36話 ブライト・ヌーン
「その、聞いていらっしゃいますか? 陛下」
「ええ、もちろんよ」
男の溜息が聞こえる。
そこは人間だけではなく魔族も恐れる場所。魔王城の一室。
魔王アルテの執務室である。
といっても名前だけが立派で、置かれているものは生活感のあふれるものばかりだ。
来客用の椅子と机。それが一番まともなもの。
後はアルテが寝転がるように用意された最高級ベッドと、王には似つかわしくない威厳の欠片も無い飾り付け。
そして、あちこちに散らばる紙の束だ。とても仕事部屋とは思えない。
そこで困っている男はメンドルウス。幹部になったばかりの新人である。
対面している魔王アルテ・リルージュはベッドに横になったまま騎士兜を抱え、読書に耽っている。
その書物も格式のあるものではなく、魔王都で流行りの低俗な一般人が書いた小説だった。
「本当ですか……? とても聞いているとは思えないのですが」
メンドルウスは幹部になってから、この城に舞い込む案件の処理に回されていた。
人間でいうと政務担当である。領地は実質奪われ、住居もいつの間にかここに用意されていた。
「今いいところなの。後でまとめて指示するからそのまま報告を続けてくれると嬉しいわ」
「…………」
何が面白いのか、アルテは小説に夢中だ。
最近はずっとこんな扱いを受けているメンドルウスは諦めたように報告を続けた。
「領域境界線に面している一国『スガータレル』が、我が領に侵攻を開始しました。目的は魔石資源が豊富なクライガゼル地方かと思われます。
その隣のニ国は友好条約を締結済みですので、今のところ表立った動きはありません」
「…………」
アルテの目は小説の文字を追っている。
「……ロルカニア王国の方は予定通りだとミーナから報告がありました。あと“痕跡を発見した”と言われましたが、なんのことだか……
領内については『適応した人間』と『未だに抵抗する人間』の扱いをどうするかという問題が続いています」
「とても、面白かったわ」
そう言ってアルテは本を閉じた。
本当に聞いていたのか疑問に思いつつも、メンドルウスはさらに続ける。
「領内の反抗的な魔族についても報告が上がっています。一部の魔族が徒党を組み、人間と接触しようとしているとか」
「気にしなくていいわ」
アルテはぼうっと天井を見ながら答えた。そして、近くの机に置いてあるお菓子を手にとって口に入れた。
小気味のいいさくっという音を鳴らすと、そのままおいしそうに頬張った。
その仕草に苛立ちを覚えるもメンドルウスは報告を終えた。
「その他にもありますが、陛下に上げるべき案件はこの程度かと」
「そうかしら? ほぼ貴方が対応できそうなものばかりだけど」
勘弁してほしいとメンドルウスは思った。今ですら忙殺されそうなのだ。これ以上案件を増やしたら命が減ってしまう。
「……スガータレルが侵攻してきた件は、クライガゼルに任せなさい。
敵兵の通り道となる貴方の領土は抵抗無しで素通りさせます。進軍は止めなくていいわ。
後で抗議文だけ書くからそれを送りなさい」
小説に夢中だった部分もちゃんと聞こえていたらしい。しっかりと指示が飛んできた。
「通していいのですか? 人間の侵攻など貴方の力があれば……」
そう言われて、アルテはつまらなそうに息を吐いた。
「幹部になって結構日が経つのにまだそんなことを言っているの?」
「!! 申し訳ありません!」
機嫌を損ねるわけにはいかないメンドルウスはすぐに謝罪する。
「そういうところも悲しいと思ってしまうの。仲良くなれたと思ったのに」
どの口が言っているのだろう。半分強制的に幹部にしたのはアルテだ。
それも反抗していたメンドルウスを敢えて近くに置いている。
おかげでメンドルウスは身動きができない状態なのだ。
「友好条約を結んだ二つに我が領の武器を売りなさい。それっぽい値段で構わないわ。どうせ、レートの整備なんて意味がないのだし」
「はあ……。よろしいのですか?」
「いいわ。二世代前のものを全て売ってしまいましょう。使い道ができて嬉しいわ」
人間に武器を売ってどうしようというのか、こちらが不利になるだけではないかとメンドルウスは魔族特有の感性で思考した。
「あと、援軍は不要です。まあ、クライガゼルは断るでしょうけど。
条約は早くて1ヶ月後結びます。そのつもりでお願いね」
