94話 つまらない歴史
「さあ、学園校舎の中へ避難を」
「落ち着いて移動をお願いします」
学園都市では住民の避難が始まっていた。
学園の教師陣全てが戦える者ではない。戦いを得意としない者は、学園長の指示により住民たちを強固な守りのある校舎内へ避難誘導をしていた。
だが住民の数に対して、彼らの数は少なすぎた。
南の方で雷の音や地響きが始まり、北の方でもなにやら爆発音が聞こえてくる。
その音は常人である彼らの耳にも届いていた。
誘導の声はその戦いの音にかき消され、住民たちは混乱してしまう。
荷物をまとめようと躍起になって避難が遅れる人や、単純に恐怖から固まってしまう人もいた。
「…………」
住民たちの不安そうな顔が、遠くからそれを眺めるミゼリアの目には映っていた。
そしてその耳には、混乱する彼らの声がしっかりと届けられている。
彼女がいるのは学園校舎3階の自分の研究室だ。その窓際からミゼリアは外を無言で見ている。
街を一望できる高みからは、その光景がよく見えた。
戦いが、争いが起こっている。
現実で。自分のいる場所で。
そして、この戦いを引き起こしたのは他ならぬ『ミゼリア王女』である。
勿論、全ての原因がミゼリアにあるわけではない。
支配階級の腐敗。魔王領の策略。様々な人間の思惑。
そして、偶々この学園が狙われただけのこと。
しかし、この戦闘行為の発端はミゼリアにあるのだ。その時点で、戦争というものに無関係ではなくなった。
確かにこの国の王族である以上、無関係ではいられない。
しかし実際は、王族は無関係な状態にあった。
それは上位貴族による政権の支配によるものであり、お飾りの王にはなんの権限もない。
もしかすると、自分の意思で戦端を開いた王族はミゼリアが史上初なのかもしれない。
「ミゼリア、お呼びしましたわ」
窓を眺めているミゼリアの背中へかかる声があった。
それは彼女の作り上げた派閥に属する友人のもの。
「わかったわ、エルザ」
ミゼリアが振り向くと、そこには『プリンセス・オーダー』のメンバーの姿があった。
彼女たちは避難よりも先に、ここに来るであろう自分たちの主を待っていたのだ。
ミゼリアも逃げる前にこの場所を訪れた。
『プリンセス・オーダー』。それは子供らしい対抗心、劣等感から作ったごっこ遊びに等しい団体だった。
ミゼリアも彼女たちも始めはそれを楽しんでいた。
チーム戦を行うようなものだ。
他派閥とのいがみ合いも遊び感覚だったのだ。
しかし、時間が経ち、状況が変わる。
この場所は友人たちが集まる場所でありながら、組織として機能し始めたのだ。
メンバーは全員、現在何が起こっているのかをミゼリアから聞かされていた。
反王軍がやってきたこと。
それをミゼリアが聞きつけ、学園に報告したこと。
そして、敵を屠るようにミゼリアが命令を下したことを告げられていたのだ。
それを聞いてもメンバーがここを去ることはなかった。
「では通してちょうだい」
ミゼリアが専用の椅子に腰掛けながら、そう命令する。
彼女の座る椅子はメンバーの悪ノリで作られた豪華な玉座の見た目をしていた。
初めはそれに怒って癇癪を起こしていたミゼリアだが、今それに座る彼女の姿はとても様になっていた。
そこには農民上がりの、金持ちに媚びた馬鹿な王女と揶揄された少女はいない。
その姿を見て、派閥メンバーは積み重ねてきた感情が溢れそうになった。
馬鹿な話で盛り上がっていたあの少女も間違いなくミゼリアであり、今こうして自分たちを従えている彼女もミゼリアなのだ。
ミゼリアに宿るのは冷徹を気取るという決心。重くのし掛かる責任を受け止める度量。
そしてその一切を嘆くことのない大人の仮面。理解し、理解された上での無言の宣言だ。
宮殿にいたときからの友人である面々は、誇らしい気持ちで一杯になった。
自慢したくなった。喝采したくなった。
あれこそが我らの王であると。
「失礼します」
その小さな玉座の前に、客人たちがやってくる。
それは二つの集団だった。
片方は左腕に青色の腕輪を付けた魔法使いの集団。
そしてもう片方はシンボルこそないものの、腰に剣を佩いた集団。
サフィレーヌ・カルクルールをリーダーとする『シニストラ・アモリス』。
ヴィクトリア・ブレイブハートをリーダーとする『ヴァリアント・ローズ』。
その二つの派閥の中心メンバーたちだった。
「お呼びでしょうか? ミゼリア様?」
「一体私たちになんの御用でしょうか?」
それぞれ派閥内のナンバー2の女性二人が、あえて不遜な態度でミゼリアに口を利いた。
