96話 兵器としての役割
学園の戦える者は外で反王軍の軍隊の迎撃に行き、そうでない者は住民の避難を手伝う。
それが学園長からの指示だった。
別に強制ではない。戦える者が中で防衛していても構わないし、戦えない者がどこかの隅で怯えてうずくまっているのも自由である。
トーリアはネトス・ヴァルキュリアであり、大戦争を戦った教師である。
分類としては戦える者となるはずだ。
しかし、彼女は戦うことも、守ることもせずに図書室の中に閉じこもっていた。
彼女が現役を退いた理由は、大戦争時の出来事によるものである。
戦士として設定されながら、たった一人の不死騎士に敗北したという事実が彼女の心を締め付け、当時の副官であった槍使いからの誘いすら断り、戦いから身を引いたのである。
たとえ任務に失敗したとしてもトーリアの実力は戦士として申し分ないものである。
どこの国に行ったとしてもそれなりの地位を築けたであろう。
聖国に帰れば、もっと順風な人生を送れたのかもしれない。
そんな人から見ればもったいないと思えるような選択は、結果的には正解だった。
なぜならネトス教への迫害が始まったからである。
それまでの支配体制の反動が来たのだ。
ネトス教だけがそうなった理由は、武帝やシーハルンよりも攻撃がしやすい位置にあったからである。
巫女が消えたことで、予言のような女神の声はもう届けられることはなく、力を維持しようとした愚か者が新しい偽物の巫女を立てたが、すぐにその嘘の言葉は見抜かれた。
文明による人間の統治と支配を行ってきたネトスだが、その巫女たちからもたらされる言葉は事実ばかりだったのだ。
“言っていることに間違いはないが、人間を大切にしていることは嘘だった。人間を操ろうとしていたことに変わりはない”。
それが人間たちの女神に対する最終的な評価になった。
人間たちはネトス教を捨て、無宗教となった。
国も、権力者も、民もほとんどが女神を捨てた。
聖国も結局は別の宗派となったに等しい。聖王などというものを作ったからだ。
女神は王など作らない。技術と文明を等しく与えたりはしない。
そんな社会でも女神を見捨てられなかったトーリアがもし地位を持ったままであれば、簡単に失脚していただろう。
ほぼ世捨て人のような生活を彼女はしていた。
勿論、たくさん嫌がらせを受けた。
目の前で女神の悪口を言われ、祈りの言葉を無理矢理言わされそれを揶揄われる。
住めない土地があり、入ってはいけない場所があり、会話してはいけない人がいた。
信じた女神が消え、存在理由を失った姉妹たちは死んでいった。
でも、トーリアがその胸のシンボルを捨てることはなかった。
理由は単純だ。
戦士の役割を与えた巫女の姿を覚えている。
その巫女にとってトーリアは数ある兵器の一体に過ぎない。
しかし、あの日トーリアに役目を、生まれた意味をくれた巫女は彼女にとっての『親』である。
トーリアは自分の母親の姿を、女神に見ていたのだ。
だから、どれだけ雑に扱われようとも、女神がどんな考えでいたのだとしても構わない。
親の失敗に呆れはしても、捨てようなどとは思わない。
──ただ、いなくなって寂しいだけだ。
「…………」
図書室に籠もったトーリアはずっとルクスの治療を行っていた。
本当は無理矢理起こすようなことはしない方が良い。
本人の心の問題が大きいように思えたからだ。
だが、今やっておいた方がいいとトーリアは判断した。
それは様々な要素が絡んでいる。
ルクスの帰りを待つ彼女たちの心配そうな顔を見た。
この機会を逃せば二度と会えない可能性がある。
そして、ルクスが女神を愛しているからだ。
ルクスへ浄化魔法を重ねながら、トーリアは彼と交わした会話を思い出す。
女神のことを語るとき、無自覚に彼は穏やかな顔をする。
それはまるで育ての親に対する親愛だった。王女とやっているというカードゲームで女神の特性を好んで使っていたのがその証拠の一つだろう。