「かしこまりました」
正直、メンドルウスは魔王がどこまでのことを考えているのかもわからない。
何も聞いていないかと思えば、きっちりとした考えで対応を繰り返していく。
敬うべき部分は多いと思っている。
「反抗的な人間の件は他の人間の返還が終わってからにしましょうか。まだ私達は人間の国ごとに交渉できていないもの」
「わかりました」
「お願いね、メンドルウス。お菓子のおかわりを帰る時に頼んでくれると嬉しいわ」
敬う部分があると同時に、小間使いにされることに屈辱を感じる。
魔族はプライドが高いのだ。
「はあ……。いつもの構成で注文しておきます」
「ありがとう」
「お気になさらず……」
報告が終わりメンドルウスが立ち去ろうとした時、アルテが何かに気付いた。
「────? メンドルウス、そこの地図をくれる?」
不思議に思いながらも地図を渡すと、珍しく真剣な顔でアルテは机の上の本と紙束をどかして、地図を広げた。
そしてペンを取り、ある一点に印を付けた。
「? 武帝国……いや、ロルカニア王国ですか。そこがなにか?」
「…………」
その場所は武帝国の南、ロルカニア王国の北方。巨大湖「フットプリント」の下だった。
そこを見るアルテの表情はいつもの無気力なものではなく、警戒に値する何かを探しているようだった。
「……メンドルウス、ミーナを呼び戻して。そして、ロルカニアに送る予定の人間を増やしなさい」
「急にどうされたのですか? 予定ではそんなことは無かったではありませんか」
アルテが感じたのは空間の揺らぎ。大型の魔物の持つ魔力が息絶えた時に生じるもの。
そこに僅かに感じた魔力を一切消費しない斬撃の痕跡。鮮やかな極限の技だ。
それは小賢しいことに、小さく細かく放たれていた。
ミーナが派遣されていなければ意識していなかった範囲。偶然が味方をした。
息を潜めているなら武帝国だと予想していたが、どうやらロルカニアへ移動したようだ。
武帝などと下らない肩書きを人間に与えられただけの女。相変わらず罪のない者の肉体を利用し、暴力のみにこだわっているのか。
それに『今回の宿主』は中々のものを見つけたようだ。生じた魔力の軌跡は凄まじい技術を持っていた。厄介なことになる前に、排除せねばならない。
「武帝国へ送っていた人をいくらか回しなさい。今後はロルカニアでもあらゆる武具を調査をして頂戴」
「以前から不思議に思っていましたが、それはなんの調査なのですか?」
アルテの表情がもとに戻る。そして、またベッドに沈んだ。
そして、ずっと抱えたままの兜を強く抱きしめる。
「……やり残し……かしら」
その空洞を眺めながら、アルテは自嘲するように声を奏でた。
「はあ……陛下が、ですか?」
「ええ。しぶといのよね、あの子達」
それはどんな感情なのか、メンドルウスにはわからなかった。
懐かしい知り合いを思っているようにも見えるし、憎い敵に対する警戒心のようにも思える。
「──原子の一片たりとも残さないわ」
アルテの指先が、兜の縁をなぞった。
◆
世界ってやつは、いつでもどこでも静かに歯車を噛み合わせてやがる。
ったくよぉ……。どうして、こう、気持ちよくお別れをさせてくれないんだろうな。
「さっさと降りて。ビュリューが可愛そう」
「一番負担なのはおめえだろ。ぐおぉっ!?」
集合場所に着いた。だが、気分は最悪だった。
目の前に広がるのは綺麗な湖だ。
小さな村の端の方で俺達は一息ついた。
フィフに投げ飛ばされ転がされた俺は仰向けで、逆さまの湖をぼうっと眺める。
「あー、どっちが空かわかんねえや」
「物語の頭の足りてない女みたい。耳が腐りそう」
ホントに情緒ってやつがねえのな……。
「一区切りついちまったな」
「意味がわかるように言ってほしい」
「お前はいい加減言語表現を磨くべき」
「?」
ひでえよ……。俺のこの気持ちを誰か共有してくれよ。
「流石に……無事だよな?」
「あのままなら」
「……あのさー?」
「はあ……。“そっちが求めた答え”をなぞるだけなんて嫌」
コイツ……。いい言い回ししてくるじゃねえか。
ぽんっと俺の無防備な腹にフィフは手を置いた。降参した犬か、俺は……。
「私は貴方が無事ならそれでいい。人間はどうでもいい」
「あっそ……」
いててててててて! 腹つねるな!!
