87話 彼女達のお茶会
4人の少女が地上を歩いていた。
命あふれるその場所を全員が愛していた。
一人は地上で育ち、一人は天空より飛来し、一人は深海より浮上し、一人は地底より脱出してきた。
「美味しいです!」
「たしかにな」
「…………!」
「本当に? よかった」
元々地上で育っていた少女が他の三人を案内していた。
全員が圧倒されていた。その景色と営みに。
変化の少ない場所からやってきた三人は興奮して、大自然と動植物について語る。
そしてそれをあと一人の少女が嬉しそうに聞いていた。
だが、そんな穏やかだった全員の歩みが変わっていく。
一人は信仰されることに幸福を見いだし始めた。
一人は絶対に脅かされない城を築くことに重きを置き始めた。
一人は暴力で他を圧倒する快感に悦を感じ始めた。
「み、みんな一体どうしたの?」
「安心して下さい。地上は私達が平定してみせます」
「ああ、その通り。だから、お前はどこか安全な場所で過ごしていろ」
「…………。邪魔」
「平和にしてくれるの? そっか! 私待ってる!」
そうして友情を盾に少女を他の少女は追いやった。
────それが五百年以上前のことだ。
「…………ふっ。まだこんな夢を見られるのだな」
うなされるように女は目を覚ました。
目の前に広がるのは白い天井と白い壁。そして、酷く傷んだ自分の赤髪。
弱っている肉体を酷使してなんとか女は起き上がる。
彼女は女王を名乗り、システムで世界を支配しようとした怪物、流深主・コーロン・ウテズユーク──その“分体”、パペヌラーレ・シーハルンである。
分体。つまり、彼女たちシーハルンはコーロンという魔族から分裂した個体であり、全員がコーロンである。
“シーハルンという人形劇”を彼女は開いていただけなのだ。
だがその人形劇ももうお終いだ。
最後の人形である女がもう少しで命尽きるところなのだから。
魔王アルテの襲撃により、全ての分体が呪いを受けた日、女はたまたま他の個体との同期を切っていたのだ。
その理由も馬鹿らしい偶然によるものだった。
『女王様、とうとう私が子持ちです。どう思いますか?』
その日、腹を大きくした人間の女が仕事中の女王に話しかけていた。
『どうもなにもないだろう。大人しくしていろ。夫婦揃って落ち着きのない奴らだな』
『ふふふ、いいではありませんか。少しお話しましょうよ』
溜め息をついて、女王は少しだけ会話に集中するために同期を解除した。
プロティナとオーレイルとの会議は上位個体が行っていた。
だから、あとで結果だけを同期しておけばいいと思ったからだ。
『……まったく。で、何を言って欲しいのだ? “人間的行為おめでとう”、とでも?』
『あら? 人嫌いの怪物のくせにお祝いする気はあるのですね?』
『ふはははは、抜かせ』
彼女たちのやり取りは遠慮のないものだった。
血の繋がりどころか、種族としての繋がりも弱い二人なのに、なにかが噛み合っているようだった。
『……私の子ですから、きっと、面倒な子なのでしょうね』
自分の腹を撫でながら、その女性は儚げに語った。
『どうだかな。ハットリュークに似ても面倒だとは思うが』
『まあ! それは素晴らしいことですのよ? 私もとても幸せですわ』
『まったく……』
呆れたように女王は笑った。
その日の女王は少しだけ上機嫌のようだった。
だからその女性は女王を頼った。
『実はお願いがありまして……』
『だからさっさとそれを言えと言っている。……なんだ?』
女王のぶっきらぼうな返事に満面の笑顔になると、女性は本当にただの頼み事をした。
『もしものときはこのお腹の子をお願いしたいのです!』
『はあ……?』
女王は困惑した。
人間の子を自分に頼まれてもどうしようもないからだ。
それにもしもなど起こりはしないのだ。
作戦は盤石であるし、ここは戦地とは程遠い。そして何より女王が存在している。
