64話 情熱と情愛
リエーニについて行って見ると、そこには大きな施設があった。
大きな催しで使われることがある施設で、私が優勝したつまらない闘技大会もここで開かれた。
普段は運動場として解放されているらしく、鍛錬をしたい人などが利用しているようだ。
「2名で試合場を一つ」
リエーニは勝手に受付を済ませ、訓練用の剣を投げてきた。
「これは…?」
「久しぶりにやりたくならねえか? 三年分だ。お互い試してえこともあるだろ?」
「……いいでしょう」
挑発的な表情で彼女はそう言ってきた。
昂ってしまった私は、それを受ける。
「あ、お客様ー。ちゃんと『アルテラ・アニマ』を付けてくださーい」
「なんだって?」
早足で会場に向かおうとしていたリエーニが受付の人にそう注意される。
「『アルテラ・アニマ』。防御魔法が施された聖芸品ですわ。安全面を考慮した結果、公式試合でも使われるようになったものです」
「ほへー」
驚いたように見つめながら、入口にあるブレスレットをリエーニは付ける。
この聖芸品が導入され、けが人は減った。
しかし、せっかくの剣の戦いを私は純粋に楽しめなくなった。
退屈な闘技大会が毎年無事に開催されているのもこれのおかげだ。
「でも、なんだかヒリつかねえな……。これ闘技大会でもつけてんの?」
「! ええ、そうです」
つまらなそうに言う彼女。
やはり、リエーニは私と同じなのだ。嬉しいと思ってしまう。
「まあしゃあねえか。今怪我で引退とかやばいもんな」
「そうね……」
でも、リエーニはすぐに順応した。羨ましい。
「剣術のみ。3、2、1、でスタートな?」
「ええ」
この闘技場で一番大きな場所を貸し切って私たちは向かい合う。
私は我流の第五剣術を基本とする構え。
リエーニは“構え無し”だった。
相変わらずのせこさだ。
「では3──」
剣の音がその時点でぶつかり合う。
彼女が話し始めた時点で私たちは切り合っていた。
「おいおいおい? 俺の話聞いてたか?」
「よく言いますわね? 外道はお互い承知の上です」
リエーニが笑っている。
私もおそらく笑っている。
本物には程遠いが、鉄の打ち合う音が木霊する。
「荒いなぁ! いいのかお貴族様がこんな剣でよォ!」
「貴方こそ、口調に反して随分臆病な剣ですわね?」
たまらない。この理解し合う瞬間がたまらない。
私が五剣術を越えたように、リエーニも五剣術を越えていた。
私は相手が防御しようともダメージを与え続ける豪腕の技を中心とし、彼女は相手を見極める防御寄りの柔の技を中心としていた。
おそらくは第三剣術を基本としたもの。器用が似合う彼女らしい。
「……ッ! 多少は痛えのか」
「あくまで一定以上のダメージを魔力を消費して回避する聖芸品ですからね!」
私の剣戟を受け続け、彼女の手首が悲鳴を上げる。
私たちが装備している下らない保険装置は一定以上の負傷を無効化するもの。
1割以上の肉体ダメージを防ぐのがその効果なのだとしたら、私は0.5割程のダメージを継続して与え続ける。
「てめえが優勝する理由が分かったぜ。相性良すぎだろ、くそが」
「ふふふ…。闘技大会ではここに魔法が入りますよ?」
「だろうな、っと」
「────ッ!」
突然二本目の刃が飛んできた。
それはリエーニの結ばれた髪の毛だ。
それに気を取られた私は本命の刃を右手に受けてしまう。
「……相変わらずのようですね。それが剣術ですか?」
「おうよ。無剣術の派生な?」
自分の後ろ髪を左手でくるくると回しながら、得意げに彼女が笑う。
屁理屈の申し子め。そうでなくてはいけない。
「惜しいな~。今の実践だとお前の右手終わってんだけどなぁ!」
「それこそ実践だと貴方の剣もその綺麗な髪も灰になっていますわ!」
お互い引かずにまた切り合う。
彼女のスタイルがまた変化した。
今度は無剣術の動きを取り入れた、攻撃的なもの。
彼女の髪の毛が視界を奪い、それに隠れた鉄の道筋が心の隙間に現れる。
あのフィフが師匠にいるのだ。その動きも達人レベルだ。
しかも敢えて所々に隙を混ぜている。
足技も織り交ぜ、学園の剣術を習う一般生徒が見たら怒るような挑発的な動きだ。
