだ。もっと離れろよ」勇樹は車の中で身をよじっていた。

「そんなこといっても仕方ないだろう」

 山岳スカイラインのくねくね道では、勇樹と正人は遠心力に逆らえず、ぴったりと寄り添って、右へ左へ鎖で繋がれているように動いた。

「お前ら、本当に恋人みたいだな」天田が、勇樹に声を掛けた。

「ウーイ」と勇樹は余裕のあるところを最初は見せていたが、しまいには、車酔いで話すことも出来なくなった。正人は車には強いようで、そんな正人を勝ち誇った目で見ていた。

 おい正人、お前、なんでそんな目で俺を見ているんだよ。うー気持ちワル。分かった、俺はお前にかなわないよ、だから、助けてくれ!勇樹は、こみあげるものをこらえながら、右へ左へ体を傾けた。

「よし、ここで休憩」大森が言った。そこは、スカイラインの中腹にある、見晴らしの良い休憩所で、お土産やジュースも売っている所だ。勇樹を除いた全員は元気良く車を降りて行った。

 ダメだ、動きたくないけどトイレにも行きたい。勇樹はのそのそと車を降りて、トイレに向かった。トイレは比較的、空いていたものの、掃除が行き届いておらず、汚く、そして悪臭が漂っていた。勇樹は、そのトイレに入った瞬間、もう我慢出来なくなった。正人が用を足している脇を、口を押さえながら走りぬけ、一番奥に駆け込むと、こらえていたものを吐き出した。

「うっ、うー、はあはあ」

 ちきしょう、なんで俺だけこんな目に遭うんだよ。みんな楽しそうにしてるのにさ。やばい、また、こみ上げてきた。勇樹がウンウンうなっていると、正人が声を掛けた。

「おい、勇樹、大丈夫か」

「ダメ、全然ダメ」

「しばらく、そこでおとなしくしてろ。じゃあ、俺はお姉さま方と楽しくしてくるからな」

 正人は楽しそうな足音を響かせながら遠ざかって行った。はあはあ、正人の野郎、自分だけいい思いしやがって。よし、俺もこんなところにいてもしょうがない、みんなの所に行くぞ。

 勇樹は、フラフラとトイレを出て辺りを見回した。見ると、音楽村のみんなで、仲良くソフトクリームを食べているではないか。今日は全員で二十人くらいのメンバーが集まっていたが、みんな一団となって、楽しそうにしていた。勇樹は精一杯の作り笑顔でみんなに近づいて行った。

 だが、その作り笑顔は誰にも気付かれることのないまま、勇樹は、みんなが集まっている手前の木陰で力尽き、そこへ座った。

「えーっと、勇樹君だったかな」

 それは弘道と呼ばれていた人で、市役所に勤めている人だ。音楽村の中で歌は一番上手いし、やさしい性格で、なんと言っても二枚目だ。音楽村のスターと言っていい存在の人だと、勇樹は思っている。

「はい、勇樹です」

「車に酔ったのかい?」

「ええ」

「それじゃ、ソフトクリームは食べれないな。ジュースでも買ってきてやろうか?」

「いえ、今は何もいりません。ここでこうしているのが一番の幸せです」

「そうか、それじゃガムを買ってきてやるよ。車酔いにはガムがいいらしいから」

 弘道はガムを買いに店に入って行った。なんていい人なんだろう。正人とは大違いだ。勇樹は弘道が店に入るのをじっと見ていた。

 すると、後ろから声が聞こえた。

「勇樹君大丈夫?」

 それは、文江と奈々枝だった。勇樹は力のない顔で二人を見た。そして、黙って首を振った。せっかく奈々枝さんが来てくれたっていうのに、俺のばかやろう!と勇樹の頭は叫んだ。だが、体はちっとも反応せず、もはや作り笑顔さえ出来なくなっていた。

「勇樹君、これ飲んで」

 奈々枝がスポーツドリンクを勇樹に渡した。

「えっ、あっ、ありがとう」

 勇樹は、スポーツドリンクを座ったまま奈々枝から受け取ると、「じゃあ、遠慮なく」と言ってごくごくと飲んだ。

「ああー生き返るようだ」

「良かった。たぶん勇樹君疲れてるんだよ。昨日、あんなに一生懸命歌ったし」奈々枝にそう言われて、勇樹は、ますます元気が沸いてきた。

「そうだね。勇樹君すごい汗かいてたもんね。でも、とってもカッコ良かったよ」文江も頷いていた。

 生き返ったのは、スポーツドリンクを飲んだからじゃないさ。奈々枝さんが来てくれたからなんだ。徐々に体に力がみなぎってくるのを勇樹は感じながら、そう思った。

「はい、勇樹君ガム。あれ、ジュース飲んだの?」

 正道さんが勇樹の持っているペットボトルを見て言った。

「ええ、あのー、はい、すみません」

「そうかい。じゃあこれ車の中で噛んでいきなよ」

 正道は勇樹にミント味のガムを渡した。「ありがとうございます」勇樹はそれをポケットにしまった。

 よし、これで生き返ったぞ、と勇樹が立ち上がった。あれ、やばい。腹が満たされたせいか、また、すっぱいものがこみ上げてきた。勇樹がんばれ、ここで、トイレに入ったら、奈々枝さんと話ができないじゃないか。勇樹がんばれ!勇樹は自分を励ました。しかし、勇樹の顔はみるみる青ざめていった。

