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第九十二話

 刹那に巻き起こった事態に後退を余儀なくされた羽付きは、吹き荒れる魔力の対流を一扇ぎに相殺した。そしてそれを巻き起こした嵐の目に視線を注いだ。

羽付きの手中から抜け出たそれは、予期せぬ事態でありその先を伺い知る事は叶わなくなった。


 ファシルは呼び出すにあたり構えた姿勢を崩すと、無防備に見えるその姿はその場に立ち尽くすばかりであったが、しかしながら伺える様子に反して隙は存在せずファシルの手に握られた──剣。

ファシルは今において自身のものである三つの内が一つ、イリスを呼び寄せた。


 剣を成したファシルの様相から不気味な気配を感じ取った羽付きは無意識に距離を取ったが、既に充分なそれに対する更なる追加は恐れを如実に表していた。

そして羽付きは恐れを実感する事無く打って出るが、それはひとえに言い知れぬ恐怖を薄々と感じ取りつつもそれを認めたくないからであった。


 羽付きは辺りに散らばる大小様々な瓦礫を巻き込むように、六つの羽を一扇ぎした。

それらの瓦礫は小さいものであっても人の大きさや重さを優に超えたが、風に舞う砂の如くそれら舞い上げるとすぐさまにファシルへと差し向けた。

実体が無いように錯覚させるその光景。

巨大な岩は風に乗って飛ぶと、ファシルを中心に捉えてその狙いのままにぎっしりと詰まって重い巨体をぶつけにかかったが、それらはファシルに触れることなくその手前で消えた。

ファシルを中心として周囲に描かれた円は手の届かない位置を境に全方位ありとあらゆる角度から衝突を試みたそれらであったが、その見えない壁に触れると削りかすのように細かくなり砂塵に消えていく。

羽付きはなおもってその削りかすを操り鋭い形状に変えて迫ったが、尖らせた粒子も見えない壁に阻まれては跳弾を起こして辺りに散らばるばかりであった。

それらをしばらく続けた羽付きはやがて手を止めた。


 どちらからでもなく自然に吹く風が辺りに舞う塵を他方へと流していく最中、両者の間に漂う不気味なほどの静けさは風に流されずそこに在り続けた。

一歩も動かない両者からは睨みを利かせている様に伺えたが、実際はそれぞれに違う事態になっていた。

ひしひしと伝わる感覚に否が応でも認めざるを得ない──恐怖。

羽付きは後退も前進もままならない状況に陥ると自身の機嫌を損ねるばかりであったが、自らに死期を早めるほど馬鹿ではなかった。そして、未だに立ち尽くすファシルは羽付きに相対するもののそれを気にも留めていない様であったが、重い腰を上げるようにようやく動き始めた。


 羽付きへとゆっくりと歩き始めたファシルの姿はどことなく気だるげに見えて足取りが重く、弛緩しきった体からは緊張は感じられず一歩一歩と確実に進むがそのままの歩調では途方もない時間を要すると思えた。

剣をズリズリと地面に擦りながら歩くとその音が辺りに響く。

その音はどうしても大きなそれには至らないが、それが聞こえてくる状況から荒野をとてつもない緊張が支配している事が分かった。そしてファシルの引き摺る剣は地面に大きな亀裂を作り上げていく。