踊っているかのよう。
「────」
「来てみろよ! 削れてくぜ?」
その隙に一撃を入れようとすると、お得意の返し技がやってくる。
厄介だ。そして、とても面白い。
ならば私も枠を外すだけだ。
「うわッ!?」
私は剣を投げつける。
本来ならば引き戻す魔法を使うのだが、今回は使えない。
ならば使うのは彼女と一緒の無剣術。
「フッ!!」
「ッ!」
彼女の剣を拳で打ち落とし、お互いに無手となる。
この状態であれば、体格差での勝負だ。
残酷な話だけど、彼女と私の2年という成長差は覆すことはできない。
『アルテラ・アニマ』はダメージを無効化する為に消費した魔力が一定に達すると、色が変わり警告音を発する。
それが勝敗が決する合図だ。
リエーニと私の消費量は4割を越えたところと感じる。
「あはははッ!!」
「筋力馬鹿がッ!」
打撃、手刀、気功の応酬。掴み技や崩し技だけはお互いに回避している。
着実に彼女と私の差が広がっていく。
リエーニは鮮やかな蹴り技で削ろうとするが、一手足りない。
肝心の髪の毛による翻弄は、私の手がその髪を掴みとることに集中しているためできない。
「おらっ!!」
「!!」
また彼女の構えが変わる。
よくわからない前傾姿勢。重心を低くして飛び込んで来る体勢だ。
(足を取られる──!?)
直感でそう判断した私は飛びかかってくる彼女を蹴り迎えようとする。
そうするとリエーニは直前で技を変え、私のローキックを回避しながら両手を地面について逆立ちとなった。
「────っ!?」
ふわりと彼女のスカートが広がり、魅惑的な足が露わになる。
肝心の部分は一瞬だからか、モヤみたいなものがかかっていて見ることができなかった。
「セクシーキック!」
「ッ!!」
気を取られた私の顎に彼女の蹴りが直撃する。
なんて恥知らずな攻撃だろう。本当に卑怯で型破りな技ばかり。
「ヤンバトくんのえっち!」
「…………」
芝居がかった仕草でスカートを抑えるリエーニ。
私の頬は怒りで引き攣っていた。
「臆面もなくよくそんなことを……」
「ぬはははは。これで逆転くらいか?」
「!!」
彼女は既に私たちが身につける聖芸品の消費量を把握していた。
相手の消費量を計算するのが重要だということにもう気付いている。
「リエーニ。やはり、貴方は学園に入りなさい。そして、今年の闘技大会で私と戦いなさい」
「……嬉しい誘いだけどリエーニは無理だな」
私の誘いはあっさりと流される。
「ならば、いつでもいいので、真剣勝負を望みます。貴方のような人が表に立てないのは我慢なりません。大舞台で私と殺し合いなさい」
「殺し合いはしねえけど、その約束は守ってやるよ」
再び彼女が構え直す。
私もそれに倣うように構える。
「ここからは魔力アリにしない?」
「ふふふ…いいですわよ。そうしないと勝てませんものね?」
「そうなんですよ~。強いっスよ~、アナタ。まあそこそこね?」
「…………」
これだからこの子との会話はやめられない。
お互いの練り上げた魔力が放たれようとした瞬間、邪魔が入った。
「おい! いつまで使ってんだ!! 運動場じゃねえんだぞ!」
「そうだ! 剣使わねえならさっさとどけや!!」
入口を勝手に開けて入ってきたのは、学園の恥とも言える生徒たちだった。
勉学では成績を残せず、剣技のみを自慢する厄介者たち。
私たちはお金を払い、貸し切っている。誰の契約も破っていない。
(なにあれ? 不良集団?)
(無視しましょう)
「聞いてんのかオラ!?」
「どけって言ってんの!」
「見たこと無い奴らっすねー」
彼らは次々と入ってくる。
こんなにも増えていたのか。
あとで生徒議会に議題として上げておこう。
一般市民に迷惑をかけるのは頂けない。
「ふーん……。ヤンバト、悪い。今回はここまでな」
「ええ…?」
何か良からぬことを企んだような顔でリエーニがそう言う。
残念だけれど、興を削がれたのは事実。いい刺激にはなっただけでも我慢しよう。
「最近ストレス溜まってたから発散しよう」
「?」
そんな不穏なことを言うと、彼女は前に出て大声を上げた。
「譲って上げてもよろしいですが、条件があります!
