62話 いつも脳を焦がす光
外でのどかな小鳥の鳴き声が響いている。
晴天が窓の外には広がっている。
それをぼうっと見ているのはヴィクトリア・ブレイブハートである。
英雄の血筋を持つ立派な家系のご令嬢。
世代で注目される実力者。
「お姉様……っ」
「お、お姉様?」
「…………」
そのヴィクトリアは溶けていた。
気の抜けた表情。だらしなく開いた口。
「ブレイブハート! 聞いているのですか?!」
「呼ばれてますよっ お姉様!」
「お姉様、どうなされたの?」
「あー……そうね」
肩を揺らされても気が入らない。
学園の講義中であるのにもかかわらず、そんな態度を無自覚に取っていた。
「ブレイブハート!!」
「え…はい」
広めの講堂で、教壇から降りた教師が近距離にやってくるまでヴィクトリアは気付かなかった。
「質問に答えなさい、と言っていたのですが、どうしました……?」
さすがに教師も心配になるほどだった。
「なんでもないです。質問の答えは“11MgE”です」
周囲の親衛隊の少女たちが教科書を示し、それを見ながらヴィクトリアはすぐに答えた。
授業内容は理解していることがたちが悪い。
「よろしい。調子が悪いなら、退室なさっても結構ですからね?」
「平気です……」
すぐにまた窓の外を見るヴィクトリアに対し、教師も、普段から彼女の無茶振りに付き合っている親衛隊も首を傾げるのだった。
昼食時、学生たちはそれぞれお気入りの場所で食事をする。
学園外に作られた飲食店に外食に行く者もいれば、学園内の高い学食を頼む者もいる。
ヴィクトリア達は後者だった。
「先日、私の家も魔王領の作った暖房家具を導入しましたの。これが本当に便利で」
「やっぱり、うちもそろそろ考えなきゃですかね。そちらは?」
「駄目です。わたくしは早く入れたいのに、我が家は反魔を主張しているので……。
意地を張らずに受け入れて、自分たちで作れるようにすればいいのに。まったく……」
豪勢なランチと紅茶の匂い。
そして、淑女たちの高貴な語らい。
会費を払うことで入室できるVIPルームが学園には用意されていて、彼女達もここを利用していた。
他に使っている人々も貴族や王族が多く、平民と言えども力のある子供たちばかりだった。
平等に教育の機会を与えるはずの学園がこうしたものを用意しているのは、外圧や、王室の金稼ぎ目的など、様々な要因があったからだ。
貴族の内部事情の話や、噂が平気で飛び交うこともあるため、情報通の人物が集まる空間でもある。
「そうですよね……」
「ええ……」
「…………」
今、この席にいるのは『ヴィクトリア派閥:ヴァリアント・ローズ』の面々、その中でも中心にいるメンバーだ。勿論、全員女性である。
彼女達が呆れたように見るのは、ここの主人とも呼べる存在。
ティーカップを持ったまま固まるヴィクトリアだ。
「なんなんですの……?」
「さあ…? どうせ原因は“例の令息”関係ではなくて?」
「お見合いしたって話ですものね?」
こそこそと彼女達は予想するが、フォノス家の話題に触れると暴走が始まるため、誰もヴィクトリア本人にその話題は振らない。
「……はぁ」
気の抜けた表情で、食事に手を付けずに溜息ばかりするその姿は、初恋に悩まされる令嬢みたいである。
「表」
「表」
「裏」
派閥のリーダー格三人の内一人が突然コインを投げた。そのコインは『表』だった。
「くっ……」
「逆張りしているからそうなるのですよ」
外した一名が、ヴィクトリアに質問をする。
「ヴィクトリア様、一体今日はどうされたのですか?」
「ああ……。ごめんなさい。ぼうっとしていたわね」
やっと紅茶を飲んで、ヴィクトリアは返答した。
そして、その答えは予想を上回るものだった。
「その……『泥棒猿』に会いに行ったのよ」
「は、はあ……」
(まあ、猿ですって…)
(さすがはお姉様。男嫌いもここまで来ると尊敬ですわ)
引いていく令嬢達を無視して、ヴィクトリアは語り続ける。
「そうしたら、久しぶりにリエーニと話すことができたの! ふふふ! 変わらなかったわ!
