101話 贋作への断罪
学園都市の中心で起きた崩落は、反王軍の仕業である。
それはある目標を確保するために行われたことであった。
「先生……! そんな……こんなことって……」
反王軍が掘り進めていた洞窟に落下したミゼリアは無事だった。
上を見上げると、地上の光はかなり遠くに見える。おそらく彼女一人ではどうしようもないだろう。
そして下を見ると、ミゼリアを庇い大怪我をしたトーリアの姿があった。
胸を撃ち抜かれても、トーリアは落下するミゼリアを守りきったのだ。
骨を折ることもなかったミゼリアに比べて、トーリアの体はかなりボロボロだった。
地下に広がる坑道のような道の一つに彼女は仰向けに倒れている。
もう動くことも困難な様子だった。
「無事ですか……?」
ミゼリアを心配する言葉をトーリアは吐いた。
いじられた人間の身体であるはずなのにトーリアの傷口からは赤い血が流れている。
当たり前の話だ。彼女は人間だ。あらかじめ設定を組まれただけの普通の人間だ。
ミゼリアは鉄臭い死の香りを感じながら、トーリアの手を握った。
「はい! はい……!」
「それなら……よかった……」
そしてミゼリアが感じるのはその手の失われていく熱の感覚だ。
ミゼリアを見るトーリアの瞳には光がなく、その表情からは生気が抜けていった。
「──因果なものです、ね……。討ち続けている以上、いつかは討たれるとは思っていましたが……」
「…………」
重そうな瞼を必死に持ち上げるトーリアを見て、ミゼリアは涙を我慢できなかった。
ちゃんと会話したのは今日が初めてなのに、絆を感じた。
王族、さらには王や王妃よりも繋がりを感じたのだ。
不思議な感覚だった。家族を知らぬミゼリアには理解できない感覚だった。
それは親愛と呼ばれる無償の愛。相手が存在することに感謝する心。
やっと知ったそれをミゼリアは失おうとしていた。
「──貴方に、はもう、教え、ました……。道は、常にあ、なたの目の前に、あ、る……」
やがて、トーリアは呼吸機能を失った。
彼女はミゼリアに握られていない方の手で、自分の首飾りの紐を引きちぎった。
そして、その首飾りをミゼリアに渡した。
「……私に?」
瞼を閉じたトーリアはそんな声を聞いて頷いた。
その首飾りの女神のシンボルにはトーリアの血がかかっている。
それはひどく穢れて見えるものだが、ミゼリアは気にせずに受け取った。
むしろその血が手につこうとも構わなかった。
それは継承だった。
血によるものでも、伝統によるものでもない。
──“純粋な教え”だった。
「……────」
「……ッ!!」
最期まで導きを忘れなかった『教師』がその血塗られた生涯に幕を下ろした。
その寝顔は安らかなものだった。
たとえ他者にもたらされた死だとしても、トーリアは受け入れたのだ。
戦士として作られた人形が、その設定から逸脱した人生を得た。
それは悲しくも誇りのある物語だ。
「……ありがとうございました」
ミゼリアは涙を飲みながら、礼を述べた。
悲しみよりも感謝を優先した。
ミゼリアの手を握るトーリアの手が落ちていく。
それを支えながらミゼリアは彼女の手をその胸に置いた。
ミゼリアの生き方は偽りに満ちたものだ。
しかし、虚飾もまた過ぎれば真実となる。
そんな人生をミゼリアは歩もうとしていた。
地上からわずかに差し込む光がその場を照らしていた。
その静かな葬送は、小さな祝福に満ちていた。
感激の渦に飲み込まれるはずの場面だ。
もしこれがただの演劇であれば、あのミゼリアの愛する人が作り上げた物語のように、姫が白騎士を見送るシーンが展開されていくのだろう。
──しかし、ここは現実だ。
「お、生きてんじゃん」
「な? 言ったべ?」
「……ッ!?」
暗い坑道を歩いてこちらに向かってくるのは、二人組の男だった。
「えー、あそこから落下して無傷ってやば」
「んー? そこの女が庇ったんじゃねえの?」
「あーなるほど。すご! 健気でかわいそー……うわ死んでんじゃん」
軽薄なその男たちは態度のわりに、その歩きに音は無かった。
おそらくずっと地下に潜んでいた反王軍の別働隊だ。
この崩落を起こした魔法使いであると予想できる。
「……!」
ミゼリアはすぐさま逃げようとするが、その手足には土の枷がかけられた。
バランスを崩し、そのまま固い地面に倒れてしまう。
なんとか魔法を使って攻撃するが、男たちにはまったく効いていなかった。
戦い慣れた魔法使いのようだった。
「いや、無理っしょ。無駄なことやめなー?」
