8話 少年少女の泡沫夢想
ヤンバトールと名乗ったガキは思ったよりも大人しかった。よく躾けられてると言えばいいのか、頭が良いと言えばいいのか。
「ほい、いらっしゃい」
「お、お邪魔します」
自分の屋敷でもないのに、勝手に客人を招くメイド。フツーにやばいことしてると思う。まあ、いいだろ。咎められればごねまくるだけだ。
やってきたのは深夜の調理場。燭台に少しだけ火を灯し、形の悪い椅子にお客様を座らせた。
調理場で勝手に火をつけ、水を温める。脚立を登って戸棚を開けると、ずらりと並ぶ数々のお茶っ葉達。招いた客の好みをまず把握しろとババアに滅茶苦茶言われたが、わからねえ…。
「おい、お前好みの葉は?」
「えっ…、ユルハクテとササブルドかな」
こいつめっちゃ高いやつ要求するじゃねえか。図々しいやつだな。俺も好きだけど、こんなの毎日飲むもんじゃねえよ。おぼっちゃまってやつは、あーやだやだ。
えー、どれくらいがいいんだったか…。
「……ここはルクレヴィス家の屋敷ではなかったか?」
「今集中してるから喋んな」
「ここまで来るとすごいな、貴様は」
ババアは目分量でブレンドしてやがったが、俺にそんな真似はできねえ。小さじでしっかり量っていく。緻密な作業中にヘラッてるガキの相手ができるか。
結構ここのキッチンは使い勝手が良い。スイッチのいらない完全リモートだ。
俺が願えば火がつき、水が出る。クソみたいな世界で、魔法使いの調理場とも言えるここはお気に入りの場所の一つだ。
手でする作業とは別に他のことができるのは喜ばしい。
「お待たせしました、お客様」
絶対に客を座らせてはいけないような作業用の机に、ティーカップを準備し、注いでいく。
良い匂いが調理場に充満し、安心するような気分を俺達に与える。コイツも会った頃に比べれば、いくらかマシな顔になっている。
「そうしていれば、一流の従者に見えてしまうな……。場所がそぐわぬが」
茶を含んだコイツの顔を見れば、味は問題ないだろう。あたりめえだろ。毎日、クソババアのしごきに耐えてんだ。
「お前は……ここに雇われているのか? それともどこかの家から出されたのか?」
「んー、拾われたって感じ? ただの孤児だったからよ」
「孤児……?!」
「んだよ」
「あっ…いや、その、あまりにも……」
自分のカップにも茶を淹れて、ヤンバトの正面に座る。拾われ者にそういう反応になるのは普通だろうが、今は対等な立場だ。好きにやらせて貰おう。
「で? これからどうすんだよお前」
「…………」
「今晩くらいはなんとかできるだろうけど、明日以降は、すまんが庇いきれんぞ。一介のメイドごときにはな」
抱え込むようにカップを持ち上げて、ヤンバトは絞り出すように語り始めた。
「私の仕える人の話なのだが……その人は騎士になりたいんだ」
めんどくせえ前置きをしやがる。
「だが、もう騎士は必要なくなってしまった。戦争の無い今は貴族同士の繋がりが重要なのだと、両親は言う。婚姻など……考えたくもないッ!」
あー……、所謂政略結婚ってやつか? お見合い婚? まあつまり、やりてえことをできねえのが嫌ってわけか。
「まあ分かる話だな……」
「そうだろうっ!? 姉上も叔母様も皆戦場で活躍し、名誉ある証を頂いたというのに、私だけがやめろと言われたんだッ!」
うげえ…、これまともに返すと全部俺に返ってくる話か?