 じりじりとにじり寄る姿を視界に捉えた羽付きは、全身を強くも弱くもない圧迫感にさいなまれると堪えきれなくなり言葉を発しようとした。

しかし、その時であった。

「舞踏は苦手なんだがな」

ゆっくりと進めた歩みも、たいして距離を詰めるに至らないファシルが口を開いた。

そして機会を逸して言葉を失った羽付きは、先程までとまるで違う雰囲気を醸し出す相手に注視した。

ファシルが言った事の意味が理解できない羽付きをよそに、その歩調は先程までの重さを消すと舞うように軽やかな足取りを刻み始めた。

最初は重々しくゆったりとした調子。

やがてただゆったりとしたものへと変わり。

それは次第にゆったりとも速く歩数を刻み。

増やしたそれは後に軽快にも速く成り代わる。

そして遂には、極めて速く駆けた。


 段階を経て速くなる歩調は留まる事無くファシルを加速させると音を置き去りにした。

その「瞬間」を見逃さないように注視していた羽付きであったが、一定の域に達したその「瞬間」にファシルを見失った。

段階的にも拘らず見失ったそれは、まるで年齢とともに高音域が聞き取れなくなる様を現わしており羽付きがファシルを見失うのは必然であった。

羽付きは自身の目をぐるぐると回して焦りを露わにしたが、自身の力を突破できない事を踏まえたうえで余分に安全圏を確保すると下手に動く事を止めその場に留まった。

しかし、聞こえてきた声によって自身の過失を痛みと共に実感する。

──逃げないのか?

刹那に風を感じた羽付きは透けた羽を血に染める。

老いた血であっても吹き出すそれは干上がった荒野に撒き散らされては少しの潤いをもたらした。

羽付きが警戒して力を使ったにも拘らずそれすらも飛び越えると、ファシルの剣が羽を捉えた。

老いた呻きがこだまする真っ只中、羽が一枚引き裂かれて地に落ちるなりその目は忙しなく動かされた。そして羽付きが一目散に逃げ出すと「遊び」が再開された。


 両者の役割は相変わらずであるものの、追う者と追われる者の意識は全く反対に入れ替わっていた。

追う者は、舞う程に軽やかな心情をその所作に現すとその手に握る剣を意図も無げに振るった。ともすれば投げやりなその剣の軌道は如何に振るわれようとも標的に差し迫る。

追われる者は、遊びの範疇を超えたそれによって死なないために、死に物狂いで逃げ続ける。そして自身が始めた遊びも規則が変わってしまえば微塵も楽しめないように、生きた心地のしない羽付きは遊びに興じるしかなかった。


 イリスを携えたファシルを前に為す術がない羽付きは迫る手を躱しつつも自身を鼓舞しようと呟いたが苦し紛れのそれも状況を好転させられるものではない事を嫌という程に理解していた。

「剣を呼び寄せたところで」

「本当にそれだけだと思ったのか?」

間髪入れずに返ってきた言葉に、まさか自身の小言のような呟きが聞こえているとは思わなかった羽付きは驚きのあまりに言葉を無くした。

しかしファシルはそれに構うことなく口を紡いだ。

「間抜けが」

「ついでだ、冥途の土産にするがいい」

ファシルは飽きつつあった遊びに多少の変化をもたらした。

≪オース≫

ファシルは剣を目覚めさせた。

ファシルの呼びかけに呼応するように脈動するイリス。

「雑魚にはこれ以上ない贅沢だな」

荒野に異質な渦を巻くそれが、さらに濃く重々しい魔力を辺りに充満させた。


 羽付きは何時しかニヤケたそれを失くしては今更に本来の力を示した。

力の限りに羽を扇いでそれを繰り返すと、自らの透けたそれを摺り減らすように粒子へと変えてちりばめた。そしてそれら連続した風の流れに乗った小さな粒子は陽の光を反射させてキラキラと輝くと一気にファシルの下に届けられていく。

瞬く間に近付いた粒子は髪の毛ほどに細く、そして鋭く長い針となって対象の避ける隙間を無くしていくと無秩序に生える針は不揃いな剣山を築き上げた。

お互いを突き刺すその針は、その細さであっても重なる程に密集してあらゆる角度から対象を追い詰める。触れたものの内部から侵食して毛虫のようにするとその針をさらに拡散させるように撒き散らしてそれを繰り返す。

