55話 どうしてこうなるのん?
──騒音がまた増えた。
鼓膜が張り裂けそうな程の轟音が起こった日からミゼリアに届く声は不快感を彼女に与える。
(うるさい──!)
『あなた! 王都から逃げましょう! 巻き込まれ──』
『いい気味だぜ。貴族どもが沢山死んで。俺も──』
『ママー、お父さんどこ行っちゃったの?』
街から聞こえてくるどこの誰かも知らない人の呟き、会話。
それらがミゼリアの心を掻き乱す。
(黙れ──)
『反王軍は?』
『南の方に集結しているようだ。早くて来年には──』
『国王は何やってんだよ! 敵が街に入ってんじゃねえか!』
『もう俺達も反王軍に入るべきか?』
頭が割れそうだった。
ミゼリアの周囲には大きな音が常に溢れかえっていた。
誰かが何かを喋り続ける苦痛は彼女の精神を侵していた。
「それで……ミゼリア様? どうかなさいました?」
「──!!」
意識がすり替わる。少し騒音が遠くなる。
今ミゼリアは自分の開いたお茶会の席にいた。
それを思い出した。
「なんでもないわ! それよりサフィレーヌはどうしたの?」
小さい頃からいる友人が今日は現れない。
他の友人たちも心当たりがないらしく、首を振っている。
「まあ、いいではありませんか、あの脳無しのことなんて」
「そうですよ! ミゼリア様のまわりをちょこちょこと鬱陶しい事この上ない!」
口々にミゼリアの友人が罵倒される。
(うるさい──)
──“それはお前たちもそうじゃないか”。
「はっ! そうね! 気にせず楽しみましょ!」
邪な笑顔ばかりが並ぶそのお茶会はつつがなく終わった。
「じゃあ呼んだら来てちょうだい!」
「かしこまりました」
豪華な一人用のバスタブが、ミゼリアの落ち着ける場所だった。
“まだマシな場所”というだけではあるが。
「…………」
使用人を下げ、一人湯に浸かる。
ミゼリアの顔に浮かぶもの。それは────『虚無』だった。
『馬鹿王女、今日も機嫌悪かったね』
『ねー。ホント最悪。反王軍が殺してくれないかしら』
『あのホールのとき、惜しかったわね。フォノス家の騎士が守っちゃったから──』
またまわりに誰もいないのに聞こえてくる。
それは多分ミゼリアのことを言っている。
『自分の父親』はこういう高慢な態度を取っていたと聞いていた。
だから、そう振る舞っている。
なのに──遠くで嫌われている。
またどこかから騒音が聞こえてくる。
『アレはどうにかならんのかね? みっともない』
『カルクルール公爵はどうお考えなのですかなあ』
『あんなものがハットリューク様の子供? 反吐が出る!』
何もしなくていいと言われた。
だから何もしていなかったのに──遠くで怒られている。
またどこかから聞こえてくる。
『まさかサフィレーヌ様がこちらのお茶会に来られるとは思っていませんでしたわ』
『そうよね。王女様と何かあったのかしら?』
王女であるミゼリアがわざわざ仲良くしてあげていた親友がいなくなった。
何故かあのパーティでサフィレーヌはミゼリアを拒絶した。
わからなかった。本当にわからなかった。
──たった一人の友だちが消えた。
「う──おえ……っ。かはっ……」
ここは水場だ。流れていく液体が誰かにバレることはない。
だから、ここは“ミゼリアの落ち着ける場所”だ。
体の中心には穴が空いたような痛みがあり、現実感も虚ろ。
“この作業”は毎晩の日課になっていた。
「ハァ……ハァ……」
鏡に映るのはやせ細ったみすぼらしい少女。
象徴的な金色は鈍い光を放っている。
(うるさいっ!! うるさい……っ!!)
水の音と誰かのすすり泣きだけが聞こえている空間。
だが、少女の耳は別の音も拾って来る。
彼女は制御できていなかった。
教えられていなかった。放置されていた。
だって、彼女は“存在していればいいだけの幸福な少女”なのだから。
『──うか。“知識の蔵”の修繕はどうだ?』
(──お祖父様?)