『私とこの方の二人を打ち負かす』。それを条件とさせて頂きます。もちろんその場合、全日分の場所代をお支払いしましょう!」
「ちょっ!?」
煽るような仕草でリエーニは彼らを挑発した。
まったくこの子は……。
「ああっ!?」
「舐めてんすか?!」
「ぶっ殺す!!」
「タダじゃん。助かるー」
口々に汚い言葉を放ちながら、彼らが寄ってきた。
そうして、私たちを取り囲む。
(ぶっ倒したやつの数で勝負しようぜ)
リエーニはそんなことを耳打ちしてきた。
私にも気合が入る。
「ああ、危ないと思ったらいつでも棄権してくださいね? 命第一ですからね?」
「あ?」
「あ?」
「あ?」
「あ?」
彼らの剣が抜かれていく。いい気迫だ。
このやる気を勉学にも向ければいいのにと思ってしまう。
「────」
「────」
私とリエーニのスイッチが入る。
現在私たちは魔力を使えるようにルール設定している。
先程までぶつけ合うことを前提として練られていたそれが一気に放出されたのだ。
狙いを定めた私たちが最初の獲物に向かっていく。
「え?」
「ん?」
「ま?」
「うわ」
それを見た彼らの顔は少しだけ面白かった。
この状況でも逃げない胆力と、私たちの実力を一瞬で把握する慧眼。
まったくどうしてこんなところで落ちぶれているのか。
その後の“蹂躙劇”は語るまでもないでしょう。
◆
「おつかれー」
「「「おつかれっした!!」」」
数時間後、不良軍団に案内された場所で私とリエーニは夕食を取っていた。
汚らしい大衆食堂。
大声で話す客たち。どの会話も筒抜けだ。
大きな机には量だけは多い料理が並べられている。
それらを小さな皿に取るという、貴族の食事では考えられないスタイルだった。
「はい、次の人ー」
「あざっす、リエーニさん!」
それらを取り分けて他の人に配っていくリエーニ。
どうしてあんなに慣れているの?
というかなんでこんなにこの集団と仲良くなっているの?
「いやあ、強いっすねヤンバトさん!」
「兄貴と呼ばせてください!!」
「触るな!」
男に肩を組まれる。すぐに躱す。
私の周囲にはむさくるしい男達しかいない。
リエーニの隣には不良女子達がいるというのに……。
あの空間に行きたい。
「おお、さすがの身のこなし」
「どうやって鍛えたんです?」
貴族相手になんたる言動。
しかし、なんとか我慢をする。
「基礎鍛錬あるのみだ」
「かっくいい!!」
「兄貴!」
煽られているの?
リエーニの方は楽しそう。
「惚れすぎでしょ、ヤンバトさん」
「なっ!?」
一人の男がそんなことを言ってくる。
何故バレたのか分からず混乱する。
「いい人見つけましたねー。器量良し、見た目良し、ついでに超つよい」
「ま、まあな…?」
リエーニを褒められて、少しだけ私の気分も上がる。
いつの間にか用意されていた私の小皿にある料理を一口食べる。
こんな庶民料理を美味だと感じるのは運動後の空腹のせいだろう。
リエーニは豪快に肉串を頬張っている。本当に順応するのが早い。
「だけど気を付けてくださいよ? ああいう女はころっといなくなっちまいますからね」
さっきからどうして私は男にアドバイスをされているの?
