92話 馬鹿な王女
ロルカニア学園、その学長室には重い雰囲気が漂っていた。
闘技大会はつつがなく終わり、あとは通常運営に戻ればいいはずであったが、聖国から宣戦布告がなされたのである。
そして、その部屋にいる二人にとっての個人的な問題が残っていた。
「アレは……なんだったのだ?」
「わかりません……。武帝国でもあんな魔法はありませんから、一体どこで思いついたのか……」
重苦しい空気の中、眠り続ける小さな主を思うのはグスタフとアンリーネだった。
二人はルクスが使った黄金の魔法に対してまったく心当たりが無かった。
「……アレは鎧ではない。肉体だった」
「はい……。わたくしは遠くからしか視えませんでしたが、たしかに中身が……人間の肉体が消えていたように思います」
そこからわかるのは、あの黄金の鎧をルクスは体として動かしていたということ。
それはまるで────。
「まったく、アレは昔から学習能力が凄まじいとは思っておったが……まさか一度目撃しただけの『不死騎士化』の魔法を会得したのか……」
「はぁ……。完全に条約違反クラスでしょう」
二人は頭を抱えた。実に四年ぶりだった。
「三重婚約といい、どうもあの方の人生というものは静かにとはいかないようですね」
眉間にしわを寄せながらアンリーネは紅茶を飲んだ。
「クハハハ、ヴィクトリアを焚き付けておいてよく言う。お前の未練がダダ漏れではないか」
「……あくまで背中を押しただけです」
昔のアンリーネを知るグスタフに揶揄われ、バツが悪そうに彼女は目を逸らした。
「ま、あのガキはハットリュークとは違ったようだがな」
「……そうですわね」
「また漏れ出おるな。クハハハッ、複雑よな? 形は違うがあの二人は昔のお前たちだ」
「…………」
ついには黙り込んでしまうアンリーネにグスタフは溜め息をついた。
アンリーネの胸中にはブレイブハートとして親戚の女の子を助けたい、自分のような女にならないで欲しい、という純粋な好意がある。
そして同時に、どうして自分の時はうまくいかなかったのに、同じブレイブハートの娘が幸福を掴もうとしているのかという純粋な嫉妬があった。
ハットリュークという馬鹿の犯した数多の罪の結果の一つだった。
ハットリュークは一途であった。
それ故に好かれ、憎まれたのだ。
「まあ、もうお前の出る幕はないだろう。これ以上の干渉はただの押しつけだ」
「……よく、わかっています」
グスタフはもういい年をしたアンリーネの頭を不器用に撫でた。
彼らは置いていかれた側だ。
だが、これからはさらなる希望のために踏ん張らなければならない。
そうしていると、学園長の机が何か光を発した。客人がやってきた合図だ。
二人の人物が急ぎ足でやってきているようだった。
「外しましょうか?」
「気にするな。片方はトーリアだ。もう一人は……ああ……」
もう一人の魔力を感じ取り、グスタフは少し険しい目つきになった。
「学園長、失礼致します」
「……し、失礼します」
なぜならそれは彼の新しき主の栄光の道を阻んだ愚鈍な少女だったからだ。
「…………」
「……何用かな?」
壁際に移動したアンリーネと椅子に座るグスタフは抑えようとしても威圧感を放ってしまう。
「あら? アンリーネもいたのですね?」
気の抜けた声のトーンでトーリアは気にせず進んでくる。
だが、その横に並ぶ少女は萎縮していた。
その少女の名前はミゼリア。
グスタフ、アンリーネの二人にとって、その名前の後に続く彼女の姓は絶対に口にしたくないものだ。
偽の王女。ルクスと同じような耳を持ちながらそれを活かすこともなく、遊び耽っていた子供。
それがその『金箔』に対する印象であり、ルクスを絶対の基準にする二人の評価だった。
「実は少々報告したいことがありまして……。さ、どうぞ? ミゼリア?」
「はい……」
気安い雰囲気でトーリアはミゼリアに話しかけている。人間嫌いである彼女にしては少々珍しい光景だった。
わざと重い空気を出す二人に対して、少し臆しながらもその少女は前に出た。