その時、彼女にとって安心できる男の声が聞こえてくる。
ミゼリアがすがることを許された国王のものだ。
『難しいです……。軍備強化に国費を回しています』
『せめて、外見だけでも建て直せないか?』
『フォノス伯爵に借りを作ることになります……』
その名前は彼女も知っているものだった。
生意気にも王女を口説こうとしてきた成金一族の少年の姿が思い浮かぶ。
『まったく……貴族どもはこんな時も豪遊しているのか』
『はい……。羨ましい限りです』
『国王が借金か……。厄介なものを作ったなあの伯爵は』
王がお金の工面をしようとしている。
それをミゼリアはなんとなく理解した。
(なんでお祖父様が困っているの? 命令すればいいのに)
彼女にとっては当然の疑問だった。
この国は王のものなのだから、巻き上げればいい。
むしろ、喜んで民は王の命令に従えばいいのに。
「そうよ! そうだわ!」
それは幼稚な考えだった。
だが純粋に祖父を想ってのひらめきだった。
金持ち息子は自分に惚れているのだ。
当然だ。王女なのだから。
(アレと結婚すればお金に困らない! なんて頭が良いの!)
それが自分の純潔を捧げる事だと少女は理解していない。
全部が自分の思い通りになると思っていた。
だって、ミゼリアは王女なのだから。──そうでなくてはならない。
◆
久しぶりの王都の状況はひどいものだった。
市民と貴族の格差は精神的に大きくなり、王都を離れる人々が増えた。
どこに行っても変わらぬと言うのに、騒々しいことだ。
護衛を引き連れ、ファビライヒは息子が滞在している最上級宿泊施設に入っていく。
魔力で動く昇降機によって貴族専用のフロアに到着する。
「ファビライヒ様、こちらです」
部屋の前でルクスにつけた従者が待っていた。
「久しぶりだね。あの子の様子はどうかな?」
「お相手探しができなくなった途端、お盛んになっています」
中々にひどい言い草であるが、ファビライヒは注意しなかった。
これくらいがアレにも丁度いいだろう。
入室し、豪華な部屋の奥の扉をノックする。
「ボクだ」
「……はい」
やや間が空いて返事が返ってくる。従者と護衛を外に待機させて、ファビライヒは入室した。
「久しぶりだね」
「そうっすね」
おそらく遮音魔法は既に展開されているだろう。
ファビライヒはその点は信用している。
ベッドで横になっているルクスは仰向けのまま、首を動かしてファビライヒを見た。
大きなベッドの余ったスペースにはフィフが座っていた。
なにやら退廃的な雰囲気が広がっていて、あの従者が勘違いするのも理解できた。
この二人は距離が近すぎる。
リエーニゴーレムは作っていないようだった。
「すまないね、こちらも中々手を離せないことが多くて。
王都の生活はどうだい?」
「……まあまあかな。フラれ続ける生活ってのも悪くない」
早速の皮肉に少し笑顔を浮かべるファビライヒ。
ルクスも多少は口角を上げている。
「王都で起こったことは把握してるかい?」
「まあね……。ひでえもんだよまったく……」
少し元気のない声だった。
というよりも、ルクスは起き上がろうとすらしていなかった。
「────ルクス?」
その違和感に気付かないファビライヒではない。
ルクスは父親がやってきてそんな態度を取れるような子供ではないのだ。
「どう…したんすか?」
「魔法を解きなさい」
真顔でファビライヒは命じた。
「…………解いてますよ?」
だが返ってきたのはそんな痩せ我慢だった。
「さっきから気になっていたのだが、これは“薬品の匂い”だね?」
「そ、そうっす。すげえ効く媚薬でこれ使ってコイツと──」
「ルクス」
「──怒んないでよぉ……」
怒気を孕んだ声を聞いてやっとルクスは観念したようだ。
真の状態を晒した。
それを見たファビライヒの表情は驚愕で固まった。
「──馬鹿者」
「あっははは……。すんません……」
形だけの謝罪をしてくる大馬鹿者の声はファビライヒの頭に入ってこなかった。
目の前にあったのは布に包まれたナニか。
左腕は骨が折れているのか、土で作られた塊で固定され首から下げられた布に乗せられていた。
後はただれた肌だ。塗り薬を塗って包帯で応急処置をしているだけの、酷い火傷だった。それが左半身に広がっている。
右目には眼帯だ。腫れた右眉部分が炎症していた。何かに思いっきりぶつけたような痕だった。
ルクスは戦時中に見た怪我人の状態だった。
「何が……あったんだい?」
いろいろ言いたいことを飲み込んで、ファビライヒは冷静に尋ねた。