そして粒子から針への変化を羽付きの任意に出来るこの攻撃は放たれた瞬間に広い荒野を瞬く間に埋めつくした。


 羽付きは本来の力を使ってファシルを攻めるが、その荒野に築き上げた不揃いな剣山の中に全くの更地が広がっていた。

その更地は、怒りを中心に巻き起こる魔力が渦となって吹き荒れて剣山を全く寄せ付けない。

魔力の渦に触れた針は粉々に砕けては塵と化していくと、羽付きのそれは悪足掻きにしかならずイリスを目覚めさせたファシルの相手ではなかった。

「どうした?」

「耄碌しては、贅沢を噛み締める歯も残っていないのか?」

「後がないんだろ?ほら噛み締めろ!」

つらつらと言うとファシルはおもむろに剣を放った。

「もう少しだけ遊んでやる」

独り言のようにそう言い放つファシル。

手を離れて放り投げられた剣は、全く重力を感じていない様子で宙に浮いたまま主の言葉を待っていた。

そしてファシルの言葉を聞くとそれに反応して飛んだ。

「ご老体は追いかけっこをご所望だ」


 荒野に飛び交う二つはその広大な場所を縦横無尽に駆ける。

透けたそれを必死に動かす様は焦りを滲ませて止まないが、それを追うのは剣山を崩して薙ぐ超然とした怒り。

その怒りは焦りの幅を容易く超えて追い詰める。

目に見えないその距離も、見えない事を文字通りに無視して差し迫る。

残りの羽が繰り出す術も、ものともしない怒り。

焦りは自虐的な物言いを後悔すると残り少ない余生を忙しなく駆け続けた。

「忌々しいっ!」

羽付きはその様を見てある者を想起すると、その事に悪態をついた。

羽付き自身が楽しむために始めた遊びも遂には悪態ばかりに終始して、漏らした悪態の数々にうんざりしていた。

しかしながらそれは少しの感情を誘う。

──フッ。

必死な羽付きとは打って変わって傍観を決め込むファシルは堪えきれず失笑した。

「何が可笑しい!?」「馬鹿にしおって」

微塵も余裕がない羽付きが口にしたそれに対して、心にも無いままファシルは礼として訳を話した。

「いや、貴様は遊びながらも悪態をつくのかと思ってな」

いつしか目で追う事すらやめたファシルはそう言い捨てると、無い心の内に再び怒りを現わした。そしてそれは表情から穏やかなものを無くさせて険を際立たせた。

「目障りだ」

その一言に集約されている事はたった一つ──余興の終わり。

言わんとする事を相手が理解する間を待たずしてファシルはイリスを手元に呼んだ。

自ら始めた遊びが終わると、休む間もなく自身の終焉がそこに待つ。

羽付きは次に来るそれが自身の進退を大きく左右すると分かっていたので持てる力を最大限に使い距離を取ったが、それはひとえに逃げるためであった。


 逃げる様を見たファシルは呆れと落胆を持ったが、極めた険を無くすよりもさらに鋭くした。

「離れれば何とかなると思ったか?」

「イリスを前に──逃げられるものか!」

ファシルはその場から一歩も動かずに剣を振るった。


 羽付きは必死に、へとへとになりながらも不格好なまでの姿を晒して羽ばたくとひたすらに逃げ続けた。

(もっと遮蔽物の多い場所にするんじゃったわい)

内心にまたしても悪態を募らせる羽付き。

羽付きは逃げる羽目になった原因が気になり目を向けた。

それは不意にした行動であったがそこに見た光景に、何もかもが徒労であると分からせられた。


 羽付きの目に入ってきた、ファシルが横薙ぎに一閃する光景。

その光景に対しての羽付きの次の行動は如何なるものであっても無駄であり、それが実行されることはなかった。

見えぬ波動が光を超えて迫ると羽付きは自身の体、目玉を囲うそれにピキッと亀裂が入るのを見た。

「なに?!」

羽付きがそれに反応した瞬間に鳴り響く不快な音──バキッ。

老輩の遅すぎるその体の囲いが砕け散る。

そして直後に羽付きの視界は暗くなり状況が不鮮明になる。

自身の殻の亀裂を見た羽付きであったが、それが最後に見た光景でありそこで余生を終えた。


 聞こえてくる「眼触りだ」という声とその言葉端の嘲り。

ファシルは砕いた正八面体に手を突っ込むと中に浮く目玉に手を当てた。

そして焦り一色に呑まれたそれは、自身に食い込む指にほんの少しだけ力を込められるのを最後に感じ取った。

グシャっ。


 殻の中でうごめくそれは逃げ場なくそこで握りつぶされると、その大きく広げられた半透明の白い羽を力なくうなだれるように荒野へと落ち着けた。そしてその時をもって半透明な姿は消えていく。

そして「怒り」を携えたその者は最後に呟くと荒野を後にした。


「お前に用はない。そして……お前ではない」


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