「なんだよ!!」
起き上がると不満そうなコイツの顔があった。
「私も褒めてほしい」
「あ?」
なんやねん。会話が繋がらねえよ。
「『あのメス』とはスキンシップをしていた」
「げっ!? 見てたの?!」
「うん」
作業しとけって言っただろうが。
「……ちなみにアイツが剣を抜いたところは見てた?」
「見てた。振ってきたらあのメスを殺していた」
「やめてね?」
あっっっっぶねええええええ。
ていうかアイツの話は後にしましょうや姉さん。めんどいですやん。
ふえぇ……奪われちゃったよぉ……。
まあ、その話は少々横に置いといて。
「!」
「あー……。いろいろ助かったよ」
土の塊にこんなことして意味があるのかわかんねえけど、一応撫でといた。
「至福。私だけは一緒にいる」
「なんか、そうなりそうだな。500ロルドでこれなら、だいぶ元は取ったな」
「貴方は本当に良い買い物をした。誇るべき」
「へいへい」
不思議無機物。よくわからないコイツをよくわからないまま俺は気に入っている。
機嫌を良くした呪物にまとわりつかれながら、やっとじっくりと“街の外”を見る。
俺にとって、この世界は孤児院と屋敷と馬車の中がほとんどだった。なんて狭い世界を生きていたんだろうなぁ。
湖に反射する太陽。地球じゃねえくせにいっちょ前にそれは同じような感動を俺に与えた。
空気の感覚も、草の匂いもまったく一緒なのに違う世界。
文化は違えど、辿るものは同じ人間社会。
知らない生き物はいっぱいいるけど、それは地球も同じだ。
決定的に違うのは明らかに人間と仲が悪い、いや根本的に違う種族がいるということ。
これはとても当たり前の話なのだけど、誰しも好き嫌いがある。
この世界においても嫌いな人間はいるし、好きな魔族もいる。
「?」
ちらりとデレデレになった駄剣を見る。無表情でじゃれてくるの、最早味があるな。
「なあ、新しい名前つけてくれよ。かっけえやつ」
「────え」
フィフが固まった。あれ? 充電切れた?
「おーい?」
「どうして……?」
「いや、リエーニはもうメイドとして定着したじゃん? 新しいのが必要だからさ」
「私…が……いいの?」
「遠慮すんなって。あ、ネタくせえのやめろよ? 俺知らない内に馬鹿にされんのやだからな」
ふいに、抱きしめられる。またお前は。痛いって言ってんだろうが……。
この抱きつき癖は治らんのか。
「…………っ」
「って……え?! なんで泣いてんだよ!?」
「…………ぐすっ」
声を殺してコイツは泣いていた。それどうやってんの? 教えてゴーレムに使うから。
それは悲しみから来るものでは無さそうだったので一先ず安心する。
どーも、女泣かせです。
いててててて。ぽんぽんと軽く撫でると、さらにきつく絞められる。
「──『ルクス』」
お?
「どういう意味だよ?」
「“500ロルドだったから”」
「あ?」
「嘘。教えない」
なんでやねん。
「てめえ、どっかの国では下ネタだったりしたらぶっ殺すからな!?」
「フフ……」
……その時のコイツの顔を見て俺はそれ以上つっかかるのはやめた。くそくそくそが。
遠くに船が見えた。それはここまでやってきそうだ。おそらく、『あれ』だろう。
立ち上がり、後ろを見る。
広がる広大な景色。
俺の知らない、知らなかった、とても綺麗で、汚らしい世界が広がっている。
『リエーニ』とはしばらくお別れだ。
覚悟しろよ? 帰ってきた後、滅茶苦茶にしてやるからな!
さすがにそこまでの勇気はないけど、一応啖呵は切ったということで。
簡単じゃないことは承知の上だ。
次にやってくるのは『ルクス・フォノス』。
スーパー金持ちの息子だ。暴れるぜぃ。
「今言いようのない不安を感じた。本当にやめてほしい」
「……なんも言ってないやん。やる気を削ぐなよ」
「貴方のやる気はゴミほどの価値もない。自覚してほしい」
あれ? 結構いい雰囲気で終わらそうと思ってたんだけど。
しまらねえ……。この世界ってやっぱクソだな。
罵倒された世界が文句を言うように、大きな風が俺の頬を撫でた。