『よくわからぬが、もしもそんなことがあるのならば、生かすくらいはしてやる』
だから果たす気のない約束をしたのだ。
『うふふ、言ってみるものですね。お願いしますね? お義母様?』
『馬鹿が。……何度も言っているだろう。貴様の母は別にいて、義理の母はバラミニシアで──』
あの日の宮殿でのくだらない会話だ。
その後、呪いは免れたが同期を再開したことで自分が受けた痛みを全て味わうことになり、魔王への恐怖から女王は狂って引き籠もった。
そして、その女性はお腹の子と共に行方不明となった。
「…………」
『俺個人的には、貴方を尊敬してるから…かな? 後は義理とはいえ、“ばあちゃん”だし。頼ってもいいしょ?』
そして数年後、同じような戯言を吐く面倒な子供がここにやってきた。
恥も外聞もなく泣き叫ぶだけの女をその子供は癒やした。
荒々しいやり方ではあったが。そこは父親譲りの血なのだろう。
因果とは本当に歪で、美しい。
今この瞬間まで女が意識を維持しているのも、その数奇な運命に影響されてのことだった。
「────ああ……遅いぞ。オーレイル」
女がベッドの横を見た。
そうすると白い部屋の空間が歪んだ。
いや、何かが切断された。
武帝となった女が使う特殊な転移魔法だ。
そして、その歪みから冷たい夜の雰囲気を持つ女が出てきた。
黒髪、黒服の黒一色。日焼けの無い白い肌が強いコントラストを描いている。
全盛期とまではいかないが、その姿はいつもの彼女のものに近かった。
「ああ、“フィフ”と呼んだ方がいいのか? ははは」
煽るようにそう言われ、不快そうな顔を『オーレイル』はした。
「……むかつく。何が貸しなの?」
「あれくらいしておかなければ死にそうだったのでな。どうだった?」
オーレイルの文句は、勝手に主の肉体をいじられたことだ。
「…………今も死にかけてる」
「ふははははは、なんだその顔は? 貴様本当にオーレイルか?」
「…………そう。自分でも不思議。貴方こそ、どうなの?」
「…………」
しょぼくれた顔をする武の極みに至った女と、無様な姿を晒す屍のような女。
共に変化したことを理解していた。
「それで? 今回は貴様がホストだ。どこでやる?」
なんとか立ち上がろうとする『コーロン』をオーレイルは手で制した。
「場所はここ」
「馬鹿か? なぜ招待客の家で開催するのだ」
ホストが他人の家を勝手にお茶会の場所にしようとする暴挙に、コーロンは呆れた。
「貴方が動くのつらそうだから」
しかし、それが今のコーロンの身を考えてのことだと知り、別の意味でコーロンは驚いた。
さらにオーレイルがいつの間にか持ち込んでいるティーセットで、茶の準備をし始めたのだ。
「……ここまで変わるのか」
「何?」
「いや……」
あの日アルテに敗北するまでのオーレイルは、本当に酷いものだった。
無言で圧だけを醸し出し、不快なものは即斬り捨てる。
ほぼ無言でなんの準備もしない女だった。
折れて自分もいくらか丸くなっていたと思っていたコーロンだが、オーレイルは格が違ったようだ。
「おや? 二人だけで開催ですか? お誘いが無いのは悲しいものですね」
「…………」
「…………」
聞き慣れすぎた女の声が部屋に響いた。
見ると部屋の入口の扉が開き、透明化を解除した『プロティナ』が現れた。
大きなカバンを引きずりながら、ボロボロの靴を踏みしめて歩いている。
「あの……無視はやめてください。結構タイミング考えてたんです。でも、なかなか割って入れなくて……」
しかし、無言で準備を進める二人を見て急に弱気になった。
「コーロンが相手して。準備するから」
「なんだと? なかなかきついのだぞ?」
「なんです? いつの間にそんな仲良くなったのです? いじめです? 人がどれだけ世界を走り回って──」
「あー、あー、あー」
暴走が始まりそうだったので、なんとかコーロンがその場をつなぎ、お茶会の準備が整った。
