37話 武帝国
彼らが抱いたのは困惑の感情だった。
舞台は魔王領クライガゼル地方。
魔王領の地名は統治している魔族の名前がそのまま地名になる。
よって同名のクライガゼルという魔族がここを治めていた。
しかし、その魔族の死体は彼らの手の中にある。
彼らはスガータレル国の兵士。誇り高き人間領域の戦士たちである。
境界領域での戦いが落ち着いたあと、国王は魔王領への攻撃を命じた。
誰も疑問を抱くことはなかった。当たり前の話だろう。
人間が魔族を攻撃するのは当然の帰結だ。
人間連合などもう機能していないのだ。ならばこそ、誰かが先陣を切って示さねばならない。
“魔族も弱っている。これはまたとない機会なのだ”と。
勇気と誇りを以て宣言された狼煙に返ってきた返事は、『抗議する』と書かれた文が一通。
魔王は平和主義──。
それは現在の人間領域では嘲笑か称賛と一緒に語られる、アルテ・リルージュの特徴。
スガータレルはこの手紙を受け取り、嘲笑とともに進軍を開始した。
目指すのは、誰もが欲する肥沃な土地。埋もれた魔石の山があれば、貧乏という言葉とはもう付き合わずに済む。
勇気と誇りによってもたらされようとしていたのは、所詮、金だった。
進軍は簡単に完了し、城は簡単に落ち、魔族は呆気なく仕留めた。順風満帆とはこのことだった。
その時点、宣戦布告より“1ヶ月後”に魔王は講和を求めてきた。
とても気分の良かった国王は、上から目線でそれを受け入れた。
『占領した土地は当然そのままだろう?』
ふんだんに歪曲してそう伝えると、魔族側は無表情で了承し戦争が終わった。
彼らは雄叫びとともに、人間に宣言した。
『我らは魔族に勝ったぞ!』
『ついに魔族の土地を奪ってやったぞ!』
『さあ、どんどん続け友たちよ!』
拍手と歓声が凱歌となるはずだった。
しかし彼らを待っていたのは、──撃鉄と硝煙の匂いだった。
「なぜだ……」
そう呟いたのは誰だろう。
「どうして、人間が我らを攻撃してくるのだッ!?」
それを気にする間もなくその声の主は、頭に真っ赤な花を咲かせて息絶えた。
迫りくるのはかつてはネトス教が占有していた武器を装備した兵士達。スガータレル国の隣に位置している二国の旗が揺れている。
あの裏切り者たちがほざいた理由はわけの分からぬものだった。
『友好国の土地を攻撃した貴国を許すことはできない』
ああ、きっと彼らは馬鹿なのだろう。
それは、魔王が友達だと言っているということなのに──。
銃撃と悲鳴が木霊する戦場には、乾いた笑いが響いている。
『元魔王領クライガゼル地方』改め、『現スガータレル国クライガゼル領』。
そこは人間だけの死体が量産される地獄と化し、再び世界に暗雲を運んでいった。
◆
涼しい風が駆け巡る風雅な大地。人間領域の最北に位置する最も広く、最も細かい国。
『武帝国』。
もうその形は維持できずに変わってしまっているものの、違う呼び方を考えるのも面倒なので人々は未だにここをそう呼んでいた。
土地はだいたいいつも十五個に分かれ、それがたまに減ったり、増えたりしている。
『十五傑』と呼ばれる個人が武帝を名乗り、滅ぼし合っているのだ。
“武帝の条件は最強であること”。
そんな子供の理屈を大の大人達は信じ、夢とし、愚かな研鑽をしてこの地を混沌に貶めている。
何故こんな事になったのか、理由は明白だ。
武帝が跡継ぎを作れなかったからである。
それは、血を残せなかったという意味ではない。
武帝となった人間はそれまでの精神を捨てたかのように暴力を好む怪物になる。
その過程で人間としての欲は消失し、男だろうと女だろうと歴代の武帝は愛欲を放棄した。
