23話 “ごめんなさい”
人間領域、ロルカニア王国の王都。そこの住人達は、戦後の混乱からなんとか立ち直り、未来に多少の不安を抱きつつも前を向いて歩んでいた。
しかしその日、再び戦争中の恐怖と不安を思い返している。
“魔王の使いがやってくる”。
その報せは瞬く間に王都中に広まった。一般住人はその使いが何故やってくるのかを知らない。だからこそ不安なのである。
オリジェンヌが盗賊に襲われたことは知っていても、魔族に襲撃されたという事実は一部の貴族しか知らないのである。
もちろん噂は広まっている。だが、やっと戦争の傷を隠せるようになったこの時期に、また火種になってしまう状況から人々は目を逸らした。
魔王の使い。つまりは魔族がやってくる。直接見たことのない市民達は色々な憶測を言い合い、王都に暗い影を落としてしまっている。
それに対し、貴族や事情を知る者もまた慌てていることは確かだった。
『魔族の襲撃により、被害を被った。条約違反である。賠償を要求する』
こんな苦情を王国が送ったのは確かだが、対応されるとは思っていなかったのである。
人間の声など無視されるのは当たり前。人間が殺されるのは当たり前。
そんな当たり前が崩れたのである。
「やはり今の魔王は何かが違う」
「理性的だ」
「いや罠だ」
そんな声ばかりだ。
人間にとっての上位存在。理不尽な存在が人間の基準で対話しようとしている。
おかしなことに、抗議した人間側が混乱していたのである。
「フォノス伯爵、こちらです」
「おお、インダスト伯爵。貴方も来ておられましたか」
ファビライヒ・フォノス伯爵は周囲を見回す。そこは王都の宮殿。その議事堂だ。
「やっと領地が落ち着いて来ましてな。そちらはどうですか?」
「いろいろと国をまわりましたが、どこもまだまだです」
情報を交換する。いつもの貴族同士のやりとりだ。
「聞きましたかな? あの噂を。子だけ見つかったとか」
「おお、インダスト伯爵も知っていましたか」
「ルクレヴィス家の不良が戻ってきたらしいことから、確定かもしれませんな」
国王が座する玉座を中心に、大臣たちの席とその他大多数の議員が座る議席が並ぶ、この国が誇る施設である。
皆が落ち着きのない様子で準備をしており、無様を晒している。
「国境に現れたという話も聞きませんが、本当に魔王の使いは間に合うのでしょうか」
「さあ、どうでしょう。人間が約束を反故にされるのは伝統ですから」
隣に座る同じ派閥のインダスト伯爵とそう言葉を交わす。ファビライヒ自身はある程度冷静に今回の事件の行く末を見極めようとしている。
もし、魔族側が今回のオリジェンヌ襲撃に対し謝罪をするのであれば、それは歴史的な事件となる。
『人間側の快挙』と言ってもいいかもしれない。それほどまでに、魔族と話し合うなど今まで前例が無かったのだ。
ただ謝罪を要求をする。戦前の人間にはできなかったこと。
──同時に戦前の魔族にも。
「ふん! どうせ嘘に決まっている! 私は帰らせてもらいますぞ」
別の派閥の貴族のそんな声が聞こえてくる。その気持ちは十分理解できる。
『本日、正午にて』。そんな連絡が届けられたのは先週だ。その約束の時間になる直前だというのに、魔族側の姿は無い。
「静粛に」
議長を務める大貴族の一声で議会には静寂が満ちる。皆が起立し見るのは専用の入場口。
現れたのは国王『オスリクス・サルヴァリオン・リサンダー・サンクティス』。現在、この国を導く者だ。
彼が玉座に座ると皆改めて着席した。
(一応、国王は出席したという体裁は取るということか)
そうファビライヒは思考する。
国王の手前、その席に座る大臣達を見ながら。
権力を貪る『頭の良い、人でなし』。それが彼らに対するファビライヒの評価だった。
その時、──正午を知らせる鐘の音が響いた。議事堂に変化は見られない。
『魔族のいつもの戯言だったか』
そんな音の無い声が議事堂内に広がった時、変化が起こった。
突然の閃光。赤い光で構成された魔法陣。それが議事堂の入口に広がると、その中から何者かが現れる。
なんの特徴もない背格好。見慣れた形。唯一見慣れないのはソレの着ている服についてのみ。
赤と黒で構成された礼服のようなドレスは、異彩を放っている。
それを身に纏う魔王の使い。見慣れたものであるが故に、違和感があった。
「お初お目にかかります。ロルカニア王国の皆々様。そして、オスリクス・サルヴァリオン・リサンダー・サンクティス陛下──」
