40話 情を抱くという行為
豪華な色と、きらびやかな音が混じるその空間には笑顔があった。
誰もが明るさを声に宿し、世間話に花を咲かせている。
美食と美談がその口を潤し、誰の目にも曇りがない。
人間達のそのやり取りを冷静に眺めているのはミーナ。魔王大使である。
舞台は王都の宮殿。その有名な大広間。
(なんともまあ……贅沢なことでしょう)
心の中で一人そんな皮肉を言う。
黒と赤のドレスを身に纏い、あくまで魔王領の者であると誇示する彼女は、この矛盾に満ちたパーティに招待された立場であった。
庶民が苦労して手に入れるものを数時間で消費していく、天国のような素晴らしい空間だ。
この場に招かれた者の中でその残酷さを一番理解しているのが、魔王側であるミーナだった。
「先日はお世話になりました、ミーナ様」
「いいえ。御子息が元気になられたようで何よりです」
「聞きましたかミーナ様、男爵の噂を」
「ええ、可哀想ですけど笑ってしまいました」
魔王の使いと警戒されていた面影はもう消えていた。少なくとも表では。
影ではブレイブハート家を中心にした反魔の派閥が暗躍していることをミーナも把握している。
だが、彼らは静観しているだけで何も出来はしない。
これから崩れ去る国を、結束を眺めるだけだ。
「あとで少々お時間を頂けますかな、ミーナ様」
一人の貴族からそんな声を掛けられる。
愛多きロルカニア人からのそんな言葉を受ければ勘違いしてしまうかもしれないが、けっして色に満ちた話題などではない。
スガータレルを中心とした一連の戦争は、人間領域に凄まじい影響を及ぼした。
かつてはスガータレルを中心に固まっていた境界線の三国は、そのスガータレルと他二国に分かれ未だに泥沼の争いを続けている。
その争いの時に、他国が手に入れた魔王領の武器が波紋を呼んだ。
“ネトス教しか作れなかった武器を魔王領は大量生産している”。
この事実を人間達は重く受け止めた。
大戦中に魔族側が持っていた戦力は、魔物と強大な魔族個人たちだけであった。
しかし武装までも強化された。その技術の発展は人間の努力の否定だ。
女神が与えた力を魔王に奪われたのだ。
この事実を知っているであろう教会勢力、聖都は無言を貫いている。それが寧ろ不安を煽っていた。
『ああ、やはりもう女神はいないのだな』という確信に繋がったのである。
こうして貴族達の中には個人的に魔王領とコネクションを持とうとする者が現れていた。三年も経てばそれは当たり前のことになっている。
それでいいとミーナは思う。
女神の神威など存在しない。存在してはならない。この世界に君臨するのは魔王だけでいい。
その後も頭の足りぬ二足歩行するだけの存在と会話を重ねる。
唇を瑞々しく濡らし、埃一つ無い衣服を身に纏う白い人々。
“こんなものに我が君の心が理解できるはずもなし”。
貼り付けた笑みが牙を研ぎ続けている。
「ちょっと! 何をしているのよ、サフィレーヌ!」
「ご、ごめんなさい……」
そこに姦しい喧騒が聞こえてくる。
見るとこのパーティの中心人物が、誰かに怒鳴っていた。
金髪、金眼の輝かしい証。今日で生誕11年を迎える『ミゼリア・サルヴァリオン』。
現国王オスリクスの孫であり、直系である。
この宮殿で名前を聞かない日はない。
“一向に礼儀を覚えない”
“魔法は使えるが、特出するものがない”
“女の王族のくせに剣も満足に振るえない”
そんな、無い無い尽くしの話し声はいつも響いていた。
貴族達の暇つぶしとしては機能していた彼女は、今日も何かをやらかしたのだろうか。
「ほんと、使えなーい。こんなの放っておいて行きましょう」
「はい!」
「ごきげんようサフィレーヌ様ー」
取り巻きとともに去っていく王女。
その場に残されたのはその優しさから持ってきた飲み物を零してしまった少女。
