50話 混沌ってのはすぐそばにいやがる
パーティの終わりはひどいものだった。
悪臭と熱のデュエットは不快感だけをもたらし、豪華な会場はただの廃墟に変わりかけていた。
割れたガラス。潰れた料理。崩れた扉。焦げた絵画。
それらを意識から外したくなったのはヴィクトリアだけではないはずだ。
「助かりましたサフィレーヌ。さすがの魔法の腕ですね」
放心状態の少女にヴィクトリアは声を掛けた。
サフィレーヌは生まれ持った障害のため苦労をしているが、彼女の魔法の才は並のものではなかった。
すぐに魔法を覚える才能。際限のない数を使える才能。
だが、それを使おうとすると頭がうまく働かず、望むことができない。
それがとても惜しい子だった。
ヴィクトリアが彼女を気に入っているのはその才を見込んでのこと。
けっして天真爛漫な雰囲気がキュンと来たからではない。
「はあ!? 私がちゃんと指示したからでしょ!! この子なんて字を読んだだけじゃない!」
これから褒めようと思っていたのに、ミゼリアが不快そうに声を荒らげた。
「その判断、さすがのものだと思います。ですが、ご自身だけで勝ち得た結果ではないということをお忘れなきようにお願いします、王女殿下」
「なんですってぇ……」
反抗的なミゼリアにもどこ吹く風のヴィクトリア。この程度の言い合いはすでにたっぷりと慣れている。
幼き日の皮肉メイドと毒舌メイドに比べれば、ぬるいくらいだ。
ミゼリア王女はとにかく目立つ。
その出自の特殊さ。見た目の美しさ。後ろ盾の強力さ。
そして、その傲慢な態度。足りない配慮。振るわぬ能力。
彼女は褒めるには弱く、無視するには強い。宮殿内の貴族にとって難しい存在だった。
ただ彼女を立てたい派閥と排除したい派閥の彼女に対する“あれは馬鹿だ”という評価だけは一致していた。
ヴィクトリアはその危うい少女を無視できなかった。
両親を失い王女に成り上がった少女。一人矢面に立たされる年下の少女。
言動の強さもそれらの不安からの裏返しだろうと思っている。
趣味を抜きにしても、ヴィクトリアはこの足掻いている少女との関わりを持ち続けた。
それはどこかの誰かからの影響だろう。
「もう! アンタがさっさと思い出さないからでしょう!? この役立たず!」
「…………」
「え……。サフィレーヌ……?」
いつものようにサフィレーヌに強くあたったミゼリアが無視された。
それにヴィクトリアも驚く。彼女達は小さい時からの友人だったと聞いている。
ミゼリアはフィンナ公爵に匿われ、サフィレーヌとともに育ったという話だ。
そんな子たちの仲がヴィクトリアの前で悪くなろうとしていた。いや、なっていた。
「サフィレーヌ? どうしたの? やはり、怖かったのかしら?」
「……お姉様は、いや、なんでもないです!」
「?」
ちらりとヴィクトリアを見たサフィレーヌはまたどこかに視線を戻した。
笑顔だった。しかし、何かが違った。
(警戒されている? ど、どうしてかしら)
サフィレーヌの見る方向を見ると、そこには大きな机のテーブルクロスの下から出てくる男の姿があった。
(あ……あの男っ! リエーニを戦わせて自分は避難を……?)