「“王立図書院”に行ってた……。そんで巻き込まれた」
「──っ! どうして、このタイミングで……!」
「いやぁ……ちょっと興味があって……」
ファビライヒは親子の絆というものを嘆きたくなった。
もし事件が起きなければ、ファビライヒはルクスをそこに連れて行っただろう。
“ルクスの父が残したもの”を見せてあげたかったからだ。
だが、この間の悪さは明らかにあの父親譲りだろう。微笑ましさと悲哀が同居した声で唸ってしまう。
「魔石の爆発があったんだよね……?」
知識の蔵と言われた文化的象徴。そこが今回一番の被害が出た箇所だった。
魔石の爆発によってほとんどの建物が瓦礫となり、保存されていたほぼ全てが焼けて無くなってしまった。
貴族のみだが、死傷者多数の地獄となったと聞いている。
ファビライヒは努めて冷静に状況を訊いていく。
「……最初は不死騎士特攻を狙ってた三人の男がいた。それを気絶させたら今度はでかいゴーレムアーマーを着た黒い鎧が降ってきて、施設を破壊した。
……応戦したんだけど、アイツは魔石に細工してたみたいで──」
「────ッ!!」
その悲惨な状況にファビライヒは戦慄する。
不死騎士が三体出現予定だったという。
他で起こったことなんて、不完全な不死騎士が三箇所に一体ずつ。または起動はしたもののすぐに浄化魔法で処理されたものが二体現れた程度だ。
被害は有名貴族の屋敷や、金持ち用の施設が少々壊されただけ。怪我人は出たが、死亡者は出ていない。
それにルクスが語った黒い鎧。
それは『グリムプレート』と呼ばれる反王軍の前線指揮官だ。出自が不明の人物で、ファビライヒも正体を掴めていない。
グリムプレートの被害を語るのは子供だけだったという。
いくつか聞いたアレの行動は常軌を逸している。
ソレとルクスは戦った。接触した──。
「キミは……ホントに……」
「ジジイにあとで文句言ってやる……」
全く脈絡のない文句を言う少年に呆れる。
ファビライヒはフィフを見た。
その手に塗り薬と替えの包帯を大量に抱え、常に心配そうに横に控える彼女の方がまともに見えてくる。
「はあ……。ジルを連れてこなくて良かったよ……」
「助かりまっす」
きっと彼女を連れてきていたら、ベッドに寝る人物が増えていただろう。
「……怪我はどうなんだい?」
「体力が戻れば、回復魔法で治りは早くなる。痕は残んないから大丈夫」
そういうことではないと思うが、ファビライヒは堪えた。
余計な心配はさらにこの子の負担になってしまうからだ。
あくまで利害一致の関係のほうがルクスにはやりやすいことを彼は理解していた。
「……犯人って外部なの?」
教えなければきっとルクスは自分で調査してしまう。
だから素直にファビライヒは答えた。
「いや、ほとんどは内部だよ。行方不明になった住民の特徴が、不死騎士に変化する前の目撃情報と一致しているからね。
そそのかした奴は外部かもしれないけどね」
実行犯の男たちは住民。つまり、王都内で反王軍へ鞍替えした。
「あの鎧は?」
「それは『グリムプレート』と呼ばれてる怪物だよ。正体は不明。目撃情報は各地である。多分反王軍の中核を担う存在だ。
中身は見たのかい?」
「いいや……見ていない。
……多分アイツは逃げている」
確信を持った目でルクスは語る。
「止めを刺したと思ったけど、砕けた鎧の中身が何も無かった。魔石をいじったアイツなら爆発するタイミングも把握してたはずだ。
俺以上の防御魔法を持ってるやつが焼け死んだとは思えない」
「……止め? まさかそこまで戦ったのかい?」
そちらの方にファビライヒは反応する。
当然だろう。まだ11歳の子供が、護衛ごと貴族達を虐殺してきた怪物と渡り合ったというのだ。しかも、止めを刺したはずだと言ってのけた。
「コイツのおかげだよ」
そう言ってルクスはフィフを撫でた。
「…………」
フィフは無言でその手を握った。
いつものように抱きつくことはしなかった。
「なんだよ、しょんぼりすんなって!」
「……うん」
また言いたいことが増えたファビライヒだったが、取り敢えず言いたいことを一つだけ選んでルクスに告げた。
「ルクス」
「は、はい!」
硬直するルクスの頭に手を乗せる。
「──よくやったね」
まずはただ褒めた。
あの人の遺したものを守ろうとしてくれてありがとう──と。
きっとこの子は怒ったのだろう。理不尽な暴力に。
それに抗ったことに尊敬を送った。
「──ごめんなさい……」
