32話 鏡面干渉 Gilded Enigma
午前の気持ちの良い時間帯、外で作業するアンリーネは額の汗を拭った。
その目の前にはいつもの中庭の花壇が。趣味の延長だったが、文句を垂れるリエーニとともにするガーデニングは嫌いではなかった。
もう少しで引き払う予定の屋敷。そこに咲く花々は、リエーニがここにいたことの証だ。
だが、花とはいずれ散るもの。アンリーネはその処理を行っている。
なんとなく振り返るとそこには四人と一本が住むには大きな屋敷がある。
貴族の権威を示すかのような外観でアンリーネが嫌うものだが、いつの間にか慣れてしまった。
次によくリエーニ達がお茶をしていた机と椅子を見る。
花壇を褒めながら語らう子供達が微笑ましかった。そこは最後に片付けようと何故か決めていた。
次に少し遠くの訓練場を見る。
やんちゃ盛りの子供達がいつも汚れている姿を思い出す。毎回そんなものだから、ブレイブハートの従者は着替えを持参するようになった。
おだやかな時間だった。アンリーネの知らぬ平和だった。たとえ仮初であっても善い空間だったと思っている。
「失礼しまーす! いつものお届け物です」
配達員に返事をし、受け取りのサインをする。
荷物の中にはリエーニが読んでいたゴシップ紙が入っている。この地特有のもので、毎週の街の出来事が書かれている。貴族の間でも流行っているらしい。そのうちどこも真似し始めるだろう。
『現代において、必要なのは情報でございます。重要度関係なく、情報というものは知識として蓄積されるべきなのです』
突然、リエーニはそんなこと言い始めカーティスを困らせた。また始まった、と思ったものだ。
「今日はあの子は留守なんですねー。今回のは面白いって伝えておいてください」
「かしこまりました」
残念そうに去っていった配達員。少しずつではあるが、リエーニはこの街の住人とも上手く付き合えていた。
毎週このくらいの時間になると、中庭で配達を楽しみにしていたリエーニ。
読み終えるとグチグチとダメ出しをして、フィフに鬱陶しいと言われていた。
ああそういえば、──この配達も後で解約しておかなければ。
アンリーネは少しの寂しさと誇らしさを感じていた。
「うおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉッ!!」
そんな時に近づいてくる大声。驚きよりも先に溜息が漏れてしまう。
「今、宅配の人来てなかった!? 『スクープジェンヌ』どこ!?」
無言で渡すと、嬉しそうに本だけが空中に浮かんだ。
「それで? どうされたのです? 何も聞かされていないのですが」
「今からいろいろと説明するよ、カーティスさんが。うっひょおおおおおッ! フィフ、部屋で読むぜええええッ!!」
どうやら隣にフィフもいたようだ。
馬車の音が聞こえてきた。あの二人は街中を走って先に帰ってきたらしい。
開いている窓から中に入ったようだ。忙しない子だ。
透明化をしているということは、何かを警戒しているのだろう。
声を出しているということは、声が聞こえる範囲には異常が無いのだろう。
あれでリエーニは警戒心が強い。
屋敷でちゃんと眠れるようになったのも、フィフが来てからだ。
初めの頃は、誰も信用していなかったのだ。今となっては、ああであるが。
それでいい。それでこそだとアンリーネは褒めたい気持ちでいっぱいだった。
人を信じすぎて困っていた男を知っている。裏切られ続けた男を知っている。
だから、あの子はあれでいいのだ。
「ア、アンリーネ様! その、来られましたか?!」
「大丈夫ですよ、カーティス。いつも通りです」
ほっと胸を撫で下ろすカーティス。今度は一体何をやらかしたのか。
説明を受けた後はしっかりと説教しよう。どうせリエーニが悪いのだ。
気合が入る。ついでにフィフもシメてやろう。
アンリーネはそれまでの表情を一変させ、軽やかな足取りで屋敷に入っていった。
◆
作りかけの正門を越え、街へ入る。
見えてくるのは、先の事件で家を失った人々の住む仮のテントが並ぶ光景。
瓦礫の撤去作業は大方終わったようだが、まだ細かい小石や木片が道に散っている。
襲撃した魔族は外壁の外から攻撃を放ち、正門を破壊。その周辺は瓦礫の山となった。
まさに災害だ。
彼女がその場にいれば、止められた災害だ。
今の彼女は聖芸品によって姿を変えている。面倒なやり取りをしなくて済むからだ。
周りからはよく見る旅人くらいにしか見えないだろう。一人旅も男の姿は便利だった。
その現場を見ながら、エルヴァリスは複雑な気持ちになった。
