29話 ある愚か者の話
“ファビライヒという男は、冷たい男だ”。
そういう評価があることをファビライヒは知っている。
ルールに則った上で生きている。何も違反はしていない。ただ、そこに人情というものを介入させていないというだけだ。
自分の用意したものを買った者へ思うことは何も無い。金銭のやり取りが済んでしまえば、それで終わりだ。
売れるものを開発し、提供する。出せる者から金を搾り取る。当然だ。
彼が優先するのは、“目に見える評価”だ。それが偶々、財産を築くということだった。
増えていく資産の数字が、彼自身の幸福の尺度だ。
得た財産で何かを求めるというよりは、稼ぐという行為そのものに至福を感じる。
そういう人間性だった。
しかし、知った。──それがいかに愚かだったのかを。
『大戦争』。団結した人間の意思が起こした復讐。積もりに積もった怨嗟の捌け口。
“またいつもの争いか”、と最初はそう思った。
ファビウスの家系が経営する古い商会は常に『道具』を売ってきた。
それは石器、農具、剣、魔石。時代に合わせたものを常に提供することで、富を築いた。
「今回も儲かって良かったね」
そんな一言で終わるはずだった。だが、あの戦争は違った。
文字通り人間は一つになった。
『魔族を殺す』という絶対遵守の誓い。強迫観念に近かった。
『女神』が武器を提供し、『王達』が連携し、『強者』が勇ましく立ち向かった。
それこそ上手くできたおとぎ話のように。
消費を抑えぬ自滅的な作戦。勝つことを前提にした鼓舞。魔族の死を笑い合う親子。
間違いなく狂っていた。熱に浮かされていた。
人間領域にあった全てを擲ち行われた集団自殺に近かった。
ファビライヒの生家はあの大戦争で全てを失った。国をまたいで築いた財は、“人間の戦いの為”に消費された。世界の為にだという免罪符を掲げて。
戦争で燃えた村を立て直すために。
戦場で戦う兵士のために。
──戦時中でも尊きモノ達の生活を維持するため。
そうやって自分の生きた証を奪われた。
そうして、その時にファビライヒは自分の築いてきた価値の儚さを知った。いかにあやふやモノにこだわっていたのかと自覚した。
怯えた。ただの暴力に叶わない。自分に残った“数字の羅列”を見て愕然とした。
──狂気だった。
間違いなくあの時人間はこの世ならざる黒き意志に飲まれたのだ。
『このままではいけない』
そう何度も訴えた。
“お前たちは魔族を殺し尽くしたあと、どうするつもりなのか?”
“今度は自分達を殺し尽くすつもりなのか?”
返ってきた声はとても悲しくて──
『お前は自分の金がそんなに惜しいのか』
『人間のためになることをしろ』
『戦わぬ者が文句を言うな』
初めて、魔族以外の生き物に恐怖した。いや、同じだと思った。
希望はあった。
この国でただ一つ。
ただ一人、自分の話を最後まで聞き、否定しなかった男。
ただの馬鹿の証明だと思っていた『金色の輝き』が、尊敬すべき対象へと変わった瞬間を今でも覚えている。
だが、──その僅かな光も消えた。
一瞬だった。人間を惑わせる強大な意思が崩れた瞬間──
『やっとお前の言ってること聞いてもらえそうだよ、ファビライヒ! 任せとけ!』
そう言って敬愛した男は向こう側に行ってしまったまま帰ってこない。
あの無邪気な笑顔が今も脳裏にこびりついて離れない。
全てをファビライヒは失った。正しく絶望した。
『どうすればよかったのだ。何が足らなかったのだ。自分を受け入れてもらうためには何をすればよかったのだ』
力が足りなかった。いや、怠っていた。人間同士の繋がりというものを甘く見ていた。
知り合ったばかりの他人を信じる人間はいない。たとえ目の前に利益がぶら下げられていても。
だから力を探した。都合よく利用できる力を。──憎い上流階級の力を。
“誰でもよかった”。そう考えた過去の自分をファビライヒは嘲笑う。