そんなに運ぶのが無理なのは誰が考えてもわかるだろうに、その両手には彼女達の人数分の空のグラスが握られていた。
「あ、待って……。わっ!」
去っていく友人たちを追いかけようとして足を捻ってしまうその少女。
ぎこちない歩き方であることから、履き慣れていない靴なのだろう。
(サフィレーヌ……。サフィレーヌ・“カルクルール”ですか)
少女の正体はこの国の実質的な支配者であるフィンナ・カルクルール公爵の娘。
そんな大物の娘であるはずなのに、誰もその少女を助けようとはしない。
その理由は簡単だ。
フィンナ公爵は愛多き女。その権力、財力、美貌を使って男女問わず食い散らかしている。
彼女はそんなフィンナの子供たちの一人でしか無いからだ。あの怪物の娘がまた怪物であるわけがないのだ。
今のカルクルール家の中で重要視されるのは、フィンナでは無い方の親。もしくはどれだけフィンナに愛されているかだ。
ミーナの調べではサフィレーヌの父親は一般市民。フィンナが戯れで愛した男だった。
「大丈夫ですか?」
「?」
それでもミーナはその少女に手を差し伸べた。未だにグラスを握り続けるサフィレーヌは、ミーナをじっと見つめる。愛らしいくりっとした青色の瞳がミーナを捉える。
何が影響するかわからないのが、人間関係というもの。
こういうときこそ人間としての行動力が試されている。
それがミーナなりの信仰だった。
「あ……」
「どうぞ手を──」
だが、そんなミーナの差し出した信仰はぺしっと払われた。
「…………え」
「ひっ……」
サフィレーヌは怯えた目をしていた。
いや、そんな馬鹿なはずはない。三年だ。一切悪い噂は立てていない。
一応それなりの立場を築いている。子供に怯えられる外見でもないはずだ。
「魔物おおおおおおぉぉぉっ!!」
泣き叫びながら少女は駆け出し、今度は食事が乗っている机に頭から突っ込んでしまった。
悲鳴と嘲笑が響く。
(魔物では……ありませんが……。あんなに怯えるものですか……)
人間であるミーナは子供の全力の拒絶にそれなりに傷を負った。何故か子供相手には上手くいかないなと溜息を付く。
子供の認識では、魔族も魔物も魔王領所属の人間も等しく『敵』。そして、あの子はカルクルール家の子供。保守の極みの家では異物は毛嫌いされているのだろう。
「気にしなくていいですぞ、ミーナ様」
「ええ……はい。ありがとうございます」
それなりに顔見知りの貴族がフォローを入れてきた。それでもミーナの心は晴れない。
「カルクルール家きっての“脳無し”ですからな、あの子は」
「────そんな呼ばれ方を?」
転げた体勢で、目を回すサフィレーヌ。新調したであろうドレスはボロボロだ。
唯一の救いは彼女自身、恥というものをあまり感じていない気質のみだろう。
「貴方は何をやっているのです」
そこに今度はそれまでの空気を作り変える声が響いた。
靴を鳴らし、近づいてくるのは、派手でありながら気品を持つ格好の少女。
この場においても帯刀を許される一族。
自信に満ちた表情。誰もが振り返るその雰囲気。気にせずはいられない燃えるような瞳。
「ヴィクトリアしゃま……」
「しっかりなさいな、サフィレーヌ。王女様はどこへ行ってしまったの?」
しっかりと力強く憐れな少女の手を取るのは、英雄の血筋。
反魔族筆頭ブレイブハート家。その第三女。
(ヴィクトリア・ブレイブハート……)
ミーナの脳内にある記録はそれが間違いではないと決定づける。
纏う空気が、発する言葉が彼女が英雄の気品に満ちていると告げてくる。
この三年で、急激に評価の上がった英雄の血族。
「どっか行きました!」
「そう……。まったくあの王女は……。私とパーティを楽しみましょうか、サフィレーヌ」
「はい!」
先程の態度とは打って変わってサフィレーヌはヴィクトリアの手を取った。
そして、その時である。