そして、いろいろなものを把握するよくできた子供は、その一言だけで察したように心からの言葉を口にした。
「無事で良かったね。それだけでボクは十分さ」
「……はい」
きっと、“迷惑を掛けてしまった”と思っているルクスをファビライヒは殴りたくなる。
そういうことではないのだ。
親というものは難しいものだ。
「さて、とんでもないことを聞いたから本題を忘れていたよ」
「どんなご用事で?」
切り替えた二人は業務的な話になった。
「ボクは厄介事に巻き込まれそうでね。魔王領への人間の入領が許可されるそうだ」
「!! まじっすか……」
それだけでほとんどを理解したのだろう。
ルクスの顔には疲労が見える。
「それに先立って視察団の派遣が決まった。その内の一人がボクだ。まあ“あわよくば死んでくれ”ということだろうね」
「それは……」
「ああ。きっとボク達は無事に返される。それどころか熱烈な歓迎を受けるだろうね。
“魔王領にこのままいたい”って思えるくらいに」
親子の視線が交差する。
これから起こる相手の動きの共有が終わった。
「俺はなにを?」
「このままここにいて貰ってもいいんだが、もう我慢出来ないんだよね?」
「よ、余裕っす」
「嘘」
「あ?」
しっかりツッコミをフィフから入れられているルクスに対し、溜息をつくファビライヒ。
「『入学許可証』だ」
「……え?」
高価な紙でできた書類をルクスは右手で受け取った。
そこには『ロルカニア学園』の入学を認める文言が書かれていた。
「いや、今更いいっすよぉ……」
「学園は今の王都よりは安全さ。国際的な場所だからね。問題を起こせば数カ国が敵になる」
「そういうの気にする相手じゃないと思いますけど」
「もし同じように襲撃されても教師陣は頼りになると思うよ。戦争帰りのエリートばかりだからね」
そう聞くと納得したのかしぶしぶ頷くルクス。
「国際交流も忘れないように」
「へいへい。高え贈り物しときますよ」
不満そうなルクスの頭をくしゃくしゃにすると、ファビライヒは仕事の話は終わりだというように雑談を始めた。
「フォノス家嫡男として、お相手はどうだい?」
「うっ……。全然っす……」
「えっ? そうなのかい?」
「父上のせいでしょぉ?」
「ふふふ……それは大変だね」
そこからしばらくルクスの愚痴が始まり、会話を続けていると扉がノックされた。
「入りなさい」
ルクスが誤魔化しの魔法とリエーニ作成魔法を使ったことを確認して、ファビライヒが返事をする。
入室してきたのはお目付け役としてルクスについていた従者の女だった。
「お、お二人にお手紙が来ています」
「そうか。ありがとう」
少し落ち着きのない従者から受け取った手紙は“三通”あった。
従者の退室を見届けてから、ファビライヒはそれを見た。
「────」
「どなたからですか?」
手紙を見て固まるファビライヒ。
辛いだろうに自然に体を起こして、ルクスが尋ねる。
「父上? ────え?」
それはルクスでも知っている家紋だった。──それが三つあった。
一つは見慣れた“ブレイブハート家”。侯爵家。英雄の血筋。
二つ目はなぜか“カルクルール家”。公爵家。保守派筆頭。
そして、三つ目は“サルヴァリオン家”。王家。黄金の象徴。
「……これはどういうことかな? ルクス?」
「さ、さぁ……?」
慎重に中身を確かめていくファビライヒ。
それを見ているルクスは気が気でなかった。
“何か自分の正体が露見してしまったのだろうか?”
そんな不安が頭をよぎっている。
「はあぁぁぁ……」
やがて、長い長い溜息とともにその手紙達がルクスのもとにやってきた。
「……『申し込み』? ────『婚約』?」
右手に持っていた手紙をルクスは落とした。
ぱらぱらとそれらが散っていく。
「……おめでとうルクス。さあ、一体どうしようか?」
「わ、わーい!! やったぁ!! 内定だ!!」
「??」
状況が飲み込めていないフィフを除いて、親子は意味のわからないテンションではしゃいでいた。
“ヴィクトリア・ブレイブハート”。
“サフィレーヌ・カルクルール”。
“ミゼリア・サルヴァリオン”。
彼女達との婚約がめでたく決まったのである。
正確には申し込みの段階ではある。しかし伯爵家が断るはずがあろうか、いやない。
最上級で最悪の結果を手に入れたフォノス家の未来は明るい。
『いやああああああああああああああああっ』
『うるさい』
泣きっ面に蜂。弱り目に祟り目。
ルクスの悲鳴を相棒は無視した。




