31話 勇気と心
喉を潤す為の行動すら躊躇われるほどの静けさがその部屋には満ちていた。
『話し合う場』であるはずなのに、誰も言葉を発することはない。
その原因は明白だ。それは、王都より届けられた報せ。
『今回の事件に対する魔族側の謝罪と賠償を受けた』というもの。
ここはブレイブハート領オリジェンヌの議会の場。
その文字の羅列を見た時に皆が驚愕を浮かべ、同時に歯ぎしりをした。
“魔族の施しなど受けたくない”
それが人間の感情というものだった。
理屈はわかっている。だが、それだけでは流せぬものがあるのも道理だった。
ましてやここは英雄のお膝元。その件でいろいろな方面から苦情を受けることになった、現在の国の中で一番話題の場所である。
疲れ切ったブレイブハート家の家臣たちの目を見れば、それも理解できるというものだ。
(誰も、何も言わないのかしら)
屈強な男達と清廉な女達が机を囲む中、小さなシルエットが当主代行の隣にあった。
ブレイブハート家の三女であるヴィクトリア・ブレイブハートである。
ことの発端はある日のリエーニとのやり取りだった。
「お前んち今大変なんじゃないの? 大丈夫なん遊んでて」
「どうして?」
「えー?」
珍しく心配そうに声を掛けてきたリエーニは、ヴィクトリアの返しに複雑な顔をした。
「お姉さんなんでしょ? ここの代表。少し労ってあげたら?」
「お姉様には必要ないでしょう。精鋭騎士ですよ?」
「そういう体力的なやつじゃなくってさぁ……」
わからない、と首をかしげるヴィクトリアに対し、気まずそうにするリエーニ。
目の前の少女がなぜそんな罪悪感を感じているのかヴィクトリアにはわからなかった。
「正門の修繕とか、食料の配給とか、自分もやってるらしいじゃん?」
「そうだったのですか。知りませんでした」
「あ、そうなの?」
ヴィクトリアは何も遊んでいるわけではない。リエーニに会いに行けるのが休日というだけで、それ以外は全て習い事や『入学』に備えての準備をしている。
姉と仕事の話をすることもない。むしろ姉であるシグルナはそういう話題を避けているようだった。
「お姉様がそんなことを……」
「ちなみに今回の襲撃をどう思った?」
「どう、とは? 魔族を討ち取ったのでしょう? 素晴らしいことじゃありませんか?」
「……不謹慎な話題なんだけど、現場って見た?」
「見ました。だいぶ市民の血で汚れていて不快でしたわね」
「うーん……ナチュラル……」
「なんですの?」
ヴィクトリアが特別なわけではない。この国の貴族の反応としては一般的だった。
こだわるのは命を落とした市民の数ではなく、倒した魔族のことだ。
オリジェンヌ以外に住まう貴族達ならばもっと露骨に批判していただろう。
「このメスにそんな話題が理解できるはずがない。無駄」
「おいやめろや」
「っ!!」
そうやって絡んできたのは、リエーニの姉であるフィフだ。
明らかに侮蔑の笑みを浮かべてきたまま、こちらを見るその表情にヴィクトリアの心は乱される。
「お言葉ですわね? 何か文句でも?」
「何も。“目の前で起こることから何も案ずることができない雑魚”には、何も」
「リエーニッ!!」
「お、俺ぇ!?」
こうしたときに割りを食うのはリエーニだった。戦闘奴隷出身というだけあってフィフはかなり手強かったのである。リエーニとヴィクトリアの二人がかりでも軽くいなされるほどだ。
その日もすぐに剣でのじゃれあいが始まり、お開きとなった。
帰宅後、早速ヴィクトリアはシグルナに尋ねた。
「お姉様が復興活動の中心にいると聞きましたが、どうしてそんなことを? 他の者に任せてしまえばいいのではないでしょうか」
驚きながらも、シグルナは笑顔で返した。