「つーかよわくね? さすがぬくぬく王女様」
嘲笑を崩さずに男たちはミゼリアに近づき、彼女の髪の毛を無遠慮に掴み持ち上げた。
そして、冷たい表情でミゼリアの顔を見つめる。
「う……!」
「キンパツとキンメー。さーすがに本物っしょ」
「うーし。仕事終わり!」
「あい、おつかれい」
男の一人が台車のようなものを作り、そこにミゼリアは無理矢理乗せられた。
トロッコのようにその台車は男たちの後ろをついていく。
「アンタたち! 今すぐこんなことはやめなさい! 死ぬだけよ!」
なんとか時間を稼ごうとミゼリアは大声を出して、身動ぎするが無駄だった。
「は? うっさ」
男の一人が魔法を使うとミゼリアの口は土によって塞がれた。
もう一人は笑うだけだった。
「いやしかしさすが王族。めっちゃかわいーね」
「ガキには興味ねー」
「くそー! ヤるとカシアンがうるせえんだよなー」
「“自惚れた血を増やすつもりか!?”ってな。ぎゃはははは」
下卑た会話が続く。
男たちがミゼリアを見る目は気色が悪く、怖気がするものだった。
ミゼリアは噂話や嘲笑こそされど、直接的な蛮行を受けたことはない。
初めて知る恐怖が彼女の体を硬直させた。
「それに“贈り物”を傷つけちゃいかんって」
「まあな。でも、バレなきゃよくね?」
「ガチでロリコンかよ。引くわ」
舌なめずりをしながら嗤う男たちの会話は聞くに耐えないものだった。
「んなワケで移動中、時間作って。よろ」
「ういうい。あとで女俺にも拾ってきてな?」
「あら? 随分楽しそうね?」
そんな洞窟に響き渡る男たちの声に、突然別の女の声が混じった。
別方向からやってきた足音が男たちに合流したのだ。
「ああ、やっと来た」
「何してたんすか?」
「ふふふ、古い友人に少し“嫌がらせ”をしていました。ごめんなさいね」
「えぇ……?」
「自由すぎっすよ」
ミゼリアが見上げると、そこには上品な女性の姿があった。
上流階級で暮らすミゼリアだからこそわかる。その女性の笑う姿は教育された名家出身の令嬢の雰囲気を感じさせた。
「おい! 本当にこっちであっているのか?」
そしてその後ろにはなぜかカレゼパール・サルヴァリオン王子の姿もあった。
「はい。もう少しで王都へ脱出できます」
「おう、そうか。お前はなかなかの忠臣であるな。褒美に私の妻にしてやろう、クラーサ」
「まあまあ。ふふふ」
その状況を全て把握することはミゼリアには難しい。
今把握できることは、反王軍である男二人と親しげに会話する女性はその仲間であること。
「あれ? カレゼパール王子?」
「ん?」
「ああ、そうだ。お前たちもクラーサの仲間か?」
そして、おそらくカレゼパール王子はまんまと騙されここにミゼリアと同じく連れてこられたということ。
『クラーサ』というのはおそらく偽名だ。
ミゼリアが学園都市で名前を聞くことがあったクラーサという人物は一人しかいない。
そしてクラーサ自身の声を聞いたこともある。現れた女性の声とは違うものだった。
「仲間っちゃそうだけど……」
「いや、なんで殺してないんスか? グリムさん」
「あら? どうしてって、目標はこの子ではないのかしら?」
グリムというのが、おそらくその女性の名前なのだろう。
「え? いや目標はこっちっすよ?」
なにやら話が噛み合っていない彼女たち。
そして、男の一人が台車に乗せられているミゼリアを指さした。
「……? どういうことかしら?」
ミゼリアを──いやミゼリアの体をじっくりと見て、グリムと呼ばれた女性は首をかしげた。
「どうもなにも、“ハピフクス家の子供”を回収でしょ?」
「スポンサーさんのお願いはそうでしたよね」
それを聞いたミゼリアは驚愕をその目に浮かべる。
反王軍を作った黒幕の名前だ。
それはミゼリアの母方の血ということになる。
そして、そのハピフクス家はミゼリアの回収を望んでいるのである。
事実は少し違うが、今のミゼリアにはそう理解するしかない。
「あら? そうですわよね? ハピフクスとかいうゴミの血を受け継ぐ可哀想な子を攫ってくればいいのでしょう?」
「ぷはは、ひでえ。嫌いすぎっしょ」
「いや、その可哀想な子がこれなんですってば!」
「あら? あらら?」
グリムはなにか勘違いをしているようだった。
「おい、お前たちなんの話をしている! 早く脱出せねばまずいのだろう? ……というかそこの農民上がりは何をしている……?」
そんなところに空気を読まぬ道化の声が挟まる。
「……?」
グリムはそのカレゼパール王子の顔を見て、次に台車のミゼリアを見た。