しかし、武帝たちの中には元々子供を持っていた者もいたし、勿論家族、親兄弟が存在している。
それでも、その身内から後継者が生まれない理由が存在する。
ある場所に現在は安置されている“剣を抜き放ち、従えること”。それが歴代の成したことであり、戴冠の条件だった。
“初代武帝が使用していた剣”。
それを所有し、扱うものこそが武帝だ。そのはずだった。
“武帝が倒れた”──。その報せが大戦に燃える国中に響いた後、一部の十五傑は武帝のねぐらを襲った。
その剣を奪うために。
醜い戦いの中、その剣を手に取った男が武帝を名乗った。しかし、その男はすぐに殺された。
この瞬間誰もが思った。──『おかしい』。
手にした瞬間最強の剣術、見識が手に入るはずの剣がその効力を発揮していない。
それに気付いた十五傑は自らの領地を制定し、物理的な戦力を増強した。
頂に君臨していた個が消えた。剣はもはや、意味のない王冠代わりでしか無い。
それを重要視する者もいたが、力を何より優先するこの国の文化が変貌を許容してしまった。
結果、訪れたのは勢力均衡という名の地獄絵図。
民は苦しむことだけを生きがいに今日も生きている。
戦後、──十年。
隣国、ロルカニア王国で起こった小さな襲撃事件から三年──。
懸命に生活する民達の嘆きが聞こえてくる。
『これなら、武帝に支配されているときのほうが良かった』
『あのどうしようもない力に飢えた馬鹿どもを誰か殺してくれないか』
弱き者が強き者の倒壊を望み、強き者が弱き者を蹂躙する。それがこのどうしようもなくなった国の現状だった。
その国の中のだいたい十五の領地の一つ、『ファントマ』。
十五傑『幻妄焉ファントマ・アラスベルト』が治めるこの土地はまだマシな地獄だった。
歩けば誰かの死骸があり、家に入ると知らぬ誰かが漁っていることが多いが、まだマシである。
治安維持に務めているのは暴力組織。地方領主は完全に悪を良しとするような人物ばかりだったが、それでも子供は生きて笑うこともあるし、ある程度好きな相手と恋愛をしている暇があった。
今日もどこかで誰かが泣いていた。それを見て笑う誰かがいた。
そんな素晴らしい場所でも、人の暮らしは続いていく。
「けけけ、おめえの番だぞ。後悔させてやる、ガキが」
そこはどこかの賭博場。闇の市場に属するそこには不釣り合いの風景があった。
ボロボロの机を囲むガラの悪い男達。卓上にはカードがあり、それを使ってなにか勝負事をしているようだった。
典型的な役柄を揃える遊び。勝った者が掛け金に応じて儲ける仕組み。
しかし、その場のそれはゲームとして成立していなかった。
カードを配る者と卓を囲んでいるプレイヤーが一人を除いて組んでいるからである。
「おら、さっさと手札を見せろよ? まあ、降りるしかねえだろうけどな!!」
下卑た笑い声が響く。この賭博場は誰か一人だけを負けさせ、それ以外が得をするように作られていた。
それに気付いた時にはもう遅いのだ。有り金を全て巻き上げるまでこのショーは終わることはないのだから。
「──いいえ、僕も勝負しますよ?」
そんな状況で響くのは、まだ少年の色を宿す幼い声。
絶対にこの場にはいてはいけない年齢の人間のものだった。
「げあはははあはははっ!! いいぜ? やってみろよ?」
男達は笑う。その少年の手札はわかっている。どうせ負けるように作られている。
「では、失礼して」
少年は手札を全て裏側で伏せた。何を勿体ぶっているのだろうか。
「あん? さっさとめくれや」
「このまま僕が勝っても、大した儲けにはなりません。そこで──」
少年が格好をつけて指を鳴らすと、壁に控えていた従者と思しき女性がバッグを持ってきた。
