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「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
店主であろう、カウンターの横に立っていた品の良い男性に出迎えられた。以前は茶色だったであろう髪は白の割合が多くなっているが、清潔に整えられている。貴族も多く来る喫茶店、この主人も裕福だとしても平民の生まれならば持ち合わせない佇まいだ。
二日前に来たばかりのエステルにすぐに気がついたようだったが、そこは高い店の主人らしく、こちら側が言い出すまでは何も態度に出さなかった。
「お二人でいらっしゃいますか? お好きな席にどうぞ」
「ありがとう。一昨日こちらでいただいた珈琲がとても美味しかったので、友人を連れて来ましたの」
「再びお越しいただき、大変光栄でございます」
「彼女の国――東の国では、珈琲はあまり馴染みがないみたいで」
「東の国から、いらっしゃったのですね。長い旅だったでしょう」
「ええ、父の取引相手のご令嬢なの」
答えたのはエステルだ。
僕も愛想よく微笑みながら頷き、ファロンヌ語を少しは理解できている、という雰囲気を作った。
「東の国では、緑のお茶が好まれると伺っております。ファロンヌ王国では、手に入れることが難しく、大変貴重な茶葉です」
「ええ、そうみたいね。わたくしもたまにいただくけど、風味が良くてお気に入りだわ」
「さようでございますか」
日が落ちたこの時間帯、店内にいる客は紅茶や珈琲を嗜むためではなく、酒を飲みに来ているようだ。エステルの時と客層が違う。当然、僕たちが店に入った瞬間から、ねっとりとしたいくつもの視線を感じている。エステルはその男たちにあえて聞かせるように、世間知らずな雰囲気を意識して言った。もちろん言葉遣いは丁寧で裕福そうだが、アクセントは平民階級の癖が抜けきれていない……という、僕以上に難しい話し方だ。
もしこの店内にジュリアンのような男がいれば、僕たちはさぞ与しやすい獲物に見えるだろう。
エステルはさらに、何気ない様子で続ける。
「彼女はお父様と一緒に、ファロンヌ王国に来ているの。滞在されている間、わたくしが王都での案内を任されているんです」
主人は穏やかな表情で微笑んだ。飲み物を用意しにカウンターへ向かう様子を見て、エステルが言っていた通り、右足が悪いのが分かった。
「雰囲気の良い喫茶店でしょ?」
「はい」
仲の良い友人に対する感じで、エステルが言った。先ほどと違う、僕の語学能力を考慮した砕けた言い方だ。
運ばれてきた珈琲を口に運ぶ。ロイが好むため、彼といるときに提供されることも多い。そのため僕にとって珍しくもないものだが、初めて口にするように慎重に味わった。
「少し独特だと思うかもしれないけれど、どうかしら?」
「苦い……けど、美味しい……です」
「良かったわ」
「お気に召していただき、ありがとうございます。ごゆっくりしていってくださいね」
店主が誇らしそうに会釈をした後、僕たちの席の横を離れた。それを合図に、近くの席にいた男たちのうちの一人が話しかけてきた。濃い色の髪の毛とは対照的な色素の薄い瞳と、服を着ていても分かる程よく鍛えられた肉体は、強力な色気を感じさせる。そしてなぜか初対面なのに、どこかで会ったような既視感があった。
「麗しいお嬢様たち、ご一緒しても?」
「はな、あなたは?」
男に返事をする前に、僕に確認したエステル。はなという名は、母と一緒にやって来た侍女のものだ。
男の誘いに乗り気だと彼の興が削がれるだろうが、だからといって強く拒否をしたらそこで諦められるかもしれない。焦らすように少し間を置いてから、恥じらい顔で言った。
「えっと……話す、だけなら……」
「そうね。ここで少しお話するくらいでしたら、かまわないわよ」
僕の言葉を補うように言ったエステル。それを聞いた男は、すかさずエステルの横の席に座る。
「俺はここに良く来ているけど、君とは初めて会うね」