「ちょっと失礼します」

 勇樹は、また、トイレに駆け込んだ。しかし、勇樹は我慢した。せっかく奈々枝が買ってくれたジュースを、こんな汚いトイレに吐き出すなんて出来ない。頭を振り、目に涙を溜めて勇樹はこらえにこらえた。


 しばらくして落ち着いた勇樹は、フラフラとトイレを出た。もうみんなは車に乗り込み、勇樹が来るのを待っているようだ。

「勇樹、お前、助手席に乗れ、俺と正人が後ろに乗るから」

 天田が窓から顔を出して言った。言われるままに、助手席に乗ると、大森がビニール袋を勇樹に渡した。

「吐くときはこれに吐け。この車はまだローンが残っているから、汚すなよ」

「分かりました」勇樹は元気なく答えた。

 後ろでは、天田を中心に会話が盛り上がっていた。みんな、楽しそうに音楽のことや、恋愛のこと、テレビの話題を話している。勇樹は弘道に買って貰ったガムを噛みながら、ただそれを聞いていた。

 急に大森が勇樹に話しかけた。

「ところで、どうして音楽やろうと思ったんだ」

「高校に入って、何もやらないのもどうかと思ったからです」

「なにかスポーツはやっていなかったのかい」

「野球をやってました。正人とはバッテリーを組んでたんです」

「ああ、それでお前ら息ぴったりなんだな」大森はにやにやしながら言った。

「高校で野球をやる気はなかったの?」

「ええ・・・」と勇樹が言ったとき、後ろの方から正人の声が聞こえた。

「勇樹、お前、夏休みバイトしないか?」

「バイト?おい、俺らの学校バイト禁止だろう」

「じゃあ、お手伝いってのはどうだ」天田の声だ。

「お手伝いですか」勇樹は前を見ながら言った。

「そうさ、お手伝いさ。俺の親父はレストランと飲食店やってるんだけど、俺のボイスも含めて、毎日おしぼりやらなにやらで洗濯が大変だし、店の掃除だってやらなくちゃいけない。夏休みの間だけ、週三日でもいいから、手伝ってくれると助かるんだがな」

「はあ、考えておきます」勇樹は元気なく答えた。

「つれない返事だな。じゃあ勇樹は無理か。じゃあ、みんなよろしく頼む」

 みんな?「ちょっと待って下さい。みんなやるんですか」

「そうさ、ここのみんなはやるって言ってるぞ」

「やります。俺も手伝います」

「おい勇樹、無理しなくていいぞ」正人が言った。

 バカ。お前だけいい顔さしてたまるっかってんだ。

「じゃあ、よろしく頼む。バイト代は出せないけど、お駄賃は出してやるから。さゆりちゃん達の学校もバイト禁止だろう?だから、お駄賃って言うことでいいかな?」

「はーい」文江が手を上げて答えた。さゆりも奈々枝も同じように手を上げて答えた。

 しばらく走ると、勇樹はトイレに行きたくなってきた。さっきの休憩で済ませばよかったのに、吐いたり、吐くのを我慢したりで、トイレに行くのを忘れていた。しかし、ここで車を止めさしたらカッコ悪いと思い、もじもじしながら、勇樹は我慢した。

 相変わらず、後ろは盛り上がっていた。しかし、そんなことより今は切羽詰った問題がある。勇樹は、体中から汗が噴出すような感じがしてきた。もうだめだ、「大森さん、車を止めてもらえませんか」勇樹は我慢できずに、しかし、つぶやくように言った。

「どうしたの?」心配そうに大森がこちらを見た。

「ト、トイレに行きたいんです、その辺で済ませますから」また、勇樹はつぶやくように言った。

「トイレに行きたいのか?ここは国立公園内だから、その辺で済ます訳にはいかないだろう」

 声がでかい!もっと静かに言ってくれ。と思いながらも勇樹は、懇願する目で大森の顔を見た。

「そこのカーブを曲がればスカイラインの頂上だ。そこで昼食の予定だから、我慢しろ」

「!」なんてことだ。あと少しだったのか。勇樹は、正人の勝ち誇った視線を後ろからギンギンに感じながら首を垂れた。

 車が止まると、勇樹はトイレまでダッシュした。頭を垂れて何度もため息をしながら、勇樹は言葉に出来ない敗北感を感じていた。その反対に体は言葉に出来ない開放感を感じていたのも事実だ。

 手を洗っていると、弘道がやってきた。

「勇樹君、顔色よくなったんじゃないか」

 あれ本当だ。前ほど気持ち悪くない。

「少し良くなったみたいです」

「そうか、良かったじゃないか。俺、ミントのガムは車酔いに効くって聞いた事があったからさ。どうやら本当だったんだな」

「ええ、ありがとうございました」

勇樹は曖昧な笑顔で答えた。いや、きっと、トイレを我慢してたので、そっちの方に神経がいって、車酔いを忘れたのだろう。それはある意味良かったといえば、良かったのだが・・・。