しかも、デートの約束までしたの!! ああ、勿論お忍びよ?」
きゃっきゃと突然嬉しそうにはしゃぐ彼女たちにとっての女王。
「楽しみなのよ!! 何を着ていこうかしら? ふふふふふ!」
「……うわ」
「これ聞いていい話ですの?」
「情報統制は徹底なさい、貴方達。いいわね?」
「「「はい!」」」
幹部三女の声で、一瞬で統制が取られる。
このロルカニア学園で多数の勢力を持つヴィクトリア派閥。
ヴィクトリア・ブレイブハートの裏表のない素直な部分に惹かれて集まった彼女たちには、時折こうした試練がやってくる。
彼女達の女王はアクが強すぎる。そこが良いところなのだが、敵も多くなる。
幼い頃にリエーニに鍛えられたヴィクトリアはこうした派閥形成能力を意図せずに身に着けていた。
言い換えれば、人と違う価値基準を得てしまったが為に、そこに人が惹かれてしまうのである。
「聞いたぞ? ヴィクトリア・ブレイブハート、講義中に無様を晒したようじゃないか」
「ああ、そう言えば聞きました? 魔王領からの招待のお話」
「聞きました。ウチの派閥からも何人か行くみたいですわ」
男の声がする。
それは王国の王子の一人だったが、彼女達は無視した。
肝心のヴィクトリアがトリップを繰り返しまともな応対ができないこともあるが、基本的に男は無視するのがこの派閥の特徴だった。
特に集会中は聞こえているリアクションすら取らない。
「聞いているのか!? ヴィクトリア!?」
「今日は一段と賑やかですわね」
「お姉様が婚約しているから焦っているのですよ」
「見苦しい……」
食い下がる王族をそれでも無視する少女たち。
無礼であることは承知しつつも、学園内の平等理念を都合のいいように解釈し、活用しているだけだ。
ロルカニアの男はとてもしつこい。
そして重婚制度があるために、相手を決めている者にも構わず話しかける。
言い寄ってくる男を避けるためにこの派閥に所属している者もいるくらいだ。
「貴様ら、今日という今日は我慢ならんぞ!! この私を無視してッ!!」
高貴な色を宿しながら、自己管理のできていない体型を持つその王子に魅力を感じる女性はここにはいない。
ある意味、ヴィクトリアが植え付けた気に入らないものを平等に斬り捨てる価値観が彼女達にも浸透していた。
「……なんのようですか? カレゼバール様」
ヴィクトリアが不機嫌を崩さずに返答する。
「あ、戻ってきましたわ」
「でも、邪魔されたものだから不機嫌ですわね」
「空気を読めないって本当に憐れなことだと思いますの」
先程までの緩んだ空気を切り替えて、ヴィクトリアはその王子に向かい合う。
「なんのようだと? 決まっているだろう、私との婚約の話はどうなった?」
「お断りしたはずですが。そもそも殿下にはすでにお相手がいらっしゃいます。皆様、立派なお方ですわ。私がそこに入り込む余地などありません」
この王子は以前、ヴィクトリアに婚約を申し込み、ヴィクトリアはそれを断った。
手紙を燃やしすらしたほど、ヴィクトリアはこの王子が嫌いである。
すでに婚約者が10人を超えるハーレムを持ち、権力だけを振りかざして学園で地位を築いている。
彼女が最も嫌う人種だった。
「フォノス家に申し込んだと聞いたぞ? あんな男より私のほうがいいだろう! 結婚する意志があるのなら次期国王の私と一緒になるべきではないか?」
「…………」
自分をトロフィーとしか見ていないその男の言動にヴィクトリアの目が据わる。
「お姉様、さすがに人殺しは庇えませんわ」
「王族部分は無視なさるの?」
「王族ですか……。面白いですわね」
「「くすくす……」」
完全に彼を冷やかして笑い合う令嬢達。
最上流階級に連なる者は、王族の権威など形骸化したものだと理解している。
自分が馬鹿にされているのも気付かずに、王子は女性がただ盛り上がっているようにしか思っていない。
「残念ですが、もうお話はまとまっていますので、私はフォノス家に嫁ぎます」
「嫁ぐですって…っ!」
「まさかお姉様からそんな言葉を聞くなんて」
「少しおだまりなさい、貴方達」
あくまでたしなめるようにヴィクトリアはメンバーを黙らせた。
彼女達も無言でお辞儀をし、敬意あるままに従った。