響く声は気色の悪いものでも、獣のような咆哮でもなかった。
「魔王アルテ・リルージュ様より今回の件で特使を仰せつかりました、『ミーナ』と申します」
それはなんの変哲もない女性の姿。女性の声。その顔を知っている者もいた。
「どうぞよろしくお願い致します」
あり得ないと誰もが思った。ソレは魔族側の存在であるはずだ。
しかしソレは──なんの変哲もない『人間の女性』だった。
どよめきが上がる。部外者がやってきてしまったのではないか、と考えてしまうほどの衝撃だったからだ。
「疑問に思われるかもしれませんが、わたしは皆様と同じ『人間』です。縁あって魔王陛下に仕えております」
こちらの反応を予想していたのだろう。ミーナと名乗った使いは再確認のように宣言した。
「あり得ぬ」
「操られているのか」
「魔族が化けているのだろう」
そんな声が上がる。
相手が人間であるというだけで、人間の秩序は乱れている。
ファビライヒはさっさと話を進めてしまいたいと思っていたが、これでは難しそうだ。
もし、魔族がやってきていても混乱したであろうことは容易に想像できる。それがたかが交渉相手が人間であったという事実だけでこうなるのだ。
やはり、人間は弱い。
おそらく、これは向こうの“気遣い”だろう。
「ミーナ……。まさか…撃線のミーナ…?」
隣からそんな声が聞こえた。見れば顔を真っ青にした友人の姿があった。
「ご存知なのですか? インダスト伯爵」
「いや、話したこともない相手ですが噂で聞いたことがあります。撃線の二つ名を持つネトス教の精鋭……。先の大戦で行方不明になっていたはずかと」
インダスト伯爵は大戦中は連合の兵站を担当し、様々な場所を転々としていた。その手の噂には詳しい。
「……その方が魔王の、使いですか」
「そのよう、ですな……」
それは人間に対する裏切り。
何を思うのか、議事堂でただ一人立つ彼女の表情は変わらない。
ファビライヒには彼女が操られているようにも思えなかった。その顔には自信と誇りがあったからだ。
そうだ、──彼女は自らの意思で動いている。教会の一員として戦っていた彼女に一体何があったのか。
見渡せば、ファビライヒのように彼女に興味を持つ貴族たちが見受けられた。同じように彼女の経歴を知る者達なのだろう。
彼女は特使として派遣されるほどのポジションを確立している魔族の内情を知る人間だ。その情報は喉から手が出るほど欲しいもの。
“彼女が人間であるということ”。
それはとても強力な意味を持っていた。
つまり、現魔王アルテは人間を魔族と同じように扱っている。
今までとは違い、人間が魔王と話し合えることを案に示していた。
ミーナを通じて、魔王と話し合えるかもしれない。
利益に飢える貴族達には垂涎の的だ。
(……これは、不味いね)
ファビライヒは言いようの無い不安に襲われる。
ミーナが現れる前に議事堂に満ちていたものとは違う。それは上から力で抑えられるかもしれないという、暴力的なものに対する怯えから来るものだった。
今感じるこれは、違う力によるものだ。言うならば調略、謀略。
ふざけるなと怒りすら湧いてくる。弱いからこそ洗練するその力を、暴力に打ち勝つための手段を、圧倒的な強者が行使しているのだ。
人間が団結してやっと反抗できた魔族達を殺害した個人が、絡める糸すら持っている。
それに魔王が切ってきたカードはミーナという人間の存在だけではない。
ミーナが現れた時に生じた現象。あれは転移魔法だ。
当然術者の姿は見えなかった。それがどれほどのことなのか今この瞬間気付いている者は少ない。ミーナへの衝撃が勝っていたからだ。
時間が経てばある程度の者ならば、思い至るだろう。
『どこからミーナは転移してきたのか?』
現在、転移魔法を使える者は限られている。人間の持つ切り札として扱われるほど貴重だ。しかし、彼らの扱う転移魔法の有効距離は、ゲートを設置できる場所まで、もしくは視認できる距離までだ。
この議事堂に転移魔法陣など設置されているはずがない。そんなことをすれば防衛能力が低下してしまうからだ。
だが、ミーナは転移魔法によって現れた。
術者はおそらく、──アルテ・リルージュ。
魔王の居城がある場所とこの国の距離は遠く、とても視認できる距離ではない。
(ボクは兵士として戦ったことは無いが、確かに…これは怖いね)
“その気になればいつでも王国に兵士を送ることができるぞ”。それも魔王からのメッセージだ。
魔王アルテ・リルージュは確かに今までの魔族とは違うようだった。