「私が中心に立つことに意味があるのです。言ってしまうと善意ではありません。意味を多分に含んでいます」
「意味……ですか」
ついむかつくフィフの顔が浮かんだヴィクトリアは疑問符を浮かべる。
シグルナの動きには一体どんな意味が。それを思考する。
「クイズにしましょうか。まずは誰に対してのアピールでしょう?」
「誰……? 市民ですか?」
「残念ながら政治的には違います。それはアピールではなく、意識するのが当たり前のことですから」
唸るように考えるが、浮かんでこない。むかつく嘲笑が消えない。
「……オリジェンヌに住まう貴族達。そして、家臣たちです」
「え?」
貴族達は理解できたが、どうしてわざわざ主であるシグルナが家臣たちへアピールするのかは理解できなかった。
「どういうことですか?」
「こういった緊急事態の時に城に籠もる主を家臣は信用しません。些細な違いではあります。気にしない者、寧ろ引っ込んでいてくれと思う者もいるでしょう。
しかし、この積み重ねをけっして馬鹿にしてはいけません」
「わかりません。彼らはブレイブハートに仕える者です! それが当然のはずです!」
憤るヴィクトリアの頭をひと撫ですると、シグルナは深く息を吐いた。
「……まだ早いと思っていましたが、私の行動に疑問を持てるようになったのなら次の議会に出席してもいいでしょう。いずれ通る道ですから」
ヴィクトリアは『友人の影響で言っただけで意味はなかった』とは言えなかった。
少し誇らしげな姉の顔を見てしまったからだ。
──少しずるをした気がした。
「この申し入れは受け入れます」
姉であるシグルナの言葉で、今に帰って来る。
ヴィクトリアが隣を見ると、真剣なシグルナの顔が見えた。
それを聞いた家臣たちの反応は二分していた。
“仕方ないそうしよう”
“なぜそんなことを”
当たり前の話だが、今この瞬間に至るまでヴィクトリアは理解していなかった。
家臣たち全てが主の意見を肯定するわけではないと。
なぜか純粋に皆従うと思っていたのである。ひどい妄想だと自分が恥ずかしくなった。
もし姉のシグルナが復興作業を自ら率先していなかったら、どうなっていたか。
“シグルナは何もせず、魔族側の賠償を受け取って終わりにした。その金もいくらが使われずに懐に行くのか、知れたものではない”
極端な評価だが、そういう者も出てくるだろう。
理解を示す者もいる。しかし、0が1に、1が2になることを防ぐことは間違いではない。
ヴィクトリアは姿勢を正し、事の行く末を見守ろうと力を入れた。今回の議会では発言までは許可されていなかった。あくまで見て聞くだけだ。
そんな年の離れた妹の姿を優しく横目で見たシグルナは声を上げる。
「何か意見のある者はいますか?」
皆が視線を交わす、その先には家臣の中で力を持つ者。一人が立ち上がり言葉を発した。
「お言葉ですが、シグルナ様。魔族の施しなど受けては、逆に市民の顰蹙を買います。“ブレイブハートは魔族に屈した”と。そんな誹りを受けることを容認できません」
その女性のはっきりとした声が響く。
言葉はちゃんとしていたが、彼女の眼にはシグルナに対する非難の意志が宿っていた。
「それは、誰の顰蹙ですか? 誰からの誹りですか?」
「…………ッ!」
冷静にシグルナは封殺する。
「支援を受けるのは被災者だけです。彼らの立場のみを考えなさい。
無関係の者の意見に怯えるのが“ブレイブハート”なのですか? 容認なさい、その程度」
意見を上げた女性が座ると、別の男性が立ち上がる。
「しかし、魔族から助けられることを拒否する者もいることは事実。希望する者のみに賠償を行うというのはどうでしょうか?」
それはヴィクトリアも納得できる案だった。市民に選ばせてしまえば問題は無いはずだ。