三人とも元の姿を思えばボロボロの姿だった。なんの華もない。
貧乏くさい椅子が二つに一人はベッドを椅子にして向かい合っている。
他者の肉体に依存しやっと動けるオーレイル。
限界寸前の肉体でなんとかやりくりしているコーロン。
泥だらけの服と不完全な少女の体のプロティナ。
無様なものである。
「開始」
やる気のないオーレイルの声で始まった。
「とは言うものの……まず何から始めたものか……」
「コーロン。その肉体のエネルギー残量はどれくらいですか?」
いきなり実務的な話から入ったのはプロティナだ。
「……二日はもたぬ。今から寝ても無理だ」
それがコーロンの今の肉体の命日だった。
「そう、ですか……」
「二人にお願いがある」
「お願いですか?」
「…………なんだ?」
お茶会は三人が開いていた会議のようなものだが、結局はプロティナとコーロンの二人だけが話を進め、オーレイルは決まったことに頷くだけだった。
だが、今の彼女は自分から提案をしようとしていた。
「私は────、────」
そして、それを聞いた二人の表情は驚きだった。
「オーレイル……貴方……」
「貴様の変わりようは、凄まじいな」
二人に向けるオーレイルの顔は決断を終えた戦士の顔だった。
それにこうなった彼女はどうにもできないことを二人は知っている。
「守りたい人間がいる。どうしても生きていて欲しい人間がいる」
「コーロン……? この子は本当にオーレイルなのですか?」
「らしいな……。私も驚いているよ。そういう貴様もなんだか変わったな。自分のシンボルなんて付けていなかっただろ?」
コーロンが指摘するのはプロティナが付けている首飾りのことだった。
自分で自分を信仰するなど馬鹿らしいと言って、彼女はそういったものは身につけていなかったのだ。
「少し……出会いがありまして。信徒に対しての考えが変わりました」
そう語るプロティナは純朴な笑みを浮かべていた。
昔の悪辣で冷血な彼女からは考えられないものだった。
そして、その出会いとやらにコーロンは予想がついていた。
「…………まさかとは思うが、出会ったのはハットリュークとハディアの息子か?」
「!? よくわかりましたね、コーロン! 貴方のそういうところは衰えていませんね。聞いて下さい。彼はなんと私によって命を救われたのだと教会に祈りに来たのです!」
「ああ……やっぱり」
なにか心当たりがあるのか、オーレイルも納得していた。
「なんです? その反応は? 私の信徒です。羨ましいですか? やはり、私の神威は衰えていませんね」
なにやら語り始めたプロティナを止めるためにオーレイルが一太刀を入れた。
「その子が今の私の宿主」
それをプロティナが聞いた瞬間、二つの軌跡が描かれた。
「──なんと言いました?」
片方はプロティナが抜いた光の剣。
「そのままの意味」
もう片方はオーレイルの刀。
その二つがぶつかり合い、拮抗していた。
プロティナがオーレイルに斬りかかったのである。
茶は床に溢れ、机は倒れていた。
「私の────私の最後の信徒を──よくも……ッ! オーレイルッ!!」
コーロンはプロティナが人間のことでここまで激昂しているのは初めて見た。
どんな印象をこの女神に抱かせたのかは知らないが、本当に面倒な子供だと溜め息をついた。
「プロティナ、聞いてほしい」
「何を……っ!? 何を聞けと?」
「落ち着けプロティナ。先程オーレイルが守りたいと言った人間がソイツだ」
「な──ん……?」
この世界の殆どが耐えることのできないエネルギーのぶつかり合いがひとまず落ち着いた。
「……全て話してください。今のは……その……すみませんでした」
自分の足で世界を見て、どうやらプロティナも何かが変わったようだった。
「いい。これくらい気にならない。もっと酷い煽り合いを最近はしているから」