その表情は皮肉なことに、昔オリジェンヌの屋敷にて小さな主が慌ててやってきた日のものとよく似ていた。
「敵の声を聞きました──」
さらにはその一言まで酷似していたのだ。
なぜだか、二人は笑うしかなかった。
◆◇
自分は何故か拒絶されている。
そうミゼリアは判断していた。
学生からは厳しさゆえに恐れられている学園長グスタフ・ロターク。
そして、ヴィクトリア・ブレイブハートの従者であるアンリーネ・ブレイブハート。
知る人ぞ知る歴戦の戦士の二人をミゼリアはルクスの影響で知っていた。
勿論、あのカードゲームの中で、である。
カードで知っていた人物の本物が目の前にいる。
そんな子供染みた感覚はすぐに破壊された。
どこか警戒するような二人の視線。むしろ敵対的だった。
だが、それに恐怖していても話は進まない。
優しい女教師に導かれるままミゼリアは踏ん張って、自分が聴いたものを伝えた。
それを聞いた二人の反応は──なぜか大笑いだった。
「クハハハ! まさかまさか……」
「ええ、なんでしょうね……この感覚は……ふふふ」
まったく意味のわからない二人の反応に、トーリアもミゼリアも困惑するだけだった。
「なんです? 二人だけ盛り上がって?」
「ああ、すまぬな。こちらのことだ。申し訳ありませぬ、ミゼリア様」
「い、いえ……」
先程までの重苦しい雰囲気が吹き飛んでいた。
「まあ、いつまでも意地を張るのは見苦しいですよね?」
「うむ。あやつがもうどうでもいいと思っているようだしの」
二人はミゼリアの目を見た。
完全に友好的になったわけではないが、ちゃんと初対面の反応になったようだった。
「わたくしも大変失礼いたしました。改めまして、ヴィクトリア・ブレイブハート様の従者を務めております。アンリーネと申します」
「ええ、よろしく」
「気を付けてね? アンリーネってすごく狂暴ですから」
「トーリア様はいつのお話をされているのですか……」
トーリアもおかしな雰囲気を感じていたのか、なごませようとそんな話をする。
一応それは効果があったのか、仕切り直しはできた。
改めて物でごったがえした学園長室の椅子に座り、ミゼリアは聞こえたものを話した。
「……南からそんな声が。距離はわかりますか? ワシも同じような耳を持っておりますが、聞こえませぬ」
「継続的に聞こえているわけではないのです。一瞬だけ捉えたもので、距離は多分大人の身長が二千人……くらい、です」
そのミゼリアの可聴範囲は飛び抜けて優秀だった。
その優秀な耳が苦しみを与えていたが、もうそれも無くなっている。
一方向に集中すればきっとさらなる距離の音も判別できるだろう。
お節介な婚約者の教えがミゼリアの中で生きていた。
「おそらく、現在は音を防ぐ魔法を使っているのでしょう。ミセリア様が聞いた距離は丁度南方の崖のところです。敵は陣を敷いています」
アンリーネがそう予想した。
敵は奇襲を狙っている。
「王都攻略の足掛かりとしてこの学園都市を狙いますか……。考えがまともすぎますね。指揮官は騎士でしょうか?」
トーリアはそんな分析をした。
「だとしても急ぎ過ぎだな。聖国と他の反王軍との合流を待たずして来るとは。所詮は烏合の衆。まともな奴ほど苦労してそうだの」
グスタフも慣れたように所感を口にした。
ミゼリアはなんとかついて行っているが、今この場は戦いを考える軍議とも言えるものとなっていた。
その話もルクスのカードゲームで出てきた単語があったから理解できている。まだこの学園で彼女はそこまで学べていないのだ。
「敵の場所がわかったのならばやることは一つだ。まったく随分と舐められたものだ」
敵の兵士が迫っているという状況なのに、獰猛な笑みをグスタフは浮かべた。
「さて……あとは“理由”ですな」
「ええ、そうですね」
「まったく……」
「?」
三人が何を言っているのか分からず、ミゼリアは混乱する。
皆がミゼリアを見ていたのだ。
