第七十八話
確実に他者からの干渉を避けるために選んだ箱の中。その中でレイリアはファシルと共にいた。
箱に呑まれるその時、レイリアはファシルの手を握っていた。
それはファシルを見失わないためであり、ファシルを助けるためであった。
「ラースデューレン」
「ロヴュースト」
レイリアは迷宮の中で一つの空間を作り出した。
その空間は外からの現象を一切受け付けず、レイリアが持つ手段の中で唯一、箱の意識干渉を防ぐ方法であった。その中へと入るレイリア達。
二人が入ったその場所は、正常な視覚的情報としてお互いの姿を現した。
レイリアは本来の姿となってそこにあるが、ファシルのその姿は最早生きているとは言えない有様であった。
進行して全身を覆う呪い。
体の中心に空く穴。
体を貫かれて大きく開いたその穴から流れていった命の灯。
その灯がわずかに残っている状態、魂がかすかに残っているその状態は死んでいるとは言えないものの、生きているとは到底言えるものではなかった。そしてその魂もファシルの体を離れようとしている。
その残酷にも克明に見せつけられた現実は、意識干渉がないにもかかわらず、レイリアの心を歪ませた。
空間の中にひしめくレイリアの声。その声は幾度も同じ言葉を連ねた。
──ファシル。
その目の前で横たわるその者の名を呼ぶレイリアは、その言葉端に焦りと後悔の色を滲ませた。そして何度も行使される回復魔法。無詠唱で行使されるそれは眩い光をその場に煌めかせると、その光景はレイリアの魔法に対する練度の高さを物語った。
本来なら過剰な程の回復魔法の行使。
しかしながら、ファシルの体が治る兆しはない。
それはファシルの体を覆う呪いのせいであり帝国城広場にて羽付きがかけた呪いは、それを見越したものでそれだけ殺意の高いものであった。
呪いによって阻まれ続ける回復のそれは幾度も使われたが、当然にファシルの体を治しはしない。
しばらく続いた魔法の行使は、いつしかその精度落としていく。
自身も痛手を負っているにもかかわらず、他者を蘇生することに全力を掛けて使い続けた魔法のそれらは、無尽蔵に近い羽付きの魔力を大量に消費させていた。
それであっても、外の箱など幾度も使われた魔力の消費量は計り知れないもので、レイリアは自身が考えているよりも疲弊しきっていたのだ。
尚も続けられ、狂ったように呼ぶその言葉──ファシル。
レイリアの望みはお互いが生還することであって、他者を殲滅する事でも、その他者に蹂躙される事でもなかった。
ただ、ファシルと共に居たい。
その望みがレイリアのすべてを突き動かしていた。そしてそのがむしゃらなレイリアの行動はある事から目を背けての事であった。
今の先にある現実が嫌でも差し迫る最中にレイリアはふと手を止めると、差し迫るそれが辿り着く前に一つの、最後の決断をした。
するとレイリアは、ファシルに言い聞かせるように、静かに優しい口調で心の中にある思い出を語り出した。
「みてみて」
庭先で見つけた小さな生き物を捕まえると、嬉々としてセリーネの下へと駆けていくファシル。
セリーネが「どれかな」といつもの優しい口調できくと、ファシルは「ほら」とその小さな手を開いて見せた。
するとその生き物は、手が開かれると同時に飛び去ってしまう。
「あっ」と口を開くファシルの視線は飛び去っていく生き物に向けられていた。
どうしてもそれをセリーネに見せたかったらしく、ファシルはしゅんとしてしまう。
すると、セリーネが俯くファシルの頭を撫でながら「また捕まえればいいじゃない」と優しくあやしつけた。
しかし、納得できないファシルは意固地になって「でも」と言葉を漏らした。その声は今にも泣き出しそうで、ファシルはそれをなんとか堪えていた。
すると、家の中にいたガイアスが庭に出てきた。そしてファシルの前に来るとしゃがみ込んで目線を合せた。
「泣くな」
いつしかこぼれてしまった、頬を伝う涙をそっと拭うガイアス。
「今度は一緒に探そう」