「ええ、一昨日初めて来ましたの。偶然通りかかって入りましたが、とても良い場所ですね」
「そうだよね。俺はアラン、君の名前を教えてもらえるかな?」
「リリーよ」
「リリー嬢、可愛い名前だね。こちらのお嬢さんは、お友達?」
店主との会話で分かっているだろうが、確認するように聞いてきた男。
「ええ、はなと言うの」
「どのくらいここにいる予定なの?」
ここは僕が答えるべきだろう。
「数ヶ月……くらいです」
「そうなんだ。君の国と比べて、この国はどう思う?」
東の国がどのような風俗なのか、どこにあるのかさえ知らないだろうが、一応僕にも話題を振るようだ。
「家とか人とか、話も違う……から、おもしろいです」
「話?」
「言葉と、言いたいのだと思うわ」
「ああ。はなさんだっけ? ファロンヌ語はどうやって覚えたの?」
「リリーから」
「他の国の言葉を覚えるなんて、すごいや」
「何回、来たから」
「? あ、何回も来てるから――ってことか」
男性に免疫のない娘――というように、僕はぎこちなく頷いた。
アランは顔をエステルに向け、覗き込むように瞳を動かした。左の目尻に小さいほくろがある。
「この辺に住んでいるの?」
「いいえ。王都の左側、外れの方よ」
男が食いつくように視線を動かしたのを見逃す僕たちではない。エステルが言った場所は、王都で金銭的に余裕のある階層が多く住む地域、サンタンである。ちなみにジュリアンやジャック、目の前にいるアランのような男は、その後の面倒を考えて貴族令嬢は避けるだろうが、高位貴族ならば通常、王都に屋敷があってもヴァルリナか領地に住む。まあ、東に国の者と仲良く歩いているので、完全に貴族令嬢だとは思われていないはずだ。
「そうなんだ。仲良くなったら、遊びに行かせてもらえるのかな?」
「どうでしょうね。それは――どのくらい仲良くなるかによるかしら」
「じゃあ、君に気に入ってもらえるよう、頑張らないとかな」
本当に金持ちかどうか、確かめたい男の気持ちが垣間見える。エステルが言った家は嘘ではなく、本当に僕たち(両親)の家があるのだが、家というよりは屋敷で、しかも別宅だ。何人もの使用人もいる。男の想像以上の身分だと分かれば、本気で騙そうというよりも怯まれることになるだろう。だから期待に添えず悪いが、連れて行く機会が訪れることはない。
というか、アランの軽薄な見た目と話し方は、兄弟かと思うほどジャックとよく似ている。おそらくジュリアンもこんな感じだったのだろうか……。美男子と評判だったジュリアンほどでなくとも、ジャックもアランも平均以上の、整った顔立ちをしている。だが正直、恋は盲目とはいえ、この種類の男にうつつを抜かす女性の心理が分からない。普通の感覚を持っている者ならば、彼らは怪しすぎて一瞬で逃げ出したくなるような相手ではないのか。
幸い目の前にいる妹も僕と同じなようで、兄としては複雑だが、表面上はアランと会話をしていても、ロイといるときよりも楽しそうじゃないのが見て取れる。
「リリー嬢はどんなことをするのが好きなのか、教えてもらえるかな?」
「そうね……はながこちらに滞在している間に色々と楽しみたくて観劇や王都見物をしたりしたのだけど、少々飽きてしまって。他に何かおもしろいことはご存知ないかしら?」
「そうだな……」
少し考えるような素振りを見せたアラン。
「――ならお嬢さんたち、夢中になれる遊びを知っているんだけど、どうかな?」
「疲れることですの? わたくし、運動は嫌ですわ」
「安心していいよ。少しだけ頭を使う、ただの室内での遊戯だ。俺が丁寧に教えるし、お嬢さんたちも一緒に、楽しんでみたいと思わない?」
「はなはどうかしら?」
正直、ここまで簡単に分かりやすく誘われるとは思っていなかった。一見狡猾そうに見えるアランだが、意外にもあまり頭が良くないのだろうか。いや、どちらかというと僕たちが世間慣れしていないため、隠語を交えて遠回しに誘っても、僕たちには通じないと思われたようだ。
「分からない、リリーが……決めて」
「――でしたらアランさん、ぜひ楽しませていただきたいわ」