ルクスは女神という概念ではなく、女神という一つの人格に何かを感謝しているようであった。
それはトーリアには理解できない感覚だ。
なぜなら、それはルクスの根本的な問題と、彼の抱える人生を起因としているからだ。
だが、ルクスがトーリアと同じように、本当の意味で女神を信仰していると感じたことは事実だった。
女神が消えた後に生まれたはずの子供が、あまりにも瑞々しい信仰を抱いている。
そんな子供を見て、トーリアの心が動かぬはずがない。
「『一瞬千秋に思い馳せよ。日々の生存に感謝を』」
古臭い祈りをしながら、ルクスの胸に手を当てた。
ルクスの魂を見ることはできないが、どのくらい破損していたのかはわかっていた。
それは、とても、酷いものだった。
闘技大会をトーリアは見ていなかったからそこで起きた詳しいことはわからない。
だから予想でしかないが、ルクスの魂の破損はその闘技大会の出来事によるものだけとは思えなかった。
たしかに、一番わかりやすい症状である人格の分裂は、直近で何か魂に干渉する一撃を受けたことが原因なのだろう。
しかし、彼の魂は元々がおかしいのだ。
人間一人の魂の量ではない。
数値でしか把握できないトーリアにはその原因はわからない。
予測できるのは、ルクスという人間は膨大な魂を持っていて、それらがお互いを傷つけ合っているということだけだ。
ルクスの魂の破損は、積み重なったものが大きい。
膨らんだ袋に穴が開いてそこから中身がこぼれ落ちて、その穴を塞ぐことができていない状態だ。
トーリアにできることはその穴を小さくすることぐらいだった。
「『貴方に日々の安寧が齎されんことを──』」
今できる限りの魂の修復を終えて、トーリアは立ち上がった。
その顔には多少の疲れが残っているが、ルクスを見つめる表情はとても優しいものだった。
「あとは貴方自身が頑張りなさい、ルクス君。恋人たちをあまり待たせないようにー。
このまま目覚めないと、あの娘たちは行き遅れたまま飢え死にしちゃいそうですから」
それだけ言って、トーリアは床に置いていたものを手に取った。
それは彼女の武装。彼女が自分を兵器として運用する際に使われる武器だ。
トーリアは戦士としての役割を果たせなかったことを嘆いて引退しただけであって、その性能になんの変わりもない。
そもそも戦士をやめる機能など備わっていない。心が拒むとしても、肉体が反応する。
ルクスに背を向け、トーリアは歩き出す。
次に向かうのは初陣を迎えてしまった小さな姉妹の下だ。
「……あ、そうでした」
言い忘れたことを思い出して、トーリアはルクスに振り返った。
「──もし女神様にお会いしたら、“一発”、頼みましたよ。ふふふ!」
彼に聞こえている前提で、トーリアは先日交わしたどうでもいい約束のことを念押ししたのだった。
◆◇
「んん~……あの場所はなかなか堅いねぇ。あれが大叛逆のときの生き残りかぁ。いいねぇ」
ロルカニア王国から遥か遠方──魔王領の発射台にて、魔族バルファクトは子供のように無邪気に笑った。
美味しそうな肉のついた串焼きを頬張り、その邪眼で見ているのは王都近くの大きな都市だ。
「さてさて、では『メイン』を始めようか? ……ん? おやおや」
食べ終え、串を放り投げた後に上司の方へ振り返ると、上司であるモードスは椅子の上で眠っていた。
なんだかんだ文句を言いつつも彼はバルファクトに付き合ってくれていた。
魔族の活動時間に魔物が合わせようなどと、無謀である。
そんなところがバルファクトがモードスを気に入る理由である。
実際、モードスはわかっていてそんな行動をしているあざとい男だ。
だが、それでこそ『喰心歯』である。
そんなモードスの頭をひと撫ですると、バルファクトは準備を始めた。
彼女が手をかざすと、その先には厳重な施錠がされた棺桶型の入れ物があった。
そして、その鍵が開いていく。
鎖が壊れ、魔法陣によるロックが解除される。