口下手なガイアスがそう言うとファシルは、そのままに抱きついて「うん」と頷いた。
その姿を見たセリーネは、優しくファシルを見つめつつ微笑んだ。
「ふんっ」
庭先で振るわれる木で出来たその剣は、勢いよく風を切る音を立てて振り下ろされる。
ファシルはガイアスに教えられた通りに、姿勢を保ちつつ木剣を何度も振るった。
それを見守るガイアス。
すると、ガイアスが頃合いを見て口を開いた。
「よし」
そしてファシルの素振りを止めさせると、ガイアスは自身が持っていた木剣を構える。
そして「打ってこい」とだけ言って、ファシルに次の稽古へと移らせた。
「おりゃっ」
剣を構えたその姿勢がまだ拙いファシル。そのファシル渾身の木剣で切り掛かったそれは、少し間抜けな掛け声とともにガイアスへと向かうと簡単に弾かれてしまった。
「まだまだだな」
「手加減してよ」
弾いたガイアスは少しニヤリと誇らしげに笑みを浮かべ、弾かれて姿勢を崩したファシルは立て直しつつも冗談ぽく愚痴をこぼした。
「それでは強くなれんぞ」
「すぐに追いつくよ」「見ててよ」
談笑交じりに行われる稽古は時として優しく、時として厳しいものであったがそれはファシルを強くした。
ヒュン。
風を切って飛んだ矢は、的の中心に刺さっていた。
「すごいでしょ?」
ファシルはガイアスと共に、森にあるいつも使っていた稽古場に来ていた。
弓の腕を自慢げに口にするファシル。
「ああ、そうだな」「悪くない」
「へへっ」
ガイアスがファシルを褒める事は少なかったが、その少ない内の一つがこの時であった。
褒められた事が嬉しくて仕方がないファシルは照れながらも次の矢を構えた。
弦を引いて的を狙うファシル。
後は、その弦を引く手を放せばそれは的へと真っすぐ飛んでいく。
めいっぱい引き絞ったその弦。
ファシルはその手を放せなかった。
力が抜けて、たわんでいたその形を元に戻していく弦とそこに力なく落ちる矢。
ファシルはやがて、その構えていた弓を下ろす。
肩から下、力なくだらりと弛緩したその体。
ファシルは視線を的へと映したままその場に立ち尽くしていた。
「もういいのか」
そう口にするのそこには居ないガイアス。
「ああ」
ファシルは視線を動かさずにそう返事する。
「大変だったね」
その会話にセリーネも加わる。
「えらいぞ」
「よく頑張ったね」
二人の声は久しいもので、視界がにじむファシルは「ああ」と声を絞り出した。
「もういいんだぞ」
「あなたよくやったわ」
「もう十分だ」
「満足だよ」
二人が言っている事をファシルは理解しているが、納得はしていない。
それらの言葉が意味する事はファシルの旅の目標を失わせる。
「でも」と口に出してしまいそうなファシルの心は分からなくなってしまった。
そんなファシルの気持ちを見透かしたように言葉が続けられた。
「旅に出なさい」
「お前の旅だ」
二人に言われてファシルはその言葉を口にした。
「俺の──旅」
ファシルが口にした旅という言葉。
それを呟いた後、二人からの声はしばしの沈黙へと変わる。
静寂の中、ファシルは自身の心に耳を傾けた。
すると、聞こえてくるのは一人の声。
何度も聞いたその声は、いつも当たり前のようにそこに在ってそれは心を動かした。
「ああ、そうだな」
当たり前の事過ぎて気付かなかったその事。それに気付いたファシル。
話をしたい。
仲直りしたい
気持ちを伝えたい。
一緒に居たい。
そして、助けたい。
気付いた事によって膨れ上がり溢れだしたその感情。
それは全て一人の存在に繋がる。
──レイリア
その名を心の中心に現したファシルは自身の体に着実に力を取り戻していく。
そして明るく眩いその優しい光が、狭くて濁って暗くなっていた辺りの景色を、ファシルの心を解放していく。
「「がんばれ!!」」
ガイアスとセリーネがファシルに言葉を託し、その言葉にファシルは晴れた心を表した。
長らく続いた夢は終わりを告げていく。
「ありがとう」
「いってきます」
ファシルは目を覚ます。




