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第九十話

「ゆくぞ」

わざわざ口にして相手に準備するように促した羽付き。

自身のこれから行う手の内が相手に見透かされていなくとも事前に構えさせる事ほど愚かなことはないと言えた。

事前に準備させた挙句、そのままに何事もなく対処されてしまっては無駄に終わってしまう。羽付きは自身で自虐する程に、自身の老いを根に持っている事から一切の無駄が無いように行動すると見えたが実際の所はその逆を地で行く行動を取ってはその無駄を楽しんでいるようであった。

それだけ羽付きは自身の力に絶対的な信頼を寄せていた。


 羽付きは言葉を放つと攻勢に出たがそれを待つほどファシルは気長ではなかった。

息を整えるのも束の間、ファシルは羽付きよりも先に動くとその姿を消した。

立体の中で忙しなく目玉を動かしては見失ったファシルを探す羽付きであったが、その攻め手を止めたままに止まった体は隙だらけであった。

消した体を音もなく現すとファシルは羽付きの死角を突いた。

未だ忙しない目玉に影を作って振り下ろされる剣。

ファシルは見事に羽付きの隙を突き両手の剣で交差するように切り掛かると、その先の目玉はファシルを見ず余裕綽々に言い放った。


「遠いのう」

その言葉の意味が分からずファシルは刹那に目で捉えた羽付きを見つつ心で声を漏らした。

(ぼけたか)

ファシルを未だ捉えるに至らず隙だらけの羽付きのその言動は、ファシルにとって充分に嘲笑的なものであったが羽付きが次に連ねた言葉に添うと、その隙は全くの無へと消えた。

「それでは届かんぞ?」

ファシルの耳がそれを聞き終えた時には既に両手の剣が通過した後であった。

しかし、ファシルの剣はいずれも感触を得ることなく空を切っていた。

別の視点から見れば両者は並び立つほどに近く、そしてその間合いに対してファシルの両の剣が届かないという事はあり得ないと言えたが、先程まであったその近すぎる位の僅かな間合いも今となっては遠すぎる位であった。

ファシルが剣を振り下ろす間際に取られたその遠い間合いは、羽付きに肉薄したとは言えなかったがファシルはすぐに次へと打って出た。


 ファシルは空ぶった剣の片方を羽付きへと勢い良く投げた。

風を切って一直線に羽付きへと向かう剣。

それは次第に加速すると風を超えて破裂音を生じさせ瞬く間に間合いを詰めると再び肉薄した。

羽付きへと飛んでいくその剣の速さもさることながら、ファシルの次の手に移るまでの速さはそうなる事を見越して動いたように速いものであった。

しかし羽付きは向かってくる剣をよそに皮肉をこぼす。

「いやはや、きびきび動けてよいな若造よ」

投げられた剣は音速を超えてもなお羽付きの足元へも寄り付けず、生じさせた大きな破裂音も空しく勢いを無くすと両者の間で設けられた大きな間合いの中で徐々に失速していき地面に落ちついた。

羽付きはその間合いを縮めると落ちた剣の傍に立ち楽しいと言わんばかりのその口調を携えて言葉にした。

「もう少しであったな」


 楽しむままに再び隙を作った羽付きは足元の落ちた剣をよそに相手へと目を向けていた。そして次の言葉の一文字目を発音する。

その瞬間であった。

≪シーオース≫

視線の先の人影が刹那に剣へと形を変えると足元からその人影が現れた。


 僅かな隙を速さではなく瞬間的に詰めたファシル。

刹那よりも短いその時をもって羽付きの虚を突き再び肉薄すると、ファシルはもう一本の剣を突き刺すように差し出した。


 僅かな間合いを鋭い剣先が直進する。

ファシルは完全に羽付きの虚を突いたこの時に全てをかける思いであった。

ファシルの心の中で絶対に当てるという気持ちが渦巻くと固い意志をもってそれは剣を進ませ、その渦中に「最悪触れさえすれば」という気持ちもはらませていたが、そのとても小さな希望的観測がこの時を徒労に終わらせた。


 羽付きの周囲には目に見えない「壁」が存在した。

その「壁」は視覚情報を無視して無限の広がりを持つとそこを通ろうとするものを無限の旅へと誘った。ファシルの剣もこの「壁」に呑まれていた。


 ファシルの目に映る羽付きは目と鼻の先にいるにも拘らず、刺突はその「壁」によって阻まれると届くことはなかった。

そして全てが空振りに終えたファシルであったがそれらの攻め手の後悔や反省をする間は全くなかった。

ファシル自身の間合いに羽付きがいるように逆もまた然り。

≪ゲーノ≫

ファシルは羽付きの間合いから逃れるため自身を離れた位置に跳ばした。

瞬間的に離れた両者の位置。

しかし先程まで全くと言っていい程にファシルが間合いを詰められなかったように、攻守が逆転した今においてファシルは全く間合いを取れなくなっていた。


 居所を転々とする両者。

「すばしっこいのう」

いくら自身を別の場所に跳ばしてもすぐについて回るそれは次第に反応がよくなると殆ど同時に移動しているように迫った。

そして何度か繰り返すと、遂にはその時が来てしまう。

ファシルが跳躍する先を読んだように、羽付きのいる場所にファシルが自ら向かう形で跳躍してしまう。

そうなってしまえば後からその場に来たファシルは後手を強いられる。

跳躍先で待ち受けていた羽付きは次の動作に移っていた。

ファシルはそこに着いた途端に地面を蹴り一息に大きく後退した。

(しまった)