──ヴィクトリアが笑った。
その瞳は明らかにミーナを見ている。ほんの一瞬だけ。目のいいミーナだけが気付けるほんの刹那。
こちらを馬鹿にするような挑発的な笑みだった。
『引き立て役ご苦労さま』
そんな彼女の声が聞こえてくるようだった。
自分の名前と立場を意識した攻撃だった。
学園で優秀な成績を残しているとは言え、たかが13歳の子供にできることとは思えなかった。
だが、その女は実際にやってみせた。
そのせいかわからないが、ヴィクトリアの周囲とミーナの周囲の数字は違った。
(まったく……)
その挑発ごときに乗るようなミーナではないが、僅かな悔しさだけは残った。
(コレだから子供ってなんか苦手だなあ……)
再びミーナは何事もなかったように作業に戻った。
◆
貴族達との話し合いを終え、別派閥への牽制をしつつミーナの一日は終わった。
「おかえりなさいませ、ミーナ様」
「ただいま。異常はない?」
「はい。つつがなく」
ミーナはなんとなく見上げ、その建物の外観を見る。
ロルカニア王国の駐在大使として彼女に用意されたのは、王都の放棄された大教会だった。
今やもうなんの価値もない物体。浮浪者でさえ住み着かなかったそこにミーナ達は案内された。
ネトス教徒であるミーナに対する半分嫌がらせだろう。しかし、用意されたものはありがたく使わせてもらおう。
心に含むものがありながらも、ミーナはここを拠点とした。
客人を招くことができるように修繕し、いくらか見た目の良くなった中を通り自室へ移動する。
何故か落ち着くこの建物に女神像は無い。ミーナが破壊した。
あるのは最低限の居住スペースだけだ。魔王領から持ち込んだ物品のお陰で見た目はそれなりに良くなっている。
自室に明かりを灯す。きっと今日も徹夜だ。
机には部下が置いていったこの国の状況の報告書の山。
元ロルカニア人達は上手く機能していた。
「はあ……」
観念したように書類の山の前で座ったミーナ。しかし、そこに一陣の風が吹いた。
「重い溜息ね、ミーナ?」
「────」
驚愕を以て振り返るとそこにはミーナのベッドが。
そして、そこに退屈そうに寝転がるミーナの敬愛する主がいた。
「ッ!?」
「『アスト』とでも呼びなさい」
「アスト……ッ! 何故ここに……」
名前を呼びそうになり息が詰まり、敬称をつけようとして息が詰まった。
いたずらが成功したようにくすくすと笑う魔王アルテ・リルージュ。
乱れた髪とドレスはいつもと変わらないものだった。
違うのは彼女を象徴する角や羽、尻尾が無いことくらいである。
その空虚で退廃的な瞳はミーナを見つめている。
「お見舞いよ」
「お見舞い……ですか?」
主の言うことが分からず首をかしげるミーナ。
昔から言っていることがおかしな人なのだから、今更気にすることではない。
「ふふふ……疲れた顔ね。どうしたのかしら?」
「別にどうしようもないですよ。ちゃんと仕事はしていますので、心配なさらずに。
……転移で来られたのですか? バレませんか?」
「平気よ。歩いてきたもの」
「え?」
ころころと鈴がなるように笑う魔王は今なんと言ったのか。なんとも規格外な台詞だった。
「それこそ大丈夫だったのですか……? 共もつけていないのでしょう?」
「いらないわよ、邪魔くさい。人間の視覚と聴覚を誤魔化すのなんてわけないわ。安心して頂戴」
寝る体勢を変えて、愉快そうにアルテは笑った。そして、落ち着いたあと言葉を零した。
「いろいろ見ておきたかったのよ」
「なにか気に止まるものはございましたか?」
ミーナのその問いにアルテはしばらく答えなかった。そして、よく考えた末に出したことを告げる。
「──何もなかったわ」
「…………」
仰向けに何かを見る魔王の瞳は、相変わらず何も見ていない。
道中、本当に彼女が気に留めることなど無かったのだろう。
