20話 統界始動 Tyrant Genesis
そこには嵐が常に吹き荒れている。空間の魔素が低下したときに起こる異常現象による天候不順。暴風と雷鳴が木霊するその場所を歩けるのは選ばれた生物だけだろう。
そんな場所に鎮座している巨大な建築物があった。それは王城。こだわりを持って作られたであろうその城は、ひどい有様だ。
階段は欠け、城壁や塔の一部は崩壊し、天井のない部屋があった。
巨大な戦闘の跡。しかし、それを誰も修復しようとはしていない。何故ならそれが魔王の意思だったからだ。
ここは魔族達の王が住まう場所。かつては、魔王と大魔族たちが暮らす絢爛豪華な目指すべき頂きであった。
「以上がここ十日に起こったことの報告です」
崩壊した天井と壁がある大広間にてそんな声が響く。壇上に立つのはその声の主である“人間の女性”だった。
それに向かい合うようにして跪くのは、定期報告の為集められた魔王領の魔族達だ。魔王領、即ち人間達が今陣取っている土地以外全てだ。
跪きながらも一部の魔族は、侮った視線を壇上に立つ女性に送る。戦争中に人間を裏切り魔王に媚を売った者だと信用していない。
そんな存在が場を取り仕切ることに我慢がならないのだ。
「ありがとう」
しかし、そんな空気が一瞬で消失する。
大広間の最奥に位置する玉座。正確に言えばその名残がかろうじてある椅子に座る存在がいた。
二本の角を冠とし、黒い翼を腰に巻いた上品な佇まい。鋭利な尾が玉座から垂れ、その足はきちんと揃えられている。
赤い瞳、縦に裂けた瞳孔。その表情には笑顔があった。
玉座の傍らには赤黒い首無しの騎士甲冑が置いてあり、その騎士の兜を大事そうに抱いている。
この世界の支配者たるその存在こそ、『地覇女帝アルテ・リルージュ』。上位者だ。
「皆何か言いたいことはあるかしら?」
兜を撫でながらアルテがそう問い掛けたのは跪く魔族達にではない。その崩落した玉座の近くに設置された幹部用の席に座る者達へ、である。
「アルテ様、人間達の街へ攻撃を仕掛けた者がいたと言っていたけど、それはいけないことなんじゃないの?」
そう言うのは幹部席に座る子供だった。魔族の性処理用に作られた魔物である。そんな下劣な存在を栄えある幹部に置く魔王を軽蔑する声も多くなっていた。
「そうね。それはとても良くないことだと思うわ。ミーナ、さっきの報告を詳しくお願いしてもいいかしら?」
ミーナと呼ばれた人間の女性は再び件の報告を読み上げる。
「二日前、ロルカニア王国ブレイブハート領オリジェンヌにて、虚透腕ディアピールが襲撃を実行。魔法を使用し、街の外壁と正門を破壊。ディアピールは街の騎士によって討たれ、現在の報告では人間側の死者は五十六人、怪我人は三百を超えるかと」
それは、先日行われた魔族の暴走の事件についてだった。
跪く魔族達はそれに対してなんの感情も湧かない。人間が死ぬのは当たり前のことで、魔族が人間を襲うのは当たり前だったからだ。
「今、私は人間の国々と“お互い争うのは一旦辞めましょう”という契約をしているの」
手に持つ兜だけを見つめながら、優しい口調でアルテは語る。魔族達にも簡単に伝わるように。
「こんなことをされると私は約束を破ったことになってしまうの。困ってしまうわ」
代表として休戦条約を勝手に結んだと認識している魔族達は、その態度に苛立ちを覚える。辞める必要などなかった。あのまま人間など潰してしまえばよかったのだ。
「グラード、サンゼルクフルタ、メンドルウス。出てきてくれるかしら?」
緊張が走る。名指しで呼び出された魔族達は終戦後も人間にちょっかいをかけていた者達だ。領域境界線での戦闘は彼らが指示をしている。