『お互いにまやかしの力を欲しがっていたなんて、似た者同士ですのね、わたしたち』
“そう笑った女をお前は望んで選ぶのだぞ”──と。
◆
目の前の子供を見る。
その顔はかつて見た面影を残し、その色はファビライヒの願いを肯定した。
先日会った時は変身用の聖芸品でも使っていたのだろう。そうでもなければ、あそこまでの変化はできない。
ダルン・ヴォル・ルクレヴィスを見る。
知識も知見も足りない愚か者。ファビライヒにとっての王に助けを請われながらも裏切った情けない男。
それが、彼に対するファビライヒの評価だった。
しかし、彼の執念だけは理解できた。
王の残した光を求めて、ダルンはロルカニア王国の隅々まで調べ上げようとした。
そちらを任せて、ファビライヒは海外を巡った。この国以上に手がかりのない、虚無の旅路だった。
その道中で意味のない稼ぎを得て、いち早く力を取り戻すことができたが、ファビライヒの心には穴が空いたままだった。
一緒に旅をしていた妻が体調を崩し、その療養の為に帰国した。
待っていたのは更に生きにくくなった王国だった。これはなんとかしなくてはならないと、狭い領土の中だけでも復興を支援した。
その功績を認められたのか、フォノス家の当主の座を譲られて、今の地位にいる。
その事自体に文句はない。ファビライヒ自身も望んだことだ。
しかし、あれだけ望んだ権力にも虚しさを感じるだけだった。心のどこかに残ったつっかえが取れずにいた。
そんなとき、情報が入った。
“ダルン・ヴォル・ルクレヴィスが帰還した”
諦めたのか。最初は自分を棚に上げて怒りすら湧いた。
だが気付いた。
“アレがそんな男か?”
腹立たしいことに、ある種の信頼をその男に置いていた。
つまり、ダルンが戻る理由はそれ以外には無く、彼の帰還はファビライヒにとっても喜ばしいものだった。
そして湧いた感情は称賛だった。
『よくやった。さすがは彼が親友だと褒めた男だ』
そして抱いた感情は嫉妬だった。
『悔しい。どうして自分では無くお前なのか』
そして溢れた感情は激怒だった。
『何をやっている。自分だったらもっと別の方法を使うのに』
上位貴族達の動きを把握していたファビライヒは、ダルンの動きに焦りを感じていた。
彼が動いている内はできるだけ干渉しないようにしていたが、さらに事態が動いてしまった。
『魔族によるオリジェンヌの襲撃』である。
ダルンの懐刀であるカーティスがオリジェンヌに滞在していることはわかっていた。
ブレイブハートの守護する土地である。安全に置くならばそこだろうと推測していた。
その事件により、オリジェンヌは目立ってしまう。人の管理が厳しくなり、露見する恐れがあった。
そしてさらに起こったのが、カルクルール公爵家によるハットリュークの遺児を保護していたという報告である。
そうした事件が重なり、ファビライヒは動き出したのだ。たとえ独りよがりの一方的な忠誠心によるものだとしても、何もしないことに耐えられなかったのである。
そうして復興支援と称してオリジェンヌを訪れた。少し様子を探ることができればよかった。
『私はこの屋敷に仕える者です。本日はどのようなご要件でしょうか』
しかし偶然にも出会い、現れた子を見たときの衝撃は二度と忘れないだろう。
最初は、いくら誤魔化すためとはいえ、かの尊き血を継ぐ者に召使の格好をさせるなどあり得ないと思った。
十全な生活を与え、教養を与え、幸福を与えるべきであって、こんなことをやらせるべきではないと、心の中でダルンを批判した。
下の者の考えを学ばせるのは間違いではない。しかし、上の者は不遜なくらいでいいのだ。
我を通すことを覚えなければ、誰もついてこない。
そんな不安も少し話してみれば吹き飛んだ。
丁寧な言葉使い。身に入った上品な動作。まだ一桁とは思えない思慮深さ。
“本当にあの人の子供か?”