「いなくなる?」
「自分を優先しないっていうか……。勝手に抱え込んでいくっていうか……」
「あーいるいる」
「背負い込みすぎ」
思い出すのは初めて出会った日のあの笑顔。
ベッドで天井に向かって語るあの子の横顔。
隣の女性に何かを言われて、こちらを見たリエーニは手を振ってきた。
可愛すぎて爆発しそう。
「大切にしてやんな、ヤンバトさん」
「さっきから誰だ? 貴様何歳だ?」
ジュースを酒を煽るように飲む隣の男。
「ヨルクって言います。12歳です」
「年下ではないか! なにを分かったような口を聞いている!」
「すいやせん! 最近流行りの小説の真似したかったんです!」
「すんません!」
「ノリでやってました」
それぞれ別の形で土下座を始める。本当に無礼な男達だ。
こちらのやり取りを見ていた周囲が笑い始めた。
貴族を笑い者にしたことに憤りを覚える。
しかし、純粋に笑うリエーニの顔を見てそんな気も削がれていった。
彼女は自分のことよりも、周囲の笑顔で笑う。
何かで、どこかで、どうすれば人の心を動かせるのかを考える。
この集団を食事に誘ったのも彼女だった。
遺恨を残さず、繋がりを作る。
それがどんなに難しいことなのか、私でも分かっている。
誰かのためになることが彼女の生きがいなのだとすれば、私はきっとその大多数の一人に過ぎない。
そんな小粒になるくらいなら、対象外の少数に入ってしまいたい。
彼女を穢し、彼女の世界を壊し、彼女の愛を奪う。
それであの心が向いてくれるのならば本望なのではないだろうか。
分かっている。あり得ない想定だ。
今の私にはそんなことはできない。それはきっと、いつかどこかの話だ。
あの夜にリエーニという人物に会った。
それがきっと私の分岐点なのだ。
「ところでヤンバトさん。修行つけてくれませんか?」
「何を言っている?」
「そこをなんとか!」
「俺達剣術だけでもなんとかしないと、学園を卒業できないんです!」
「勉強しろ」
「俺らの直近の成績見ます?」
「やばいっすよ?」
この人達は何を自慢気に言っているの?
彼らのお願いを拒否することだけに気を取られ、リエーニとの時間はなくなっていった。
◆
「食った食った」
「そう……」
「ぬはははは。気に入られてよかったじゃん」
帰り道、私たちは寮へ向かっていた。
私はリエーニを停留所まで送ろうと思っていたが、お互いに送ると言って聞かなかった。
そのため不良集団を倒す数で負けた私が送られることになったのだ。
「そちらは女性に囲まれて良かったですわね」
「そうでもねえぞ? アイツらお前のことばっか訊いてきてよ。
『二人目は取る気があるのか?』とか『どんな関係なのか?』って、うぜえってんだよ」
「そ、そうだったの」
リエーニはリエーニで妙な絡まれ方をしていたようだ。
嬉しいが、男装がモテるというのは複雑な気分だった。
「どうだったよ、下々との絡みは。その変身が役に立ったんじゃねえか?」
「そういう意味では確かに……。私には無理ですわ」
「知らないよりはマシだろ?」
いたずらっぽく微笑むリエーニは何も気にしていない。
今日は私たちだけの時間のはずだった。
「……夕食くらい二人だけで取りたかったですわ」
そう弱者のように言った私の手をリエーニは握った。
「ごめんな。あんなことになっちまったから、丸く治めたかったんだ。
ここをうろつく度に絡まれるのも嫌だったし」
大人な対応。慣れた仕草。
分かっているのに、拒否できない。
「ずるい……。私だけです。私だけなのですよ?」
愛を口にしているのは私だけ。彼女は答えていない。
「そうだな」
年下の少女にいいようにされている。なんたる無様。
ヴィクトリア・ブレイブハートともあろう者が、なんたる体たらく。
「手をつなぐのはかなりヤバイ行為だと思うけど?」
「女性同士です。なにもやばくありません」
「あのな……」
彼女はあくまで客観的なことばかり告げてくる。
事実だけを語る。
上手いやり方だ。負けるものか。
そう思いながらも私は絶対離れないように手を強く握る。
もう少しで寮の近くについてしまう。
そうしたらこの時間も終わる。
こんな弱音を吐くことなど私は許されなくなる。
「なよなよのヤンバトは変わってねえのな」
「馬鹿にして……。これでもなんとかやっているのよ?」
本当にギリギリで私だって走り続けている。
「そうだってな。聞いてるよ。いっぱい聞いてる」
彼女の手も強く握り返してきた。
「お前に社交性なんてあるわけがねえのにな。無理してんだなって」
「もう! 怒りますよ!?」
笑うリエーニ。
でもそれは私を知っているからこそ出てくる感情だ。