「許しません。希望した者が、不当な扱いを他の市民から受ける可能性があります」
それは、冷たい言葉だった。一切の正の感情を無視した機械的な判断だった。
「魔族からの賠償はブレイブハートが受けます。それと同じ額のものを全て“ブレイブハートが”市民達へ提供します」
シグルナの意志は固いようだった。
これが他国からのものだったならば、皆すぐに納得しただろう。だが今回は魔族だ。
「およしください、シグルナ様! 王都の軟弱共の命令など無視してしまえばいい!」
さらに立ち上がったのは別の小柄な女性だった。
「文には魔王の使いが直接謝罪に来ると書いてあります! こんなもの受け入れられるはずがない! 条約違反です!」
「使いは人間です。言葉は間違えないように」
「はっ! 魔族がやりそうな手だ! 見た目だけに決まっているでしょう!?」
その女性は懇願するようにシグルナを見る。彼女の夫は魔族の操る魔物によって食い殺された。
「魔族側に出向かせ、謝罪させたという事実は大事です。世界中に魔族の非を宣言できます」
「人間領域と魔族領域の比率をご存知でしょう? 何が世界ですか」
また別の男が立ち上がる。
「何を……怯えてらっしゃるのです」
「…………」
その男が言うのは、シグルナの態度だった。
「復興支援などいりません。領内の貴族からの寄付もありました。災害が起きたときと何ら変わりません。わざわざ受ける価値はありません」
「いいえ。未だに安心できる寝床が無い市民もいます。あって困るものではありません」
その男の眼が変わった。シグルナを侮るようなものだった。
「やはり、シグルナ様はそうなのですかな?」
「そう……とはなんですか?」
「戦時中に魔王と相対したと聞いております。その時に、戦いもせず怯え、涙を流したと。挙句の果てには尿を漏らしたとか……?」
嘲笑が木霊した。
誰も否定しなかった。シグルナさえも。
「なにが、ブレイブハートですか。貴方はもはやブレイブハートでは──」
「それ以上は許しません」
「──おや」
男の声を遮ったのは、幼い声。家臣たちは今この時になってやっとその存在を意識した。
ヴィクトリア・ブレイブハートが立ち上がっていた。
期待と不安が入り混じった空気が醸し出される。
「なんですかな、ヴィクトリア様」
「それ以上は侮辱とみなします。我が名によって裁かれると思いなさい」
「おお、恐ろしいですな。私めは事実を申し上げました」
誰が見ても、ヴィクトリアは暴走していた。
止めようとしないシグルナを不思議そうに家臣たちは見つめる。
「事実ですか?」
「ええ。戦う意志を無くした愚か者に従いたくはありませんな」
相手が子供だと馬鹿にした態度で、男は語った。それがさらなる逆鱗に触れる。
「この場は、魔族からの賠償の件について語る場です。貴方の演説を聞かされるのは苦痛です」
「……なに?」
「ならば、その事実とやらに習いましょうか? ねえ、コントルネラ騎士爵、貴方は襲撃の後何をしていらしたのかしら?」
どこで覚えたのか、ヴィクトリアは皮肉たっぷりな言い方で男を挑発した。
「それは……」
「言ってみなさい。さあッ!! この場ですぐにッ!!」
この男は色街で遊んでいた。そして、しばらく現場にやってくることがなかった。
この街で発行されているゴシップ紙に書かれるほどの、公然の秘密だった。
「恥を知りなさいッ!! 今この場では民のことを考えて、発言なさい!」
「そんな当たり前のことを……」
「それをしていなかったのは誰ですかッ!?」
ここでヴィクトリアはその男だけではなく、先程声を上げた全員を見た。
「復興中の現場に行ったことがあるものならば、知っているでしょう? 我が姉が何を考えているのか。
恐怖からこの話を受けているわけではない、ということは理解できますね?」