(あーあ……。私っていつもハズレ引くんだから……)
それは、自分の家のある街を攻撃されたという怒りと、“こっちにいたら魔族と戦えたのに”という悔しさが入り混じったものだった。
「ただいまー、シグルナ」
「おかえりなさい、エルヴァリス」
ブレイブハート家にて、いつも通りに挨拶するエルヴァリスに返ってきたのは、少し元気の無い再従姉妹の声だった。
「いつもだったら憎たらしいその顔も今見ると、なんだか安心しますね」
「よく言うわよ。調子のいい当主代行サマ」
二人の仲は悪かった。そして、仲良くなり、また悪くなった。今はそれらを踏まえて落ち着いた関係になった。
軽口を叩き合えるくらいにはなったのだ。
「見ましたか?」
「うん。ヒドかったネー。誰が倒したの?」
執務室のソファーに変身を解きながら座る。エルヴァリスの長い髪がふわりと舞った。
「サー・カーティス。後はアンリーネと岩重砕グスタフです。手柄は譲られましたが」
「へー。手引した可能性は?」
「無い、という結論になりました」
ルクレヴィス家に仕える彼らの事件当時の対応の早さは話題になった。
知っていたのではないかという裏切り者扱いの声と、
戦火を生き抜いた彼らだからこそすぐに駆けつけたのだという称賛の声が両方上がった。
「そっちで行ったんだ。まあ、ルクレヴィス家を疑ってたら面倒だもんね」
「今となっては魔族の襲撃となっていますが、メインは魔族によって操られた盗賊の襲撃でした」
「そうなんだ。私のところに来る頃にはそんな話題無くなってたよ」
そこで、少しアンリーネは目を伏せた。
「その盗賊も魔族の一撃によって蒸発。ただ一つ確保できた死体は、この屋敷でヴィクトリアが殺したものでした……」
それを聞いたエルヴァリスの顔には驚きと笑顔が現れた。
「えっ、ホントに? やったわね! すごいじゃないヴィアちゃん! 強くなってるなあとは思ってたけど、これでしばらくブレイブハートは安泰──」
「やめてください」
「──……シグルナ?」
つい褒めてしまったエルヴァリスに浴びせられたのは拒絶の言葉だった。
シグルナの顔には哀しさが宿っている。
「もう、あの子の憧れを気取るのはやめてください。あの子にその道は歩ませたくないのです」
「……そう言われてもねー。選ぶのはヴィアちゃんでしょ」
「笑って……言ってきたのです……。『お姉様、私殺せました。これで一人前でしょうか?』
褒めるべきでは無いことです。笑ってはいけないことです」
「…………」
シグルナの表情は、悲しさの他に“諦め”も孕んでいた。
それは、結局ヴィクトリアも“そうなってしまった”という無念の感情だった。
エルヴァリスは、そんな彼女に近づいてそっと肩を抱いた。
シグルナは何も言わずにそれに寄りかかった。
「ごめんね。私は嬉しいな。シグルナには悪いけど」
「もう……。貴方がそんなんだから……」
久しぶりのその温もりに身を寄せるシグルナ。
エルヴァリスはなんとなくシグルナの左手で光る束縛の証を見ていた。
エルヴァリスにとってそれは忌むべきものだ。
戦士を縛り、同志を奪っていく理不尽なモノだった。
「“魔王”の使いが直接ここに謝罪のため来るそうです……」
震えを隠さずにシグルナは言った。
エルヴァリスも知っている。シグルナが戦いを嫌うようになったことを。その理由を。
元々シグルナはブレイブハート家の中では厭戦派だった。それでも戦いを求める血は受け入れていた。
それが決定的に変わったのは、あの日、降臨した究極を目撃してからだ。
アレの話を聞かなかった、または攻撃した者は全て消失したらしい。
恐怖でぐちゃぐちゃになったシグルナだけが助かったのだ。
「大丈夫。しばらく私がここにいるよ」
「ありがとう、ございます……。境界線は大丈夫ですか?」
優しく握られた手の感覚を感じながら、エルヴァリスは返事をする。
「ある意味ここより酷いよ」
「“酷い”……? 魔族が何か動きを……?」
エルヴァリスが思い出すのは、笑顔で魔王の部下である幹部を歓迎する人間の姿。
“助かりました”
“感謝を”
“やはり『アルテ様』は違うのだ”
その雰囲気にエルヴァリスは耐えられずに帰ってきたのだ。
「境界線での戦いは終わったわ。人間側の大勝利でね」
「どういうことですか?」
「魔王は幹部を送り込んできたの。条約に抵触しないように、魔族以外をね。そして、ソイツらは人間と手を組み、境界線で暴れる魔物たちを殺し尽くした」
「────。接する国の対応は……」
「三国の内さっさと幹部を追い返したのが一国。あとのニ国は魔王領との『友好条約』を結んだ」
シグルナは沈黙した。そんな単語は魔族側との話題に出てくるものではなかったからだ。