 みんなは、ドライブインでそばやうどん、ホットドッグを食べていたが、勇樹はまだ食欲がなかったし、人が多くて、むっとする空気が漂っていて、長居すると、また気分が悪くなりそうだったので、「ちょっと、外の空気を吸ってきます」と言って、一人外で景色を眺めていた。

「おい勇樹、これ食えよ。お前、タイヤキ好きだろう」正人がタイヤキを持ってきた。

「サンキュー。でも後で食べるよ。今、食欲ないんだ。悪いな、せっかく買ってきてくれたのに」

「いいよ。なんかさ、お前が元気ないと、俺もつまらないんだよ」

「うそ言え。大分盛り上がってたじゃないか」

「そりゃ、そうさ。せっかく来たんだから。でもな、お前がいなけりゃ、音楽村のこともあきらめていたかもしれないし、田舎の高校で音楽やるって言っても人なんか集まるわけないし、やっぱりお前に感謝してるんだ。お前は一番の友達さ。本当だぞ」

 正人、お前本当はいい奴なんだな。勇樹はそう思った。

「じゃあ、また、盛り上げてくるからよ」

「俺の分も頼むぞ」

 正人は後ろを向きながら、右手を上げ親指を立てて、みんなの所に戻った。ちょっとカッコ付けすぎだ。と思いながらも勇樹は嬉しかった。

 勇樹は正人の買ってきてくれたタイヤキを食べていた。勇樹はタイヤキに目がなかったし、せっかく正人が買って来てくれたタイヤキを冷ましてしまうのは悪いと思い、無理して食べていたのだ。

タイヤキを食べ終わり、体調が十分でないのか、やや胸焼けを感じた勇樹は黙って展望台の椅子に座って、遠くの景色を眺めていた。

「勇樹君、これ食べて」

 この声は!勇樹は振り返った。そこにはタイヤキを持って立っている奈々枝の姿があった。

「さっき、正人君が、勇樹君はタイヤキに目がないって言ってたから、買ってきたんだ。あれ、大分、顔色良くなったね」

「うん、だいぶ体調はよくなったみたいです。ありがとう」

 勇樹は立ち上がると、奈々枝からタイヤキを受け取り、頭から食べた。

「勇樹君てさ、がんばり屋さんだよね」奈々枝は景色を見ながら言った。

「そんな風に見えます」勇樹は口をもぐもぐしていた。

「そう思う。だってさ、最初と比べたら、すごくギターも歌も上手になったし。昨日歌ってる時なんか、すごい一生懸命歌ってたし。私なんて、そんなに、一つのことに打ち込んだことなかったから、すごく羨ましくなっちゃった」

「これから、なにか、見つけたらいいじゃないですか。恋愛だっていいと思いますよ」

「恋愛ねぇ。私さ、すぐ人を好きになるってできないんだ。友達で、何回か会って付き合い始める人もいるけど、私には無理。本当に好きにならないと付き合うなんてできない。だから、さゆりに、そんなことだからダメなのよって、いつも言われるんだけど。でも、女子高だから、そんな出会いってなかなかないでしょう。勇樹君は、どう思う」

「すみません。俺、彼女いないし、今まで付き合った人もいないんで、よく分かりませんけど、たぶん、俺も奈々枝さんと同じだと思います」

「やっぱり、男の人もそう思う人いるよね。良かった、同じ考えの人がいて」

「俺、それが当たり前だと思ってましたけど」

「結構、硬派なんだね」

 奈々枝が勇樹の顔を見た。勇樹はドキッとして、照れ隠しにタイヤキを全部口に入れた。

「奈々枝―、ちょっと来てー」

 さゆりが奈々枝を呼んだ。

「勇樹君も行こうよ」奈々枝が言った。

「うん」勇樹は奈々枝について行った。

 冷たい視線を感じ横を見ると、正人が勇樹を見ていた。俺は一番の友達なんだろう?ちょっと話しをしたくらいで、そんな目でみるなよ。勇樹はそう言いたかったが、実は、正人の買ってきてくれたタイヤキで胸焼けになったところへ、奈々枝の買ってきたタイヤキも無理して食べたので、勇樹はまた、気分が悪くなり、そんな元気はなくなっていた。しかも、最後の一口がなかなか飲み込めず、まだ、もぐもぐしていて、話すなんてとてもできる状態ではなかった。

 帰りの車の中、勇樹は、また助手席で一人うなっていた。ひどい胸焼けだ。今度も吐き気がする。しかし、ウンウンうなりながらも、勇樹はビニール袋を手に握り締め、吐くのだけは我慢していた。

 正人から貰ったタイヤキは吐いてもいい、でも、奈々枝さんから貰ったタイヤキは吐くわけにはいかない。頭を振りながら、遠くを見て、何度も何度も深い息をして我慢した。しかし、勇樹は、今日は来て良かった。本当に来てよかった。そう思っていた。



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