ヴィクトリアの敵は、あろうことかあの混乱の最中机の下で震えていたのだ。
リエーニに手を引かれ、服を正すルクス・フォノスはとても無機質な表情をしていた。
まるで、そのことに何も感じていない鉄のような顔だった。
「ルクス……!! ルクス・フォノス!! 貴方は……そんなところで何を……!」
一瞬にしてヴィクトリアの怒りがルクスへ飛んだ。
戦えぬだけならばまだいい。だが、その行動は戦うものを放棄する侮辱にも等しいものだった。
『ヴィクトリア様。お噂は聞いていましたが、さすがの剣の腕。助かりました』
気にせずルクスはヴィクトリアを褒めた。理解してなかった。
「貴方っ!! 自分の従者を戦わせて、自分は情けなく逃げていたの!?」
詰め寄るヴィクトリア。
そのまま殴ってやりたいとも思っていた。服くらいは掴んで、何も言えぬリエーニの為にこの暴君に文句を言ってやろうと思った。
「──え?」
しかし、その歩みはヴィクトリアの愛する者によって塞がれた。
「申し訳ありませんヴィクトリア様。それ以上は我が主への侮辱となります。
ご自身の発言は周囲に影響を及ぼすということ、どうかご理解頂きたく存じます」
ヴィクトリアと男の間には少し成長した黒色。
必死に男へ近づけさせぬよう努力する従者の姿。
「リ、リエーニ……?」
『無礼だよ、リエーニ』
「申し訳ありません。出過ぎた真似をしました」
その冷たい顔の人形のような男に注意されリエーニは下がった。
「────ッ!」
ヴィクトリアの最も見たくなかった光景だった。
抑える気のない激情を以て、その男を睨む。
『リエーニがここまでの反応をするなんて初めてみました。よっぽど貴方がお気に入りのようだ』
男がそう語る。
必死に何かをフォローするようにも聞こえたが、煽っているようにしか思えなかった。
いや、その通りなのだろう。
“まあ、そのリエーニは僕のものですが”という男の声が聞こえてきそうだった。
普段のヴィクトリアならば、男相手にここまで感情を晒す事はない。
自分でも不思議だった。
その違和感を誤魔化すためなのか、姿勢を正しルクスへ冷徹な視線を送る。
「先程の言葉忘れないようにお願いしますね? ルクス・フォノス“様“?
後日、リエーニと会わせて頂く場をご用意してくださるのでしょう?」
『……勿論ですとも』
それで、ヴィクトリアは溜飲を下げ、その場を後にする。
「……はぁ」
どこかで小さなため息が聞こえたような気がした──。
その夜、ヴィクトリアの姿は王都の自室にあった。
今回の事件で、また生活が変わるだろう。
しかし、ヴィクトリアはまた明日から学園生活だ。また退屈な日常だ。
“大好きなブレンドの紅茶”を口に含む。三年かかさず飲んでいる。
再会が叶った。
だが、何かが違った。嬉しくなかった。
変わらぬあの輝きの傍には、知らぬ別の輝きがあった。
(リエーニは、ああいう男がいいの……?)
ヴィクトリアの座る机には大量の封を切られていない手紙の山があった。
それはいろいろな素敵な殿方からの恋文だ。
ルクス──。あの男の噂をヴィクトリアは“正しく“知っていた。
武帝国で会社を経営し、成功している。
彼の企業モデルをフォノス商会が採用し、この国でも広まってきている。
あの男は実力を示している。
リエーニは人の内面を見る。きっとあの男の何かに惹かれているのだろう。
それにフィフも反抗することなく、当然のごとくあの男に従っていた。
まあ、彼女はリエーニが従うから、従っているのかもしれないが。
否定する要素を探せば探すほど、ヴィクトリアはルクスという人物を評価せざるを得ない。
──ひどい敗北感だった。屈辱だった。
幼い頃に感じた劣等感を思い出すようだった。
「失礼致します」
ノックとともに誰かが入ってくる。
それは学園に付き添いでついてきたヴィクトリアの従者だった。
今日の事件のことを聞いて、わざわざ王都までやってきたのだろう。心配性の従者だ。
「ああ、わざわざ来たの? アンリーネ」
「ええ。確認を、と」
アンリーネ・ブレイブハート。ヴィクトリアの遠い親戚だ。
出会いはあの日、あの屋敷。
リエーニとの別れを嘆くヴィクトリアに、優しく声を掛けてきたのが彼女だった。
「傷を負ったなどと仰っていたら、再教育でした」
「それは怖いわね」
「『不死騎士』相手には、耐久戦です。よく覚えておくようにお願いします」
「よくわかったわ。ちなみに貴方は倒したことあるの?」
「ございません。あれを仕留めるのはネトス教の魔法使い。わたし達の仕事は封殺することだけでした」