「敵と呼ぶべきものが迫っていて、場所がわかっているのにも関わらず、実は我々は勝手に動けないのです。悲しいことに相手は一般市民。我々も軍属ではない」
棒読みでグスタフがそう語る。
「王都への道を絶ったと敵は言っていた……。ということは王都へ派兵を願っている時間もないわけです。しかし、我々の軍事的行動を可能にする方法が存在するのです」
アンリーネも倣うように説明する。
「我らが住まうのは『王国』です。敵が最も嫌う最高権力者が存在します。そして──今ここにはその権力の一部を行使しても良いお方がいらっしゃいます。ね? 王女様?」
そして、トーリアがわかりやすく補足した。
「…………つまり、私が命令をすればいいと? この平等の地位を謳う学園で?」
これはまるで試練のようだった。
「はい。貴方には“気に入らない一般市民を虐殺する馬鹿”になっていただきたい」
「ちょっと、学園長!」
あまりな言い方にトーリアがグスタフに文句を言うが、彼の目は真剣だった。
グスタフとアンリーネが試すような視線を送ってくる。
隣にいるトーリアも見守るように口を閉じた。
ミゼリアはよく考えた。
彼女はけっして馬鹿ではない。
グスタフの言葉の意味を理解している。
これは政治的な理由に過ぎないし、誰もが王族の権力があるとは思っていない。
つまりは詭弁だ。
だが、今この状況だからこそ効果があった。
この決断を実行したときに何が起こるのかを思考する。
まず敵と認識した相手がミゼリアの一言で死ぬ。
そして、今度はおそらく学園の人々だ。被害を受けて死ぬかもしれない。
降伏すれば助かったかもしれない学園都市に住むだけの市民が死ぬかもしれない。
だが、ここを取られたときの状況の方が重い。
目をつぶるミゼリアの目の前には、カードを持ちニヤけるルクスの姿があった。
こういう戦略を取られた時に、引いた時の悲惨さをミゼリアは学んでいた。
後手に回り、不利な二択を迫られるのだ。
ならば、やることは決まっている。
それに今更な話だ。
『農民上がりの馬鹿な王女』──いつもの通りの評価だ。
「……気に入らない音を出す人間がいたの。とても不快だったわ」
少し演技臭くミゼリアは言葉を発した。
意識したのはルクスの演劇で黒騎士を選んだあの少女。
農民でありながら身に余る力を持ち、最後はその力を振るうことを選んだ者だった。
「ミゼリア・サルヴァリオンが命じます。ゴミ掃除をなさい」
「畏まりました」
王女の命をグスタフは受諾した。その顔は少し明るいものだった。
「……政治って馬鹿らしいのね」
「ですが大事だと理解されましたね。貴方の持つ力は使い方次第です。どうかよく考えて今後ともお使い下さい」
試練の結果は合格だったようだ。
グスタフとアンリーネの態度が変化した。
けっして“王女殿下”とミゼリアのことを呼ぶことはなかったが、権力を有するに値する少女ではあると認めたのだ。
「けしかけておいて、調子がいいですねー。さっそく懲らしめたほうがいいですよ? ミゼリア」
「ふふふ、考えておくわ」
不満そうにしているトーリアだが、ミゼリアの決断自体を笑うことはなかった。
純粋で真っ白な少女が自分の役割を得た。
それは偶然と呼ぶべきか、運命と嘆くべきか。
偽物。仮初。ハリボテ。分不相応。
だが、彼女はそこに立っている。そこに立つしかない。
もし優しい女教師と出会わなければ。
もしあの図書室を訪れなければ。
もし恋い焦がれる少年を心配しなければ。
もっとそれ以前に少年と会話することがなければ。
今この瞬間は訪れなかったであろう。
何かが自分の中で定義された感覚をミゼリアは得た。
それはこの世界で生きる役割の決定だ。
かつてトーリアが戦士として設定されたように、純粋であるからこそ染まりやすい彼女たちは何ものにも染まっていく。
ただのミゼリア。
愛に狂った女が愛に飢えた女神の技術を借りて作った偽物のお飾り。
だが、今の彼女は間違いなく『ミゼリア・サルヴァリオン』だ。
誇り高き黄金を纏うだけの普通の少女は、ゆっくりとではあるが進み出したのだ。