「そろそろよろしいでしょうか? わたし個人に対する質問はまたの機会ということで」
ミーナが仕切るように声を上げる。その視線は議会の中心である国王へ向けられていた。
そして、跪いて礼を取った。
「我が魔王領は、先日の魔族『虚透腕ディアピール』がこちらのブレイブハート領オリジェンヌを襲撃した件について、正式な謝罪を致します」
最早、悲鳴や歓喜にも似た声が上がった。
魔族が人間に謝罪をしたのである。
大偉業だ。人間の勝利だ。──本気でそう考えている馬鹿が多そうだという事実にファビライヒは頭が痛くなる。
あの特使は礼を取っている。だが、それだけだ。
「こちらとしても問題なく、その謝罪を受け入れよう」
落ち着いた様子で国王オスリクスは返事をする。
周囲の馬鹿どもと違い、国王や大臣たちは冷静だった。腐りきった欲深い者ばかりだが、けっして不出来な連中ではない。
この国がギリギリ踏みとどまっているのは、皮肉にも権力にしがみつく腐敗の優秀さ故だった。
「ブレイブハート卿はよく我慢していますな」
「どうでしょう。腸は煮えくり返っているかもしれません」
インダスト伯爵とぼそっとそんな会話を交わす。
オリジェンヌは軍務大臣であるブレイブハート侯爵の領地である。しかも、ブレイブハート家は反魔族筆頭の過激派だ。
本人を見れば、瞬き一つせずミーナを睨んでいた。
「さて、ミーナ殿。此度の件、まさか形だけの謝罪で済ませるおつもりですかな?」
緊張が走る。
そんな声を上げたのは、政務大臣『フィンナ・カルクルール公爵』だ。実質的に今このロルカニアを支配している大貴族である。
女王がお隠れになった後、国王の実権獲得に貢献した人物。しかし、オスリクス王が手に入れたものはその冷えた玉座だけだった。
“自己保身の怪物”。ファビライヒはそのように彼女を評価している。
(魔族側が相手であってもあの態度は変わらずか。逆に尊敬してしまうな)
「もちろんそんなはずはございません。我が王はオリジェンヌへの復興支援と遺族、怪我人への賠償を望んでおります」
「ほう。それは大変ありがたい。なにぶん我が国はまだまだ苦しい状況でしてな。余裕があるのならば是非お願いしたい」
「惜しみなく」
「よろしいですな? ブレイブハート卿」
「──ああ、まったく有難い事だ」
カルクルール公爵に話を振られたブレイブハート侯爵は含みのある言い方で返した。
「よろしければ被害者の方々への直接謝罪もお許し願えないでしょうか?」
「おお! 直接?! ああ、それは素晴らしい。魔王陛下御本人は難しいのですかな?」
さらなる緊張が議事堂に充満する。相手をしているのは大臣達なのに周りの貴族達が冷や汗をかいている。
「申し訳ありません。我が王は領内の面倒事を片付けている最中ですので。代わりにわたしが誠心誠意務めさせていただきます」
「面倒事? 偉大な魔王ともあろう方が一体何を?」
ここまでのやり取りは全て政務大臣が行っている。国王は言葉を発することはない。
これが現状だった。
カルクルール公爵からの問い掛けを聞いて、ミーナは跪いていた体勢から立ち上がった。
その表情には罪悪感なんてものは無く、むしろ攻撃を仕掛けようとしている狩人のような獰猛さが宿っていた。
「──我が領内に蔓延る人間達への対応です」
緊張は凍えるような静寂へと変わった。
「……そうですか。それは大変そうですな」
そんな中しっかりと返事をするカルクルール公爵に、大したものだとファビライヒは尊敬の念を抱く。本当に外道のくせに胆力がある。
「人間の皆様の御存知の通り、6、いえもう7年前になりますか。我が領と人間連合の間には休戦条約が結ばれました」
議事堂全てを見回すようにミーナは語る。事実の確認だ。
「強制だった」
「勝手な選択だった」
そんな野次が飛ぶが、それらをミーナは無視した。大臣達は静かに次の言葉を待っている。
「その内容の一つに、魔族は人間領域内へ侵入してはならないというものがあります。今回我々が違反した部分ですね」
今回人間であるミーナがやってきたのは、魔王自身はその条約を守るつもりがあるという意志表示もあったのだろう。
「そしてそれに対して我が王が要求したものが、──『条約締結から1年以降、魔王領への人間の進入禁止』です」
「事実ですな。それを語ってどうしようと?」
「ああ、ルクレヴィス卿。やっと話していただけました。あの場に貴方様もおられたと聞き及んでいます」