進み出た三名は不機嫌な表情を隠そうともしていない。
「何をしているのです? アルテ様に跪きなさい」
ミーナが注意をするが、一向に従う様子はない。
「黙れ人間風情が」
グラードがそう激情を放つ。彼にとって人間は領土を荒らした害獣だった。
並んだ三名はどれも巨体で、ただの人間が千人いても勝てない存在だ。
「もう一度言います──」
「大丈夫よミーナ。振る舞いは個人の自由なのですから」
ミーナを遮り、その態度を許すアルテ。それがまた三名の神経を逆撫でする。
「じゃあ聞かせて頂戴。どうして私に約束を破らせようとしているのかしら」
絶対の存在が優しく問う。“この存在が何をしたか”を知る魔族達は目を伏せるだけだ。
しかし、前へ出た三名は屈さなかった。
「王よ、何故人間を放っておくのか? 約束など守る必要がない!!」
「そうだとも! 奴らなど恐れてどうする!」
「このままでは人間に再建する時間を与えるだけです!」
三名それぞれが主張する。玉座の間にいる魔族の殆どはそれに同調した。心の中で。
「そう。教えてくれてありがとう」
彼らと一切目を合わせないアルテは優しく受け止めた。
「でも、私はやめてほしいのだけど。言っていることがわかるかしら?」
まただ。またアルテは幼子に語るように、諭すように話す。それがプライドの高い魔族に対する侮辱になっていると気付いていないのだろうか。
「何を言う!! そんなことでは人間はつけ上がるだけだ!!」
「そうだとも!!」
「王よ…どうか、私めの考えをお聞き頂きたい。人間は危険なのです」
ここで兜を撫でる手を止め、アルテが初めて三名を見た。正確にはメンドルウスを。
「どうぞ、メンドルウス。話してくれるかしら?」
「は、はい……」
沈黙が支配した。アルテに見られながら語るということは、死刑執行前の雰囲気に等しい。ここで機嫌を損ねれば、かつていた大魔族たちのように殺される。
今ここにいる魔族達はたまたま生き残っただけの集団だ。強き者達は大反逆のとき、勇ましく人間と戦い散っていった。
大魔族以下の存在にはアルテに立ち向かうという選択肢すら無かった。
実のところ、メンドルウスはただ死ぬのが怖かっただけだ。彼の支配する領域は人間の領域と接している。正しい境界線の制定されていない危険地帯なのだ。
だから、次に大反逆が起こった場合に真っ先に死ぬのは彼だった。そんな予感がメンドルウスにはあった。彼はここにいる誰よりも弱い。人間の上澄みに一捻りで殺されるだろう。
「人間にはまだ戦力が残っております。『破壊剣エルヴァリス』です」
破壊剣エルヴァリス。魔族からはそう認識されている人間の英雄である。その名を聞いたいくらかの魔族が顔をしかめる。彼女に尊敬する主を殺された者も多い。
「現に境界線での争いは全てヤツ一人に抑えられています。このままでは戦力を回復した人間がまたヤツを旗印に攻めてきます!」
それは妥当な分析だと魔族達は思った。人間は入れ替わりが激しい分、技術の発展と、増加スピードが早い。
「王の誓いを穢したのは私の失態です。部下が暴走を……。しかし、それこそ部下が激情するだけの戦力があそこにあったということ! 人間を徹底的に潰しましょう!」
メンドルウスは感極まって、顔を伏せ跪いた。合わせて横のニ名も跪いた。
この場の魔族のほとんどが共感していた。
「うん。ありがとう。貴方なりに考えてのことだというのはわかったわ」
全て黙って聞いていたアルテは再び視線を兜に落とした。
「でも、約束を破るのはいけないことなの」
「……っ!」
彼らの考えを聞いてもアルテに揺らぎは無かった。