その中には“槍”が入っていた。その槍はバルファクトの魔法により、宙に浮き彼女に向かっていく。
バルファクトは今まで投げ続けていた黒き槍のデザインとは異なる大きな槍をその手に持つ。
その槍は黒と赤が混じり、より凶悪な見た目をしていた。
まるで──生物の死体をぐちゃぐちゃにして槍の形に直したようだった。
それは汎用性の無い、目標を個別に設定した不死騎士を作り出すためのもの。
──『特化型』作成用の槍である。
まず一本目をバルファクトは構えた。
「《ガタエシ・イフシキフスフ》“『アンリーネ・ブレイブハート』を狙い続けよ”」
コードを入力し、真剣な顔でバルファクトはその一筋を投げ放った。
その一投は投射角を変え、着弾地点に真上から落ちるように調節されている。
そしてバルファクトはすぐさま二つ目の準備も始めた。
別の入れ物から別の槍が彼女の手に収まる。
「《ガタエシ・イフシキフスフ》“『グスタフ・ロターク』を翻弄せよ”」
再び音の速度を超える投げ槍が放たれる。
次の一投はカーブを描きながら斜め横から進むように設定した。一投目と同時に着弾するように時間差の調節も完璧だった。
「……ふふ、まあ、念の為のおまけも付けておこう」
そしておまけの三投目。それは今までの汎用型と同じ槍だ。
囮の一撃だった。もったいないが最初の一、二投目の槍の効果を最大限に発揮するためだ。
「さぁて……どうなるのかなぁ……。あっはっはっは!」
その両目を閉じ、邪眼を二つ開いてバルファクトは観測を続けるのだった。
◆◇
「フンッ!」
「……!」
学園南の戦いは未だに膠着状態が続いていた。
グスタフとクルモンドは攻防一体どちらも譲らず、どちらも相手から目を離すことができなかった。
雷鳴が大地の人形を撃ち破り、打撃と剣技のぶつかり合いが終わることなく続いている。
「……反王の意思を……」
「まったく……もったいない……」
一人の教師がまた一人騎士を打ち倒す。
だが、後続の騎士たちが彼にまた斬りかかる。
「……死ね! 貴族ども!」
「……くっ!」
別の場所では騎士に囲まれ、追い詰められた教師がいた。
そこに螺旋を描く巨大な矢が飛来する。
「ぐあああああッ!!」
狙われた騎士が避けるも、その着弾地点は爆発し、騎士たちが吹き飛ぶ。
「防備を整えて下さい」
「アンリーネ様! 助かりました!」
アンリーネは空から支援を続けていた。
教師陣が不利になった場所に矢を打ち込み、なんとか拮抗させる。
それを繰り返していた。
自分に魔法や矢が飛んでくることがあるが、高低差のある状況では当たることすら稀だった。
(……北どころか、街中もなんだか騒がしい……。侵入されたのですか……?)
矢筒にはまた大きな矢が生成される。
彼女の矢筒には縮小された矢が何本も格納されており、普通の見た目でありながらほぼ無限の矢を保存できる。
その矢──螺旋槍を弓に番え、空中に足場を作って構える。
街中には非戦闘員が多いため今すぐに向かいたいが、アンリーネの離脱はこの南側の不利を招く。
一般兵とはいえ、相手も戦前から戦い続ける騎士たちだ。
基本的な動きはできるし、一人一人が必殺の一撃を持っている。
歴戦の教師陣も受ければただでは済まない。
回復魔法が使える者も少ない。
大戦争では一部隊に一人はいたが、現在は、南に二人と北に一人だ。
四人目となるトーリアは戦場には来ていない。
そんな状況だからこそ、アンリーネは教師陣にダメージを受けさせないということを選んだ。
一人が傷つき、一人の回復魔法使いがそれを担当する。
それだけで二人の戦力が一時的にいなくなってしまう。
それをカバーできるほど、敵の騎士たちの実力は低くなかった。
そもそも戦力のかさ増しをできるグスタフが一人に取られる時点で、厄介だった。
『雷走光クルモンド・ハーグラエティク』。大戦争前から人間領域では有名な騎士だ。
ただ人間のために、国のために戦い続けた老人。