「そんで逆らった?」
「いや……その……」
「んだよ」
態度の割に従順だな。やっぱ育ちがいいのか。
「皆、それが素晴らしいことのように提案してくるのだ……。相手を失うことが無いなんて幸福だと……」
「あー……」
「言い返せるものか!? 逆らえるはずがない! 未亡人となってしまった方もいらっしゃる前で…」
それはきちいな。吐き出したコイツの顔を見れば、爆発する寸前だったんだろう。
そんで、それを発散する術を知らないコイツは、ただただ逃げてしまったというわけだ。
「憧れの人がいるんだ。尊敬するお人が。その人を目標に鍛錬を重ねた」
小さな燭台のロウソクの明かりだけがゆらゆらと揺れている。コイツの息が吹きかかる度に、激しく揺らめく。
「昨日久しぶりに会ったその人に言われたんだ。“許嫁は決まったのか”、と。……そんなこと話題にしたくなかった」
「そうか」
「着飾った自分など考えたくもないッ!! 誰よりもあの人の近くで、剣を振るえればそれで良かったのに……」
激しく涙を流すコイツにこもる感情は一時のものだ。きっと、俺が今日干渉しなくてもコイツは自分で踏ん切りをつけて、戻っていったに違いない。
人より早く大人になって、折り合いをつけていく。そんなヤツなんだと感じた。
俺にできることなんて無い。首を突っ込む意味なんて無かったな。
「お前、大人過ぎねえか?」
「え…?」
「あーあ、俺がガキすぎて聞いてて嫌になってきた。フツーそこまで考えるか? 俺だったら全力で抵抗するね」
「そんなことできるわけが無いだろう……。私だけの家ではないのだ」
従者設定忘れてねえかコイツ。
「まあ、ならしょうがねえか」
「…………っ」
「事情は理解った。とりあえず泊まってけよ。外じゃ悩むだけの余裕もねえだろ」
食器を片付け、洗浄する。
別にいいのにヤンバトもその作業を手伝おうとしてきた。たどたどしいその動きは、孤児院の子供達を少し思い出させた。
チビシスターに説教されたばっかの俺が言ってやってもいいものか。まあ、いいか。
◆
『まあ、ならしょうがないか』
そう困ったように微笑むリエーニの顔はヤンバトールの脳裏にひどくこびりついた。
リエーニは、自分の家の者のように婚姻を提案することもなく、騎士への憧れを肯定するわけでもなかった。ただ、話を聞いただけ。そして、自分ならどうしていたかを呟いただけだ。
その何気ない気遣いを感じなかったわけはない。それがまたなんとなく悔しかった。
大人びたリエーニの対応はヤンバトールの影を濃くするだけ。だが、あの笑顔の一瞬だけはリエーニの本来の表情が現れているような気がした。
何かを諦めているような、儚い表情。そこに宿る優しさと暖かさにヤンバトールは感情を乱される。
理由のわからない苛立ちさえ覚えるほどだ。
「あっ、やべ。ちょっと待っててくんね? 片付けしてくる」
「客間が汚いのか? 普段の仕事はどうしている?」
「うっせ! 今日だけ汚えんだよ!」
(どんな理屈だ?)
はっとして慌てて入室し、何やら片付けをリエーニは始める。
結構上等な客室の前にヤンバトールは案内された。
認めたくはないが、自分の身分などリエーニには見抜かれているのだろう。
この屋敷の主、ルクレヴィス家は王都を本拠地とする公爵家だ。しばらく、この屋敷を利用している様子は無いとヤンバトールは聞いていた。何か療養でもしているのだろうかと疑問に思う。
自分と同じような年齢のリエーニは、そんなお屋敷でもう自立して働いているのだろう。孤児であろうと、あの見た目と器量の良さならば納得できる。
とてもヤンバトールには真似できない。だがいつかは自分もそんなことをやらされるようになるだろうか。
また言い知れぬ不安がヤンバトールの胸をかすめた。
「いいぞー」
ふざけたように優雅な仕草で、ヤンバトールは案内をされる。さすがは公爵家の別邸だ。そこら辺の家とは格が違う。
用意されたベッドの綺麗さも、壁にかかる美術品の数々も相当なものだろうと理解できた。
「俺ももう、ねみぃや。さっさと寝ちまおうぜ。格好とか汚れは気にしなくていいぞ」