それに『プリンセス・オーダー』のメンバーが睨むように返す。
当然だ。
皆、直接暴力を振るいあったわけではないが、政治的な闘争を繰り返してきたのである。
お互いの評判を下げ合ってきたような争いである。
その被害を受けたことのある生徒たちは言いたいことがそれぞれ膨大にあった。
「用件は一つだけよ」
そしてそれを全て理解しつつ、ミゼリアは少し上に位置する玉座から告げた。
「……お聞きしましょう」
「…………」
態度を大きくしているナンバー2の二人も虚勢を張っているに過ぎない。
『プリンセス・オーダー』の面々がミゼリアを待っていたように、他の派閥の面々も彼女たちの主の帰りを待っていたのである。
────しかし、彼女たちの主が帰ってこない。ミゼリアだけが帰ってきている。
大きな不安が彼女たちにはあったのだ。
加えてこの呼び出しである。
警戒するなというのが無理な話だった。
しかも相手は曲がりなりにも王女である。
さらにミゼリアは世間の評判とは裏腹に、敵対する派閥の彼女たちからの評判は悪くはなかった。
敵対するからこそわかるものがあったのだ。
『シニストラ・アモリス』からは冷静な状況判断を憎々しく思われ、『ヴァリアント・ローズ』からはその統率力の強さに手を焼かせられていた。
学園内において、ミゼリアは“王族らしからぬ王族”として有名だったのだ。
典型的な王族としてはカレゼパール・サルヴァリオンが有名だろう。
ちなみに彼は真っ先に避難先に籠もり、ぬくぬくとしている。
そんな評価を受ける王女が、敵対していた派閥の弱体化中を狙ってきた。
そう考える二つの派閥は正しい思考だった。
しかし、現実に起こったことは奇妙なものだった。
「──私たち、『ミゼリア・サルヴァリオン』、『サフィレーヌ・カルクルール』、『ヴィクトリア・ブレイブハート』の三名は本日より同盟関係となったわ」
「…………っ!?」
「え…………」
既に話を聞かされていた『プリンセス・オーダー』のメンバー以外の生徒が驚きの声を上げ、困惑する。
当然の反応だった。
それまで敵対していた学園の三大派閥が同盟を結んだとなれば、大きな事件だ。
会話が広がり、騒音となっていく。
そしてその音を止めたのは王の発する音。
──“玉音”である。
『少し黙りなさい』
「────」
「────」
ミゼリアの声はよく通った。
その声はルクスが演劇で使っていたように、自分の声の範囲を広げて放たれたものだった。
耳だけではなく、音そのものを操れるようにミゼリアは成長を遂げていた。
騒音に悩まされなくなることで、自分の力について探る時間が増えたのである。
『混乱するのもわかるわ。でも、事実なの。サフィレーヌとヴィクトリアは私に一旦の指揮を任せ、自分の用事を優先しているところなの』
堂々とミゼリアは嘘をついた。
外行きのルクスのように、表情の変わらない仮面をつけていた。
二人と同盟を結んだが、別に派閥まで仲良くしようとは言っていないし、二人から指揮を任されたわけでもない。
だが、その嘘を通す必要があった。
今は少しでも優秀な人手が欲しかったのだ。
二つの派閥がミゼリアを評価するように、ミゼリアも敵対していた彼女たちを評価しているのである。
サフィレーヌとヴィクトリアがいなければ欲しいくらいだ。
魔法使いたちと剣士たちが欲しい。
つまるところ、『プリンセス・オーダー』には武力がないのだ。
この学園都市は襲われている。
現在は学園の教師陣が防衛を続けているが、それがいつ崩壊してもいいように構えておく必要がある。
いざ動かなければならない時に、敵対しているからと言って面倒事を増やしたくはないのだ。
この三大派閥が連携を取ってしまえば、他の弱小派閥は文句も言えないだろう。
学園の教師陣は確かに有能だ。
ここにいるメンバー全てでかかっても一人すら倒せないだろう。
しかし、彼らは個人だ。戦うことしかできない。
街中を逃げ惑う民を守るためには数がいるのだ。
震えそうになる手をミゼリアはなんとか押さえる。その仕草は足を組み直すというものに変換され、幸いなことに緊張を悟られることはなかった。
「では、サフィレーヌはどんな用事でいなくなったというのですか?」
「……どうして今このタイミングなのです?」
彼女たちも判断を迫られていた。
だが、違うのは彼女たちの頭脳がいなかったことだ。
武力を行使して逃げることも彼女たちにはできるだろう。
しかし、それは主の不興を買うかもしれないのだ。
“同盟相手に何をしている?”