だが、その考えは子供のようなものに毒されてしまった。
「────?」
援護を続けながら、アンリーネは嫌な感覚を察知した。
空間に干渉することを得意とする彼女だからこそ、飛来する何かを感じ取ったのだ。
「……!!」
東の方角を見た彼女が捉えたのは細く黒いもの。
明らかな攻撃だった。
アンリーネは迎撃するためにその矢を放つ。
槍同士のぶつかり合いが起こり、弾かれた黒い槍が本来の軌道を外れて落下していく。
「なんだ?!」
その先にいた反王軍の騎士たちが反応する。
そうしている間に黒き槍は地面に落ち、黒い霧を発生させる。
「キアルーグ先生! 退避を!」
「……! はい!」
アンリーネがその落下地点で戦う教師へ声をかけ、その教師は離れた。
呪いが充満していく、その槍が本来落下する予定の場所にいた騎士の数は200ほど。
だがそこにいたのは70くらいだった。
だから、予定よりも生成可能数は少ない。
「────ッ! まだ……っ!」
その槍のもたらす被害に気を取られている間に、また別の槍がやってきた。
しかも今度は二つ同時だった。
しっかりと一つの軌道では撃墜できないように別々の方向から飛んできている。
矢を再び構えて放てるのは一度。しかも狙いにくい軌道となるため、完全に撃ち落とすことは不可能だった。
真上からくるものと強烈な弧を描いてくるもの。
アンリーネは真上からくるものに狙いを定めた。
そして────そのアンリーネを狙うものがあった。
「……ッ!? うっ……!!」
アンリーネに放たれたのは、“鉄の弾”だ。
矢のような前時代的なものではなく、もっと汎用的な兵器によって放たれるものだった。
直前に反応できたがアンリーネはその狙撃を受ける。
口径にして2センチを超える大きな鉄の暴力が、アンリーネの手をかすめた。
「──学園の方から……っ」
初めて被弾した彼女の左手から血が流れる。
彼女を傷つけた一撃は学園の校舎の方から放たれていた。
つまりは敵がすでに侵入している。
さらにその敵は大口径の銃を持ち込んでいる。
すぐになんとかしたいと思ったアンリーネだが、撃ち落とせなかった二つの槍の方も気にしなくてはならない。
「くっ……」
敵はおそらくどちらかの槍を打ち込めればよかった。
しかし、先程の狙撃による“横槍”で二本とも、まんまと着弾してしまった。
アンリーネの眼下で槍たちが変化を起こす。
最初の一本目は周辺の反王軍の騎士を不浄の騎士に変化させた。
その時の悲痛な叫びは戦場では聞き慣れたものだった。
次の二本は──そもそもから違った。
槍が周囲の人間を黒い霧で呪い殺すのは同じだった。
しかし、その槍自体が変形したのだ。
まるで人間の魂を吸っているようだった。
「────!」
それを黙って見ている教師陣ではない。
隙を見て何人かの攻撃が放たれるが、変化している槍は穴が空こうと、バラバラになろうと再生成された。──まるで不死騎士のように。
その感覚は正しい。
その槍は不死騎士であり、不死騎士ではない。
やがて、槍だったものは形を作り終える。
その姿は不死騎士だ。いつもの姿と変わらない。
今はそれが不気味だった。
黒き槍に作り出された不死騎士と赤黒い槍から生まれた不死騎士。
まったく同じ見た目のそれらの違いを見分ける方法は簡単だった。
二体の不死騎士はまっすぐに一人の人間を見ているからだ。
それぞれが別の人間を見ている。
片方はアンリーネを。
もう片方はグスタフを。
それは魔王領から送られたメインディッシュ。
『特化型不死騎士』。
人間領域の一定以上の実力を持つ人間を相手にすることを想定し、それを攻略するためだけに作られた専用兵器である。
戦後、十一年を費やし集めた人間たちの情報と肉体から作り出された古き研究者の力作であった。
学園都市防衛戦。
長く保ってきた南側の本隊同士のぶつかり合い。
──その均衡が崩れ去ろうとしていた。