咄嗟にとったその行動にファシルは後悔したが羽付きはそれを追い掛けなかった。

離れていくその光景を見つつ不思議に思ったファシルであったが次の瞬間にはその意味を理解させられた。


 荒野にあった起伏はその姿を消すとそこに砂利を残すばかりであった。

ファシルと羽付きの間に落ちているそれらの砂利はファシルが作り出したものでその切断面はどれも鋭いものであったが、それらは今をもって脅威へと変貌する。

離れていくファシルを追い掛けなかった羽付きは自身の羽の一枚を扇ぐように羽ばたかせると両者の間合いにある砂利の形を変えて鋭い剣山を築き上げた。

それは離れていくファシルを追うように突き出ると鋭く狙いすました。


 自ら作り出したものが自身に刃をめけて襲ってくる様子はファシルの想定外の事であったが、その思いがけない凶器はその場に止まらない。

その場が草原であるかのように荒野を生い茂らせる鋭い刃はその見た目によらず軽い。

元の砂利がそうであるように実際の質量は見た目にそぐわず軽いものであったため、それらは風に舞う。

「躱しきれるかのう?」

再びにやけ面を晒したように伺える羽付きが溢した一言。

すると羽付きは六つの大きな白い羽をここぞとばかりに羽ばたかせて突風を巻き起こした。

その風は離れていくファシルに追い風となって迫ったがそれ自体に攻撃的な意思はなく、その風はファシルをさらに強く圧すばかりで取るに足らない事であった。しかしそれよりも何よりも両者の間に在る生い茂った鋭い刃が重大な問題を巻き起こした。

生い茂った鋭い刃はその突風に乗るとその流れに身を任せて荒野を飛び立った。そして意思も無く流れに身を任せて荒野を去ったそれらが向かう先は無論にファシルの下であった。

無数の刃がファシルを襲った。


 羽付きにとって、突風の前の砂利は塵芥も同じ。

はたきで払った埃は舞い上がると只々風に乗って漂う。それらが落ちつくのに要する時の流れは速くともゆっくりとしたものであった。


 風に乗ってファシルへと向かった鋭い刃は、広がりを見せていた両者の間を埋めると片方に大きな偏りを見せた。

ファシルは自身に向かって一直線に向かってくるそれらの刃を迎撃する。

≪ドッラ≫

無数に舞う刃を撃ち落とす無数の黒い球。

軽い砂利と明確な意思を持った黒い球では結果は言うに及ばずそれらを阻止して見せたが、この時の羽付きが起こした風とファシルが距離を取るために起こした風は点と点を結んだ直線として向きを完全に一致させると一つの気流を作り出していた。

それ故にその一直線の気流に乗って辺りに散らばっていた埃はファシルへと吸い寄せられた。そして吸い寄せて増える刃は次第に黒い球を押しのけて優位に立つとファシルへと加速した。


 ファシルが咄嗟に問った地面を蹴って距離を取るという行動は内心の声が表した通りに失策であると同時に、ファシルの想定よりも悪手であった。

両者によって出来た気流は一方向であるため風下がどう足掻いても不利という結果に帰結する。まして風に舞う程に軽いそれらはファシル自身が招いているとも言えた。

この時のファシルがすべき手段は、羽付きから離れるよりもむしろ肉薄するべきであった。

ファシルがそのように突撃したならば、両者の巻き起こした風はぶつかり合って逃げ場を無くしそして他方へと流れて行く。

そうする事によりファシルが一方的な防御姿勢を強いられる事はなく、それらが向かって来る事はなかったがファシルは離れるように動いてしまい自らに窮地を作り出した。

これはひとえにファシルの心理を突いたもので、羽付きはそれを読んでいた。

「青いな若造よ」

聞こえる声から伺えるそれは、その様子を見ずともわかる程に嘲笑したもので、小手先の事で容易く展開するそれらを見て大いに楽しむ羽付きであった。

しかし、この容易い展開も一先ずの決着を見る。

ファシルは差し迫る刃を一言に防いで見せると羽付きの関心を仰いだ。

「考えたのう」


≪イルスフ≫

ファシルは自身を水の中へと閉じ込めた。

自身の周りを完全に水で覆い刃を防ぐファシル。

刃は水に触れた途端、姿を保てなくなると勢いのままに砂利へと戻ってそれ以上進行する事はなかった。


 水気に当てられてべちゃべちゃと地に落ちるそれら。

実際の所、この時のファシルの行動は選択肢として最善でありそれ以外は死に直結していた。

砂塵は風に舞う程に軽いとあれば、その中に微粒子くらいのものがあってもおかしくはないので、それらを無意識に吸い込んでしまっていたかもしれなかった。

そうなると体内に入り込んだ微粒子を使ってファシルの体内から攻撃する事も出来る羽付きのそれは、防ぐ手段を持ち合わせていないファシルを死に至らしめる事は容易い事でそれも羽付きの策の内であった。


 しばらく続いた短い攻防は一方的ながらもファシルがそれを凌ぎきると一先ずの落着となった。


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