ヴィクトリアを中心にしっかりとした秩序が作られていた。
「我慢するな! 成金などと手を結ばずとも王族と一緒になれば贅沢できるぞ?」
“何を抜かしているのだ、貧乏王家が”。
それがこの場の者の共通の認識だった。
この傲慢な王子も今は自由に振る舞えているが、カルクルール家が動けばあっという間に辺境行きだ。
あくまで彼は保険でしか無い。
今の国王の跡継ぎ候補は、カルクルールが擁するミゼリア王女である。
“王族はどれも馬鹿である”、というのが貴族の認識だったが、最近はミゼリアの評判が変わりつつあった。
それはフォノス家との婚姻が理由だ。
全ての評価が覆ったわけではないが、“馬鹿で無能ではあるが、現状を認識できる頭と受け入れる心くらいはあったのか”という認識に変わった。
「別に私は贅沢は望んでいません。お構いなく」
「何をそんなに拒否するのだ? 王族からの申込みだぞ?」
それを聞いたヴィクトリアは立ち上がると、彼を睨みつけるように見下した。
馬鹿でも理解できるように、しっかりと口にするために。
「順番に申しましょう。
一つ。貴方に魅力がない」
直接告げられる罵倒に、彼は後ずさってしまう。
「二つ。貴方は私が仕えるに値する王ではない」
ヴィクトリア以外の面々も立ち上がり、食事を終える準備をし始めた。
「最後に。貴方はまともがすぎる」
彼はただの典型的な馬鹿な男。
社会を学ぶ前の、言ってしまえば世間知らずなだけの純粋な少年だ。
これから成長し、変わることもあるのだろう。
このまま欲に溺れ、知らず破滅していくのかもしれない。
そんな人間は────普通すぎる。
「そろそろ午後の講義が始まりますので、失礼いたしますね。基本的に、もう二度と話しかけないでくださると、嬉しいですわ?」
ヴィクトリアの脳を焦がすのは、そんな誰かの枠に嵌まるような人物ではないのだ。
「え? まともなのに、気に入らないのか?」
呆然と彼女達を見送る少年はただ困惑するばかりだった。
学園内で起こったこの事件が歪みに歪んで噂として広まり、回り回ってヴィクトリアの心を縛る男を苦しめることになるのだった。
『ルクス・フォノスはあのヴィクトリア・ブレイブハートをそんなにまで夢中にさせるものなのか』
そんな話題がこの日から生徒たちの間で繰り広げられるようになった。
◆
「また騒ぎを起こされましたね?」
「まあ……そうね?」
「ふぅ……。リエーニのことを貴方も馬鹿にできませんね」
就寝前のヴィクトリアの寝室にて、彼女はアンリーネのお話を受けていた。
「しつこいのがいけないのよ。断っているのに毎回毎回……」
「言葉使い」
「……丁重にお断りさせていただきましたから、今後は平気です」
ヴィクトリアの髪の手入れをしながら、またアンリーネは溜息をこぼす。
「まあ、いいでしょう。正式に婚約も決まりましたから、お手紙の数も減るかと」
「無くなりはしないのですか……」
「ええ、もちろん」
人は常に新しい出会いを求めるものである。
「フィフはどうでしたか? 私は話す機会が無かったので」
先日の訪問の際の話をヴィクトリアは振る。
少しでも話をそらしたかったのだ。
アンリーネはなんだかんだあの姉妹のことになると、饒舌に話し始める。
「どうもこうも……。予想以上でしたとも、ええ」
「?」
手を動かしながら遠い目をするアンリーネ。
取り敢えず会話はできたようだ。
「それにこの婚約がこんな形になるなどと……。ああ、本当にあの子らしいといいますか、なんというか……」
今度は嘆くように語るアンリーネ。
彼女は自分が提案したものがこんな風に変化するとは思っていなかったのだ。
「あの子って?」
「いいえ、お気になさらず。ヴィクトリア様の方こそルクス・フォノス様と会ってどう思いましたか?」
難しい顔をするヴィクトリア。
理不尽な契約を迫った自覚があるだけに、気に入らない男ではあるが貶すようなことは言えなかった。
「まさか、あんなにあっさり受け入れるとは思っていませんでしたわ。それこそ今日の王子とは真逆。男が好きなのではないかしら」
「ふふふふ、そうかもしれませんね」
何故か笑うアンリーネ。