「あのね? 人間を侮らない貴方は素晴らしいと思うわ。でも、よく考えてほしいと思うの」
「……なにを?」
熟考しながら聞き返してしまう。メンドルウスには思い当たるものが無かった。
「『ネトス教』も『武帝』も『シーハルン』も潰したんだもの。大連合の再結成はあり得ない」
「ッ!!」
それは事実上の宣言だった。誰もがなんとなく思っていた。人間連合の崩壊はもしかしたら、アルテがなにかしたからなのではないかと。
その時、メンドルウスは確信した。この王は“暴力”だけの王ではないのだと。
「貴方達、まだなのかしら?」
ここでふとアルテは三名に問い掛けた。意味がわからず、お互いを見合う。
「“ごめんなさい”でしょ? 悪いことをしたのだから。私、まだ聞いていないわ」
また優しく叱るようにアルテは語りかけた。
「も、申し訳ありませ」
「ふざけるなあああああッ!!」
「貴様ッ!!」
「や、やめたまえ君達!」
頭垂れようとしたメンドルウス以外の二人は激昂した。
「メンドルウス!! 腑抜けるな! コイツは我らを馬鹿にしている!!」
「落ち着け! ここで逆らってなんになる!!」
「グラード、サンゼルクフルタ、“ごめんなさい”をしてくれないの?」
「するものかッ!!」
「侮辱するな!! 日和った王などいらぬ!!」
メンドルウスは恐怖で硬直する。何が起こるか明白だったからだ。
「そう、残念だわ。二人は下がりなさい」
困惑が場を支配した。皆、惨劇を想像していたからだ。
「……?」
困惑したのは暴れるニ名も同じだった。このまま気に入らぬ者に従うくらいなら、死のうと思っていたのだ。
この王は無礼を許した。それでは、この力が全ての世界で支配力が低下してしまう。
(いや……そうか)
だが、メンドルウスは理解した。王は興味がないのだ。
(我らの言などただの囀り。このお方の耳には区別などついていない……)
見上げた王はただその手にある兜を見るだけ。なんの執着があるのだろうか。それは誰にもわからない。
「メンドルウス。貴方は今から幹部ね。頑張ってくれると嬉しいわ」
「は……。は!?」
突然の王の宣言に目を剥く。
「何をしているのです。こちらに座りなさい」
ミーナが席を示すが、メンドルウスは固まったままだ。
「し、しかし…」
「貴方が早く行動しないと皆疲れてしまうわ。ずっと跪いて、可愛そうだと思わないかしら?」
そう思うことが屈辱なのだと魔族達は考えるが、口に出すことはない。
困惑しながらもメンドルウスは着席する。隣に座る蟲人型の幹部が顎を鳴らした。
「今回の件で、人間側から多数の苦情が届いています。謝罪と補償も求められています。そして、その交渉の為、使節団を派遣することになりました」
『決定事項』をミーナは語る。
「まずは境界線に隣接する三国には先程の三名を派遣する予定でしたが、この有り様では話し合いなど不可能。よって代理の者を派遣します」
「…………」
メンドルウスの毛穴からは汗が吹き出した。どこまでが、茶番だったのか。
「オフィーティトナ、モードス、プラツム」
幹部席の三名が立ち上がり礼を取った。
ほとんどがアルテが地方でただの指揮官だったときからの忠臣だ。
「そして、ロルカニア王国には私、ミーナが」
そして、ミーナが礼を取る。
「ふざけるなあああああッ!! 何を──」
それに激昂したグラードが立ち上がり、──その瞬間に絶命した。
「うおあああああああああッ!! ッ!?──」
ソレを見て恐怖したサンゼルクフルタが逃亡を図ったが、そのまま倒れて動かなくなった。
メンドルウスの呼吸が荒くなる。しかし、なんともなかった。
(わ、私は……?)