「すまない」
ヤンバトールも限界だった。知らない環境とよくわからない存在に心を乱され疲れが溜まっていた。
「おい、もっと詰めろよ」
「────は?」
寝ようと横になったベッドの上で、ヤンバトールはリエーニに押し込まれ、その隣にリエーニは横になり始めた。
「なにをしているッ!?」
「てめえこそ何占領してんだ。ふてぶてしいんだよ」
「えっ!? はっ!?」
混乱をまたこの存在は運んでくる。言われるがままに二人でベッドに横になるが、隣で横になるリエーニの体温を感じてしまい、ヤンバトールは少し目が冴えてしまった。
「い、いやおかしくないかッ!? 自分の部屋があるだろう!?」
「……黙って寝ろよ。早起きしてババア対策しなきゃいけねえんだからよ」
「ババア? 対策? なんだ? 私がおかしいのか?」
「黙って従えや」
「むぎゅっ」
思ったよりも強い力で、枕に押し込められる。助けてもらった身ではあるのだが、納得はいかなかった。
諦めて、天井をヤンバトールは見つめる。少し触れ合う肩がちょっとこそばゆくて、身動ぎしてしまう。
横目に見るリエーニの顔は美しかった。
ヤンバトールの自慢の姉達や親戚、憧れの英雄も皆整った顔立ちであるというのは事実であり、誇りだ。だが、リエーニの顔はいつまでも見ていられるような、他とは違う何かを感じていた。
その感情の正体にヤンバトールは気付かないし、気付くわけにはいかない。
それは、今ヤンバトールが否定しようとしている“婚姻の幸福”につながってしまうからだ。
さらに言えば、同性での関係など今のヤンバトールには考えられない。
大きな窓から差し込んでくる薄い月明かりに反射するその黒髪に触れたいと思う。
閉じた瞼から生えた人形のような睫毛ももっと近くで見たいと思う。
ちらりと見える首元の美しい線に口づけを──。
(私は……ッ。何を…)
戻った思考は羞恥を運んできた。理解ができない。うまく息もできなかった。
「眠れないのか?」
「っ!」
変わらぬ表情のままリエーニは問い掛ける。単純に心配してのことだったが、ヤンバトールは顔を紅潮させ背を向ける。
「警戒すんなってのも無理な話か」
「い、いや、そういうことではなく……」
「あん? まーいいけどよ」
しばらく、沈黙が支配する。
さすがにヤンバトールにも眠気の限界が訪れた頃、リエーニがゆっくり話し始めた。
「知り合いの話だ」
「……?」
「ソイツは幸せだった。どこにも笑顔が溢れていたし、誰も傷つくことのない環境にいた。ある程度のことは自分でできたし、頼めば誰かが助けてくれた」
それを話すリエーニの声は穏やかで、本当に遠くのことを言っているようだった。
「だから、やりたいことはなんでもできたし、後回しにしていた。きっと、騎士にも、商人にも、農夫にも、もしかしたら王様にもなれたかもしれない」
「それは……なんとも幸せな人だな」
「フッ…、だよな」
皮肉を言われてもリエーニは微笑むだけだった。
「まず、足を失った。できないことがたくさん増えた」
「──」
言葉を失ったヤンバトールに微笑みながら、リエーニは続ける。
「次に、利き腕を失った。またできないことがたくさん増えた」
愉快な笑い話のように、リエーニは語る。それこそ談話するように。くだらないオチのない話を聞かせるように。
「最後に、声を失った。もう、それ以上失うことは無かった」
「その人はどうなったんだ?」
ヤンバトールはつい振り向いて質問する。目の前にあるリエーニの顔は、“あの笑顔”だった。
「どうなるんだろうな?」
「──リ、リエーニ?」
「はっ、結局な? 選べるうちに選んでおけば後悔はしねえだろって話だ。その手前で迷うのはもったいねえってな」
それはリエーニなりの慰めであり、解答だった。
あやすようにリエーニの手がヤンバトールに触れる。
撫でられる心地良さはすぐにヤンバトールを眠りに落とす。
ああ、もうだめだ、とヤンバトールは観念した。
静かに涙を流す子供を、優しく抱擁するのもまた、子供だった。