“シグルナが復興の中心に立っていた事実”がここで効いていた。
「失礼いたしました。場を乱しました」
「いいえ──」
少し気まずそうに立つヴィクトリアを見守っていたシグルナはここで声を出した。
「──貴方の意見は? ヴィクトリア」
視線がそのまだ幼い子供に集中する。空気は期待の方が多くなっていた。
それをなんとなく感じ取ったのか、ヴィクトリアも緊張気味に口を開く。
「私は反対します。誇りを優先します。我がブレイブハートは魔族関係なく施しなど受けません。その意志は領民にも宿っていると信じています。お姉様、どうか断ってくださいッ!」
そこで姉とは真逆の意見を出すその胆力に、驚きを隠せない家臣たち。
一方シグルナは目を伏せ、答えた。
「私は心ではなく、生活を優先します」
「お姉様ッ!!」
「座りなさい、ヴィクトリア」
そして、静かに当主代行シグルナ・ブレイブハートは決定事項を告げた。
「謝罪と賠償を受けると正式に決定します。各自詳しいことは追って連絡します。解散」
その決定に不満を持つものが多かったが、明らかに溜飲は下がっていた。
ヴィクトリアというブレイブハートの一員が、反対派の意見も組み上げて真正面から姉に意見をしたことによる影響だ。
あと重要なのが、駆け足で帰っていった嫌われ者へガツンと言ってくれたからである。
皆が去った後、意図してではなかったが議論の中心にいた妹をシグルナは見る。
「あの……ごめんなさい、お姉様。つい我慢できなくて……」
怒るつもりなど無かったのにしょぼくれる妹を見て、シグルナは優しく笑う。
そして、罪悪感を抱く。
シグルナの身を縛るモノ、あの究極に対する怯えがあることは事実なのだから。
「次回からも参加しましょうか。学園でも学ぶことでしょうが、議論や意見のぶつかり合いは早い内に慣れてしまいましょう」
「いいんですか……? 私、お姉様に反対したのに」
不安そうになっているのはそれが原因のようだった。
優しくその頭を撫でると、シグルナはしっかりと教える。このブレイブハートの未来を継ぐ雛鳥に。
「気にしないで、ヴィア。それはあくまで意見の対立。好みの問題よ。当たり前なの」
「そう…なのですか?」
「そんなに怖かったのに、よくさっきは反対意見を言えたわね?」
「あ、その……なんか慣れていたので」
「そ、そうなの?」
どういう慣れ方をしたのだろうか。気になるシグルナだったが、久しぶりに妹と手をつなぎその場を後にする。
少し姉に認められた気がして、ヴィクトリアは微笑む。
でもどこか、心の中で不満だった。
あの男の破廉恥な話を知っていたのも、罵り合いに慣れていたのも──
──全部が、小さな友人のおかげだったからだ。
痛い。
ちくりと何かが胸に刺さった。いけない。それはいけないこと。
あの子は愛らしくて、強くて、尊敬できる子。
リエーニ。
その名前を意識する度に、いつもおかしくなる。
もはやヴィクトリアの一部だ。
あの夜に見た深い輝きは今も脳裏に焼き付いている。
唯一の同年代の女の子。身分は違うが親友だ。なんて素晴らしい。ああ、なんて狂おしい。
「どうしました、ヴィア?」
「お姉様、学園に連れて行く従者を私が選んでもいいですか?」
「どうぞ? 誰か決まっているのですか?」
「向こうの許可を得てからになりますが……」
「まさか……。まったく、そんなに気に入っているのですか? 確か名前は……」
「リエーニです」
これからも一緒にいたい。彼女もヴィクトリアを邪険にはしないはずだ。
甘いところがあるので、きっとついてきてくれる。
もはや、あの不思議な使用人はヴィクトリアにとって体の一部になっていた。
そうだとも、体の一部が欠けることなどあってはならない。
──ならないのだ。