不遜にもそう思ってしまうほどだった。奥方の血が勝っているのだろうと少し落胆さえした。
しかし、戯れに提案した遊びをする姿を見てその考えを改めた。
歓喜した。報われた。感謝した。
体を動かすことが苦手だったファビライヒに、あの方も戯れに付き合ってくれた。
しかし、あの方はそうした遊びが苦手だった。
『お前ゲームしてる時は、かなりはしゃぐよな……』
『そうですか? それより次の手をどうぞ。いくらでも待ちますから』
『ぐえええええ……』
頭を抱えて唸る男の姿。すでに遠くなった風景だ。
しかし、使用人姿の子供、リエーニは違った。
僅か数分でルールを把握し、ゲーム上強い行動を理解し、すぐさま実行した。
ファビライヒが手を抜く必要がないくらいに成長した。始めたてでこの国有数の実力になっていた。
ファビライヒには子はいない。
しかし、そのとき自分に宿る感動は言い表せないものだった。
まことに失礼だが、尊敬するあの方は頭が良くなかった。
持っていたのは他人から好かれ、嫌われる才能だった。
“誰からも愛され、憎まれる”。──そんな能力を有していた。
それを引き継いだ子が、さらにはファビライヒを感心させるほどの知能を持っている。
そんな幸福をファビライヒは初めて知った。
だからこそ、つい試してしまった。
『──キミはお金とはなんなのかわかるかな?』
そこから重ねられた会話。そして、リエーニが最終的に下した持論は──
『結局、貨幣なんてまやかしです』
ファビライヒは何かに感謝したかった。女神以外ならばなんでもいい。
「…………」
金色の瞳がファビライヒを射抜く。
突然持ち込まれた対決、この決闘には実のところ意味がない。
初めからファビライヒは“リエーニを守るために”ここを訪れたのだから。
こんなこの国有数の力を持つ貴族に喧嘩を売れるはずがない。直接会うなんてことはしない。
それくらい理解しているかとも思った。
それがいつの間にか、お互い全力の勝負になっていた。
(いや、まいったな……。まさかボクがボクのゲームで──)
ファビライヒは小さな戦場を見下ろす。なんて荒々しい盤面だ。お互いが相手の喉に噛みつくかのような野蛮な戦い。これに付き合わされた時点で──。
どこでこんな戦法を思いついたのか。驚きを隠せない。
オリジェンヌで見た雰囲気とは結びつかない。人格が変わったのかと思ってしまうほどだ。
その猫かぶりの技術はきっと母方のものだろう。
「…………っ」
何かに気付いたように金色の瞳が揺れる。
──そうだ。そこだ。よくぞ気が付いた。気が付いてくださった。
致命的な一撃が打ち込まれる。
それは自分自身に敗北を与える一撃。勝者でなければいけないはずのファビライヒを下すもの。
しかし、今は、今だけは──
「参りました」
──とても、気分の良いものだった。
「っしゃああああああああッ!! おらぁッ!! どうじゃボケェ!!」
「まぐれ」
「どういうことだ?」
「勝ったのですか?」
はしゃぐその姿はいつかどこかの光景を思い出す。
こちらを煽るように快活にその子は笑う。
長身の使用人の女性に何かを言われ、それすらも鼻で笑う。ふてぶてしい態度。
なんとはしたない。威厳も何も無い。嫌われて当然だ。
ああ──。
つい溜息が溢れる。それは安堵。
近くで複雑な表情を浮かべる、尊敬し憎むダルンという男もこんな感覚を得たのだろうか。
“我が王よ。おかえりなさい。そして、良き眠りを──”
心に広がる青空に今だけは浸っていたかった。