「交渉の為、今、突然亡くなったニ名の領土は、引き継ぎが決まるまで幹部直轄とする」
無情な宣告が大広間に響いた。誰も口が挟めるはずがない。
メンドルウスはつい玉座を見てしまう。
「──」
何も見ていない。
血と破壊の化身。超越者。
ソレが見つめるのは兜の空洞、──それだけだった。
◆
オリジェンヌ正門での大きな出来事が広まり、中心街でも人々のざわつきが増えていた。
目撃者がやってきて事情を説明しているようだ。だが、そのどれもが要領を得ない。
そんな騒ぎの中でも静けさを保つ所があった。
ネトス教第一の口。オリジェンヌ教会である。
その静寂の中に響く、息遣いがあった。なんとか街の中に入った盗賊の男達だ。
彼らは“女神の加護を受けた戦士”だ。ならば、この教会は味方だ。そう思いやってきたが、彼らを迎えたのは無惨な聖堂と壊れた女神像だった。
「おい…これからどうするんだよ」
「知るかよ……。どうして加護が無くなったんだッ!」
次々に男達は愚痴を言う。さらには、女神像を叩いた。
「クソッ! 誰もいやしねえじゃねえか!!」
「お呼びですか?」
「!?」
少女の声が響いた。いつからそこにいたのか、聖堂の奥に成人にも達していない巫女服の少女が佇んでいた。
その手にはブラシとバケツが握られ、これから掃除をするような雰囲気だった。
「な、なんだよいたのかよ」
「お前ここのシスターか?」
「ここに住んでいます」
「おお! なら助けてくれ!!」
「頼む匿ってくれ! 俺達は女神の加護を授かった戦士だ!!」
前へ乗り出し、男達は主張する。自分達は女神の加護を受け、この腐った社会を打倒するために戦っているのだと。
「“女神”が? 貴方達を?」
少女の反応は淡白なものだった。女神という単語を出されても動じることはない。
もし男達の発言を他の信者が聞けば、激怒するか、羨ましがるだろう。
「おうよ」
「すごい力を貰ったんだ!」
「俺達に惚れちまったんだよ!」
「ぎゃははははは!」
何故か授かっただけの力を自慢する男達は、調子に乗っているようだ。
女神像の胸部をいやらしく触るものもいた。
「すいませんが、それは勘違いですね」
「……は?」
一気に空気が冷たく変わる。
男達にとって、少女が敵に変わる瞬間だった。
「貴方達のどこにその“加護”とやらがあるのですか?」
「突然無くなっちまったんだよ!」
「おい、舐めてんじゃねえぞガキ。同じ女神に仕える者としてこっちは優しくしてやってんだぞ?」
なおも涼しい表情を崩さない少女に違和感を抱けるような殊勝な者がいるはずもない。
「私が…“女神に仕える”……? ふふふ……」
くすくすと何がおかしいのか少女は笑う。
理由のわからないその行動が男達を苛立たせ、ついに一人が殴りかかろうとする。
「────ゥ!?」
響いたのは何かを弾いたような音。少しの火の匂い。そして、倒れる小さな穴の空いた男。
「馬鹿らしくてつい笑ってしまいました。私が女神に…っ」
まだ笑い転げる少女の手には、変な形の武器が握られていた。筒状の先端からは少しの煙が出ている。
それは、この世界の人間が聖芸品と呼ぶもの。
そしてもし、リエーニが見ればこう言うだろう。
『リボルバー!? かっけえ! くれ!!』
「何をしやがったテメェ!!」
「な、なんだっ!?」
細く赤い線が男達に向かって伸びる。それは正確に男達の急所の位置に。
「わざわざ話を聞かなくてよかったですね。最近、印象的な出会いがあったので、少し緩んでいました」
腕を下ろした少女の瞳が怪しく光った。
「やめ────」
破裂音と何かを叩きつけるような音が高速で響き渡った。
聖堂内の天井からいつのまにか飛び出していた筒状の黒い物体からいくつもの光が放たれ、男達が挽き肉になっていく。
再び訪れる静寂。そこには飛び散った肉片と血溜まりだけが残っていた。
──ぐちゃり、と。少女は持ってきていたブラシで掃除を始めた。
肉片を集めバケツへ。血は丁寧に擦って洗い流さなくては。
「動くのね……アルテ」
怒りと悲しみと後悔が混ざりあった表情を少女は浮かべる。
描かれた過去はこれから紡がれる未来を決定づける。
それはどうしようもないこと。
力が抜けたように少女は倒れ、仰向けになった。臓物と血の上に寝転がりながら、涙を流す。
その姿は外見相応で、血塗れの少女が奏でる音は淋しさに満ちていた。
それを眺める女神像は何も言わない。言うはずがない。
──そもそも女神なんてものはいないのだから。