彼女はたとえヴィクトリアが相手であっても容赦しなかった。
今もヴィクトリアの命よりも、“どう戦ったか”を心配しているのだ。
かつて従者教育を受けたリエーニのレベルが違うのも納得だった。
相当なスパルタだったのだろう。
「またそんなに手紙を溜めているのですか? さっさとお相手を決めてください。
ご自身の趣味はその後じっくりと堪能すればよろしいでしょう?」
「まったく、正論で嫌になるわね」
紅茶のおかわりを入れながら、アンリーネが叱る。
“いい加減覚悟を決めろ”と。
ヴィクトリアの年齢はギリギリだった。社交会で出会う同年代は14、5歳を過ぎると相手が決まり始める。
そうなると、二人目以降として結ばれるか、年上好きと一緒になるしかなくなる。
ヴィクトリアは選ぶ側だ。
しかし、彼女の自認が男という存在を忌避していた。
「事件のことで落ち込んでいるわけでは無さそうですね? 一体何なのです?」
察しの良い従者に少しヴィクトリアは頭が痛くなる。
「今日のパーティにリエーニがいたの……」
「言葉使い」
「…………今日リエーニと会いましたわ」
容赦なくアンリーネからツッコミが入る。
「……リエーニだけですか? ホールで好き勝手働いていたのですか?」
アンリーネにしては意味がわからない質問だった。
「いいえ、まさか。フィフも……ルクス・フォノスも一緒でしたわ」
「…………。“同時に”見たのですね?」
「? はい」
「ああ……そうですか……」
アンリーネが、彼女にしては珍しく重い溜息をついた。
なにかリエーニがやらかしていたのだろうか。
アンリーネの口癖は“リエーニのお陰で自分は平常心の尊さを知った”というものだ。
その平常心が乱れているようだった。
「──ヴィクトリア様、素晴らしい提案がございます」
「なによ、突然に」
「もうこんな手紙のやり取りもしないで済み、なおかつヴィクトリア様の欲望も満たすことができます」
「──え?」
その提案をするアンリーネの顔はかなり良いものだった。
まるで、いたずらを思い浮かんだ子供のように。
◆
うわい! 婚活パーティが軒並み中止になったぞ!! うわい!!
ああああああああああああああああああああぁ……。
詰んだよぉ……。終わったよぉ……。
ぱーちぃじゃないと全部お祈りされちゃうんだよぉ……。
てか、なんもできねえ。
「暇ああああああ」
「別にどうでもいい」
テメエと一緒にすんなよ、万年格安セール品が。
店の端っこで時間潰せんのお前くらいだぞ。
先日の魔物を使った自爆テロにより、パーティが自粛された。
同時に王都の治安が強化され、息苦しくなっている。
「ルクス様ー、お手紙が……。あー、失礼しましたー。置いときますね」
扉を開け、何かを察したお目付け役ちゃんが手紙を置いてった。
大方、ベッドに寝転がる俺とフィフを見てそう思ったのだろう。くそが。
「アレ、排除しないの?」
「あん?」
手紙の封を開けながらそう返す。
フィフは“あのスパイを放っておいていいのか?”と言っている。
お目付け役ちゃんのことである。
「どうせ、ルクレヴィス家とかのだろ。いいよ別に。護衛として働く気はあるみたいだし」
「ならいい」
ダルンと会えれば一発で終わるんだが、どうにもルクレヴィス家はフォノス家を探っている。
ウチは丁度良く中立を気取っているので、その情報が少しでも欲しいのだろう。
「さて、こっちの方はなんじゃろな?」
手紙の内容は、武帝国のワカラちゃんからの報告書だった。具体的な数字は入っていないが、大体の状況は分かった。
そして、俺はその裏面を見る。
そこには俺が作った特殊インクで書かれた文字がある。
俺と同じ能力、或いは白色の極小の違いを感じ取れる人じゃないとわからないものだ。
勿論ワカラちゃんも見えていないので、ところどころ字がおかしくなっている。
しかし、内容は分かった。
『ギルド・ルクス』の裏稼業も彼女にはお願いしている。
流石に音聞は休業になったが、他の情報屋とのやり取りは継続しているのだ。
四苦八苦しつつも新社長は頑張っているようだ。文章の半分くらいが俺への罵倒だった。
「……あの時俺達が見つけた魔物、武帝国には持ち込まれていないってさ」
そして、もう半分はファンヌからの情報提供だった。
「じゃあ、はっきりしている」
「ああ。そうだな」
あの時の横槍。あの集団の正体。
「すげえ名前だよな。『反王軍』って」
「わかりやすい」
それは確かに。
現在、人間領域を騒がせている集団。
革命ではなく反王を訴える彼らの目的は、支配層の殲滅。
明らかな悪意が見え隠れする最悪の軍隊だった。