ここまで黙っていたルクレヴィス公爵が口を開いた。彼は外務大臣を担っており、戦中は連合軍の中枢にいた。有名なアルテが現れた“首踊り事件”の真っ只中にもいたのである。
「条約締結から1年が過ぎるまでに我が領から人間連合軍は撤退していただきました。当たり前ですよね? 領土維持をしたままの休戦なのですから。お互いに過剰な干渉は今後控えていこうと、議論の末導き出したものだったと」
「だからそれがなんだというのだ!」
「力で無理矢理追い出しただけだろう!」
当然だが、人間は魔族を嫌悪している。いくらミーナが人間だとしても、魔族の味方である彼女へのアタリは強くなる。
だが、それに一切怯むこと無く彼女は次の言葉を放った。
「しかし、おかしなことにそれ以降も沢山の人間が我が領内で見受けられているのですよ。述べ千人以上。その中でここ、ロルカニア出身の方は現在257名。──皆様、優しくもてなしております」
野次が止んだ。
ミーナは再びあからさまな礼を取る。
「“拉致”? “虚言”? 有り得ません。現在、我が領内は人間食を禁じており、破った者には魔王陛下直々の『死』が与えられることになっています。今回我が領から侵入した愚か者は1件。……貴国から来られた方は257件。どなたも相当訓練を受けていらっしゃいました」
大臣達の表情が変わった。
(さすがに密偵は送っていたのか。だけど、裏目に出たかな。さてどうするか)
流れが読めてきたファビライヒは一人思考する。
ミーナ、いや魔王はこう言っているのだ。
『1回の条約違反でこちらはこのように対応する。257回違反したそちらは何をしてくれるのか?』と。
「そのようなことが。しかし、我が国の民であるとは思えませんな。休戦後、全て帰国しております」
外務大臣ルクレヴィス公爵がそう返す。不利だと悟ったのかカルクルール公爵はやり取りを彼に任せたようだ。
(そう返すしか無いか……)
「おや? そうなのでしょうか? 話す言語も、採取した遺伝情報も、読み取った記憶もこの国出身であることを示しているのですが」
「遺伝…?」
「記憶を読み取る…?」
「でたらめだ」
知らない単語とあり得ない言動に場が困惑する。
人間領域において知られることの無い技術の話だったからだ。
「おっしゃる意味が理解できません。事実無根です」
大臣の表情は厳しいものになっている。魔族の技術は人間を超えることは事実だ。対抗できるのは教会くらいだろう。未知の技術の話をされていることが理解できても、それが具体的にどういうことなのか完全には理解できないのだ。
「そうですか。ならばこちらの勘違いなのでしょうね」
今この瞬間257人の国民の運命は決まった。ファビライヒはその決定を責めない。自分が同じ立場でもそうしたからだ。
しかし、先日対局した『あの子供』ならば違うのだろうな、と考えた。
「では話を戻しまして、賠償についてです。お恥ずかしながら我が領は貨幣制度を導入していないため、物によるものとなります」
なんてことのないように魔王の使いは話を続けた。
「その運搬、もしくは換金のため、一時的に入国の許可を再び頂きたいのです」
「先程、貴方が現れた方法ではできないのでしょうか?」
「申し訳ありません。あの転移魔法は一歩通行で、一度に大量の物体を運ぶのには向かないのです」
十中八九嘘だろう。ファビライヒはそう判断した。
「境界線からこの国まで陸路を使うと2,3カ国経由しますが、我らは空輸が可能です。それに他国と何か問題が生じるようでしたらわたしの方で対応致します」
「……人間領域内に魔族を入れることはできませんな」
「ご心配なく。魔族には一切この地の土を踏ませません。たった今257名の人間の部下ができましたので、彼らに運ばせます」
「…………」
「奴隷扱いか!!」
「捕虜は返却するべきだ!」
阿呆共の鳴き声が響く。
ファビライヒは感心していた。ミーナ自身の能力なのか、または魔王の聡明さによるものなのか。
これがアルテ・リルージュの戦い方なのだろう。
「端的に伺おう。よろしいかな?」
「はい」
明らかにテンションを落としたカルクルール公爵が口を開き、つまらなそうにミーナへ問い掛けた。
「貴国の望みは何かね?」
違反に対して謝罪をしたいなどと、それが茶番であると考えるのは当然であった。愚かな議員達以外はの話であるが。
「──『交易』です」
人間と魔族。大戦争から7年。新しい魔王と崩壊した人間同士の団結。
時代は移り変わろうとしていた。