あの夜に私たちは吐き出しあった。
そういえば彼女もあのときは迷いがあったように思う。
「そっちはどうなんですの? 迷いは晴れました?」
「…………!」
少し間があって、彼女がこちらを見る。
その微笑みはあの日とは違い自信に満ちたものだった。
「ああ。俺も頑張ることにしたよ。それなりにな」
覚悟のある目。
燃えるものが宿る勇ましい変化だ。
また私は置いていかれたような感覚になった。
「それは良かったですわね……」
「なんだよ。反応わりぃな」
肩をぶつけてくる彼女。可愛らしい反応だ。
「……ちょっとこっち来い」
「?」
少し人気のない方へリエーニと私は入っていった。
階段を登った先にあったのは街の夜景が見えるいい場所だった。
そこの手すりによりかかりながら、彼女は話し始めた。
「俺って人間はどうにもやる気がないんだ」
「そうなの?」
「そうさ。一回シスターに説教されるくらいな」
私から見ればリエーニはどんどん前へ進んでいくような人間だった。
そんなことはないと彼女は言う。
「『自分の中に理由を見つけられないのなら、他人を理由にしろ』ってそう言われたよ。
実際そうするようにしてみると、なんとなく自分のやりたいことが分かってきたんだ」
言われてすぐにやるのは彼女らしい。そしてそこから学んでしまうのも。
「メシを囲んだ人間が明日には死んでいる。この世界はそれが起こりやすいところだ。俺はそう思う」
「…………」
残酷な真実だ。いくら防備を強化しようともどうしようもできないことがたくさん存在する。
「そういうのが俺は嫌だ。さっきの不良集団でも、すれ違ったなんでもない人が悪意で死ぬのは嫌だ」
そんなものを見てきたかのようにリエーニは語る。言葉には怒りすらこもっていた。
「俺はそういうのを防ぐためにフォノス家に行った。そしてこれからもあの家の力を使い続ける」
それが彼女がフォノス家へ行った理由。
なんて大きな目的なのだろう。
私のようなせせこましい願いとはまったく違う。
「今日お前と会って馬鹿やって、知らない奴らと笑い合って、やっぱり大事なことだと思ったんだ」
世界を見回すように夜を見ていたリエーニが私を見た。
きっとその視界に入ることができただけで、私は幸せなのかもしれない。
「それは……素晴らしいこと…ですわね」
吐き気がした。
それを素直に称賛できない自分に。
彼女の特別でいたいという普通の心に。
「──『ヴィクトリア』……。手伝ってほしい」
「──え?」
伏せていた顔を見上げると、彼女の顔があった。
笑顔だったけれど今にも崩れそうな危うい表情だった。
緊張しているの? リエーニが……?
「その時が来たらでいい。どうか、俺と一緒に来てくれないか?」
手が差し出される。
私は勝手に思い込んでいた。
彼女だって孤独なのだ。この世界にたった一人しかいないという感覚を持っている。
そうだ。私たちは社会不適合者だ。
それが一人で足掻いて何になるというのか。
「…………」
「やっぱ、いきなり重いか……?」
ほんの少しだけ彼女の指が震えていた。
さらけ出されたその心は、今は私だけのものだ。
「意外と馬鹿ですのね」
「は? ここでなんで罵倒?」
乱してやりたくてそんなことを私は言う。
「断るわけがないでしょう?」
「────」
精一杯の笑顔で答えると、私は手を握った。
少し冷える夜でも熱いくらいの熱を感じる。
「焦らせやがって……」
「いい気味です。少しは自分を鑑みなさい」
「ったく……。あっ、そうだ忘れてたわ」
また何か変なことを思いついた彼女は私の体を抱き寄せ、向き合った。
「不良集団ボコしたときの負け分は払ったけど、口調の勝負の分は払ってもらってねえからな」
「なっ!? き、聞いてませんわよ、そんなこと!」
「まあ、お願いくらいに聞いてくれ」
「……なんですの?」
真剣な顔でリエーニはその先を告げた。
「ルクス以外と結婚するな」
「? それだけですか? まあ、いいですけど」
その言葉がどれだけ重要なことだったのか理解できなかった私は、軽く承諾する。
そしてその表情に自分の顔を近づけていく。
「なにしてんの?」
「え? この流れはキスでは?」
「……馬鹿が」
罵倒しながらもリエーニが口づけを拒否することはなかった。
私は自分の腕の中で恥ずかしがる愛しいものを愛でるのに夢中で気付かない。
どうして、真面目なリエーニが主人であるルクスを呼び捨てにしたのか。
どうして、承諾した私を見てリエーニが安心したような顔をしたのか。
彼の抱えているものの重さに気付くのにかかった時間は、二度と返ってくることは無いのだ。