「グリムさん、だから『ミゼリア・サルヴァリオン』ですよ。それはこっちっス」
「ハディア・ハピフクスっていう人の“娘”なんすよね? だから、ご実家さんが欲しがってるのはこっちです」
そこまで言われて何かに気づいたようにグリムは固まった。
そしてまたカレゼパール王子を見た。
「……ではこちらは?」
「そっちはカレゼパールじゃないっすか? ストレートにアホそうっすもん」
「な!? 貴様、今私を馬鹿にしたのか!?」
「お、たしかにそれっぽい」
怒る自国の王子を嘲笑う男たち。
それを無言で眺めていたグリムは突然、カレゼパールの腕を掴んだ。
「……ッ!? な、なんだ、クラーサ」
「カレゼパール……。うーん、そんなのいたかしら? あやふやだわ……。
とりあえず違うのですよね?」
「ういっす」
「そうっすよ」
その返事を聞いたグリムは突然笑い出した。
「くくくくくく、あははははははははッ!! ああ、そういうことだったのね……ふふふ」
彼女以外の全員がその行動を見て、黙った。
その行為の意味を理解できなかったのだ。
理解不能であるという恐怖が場を支配する。
「お、おい! 何を笑っている!! 無礼な!!」
だからこそこの場でそんな口を聞けるその王子はある意味勇敢だった。
しかし、その蛮勇は無意味に黙することになるだけだった。
「ああ……良かったわ。こんなのじゃなくって」
「なんだと? クラ────」
──即死だった。
洞窟の壁から彼を囲むように棘が生え、その少年を刺し貫いたのだ。
もはや圧殺に近かった。ぐちゃぐちゃになった少年の体は穴の中心に縫い付けられていた。
「…………」
なんのためらいも葛藤もなく、その女は王子を殺した。
少しだけ理由の分からぬ安堵の息を溢しながら。
「うわあ……いたそ」
「大人しいと思ったら、まさかその王子を探してたんすか」
「ええ。わざわざ避難所まで行って連れ出したのだけど、これならはじめから皆殺しにしておけば良かったわね」
日常のことのように虐殺について話しながら、グリムはミゼリアを見た。
「…………ぅ!!」
そしてミゼリアの体をまさぐるようにして、確認作業をした。
「あらあら、本当に女の子ですのね?」
「さっきから何してんだ、あの人」
「知らねー。いつものことだろ」
突然少女にわいせつな行為をしたようにしか見えず、男たちは溜め息をつくだけだった。
「……さっきよりは頭は良さそうだけど……。うーん……」
「いいから運びましょうよ」
「そうっすよ。またスポンサーに怒られますって」
そう言われてもグリムは腕を組んで考え事を続けるだけだった。
変化しすぎる状況にミゼリアは混乱するだけだった。
反王軍の目の前の人間たちはどうやらミゼリアを目的にしていたらしい。
それが何故かこのリーダー格と思われるグリムという女性が、勘違いしてカレゼパールを連れてきてしまった。
そのことに気付きカレゼパールを殺し、収束したはずなのにまだグリムは何かを悩んでいる。
「……っ! ぷはっ!」
ミゼリアの轡が外された。グリムによるものだった。
「あっ! ちょっとなにしてんすか!」
「諦めろ……。聞いちゃいねえって」
グリムはミゼリアを丁寧に起こすと、質問した。
「貴方は何者なのかしら?」
それはよくわからない質問だ。
ミゼリアはミゼリアでしかない。
「……何を言っているのかわからないわ。私は私よ」
「あら? そうなのですね」
とぼけるように答えたミゼリアに対しても、特に怒らずに淡々とグリムは質問を続けた。
「貴方の両親は誰ですか?」
それも意味のわからない質問だった。
ミゼリアは会ったことはないが、その両親は誰もが知っていた。
いや、誰もがそうだと認識していた。
「反王軍というものは……知識に疎いのね……」
「そのようですね。ですから、教えていただけると嬉しいわ」
ミゼリアの虚勢を張った皮肉は笑顔で受け流される。
答えなければ話は進まないようだった。
「ハットリューク・サルヴァリオンとハディア・ハピフクス。アンタたちだってそう言っていたじゃない」
毅然とした態度でミゼリアは答えた。
なぜならそれは“嘘偽り無い”事実だからだ。何もおかしいことはないのだ。
「ふっ……くくくくくく」
しかし、その真剣な宣言を女は笑った。呆れたように嘲り笑った。
「あははははははははははははッ!!」
大笑し、そのまま笑い死にしてしまうほどの盛り上がりだった。
意味がわからず、ミゼリアの頬を冷や汗が伝う。
なにか不安があった。
それはミゼリアという自分自身を揺るがすほどのものかもしれないと体が警戒した。