「普通、自分の従者と一緒にいたいから申し込みましたって言われてまともに対応できるかしら。
よく予想できたものですね?」
当然の疑問をヴィクトリアは口にする。
ルクスならば受け入れると口にしたのはアンリーネだった。
それがどうしても彼女には不可解だった。
「言ったでしょう? 受け入れると。ああいう人はメリットを提示すれば落ちるものです」
他に何か含むような言い方で、アンリーネは答えた。
「……まあこちらとしては都合が良くて助かりますわ。何を考えてるかわからないけれど」
「一緒になって理解できる部分も出てくるでしょう」
「理解? あんなに美少女を侍らせても無表情の男の何を理解しろと?」
リエーニ。さらにはサフィレーヌとミゼリア。ついでにフィフ。
ヴィクトリアが知る美少女たちがあの男に取られているようなものなのだ。
「必要になることです。結婚して終わりではないのですから。
ヴィクトリア様は奥方の中では地位的には最下位。しかし、武力と年齢は一番上。
パワーバランスを必ず意識するようにお願いします」
容赦なく告げられる夫婦間に生じる政略図。
表向きと裏向きのバランスを調停する。
国としては良い結び付き。
だが、当人たちにとってはそうでもないような気がする。
「重婚制度なんてやめてしまえばいいのに……」
愚痴るようにヴィクトリアは言う。
しかし、それに同意されることはなかった。
「難しい問題です。無くなっても離婚が増えるだけでしょうし。
……個人的にはあるべきだと思いますが」
「あら、そうなの?」
意外な言葉だった。
アンリーネは厳格的であるため、快楽的な制度は嫌っているとヴィクトリアは思っていた。
「拒否される理由が減りますから」
「『すでに相手がいるから』って断られないってこと? そのせいで今日苦労したのですが」
今日のことを思い出し、憂鬱になりながらヴィクトリアはそう語る。
しかし、アンリーネはあくまで本気で言っているようだった。
「それはヴィクトリア様が追われる側だからですね。追う側になってみればわかります。
“この制度があってよかった”……と」
それはアンリーネ自身が追う側だったということだろう。
「追ったの?」
「はい」
「どうだった?」
「断られました」
「ええ?」
今のは成功する流れだったと思っていたヴィクトリアは呆気にとられた。
「どうして?」
「“すでに相手がいるから”と言われました」
「はあ? 結局?」
どちらにしろ同じ理由が返ってくるのは、なんだか理不尽だとヴィクトリアは感じだ。
「そういう人でしたから」
そう言うアンリーネの表情は複雑で、大人びていた。
「それでも、この制度のお陰でわたくしは勇気を持てました。
なければ秘めたまま伝えられずに終わったでしょう」
「……よく、わからない感覚よ」
「そうですね……。わたくしに言わせれば、今のヴィクトリア様の状況は“羨ましくてズタズタにしてやりたい”と思えることですかね」
「────ッ!」
少し本気の殺意を感じて、ヴィクトリアは飛び跳ねた。
振り向いて見たアンリーネの目が笑っていなかった。
「さあ、終わりましたよ。聖芸品も明日には届きます。シグルナ様には“民の暮らしを間近で見て、知見を得るため”と言ってありますのでくれぐれも悪用しないようにお願いします」
変装用の聖芸品『ヴェスティスキン』。ブレイブハートに伝わる由緒ある品だ。
勇者たちの為に数点が家には保管されている。
バレずに使う分には合法である。
「ヤンバトールとしてまた歩くことになるなんて」
げんなりしながらヴィクトリアはベッドに横になった。
「初めてお会いした日はあの格好でしたね」
「懐かしいわね」
思い出すのは、不安な孤独な夜。
そして、引かれた手の強さ。出されたお茶の暖かさ。
そして、隣で眠っていた黒色の女神。
「ああ、リエーニと結婚したいわ……。なんとかできないかしら」
そう呟くヴィクトリアの声を聞いて、アンリーネは上品に笑った。
そして、彼女にしては優しい微笑みで言葉を告げる。
「──それも時間の問題ですよ? 貴方様は幸運ですから」
その意味をヴィクトリアはまだ理解できなかった。
お節介な従者が明かりを消し、ヴィクトリアは微睡みに落ちていった。