「内容はどんなものですか?」
「魔王領で採掘される魔石のやり取りがメインかな。笑っちゃうよね。戦時中あんなに各国必死になって採掘場所の取り合いしてたのに。誰が占領したかなんてどうでもいいよねー」
少し愚痴った後エルヴァリスは続ける。
「後は、魔王領で発見された人間の受け入れ。多分、元々向こうの捕虜だった人とか人間側のまぬけなスパイの返還ね。『人道的だ』って上層部は褒めてたけど、そんなんじゃないと思うなあ……」
「とういうと……?」
「考えても見て? 自国を探りに来たスパイを返すってことは、盗られても問題無い情報だから返したのかもしれない。もしくは──“敢えて握らせた情報”を持ち帰らせる為か」
王都に住まう当主──シグルナ達の父ジークの報告によると、ロルカニア王都は257名のスパイを捨てた。それは正しいことだったのか、わからない。
きっと、『どちらを選んでもいい』のだ。魔王にとっては。
「そして、さっき幹部を追い返した国があったって言ったでしょ?」
「はい」
「そこが魔王領への侵略を開始しようとしてるわ。魔王領のそれこそ魔石資源が多く眠る場所へ向かってね」
「────」
なんと愚かな。また、あれを繰り返すつもりなのか。
気持ちはわかる。だがそれだけだ。
今、我らは一つではないのだぞ。
魔王アルテ・リルージュの攻撃は始まっている。始まった。いや、──確認できるようになった。
7年間、自分の国を、土地を、家族を、資産を安定させることだけに費やした人間たち。
7年間、その暴力と智慧で完全統一した国を動かした個人。
その差は一体どれほどのものなのか。
シグルナにある不安はさらに大きくなる。
エルヴァリスによりかかるシグルナの鼓動は早くなった。恐怖に犯された心は勘違いをして、それを誤魔化す。正常になろうと努力する。
体は自然と温もりを求めて移動する。相手が美を体現するような存在であるならばなおさらだ。
吐き出す息が熱を帯びる。媚びるようにその手を這わせた。
「エル……」
「もう、駄目でしょ。人妻のくせに」
深く熱を感じようとする女を、エルヴァリスは優しく拒絶する。
もう、──できない。
“二人の仲は悪かった。そして、仲良くなり、また悪くなった”のだから。
残念そうに恥ずかしがるシグルナにエルヴァリスは優しく微笑んだ。
そして、あやすように彼女を抱きしめると、遠くを見る。
エルヴァリスの思考は、情熱は魔王へ向けられている。
初めて対峙したあの日。
まだ『ただのアルテ』だったあの子。
使役した赤黒の鎧騎士とともに純粋に闘争を求めていた貴方。
(何を想っているの、アルテ。貴方の戦い方はそうじゃなかったでしょ?)
お互い笑っていた。愛し合った。殺し合った。
あの戦場だけが、彼女達の生きる場所だった。
英雄と持て囃される殺人鬼は永遠に想う。
あの素晴らしき暴虐の君主を。
◆
なんだか落ち着くもんだな。このクソみたいな屋敷でも。
隣を見る。そこにはスリープモードの無機物が。
やめろって言ってるのにフィフは毎朝俺に肩の痛みを与えてくる。
「ふわあぁあぁ……」
特大の欠伸をかまして、寝間着から着替える。
上等な衣服を手に取ろうとして、──やっぱりやめてメイド服を手に取る。
リエーニの終わり。正確には一旦のお別れ。そのけじめがあと少しで行われる。
まあ、俺主催のお別れ会だ。何かを盛り上げるのは嫌いじゃない。
『元々』はそういうのがやりたかったことだし。
問題は山積みだ。まずはあのすぐヘラるヤンバトだ。
どう言ったもんかなあ……。俺がヘラりそう。俺からすれば会えないわけじゃないんだけど、アイツからすればなあ……。だる……。
服装を整え、鏡に向かう。そこには俺の嫌いな金色。
生まれただけでチヤホヤされるチートアイテム。くだらねえ。
──ああ、あの小娘を手酷く傷つければ、争いが発生する。良きかな。
これだけで皆がなんか臣下の礼を取る。まあ、だいたいがオヤジ案件だけど。
──武帝国か。内乱状態。それは素晴らしい。楽しみだ。
武帝国か。戦国状態の日本と考えるとそうとうヤバイところな気がするな。
なんか詳しそうだからフィフにいろいろ聞いてみるか。
──あの“剣”は良い。なんて禍々しく歪んだ力なのだろう。オレに相応しい。
本当にこの世界ってのは──。
──最高だ。
迫力のある“金色の瞳”が黒に変わる。安心する色だぜ。
久しぶりにメイド業やるか。体を動かしてコキコキと鳴らした。
ふと振り返る。そこにいるのは黒髪黒目のバカだけだ。
鏡ってやっぱ苦手だなあ……。──なんとなく、そう想った。