「これは傑作ね!! なんて、面白いのかしら!! ねえ、聞いた? この子って『ハディアの娘』なんですって!!」
「いや……そうでしょ?」
「駄目だ……。やっぱ頭おかしいよ、この人」
彼女以外には理解できない笑いのツボを共有しようとしても、もちろん理解できる人はいなかった。
「ねえ……?」
「っ……!?」
そして笑っていたかと思えば、その女は真顔でミゼリアの鼻先まで顔を寄せて語りかけてきた。
「貴方って本当に家族として国王と王妃に受け入れられているのかしら?」
「……?」
また意味のわからない質問だった。
もはや女はミゼリアの答えなど気にしていない。ただ質問を続けるだけだった。
「ねえ、王族のお墓に連れて行ってもらったことはある? 王族だけが入ることができるお墓があの綺麗な中庭にはあるらしいの。そもそも存在を教えられているのかしら?」
「…………」
ミゼリアの心臓が早鐘を打った。
それ以上聞いてはいけないような気がした。
しかし、その性能の良い耳は聞いてしまう。
「貴方って見魂者に見てもらったことはあるの? 書類じゃなくて、実際に目の前での話ですよ?」
「はぁ……はぁ……」
息が苦しかった。
女の言いたいことを理解して、ミゼリアの呼吸はさらに乱れた。
ミゼリアがなぜそんなに動揺するのか。
それは自分が“どこかで感じていたこと”だったからなのかもしれない。
「……貴方って本当に王女なのかしら?」
「────」
目の前の女の笑顔は気持ちが悪いほど美しかった。
人の不幸を蜜のように味わう卑しい仕草のはずなのに、見惚れてしまうほど綺麗だった。
その悪意に見られても、なんとかミゼリアは自分を保った。
もらった首飾りがポケットからこぼれ、地面に落ちた。
それがミゼリアの怖気づく心を再び取り戻させる。
「……私は王女。ミゼリア・サルヴァリオンよ!!」
最初は小さく。次に力強くそう言い放った。
彼女の地位。王女であること。もうそれは称号に近いものだった。
生徒同士での連携を組むときに必要だったもの。
御輿としてとても重要なもの。
それは簡単に捨てられるものでは無くなっていたのだ。
「…………あらあら」
その宣誓にも近い自己紹介をされて、初めて女の顔が歪んだ。
愉快なものではなく不快なものを見たような顔をしていた。
「いいでしょう。この子はハピフクスに送りつけてやりなさい」
立ち上がりミゼリアを見下しながら、女はそう口にした。
「いや、さっきからそう言ってますや~ん」
「無駄すぎるやりとり……」
「私は王都の任務に戻ります。少し遊びすぎましたね」
「あんただけっす」
「しょうもねえ時間だった。とりあえず承知しやした~」
軽薄な男たちが再びミゼリアを運び始める。
暴れるミゼリアは今度は台車に固定されてしまう。
「あ、そうですわ」
そして何かを思いついたように女は男に声をかけた。
その相手は先ほどミゼリアに気色の悪い視線を送っていた方である。
「ん? なんすか?」
「その子は好きにしていいですよ」
「え? いやあ、だってカシアンも怒るでしょ? 血を増やすなって」
それを聞いて女は笑った。
「そんな子の血なんていくら増えても問題ないですわ」
「んん? まあいいや。なんか言われてもグリムさんのせいにしますから」
「ええ、そうして下さると嬉しいわ。むしろ、その方が私も爽やかな気持ちになります」
「……いつもの子供好きはどこいったんすかね……。ほんまわからん人だ」
その会話を聞いて恐怖するミゼリアに、再び女が近づいてくる。
そこには邪魔者を排除するような敵対的な笑みがあった。
「…………ッ!」
轡をまたつけられたミゼリアは声を発することなく、その接近を許した。
そして、ミゼリアは何かに気付く。
それは“その女の顔”についてだ。
その髪と目の色は違う。その年齢も、性別も違う。
しかし、その形と雰囲気はミゼリアのよく知るものと一緒だった。
さらにはその声もどこか彼に近かった。上品な仕草もそれに似ている。
その女は彼のようにミゼリアの頬をなで、そしてその耳に口を寄せた。
「くくくくく……可愛らしいお嬢さん? よく聞いて下さる?」
その気障な動作はまったく同じでありながら、ミゼリアにもたらすものが違った。
彼がミゼリアに与えたものが希望なのだとしたら、女がこれから与えるものは絶望だった。
溶かすように、歌うように、その女は慈母のような笑顔でささやいた。
「──私が産んだのは男の子ですわ」
それは、決定的な一言だった。