「というかミーナ、なにかお土産はないの?」
「お土産ですか?」
「この地の名産品。人間の土地ってそれぞれ違ったものを食べるのでしょう? 魔王都のお菓子は飽きてしまったの」
「あのー……本来お土産を持ってくるのはア……ストの方ですよ?」
「そうなの? まあわかったからお土産を頂戴」
わがまま暴君となった主の頼みを呆れた顔で聞くことにするミーナ。
「有名なのは紅茶だと思いますよ。確か、知り合いになった子から貰った最高級のお茶が……」
「紅茶? 飲み物ね。欲しいわ」
だるそうに起き上がったアルテは大量に積み重なった贈り物を漁るミーナを見つめる。
ミーナ自身に異常はない。それが確認できただけでも良かった。
「あ」
「? どうしたのかしら」
目的のものを見つけたはずなのに固まるミーナ。どうしてミーナが動かないのかアルテにはわからない。
その手に握られているのは『ユルハクテ』と書かれた葉の容れ物だった。
「よ、用意しますね」
「お願いね。楽しみだわ」
魔法を使ってテキパキ用意していくミーナだが、その精度を欠いていた。
「?」
珍しい行動をする愛らしい部下にアルテは疑問符を浮かべる。
「ど、どうじょっ……」
何故か笑われながらその紅茶は出てきた。とてもいい匂いではあるのだが、よくわからない。
そんな風に提供する文化なのだろうか。アルテはさらに人間がわからなくなった。
「いただくわね」
「は、はいぃぃ……」
「……」
ミーナが明らかに何かに耐えようとしている。その原因がアルテにはわからない。
口をつけてその飲料を味わう。
「くぎゃ……っ」
味は悪くなかった。しかし、奇っ怪なものがアルテの目の前にあった。
「はあ……はあ……」
「ねえ、ミーナ」
「ひゃい」
「私、そんなにおかしかったのかしら? ちゃんとしていたつもりだけど……」
「ぶひゃっ……!! あははははははははっ!?」
ついに笑われてしまった。
別におかしなことがあったのならば言えばいいのに。そうアルテは思う。
何かの行動を読むのが得意なアルテにも、今のミーナの行動は意味不明だった。
「違うんです!! ちぎゃんです、アルテ様ッ!!」
必死に横隔膜を押さえながら否定するミーナ。あれだけ気を付けていたのにアルテの名前を喋っている。
遮音魔法は展開していたので問題は無いが、おかしくなった部下にアルテは困惑した。
「申し訳ございませんでした」
数十分後、アルテが二口目をつけると何故かまた笑い出したミーナがやっと落ち着いた。
「別にいいわ。精神汚染を受けていなくても人間っておかしくなるのね」
「違うんですよぉ……アルテ様ぁ……」
もはや笑い泣きなのか落ち込んだ涙なのかわからない顔でミーナは真摯に謝罪している。
それを見てアルテは微笑むと息を吐いた。
「まったく……。そろそろ苛立ちを抱えるだろうから来てみれば、楽しそうでよかったわね」
「え……?」
「これじゃ、私のお土産はいらないのよね?」
ベッドの上で乱れた髪を弄くりながら、アルテが自らの足を撫でた。
その煽情的な動きは、ミーナの思考を揺さぶる。
「アルテ様……」
「なぁに?」
アルテがここにわざわざ来たのはミーナの為であった。
勿論、それは理由の一つでしか無い。しかし、それが彼女の部下に対する労いであることを理解しているミーナは心が満たされた。
「愛しています」
「ええ、知っているわ」
胸に飛び込んできたミーナを抱き返したアルテの表情には珍しく感情があった。
思いやり。愛するという心の動き。
だが、それは人が人へ向けるものではない。
上位者が抱くほんの気まぐれ。
対象が愚かであっても、強かであっても同じく愛する。
間違いなく愛ではある。それに偽りは無い。
けれど──。
だけれど──。
それは遥か高みから見下ろすモノだからこそ生じる慈しみだった。