「……ほお」
誰かの感嘆の声が溢れた。その中には見るかぎり、ぎっしりと金が詰めてあった。
「僕の小遣い、全財産です。これを掛けます。乗りますか?」
「はあ?」
驚く男達。当たり前の話だ。
少年は負けが確定しているのだ。
「ああ、別に全員が乗らなくてもいいですよ? 懐の寒い方もいらっしゃるでしょう?」
明らかに調子に乗った発言に、困惑する。
ただルールのわかっていない馬鹿なのかもしれない。
先程から、ただ金を失っていくだけだった少年は、何も学んでいないようだった。
「随分自信があるんだなあ? いい手札だったのか?」
「どうでしょうねえ?」
男の一人がカードを配っていた運営に目線を送ると、肩をすくめた反応が返ってきた。
「あれ? 皆さん意外とノリが悪い?」
『戯れもそこまでにして頂けますか、ルクス様』
ここで、もう一人の従者が少年『ルクス』に話しかけた。
年の功は十ほどの少女だ。バッグを持つ女性との特徴を比べてみると、おそらく従者の2人は姉妹なのだろう。
どちらも剣を佩いてはいるが、とても戦えるようには見えない。
「なんだい? 僕の金だろう? どう使おうが勝手じゃないか」
『父君がルクス様に与えたのはこんなことに散財するためではありません』
従者の少女がたしなめているが、少年は一向に言うことを聞かない。
その会話だけで、この少年が厄介者として扱われていることを男達は把握する。
「今回の手札はいいんだ! さっきまでがおかしかった!」
『ですから、ここはぼったくりの賭博場だと言っているではないですか……』
「おいおい、それは聞き捨てならねえな、嬢ちゃん」
少女の発言が気に障ったのか、この店を牛耳る組織の一人が入ってきた。
『……状況を見れば、誰でもわかると思いますが』
「申し訳ないですぅ。この子は気にしないでください。融通が利かなくて。
皆さん楽しんでいるのでしょう?」
睨む視線を隠さない少女に比べて、少年はへらへらと笑うばかりだ。
もう一人の女性の従者は我関せずで、明後日の方向を見つめている。
「もう黙って見ていろ! 今回はいける!」
『…………』
呆れたような視線で固まる少女。忠言が受け入れてもらえず、諦めたようだ。
「はっ! そこまで言うならやってやるよ」
「俺も俺も」
混乱していた男達は、そのやり取りを見てゲームを続けた。
あのバッグに入っている大金が丸々手に入るようなものなのだ。
男達と運営側の視線が交差する。それは『あとで山分けする額を決めよう』と告げるものだった。
参加者が集い、皆の手札が開かれる。
「ごちそーさん」
それは誰かの声だった。
「──は?」
思わずマヌケな声が男達の口から出た。
少年の手札は、『最高のもの』。ふざけたくらいに確率の低い役だった。
「くくふふふ……、あははははははははははははッ!!」
悪辣な笑い声が響く。男達の視線は釘付けになった。
「気持ちいいいいいいいッ!! 脳汁どばどばよ。やってみたかったんだよねえッ!!」
ハイテンションな声はこの場を支配していた。
誰も口を挟めぬ雰囲気があった。
銀色と青の瞳。北方でよく見る人間の特徴だ。
整った顔立ち。品のある雰囲気。
──しかし、放たれる言葉が壊滅的だった。
「オラッ!! さっさと用意しろや!! 金えッ!! 払えッ!!」
猿みたいに手を叩き続けるその少年は『ルクス』。
最近この領内で話を聞くようになった商会の跡取り息子。
たまたま金持ちに拾われただけのクソガキ。
屁理屈で人を馬鹿にする天才。
または、ある種の尊敬を込めて『銀色の暴君』。
この寒空満ちる世界に差し込む夜の銀光である。