国の中心地と地方でできた明らかな経済格差、生活格差がこの思想を広め、賛同者を増やしている。
魔王領から入り込んだモノたちがその余計な混乱の引き金になっている。やばすぎる。
「ふへー、しんどぉ……」
社交会自粛中、暇つぶしで書いていたメモ帳を閉じて、ベッドから飛び降りた。
リエーニゴーレムを崩す。服を脱いで、ルクスゴーレムを作ってそれを着せる。
俺はリエーニの私服へ着替え、色を変える。気分転換しよ。
「出かけるの?」
「おう。お前は? ゴーレムもう一個作っとくか?」
「……寝てる」
「マジかお前。まあいいや、なにかあったら呼べよ?」
「私のセリフ」
だるそうにするフィフを置いて、俺は外出した。ほんとやる気ねえなアイツ。
◆
サフィレーヌはゆっくりと宮殿の廊下を歩いていた。
それは転ばないようにという理由もあるが、一番は恐怖からだった。
大きな扉に手をかざす。そこには客人が来たことを知らせる魔法的な仕掛けが施されていた。
これで中にいる人物に伝わったはずである。
「構わん、入りたまえ」
よく通る声が返ってきた。
入室した先には酒池肉林を築き上げた女の空間が広がっていた。
豪華で、快適で、恐ろしい場所だった。
「おや、君か……。ああ、『サフィレーヌ』だ。アランは元気かい?」
「は、はい。お父さまも会いたがっています」
アランとはサフィレーヌの父の名前だ。
今は屋敷で不自由なく暮らしている。だが、その暮らしもサフィレーヌがいるからこそ成立しているもの。
だから、父のことを思うのならばサフィレーヌは大人しくしているべきだ。
「嫌だなあ……。今のアランとは寝たくない」
煽情的な服装をしながら、ベッドで酒を飲むフィンナ・カルクルール。
その周囲には護衛と“お相手達”。
彼らは男女問わずにフィンナの虜だった。
肉感的な母の姿。快楽に沈むその女は美しい。
この国の支配者に相応しいものだと言える。
「で? 今日はどうしたんだい?」
「お母さまにお願いがあって来ました!」
「ほう?」
サフィレーヌの表情には感情があった。
それは自然なものではなく、我慢ができずにどうしても溢れてしまったという雰囲気だった。
フィンナはその娘に初めて興味を持った。
「どうしても『欲しいもの』があります!」
建前も何も無い女の感情だった。
ここですらすらとどうでもいい口上を述べていたのならば、フィンナはこの娘を廃嫡し物好きに売り、その父親は挽き肉にしていただろう。
ただの渇き。心からの飢え。
「何が欲しいんだい?」
その“優秀な頭脳”でサフィレーヌはいろいろと考えたのだろう。
しかし、自分でも分からず結局サフィレーヌはそう口にするしかなかった。
理由のない、動物的な欲求だった。
「男!」
「────ふ」
直球にも程があった。
馬鹿だった。脳無しだった。
“欲望に取り憑かれたただの女”だった。
だからこそ、フィンナ・カルクルールは笑った。
「あっははははははははははははははッ!!」
「お母さま?」
困っているサフィレーヌ。当たり前だ。
彼女は親子同士の会話で、フィンナが笑うことなど見たことがなかったのだから。
「たくさん作って、産んできたが……。そうかあ……、君かぁ……。
くふふふふふ……こちらへ来なさい、“我が娘“よ。話をしようじゃないか」
恐怖の象徴だった母親という存在が、サフィレーヌを手招きした。
よろけながら近づいたサフィレーヌを、フィンナは優しく抱擁した。
「評価するよ、サフィレーヌ。今までよく我慢したねぇ」
「…………」
それは彼女達の間にのみ発生するやり取りだった。
「だが、もう、やめたまえ。それを交換条件にしよう」
「……わかりました!」
「ふふふ……。さあ、誰だい? 君が欲しい男は」
「ルクスです!」
「ふはははははははははははははははッ!!」
その名を聞いた瞬間、フィンナはまた笑った。笑うしかなかった。
「ああ、親が親なら子も子だな。
……好きなのかい?」
「はい!」
「理由もわからないだろう?」
「……はい!」
「汚して、自分のものにしたいのだろう?」
「…………は…い」
サフィレーヌが耐えるように拳を握る。
そこには何かを思い出し、必死に激情を抑えようとする女の浅ましい姿があった。
ずっと陰口をたたかれ続け、人とは違う感覚を嫌悪し、友人を信じられなくなった子供。
自分で自分を騙すしかなかった憐れな娘。
「あの人はわたしのものです」
その一言で、いびつで不器用な母娘の絆は深まった。
三十以上も産まれた中でたった一人だけ。
脳無しと呼ばれた女の子が、今この瞬間“カルクルール”を継いだ。