本当にオーレイルの変化は大きい。もし昔のままだったなら今のやり取りから、数年はプロティナを無視して、武帝国が戦争を始めていただろう。
「まあそうだな。じっくり話すとしよう。オーレイル、なにかやることはあるのか?」
「平気。すでに叩き込んできた」
自慢げに鼻を鳴らすオーレイルだが、叩き込まれたという相手はかなり気の毒だとコーロンは思った。
「ではまずは私から話したほうがいいだろうな。あの日、宮殿でのことだ──」
そこからは会議というよりは、数年ぶりに出会った友人同士が語り合う平和な会話が続いていった。
昔はああだった。
今はこう変わった。
そんなことが。
こうしようと思っている。
これはあり得ない光景だった。
もし、十二年前に彼女たちがこんな会話をしているような関係で、そんな性格だったのならアルテはきっと彼女達を殺そうとは考えなかったはずなのだから。
騙されてはいけない。
この女達に騙されてはいけない。
彼女達が如何に愚かだったのかはアルテ・リルージュと、他ならぬ彼女達だけが知っている。
今更人間を愛したところで、この化け物たちの罪が消えることはないのである。
◆
王国の東部では聖国軍による侵攻が開始された。
王国内のあちこちから反王軍が挙兵し、王都を目指し進み始めた。
王国の内部には魔王領の内通者がたくさんいた。
そして、王国の地下には獲物を求めて彷徨う災害が蠢いている。
「では、始めましょう。よろしくね」
魔王領、その魔王城にてアルテ・リルージュが幹部を集め作戦の決行を宣言した。
「お任せを、アルテ様!」
元気にミーナが答える。そして転移魔法で出発していった。
「私達の仕事が一番堪えそうだ」
「だが、面白みは多いだろう?」
オフィーティトナとプラツムがそんな会話をしながら出ていく。
「はあ……あの研究馬鹿の相手をまたしなくちゃ……」
「はあ……やっと少しは落ち着くのか?」
そんな愚痴を吐きながら、モードスとメンドルウスは歩いていく。
全員が去った後、アルテは自分のベッドに寝転がり、だらけ始めた。
本来はどうしようもなく怠惰な彼女はこれが素である。
いつものように赤と黒の兜を抱いて、天井を眺める。
そしてお茶でも飲もうと机を見ると、空のティーカップと最近ハマった演劇のグッズが置いてあった。
全グッズをコンプリートしようとあちこちの売店を駆け回ったほど、アルテはドハマリした。
娯楽というものを彼女は知らなかった。
政治や技術を考えることは得意でもこういった空想を描くことは苦手だった。
だからこそ、その空想にのめり込むのは楽しかった。
知らない世界を知ることが興味深かった。
そして、この演劇のコンセプトだ。
『マルチ・エンディング』。知らない概念だった。
これをあの小さな人間が教えてきた時に、アルテが受けた衝撃は計り知れなかった。
だってそんなものは現実には許されないからだ。
あり得た未来なんてそれこそあり得ない。
だってもしそんなものがあるとするのなら──。
「……貴方が生きているエンディングなんてあったのかしらね」
手に持つ兜を強くアルテは抱き締めた。
赤黒い空洞の兜に話しかけ続けた。
「もし、生きていたらきっと、──リエーニと話があったのかもしれないのに……」
その言葉に返事がされることはない。
もう終わった話だ。
でも、もう一つの終わりがあるのならば──。
「『ヴァンボロイズ』……。また、貴方に会いたいわ……」
絶対の存在。生物としての究極。
地覇女帝アルテ・リルージュが泣いていた。
それこそ見た目通りの少女のように。
友から遠ざけられ、戦争に巻き込まれ、住処を失ったアルテがあの日に出会った光。
でも、もうその光が輝くことはないのだ。
アルテは魔王となった。
自分を殺し、配慮し、恒久的な平穏を生み出すことを決意したのだ。
だから、そんな涙は許されない。
疲れたようにアルテは眠る。空洞の兜だけがそれを見ているような気がした。