そう言われて主の信用を失いたくない彼女たちは動けずにいた。
『用事の内容は知らないわ。タイミングなんて偶然よ』
そのミゼリアの発言を聞いた彼女たちの反応はさらなる困惑だった。
ミゼリアは心の中で謝罪する。
もし自分が彼女たちと同じ立場だったら、泣いてしまうからだ。
だが、今のミゼリアは馬鹿で我儘な王女の仮面を被っている。
そのように振る舞えるのだ。
『そもそもの話よ?』
有無を言わさずにミゼリアは追撃した。
そうしろと婚約者から教わっていたからだ。
『王国民である貴方たちは“私”に従わないと言うの? このミゼリア・“サルヴァリオン”に?』
「……!」
「……!」
まるで暴君のようなもの言いだった。
学園内で許されない発言だった。
しかし、事実である。
子供たちの社会だからこそ許されていた平等である。
そして、子供たちには効かぬ力だった。
それが効力を発揮しようとしていた。
なぜなら、彼女たちは大人になろうとしていたからだ。
ごっこ遊びはいつしか本物になっていた。
『侯爵令嬢と公爵令嬢が王女に従わない? それこそあり得ないわよね?』
──そんなことはない。
王族の権力など存在しない。
それがこの人間領域の真実だ。
しかし、そこには間違いなく一人の王がいた。
まだまだ未熟で、虚飾に塗れた少女だった。
だが、その姿にはたとえ作られたものだろうと祝福された黄金があった。
『安心しなさい。あくまで同盟関係による一時的な指揮権の譲渡よ。
貴方たちに酷いことをして、他の二人に怒られるようなことはしないわ』
その軽い冗談を聞いて、少しだけ他の派閥の少女たちの顔が緩む。
そこでミゼリアは本命を叩き込んだ。
『……私は歴史の勉強が嫌いなの。すぐに変わる王様とか、国とか。無駄に数だけ多いから覚えるのが大変よね』
ミゼリア以外の生徒の反応が揃った。
『プリンセス・オーダー』の生徒たちも首をかしげている。
『今、反王軍というものが来ているの。その集団の目的は支配階級の排除。
私が王族であるから、彼らを嫌っているという話ではないわ。もし、彼らが勝ったら面倒だと思わない?』
「…………?」
「面倒……ですか?」
困惑する少女たちを代表してナンバー2の二人が尋ねた。
『“ああ、また国の名前が変わった”。“ああ、こんなことがあったんだ。覚えるの面倒くさい”。
わかる? それが未来の学園生の声よ』
そう言われて少女たちはミゼリアの言いたいことを理解した。
これから何が起ころうと歴史に残る。記録は人が生きている限り続いていく。
変わるのは未来の人々の“感想”だ。
『“なにも特に書くことはなかった”……そんな楽な表記で終わる時代を作りたくはない?
大きな出来事なんてなにもないの。ただ続くだけのつまらない歴史を』
それは詭弁ではあっても、歴史嫌いのミゼリアの本音だった。
『“ロルカニアはずっと王国で、王家はずっとサルヴァリオン”。とても覚えやすい記録よね?』
王家の特徴。祝福された因子を持つ証。
金の瞳が少女たちを見回す。
彼女は王冠を被っているわけではない。その血にはなにも尊いものなど流れていない。
しかしその瞳の先には────跪く人々がいた。




