第七十四話
ファシルを守るための石の壁は全て突破された。脆いはずのない石は直進する剣の進行を全く妨げる事が出来ず、その役割を終える。
隔たりをなくしたファシルはそれを目で捉えていた。
全身を侵食する呪いで動けないファシルは羽付きの投げた剣をどうする事も出来ない。その剣は只々目標を貫かんと走った。その時であった。
「ドゥリフッククーヴェス」
直進し続けた剣は紙一重の所で止まった。そしてそれはぎゅるぎゅると音を立ててファシルの目の前の空間とともにねじれていく。ねじれる空間に呑まれた剣は、空間に沿ってねじ切られ、そして残骸となって地面に落ちた。
羽付きは誰に言うでもなく言葉を紡いだ。
「やはり来たか」
「愚かな事だ」
羽付きの言葉を向けられたその存在をファシルは知っている。
その者の事を誰よりも知っていると言える。
ファシルはその者の名を呼んだ。
「レイリア!」
その呼びかけに応じて姿を現すレイリア。その姿はファシルのよく知るレイリアの姿であった。
レイリアはファシルの前に現れるとすぐに言い放った。
「フィアカントクーヴェス──トゥエーデ」
その言葉の意味する事を羽付きは知らず、聞いたことがあるといった程度であった。
立方体が羽付きを呑み込んだ。するとその後すぐに、さらに現れた立方体がその上から立方体を呑み込んだ。あっけなく呑み込まれる羽付き。それは以前ファシルがヴェインツから受けたものよりも強力なものであった。
レイリアの背中越しにその光景を見ていたファシル。それは刹那の出来事であったが、レイリアはすぐにファシルへと向き直ると「逃げるよ」とだけ言って、ファシルと自身を、自身の創り出した球体内に閉じ込めた。
「ヴヴェーゲン」
レイリアがそう口にするとその球体は広場から姿を消した。
二人は帝国から脱出した。
抵抗する間もなく立方体に呑まれた羽付き。
「これが例の」
あれかと口にすると、羽付きは内壁の一つを手の甲で軽く叩いた。
その行動は強度を測る際によくみられるものであった。羽付きはそうして壁がどういったものか確かめた。
レイリアが創り出した立方体の内壁はとても複雑な構造をしており、並みの者では絶対に抜け出せないものであった。
「なるほど、なかなかどうして」
閉じ込められた羽付きはそう呟くと先ほどと同じ行動をとった。
再び内壁に手の甲を当てる羽付き。その瞬間、内壁にひびが入った。叩いた箇所を起点にそのひびは広がりを見せる。するとそのひびは内壁に隙間なく走り、やがて粉々に砕いた。
「悪くない」
立方体を出て開口一番そう口にする羽付き。その者にとっては石の壁と変わらない様であった。
「なに逃がしてんだよ」
言葉こそ叱ったものであったが、それを口にした本人はあまり怒ってはいない。ファシルを相手した羽付きに対してそう告げた血気盛んな羽付きは、広場の荒れた様子に視線を向けながらさらに「どうする?」と訊く。
すると、その問いに軽く肩竦めた
「どうせ奴は助からん」
あいつらに任せるさと言って帝国城に向けて踵を返し、城の中へと戻っていく羽付き。
血気盛んな羽付きは「次こそはもらうぞ」とその背中に言葉を投げた。
「好きにしろ」
そう言って羽付きは城の中へと消えた。
血気盛んな羽付きは、目標が逃げたであろう方角を見て両手に力を収束させた。次第に集まる光の粒。それはやがて弓と矢の形を成した。
そしてそれを持った羽付きは矢を射る姿勢を取った。
羽付きは視認出来るはずのない距離の目標を狙っているが、矢の角度は地面と水平のままに弦を引き絞っていく。光の粒をさらに集めて狙うその所作は綺麗なもので全く迷いがない。
「どけ、俺の獲物だ」
そう口にして狙いをつける遥か先に目標の者はいた。
帝国トイフェリシュからかなりの距離を離れた森に突如として透明の球体が現れた。それはレイリアとファシルが入ったものであった。
帝国から脱出したのも束の間、球体が役目を終えて消えると、レイリアはすぐにファシルの体に手をかざした。
「フィルグ」
中級の回復魔法を使うレイリア。
呪いの進行を止めるためにしたその行動であったが、ファシルの体はそれを寄せ付けなかった。しかし、その様子をあらかじめ予想していたレイリアはすかさず次の魔法を使った。
「フィルシグ」
次に使ったのは上級の回復魔法。
レイリアはその魔法と共に自身の思いを込めて手をかざす。
まばゆい光を放ち辺りを照らすその魔法は、とても献身的なものであった。
やがて光が収まり回復の程度を見るレイリア。しかしながら上級の回復魔法であってもファシルの体は治ることがなく、呪いの進行を止める事が出来なかった。
もう一度同じ回復魔法を使うレイリアの様子は少し落ち着きのないものであった。
そしてそれはしばらくの間、何度も行われた。
「もういい」
「やめてくれ、レイリア」
何度目かの魔法を使った後、静かにはっきりと告げるファシル。そのファシルの声は諦めの色が強く伺えたが、それ自体は弱々しいものであった。
なくした左腕の切断面より広がる呪いは特殊なもので、本来のものより進行が速く、それによって広場にいた頃よりも酷い有様となったファシルの体。さらにぶり返したもう一つの呪い。
その体はレイリアの思いとは裏腹にみるみると悪化していった。
そして魔法の行使をやめたレイリアとファシルの間に絶望的な空気が流れた。
二人は分かっていたのだ。
ファシルの体を侵食し徐々に広がり続けている呪い。
それが一切の回復を阻害している事は勿論の事、
それが全身を覆ってしまえばファシルを死に至らしめる事、
その状況まで時間がない事。
そして、ここまで進行してしまった呪いはハイクラウタを用いたとしても治す事が出来るか怪しいという事。
どうする事も出来ず一刻の猶予もないこの状況下で、焦るレイリアと落ち着いているファシル。
息の詰まる沈黙を、破ろうとレイリアが口を開いた。その時であった。
「いけませんな、油断は禁物ですぞ」
何処からともなく聞こえてきたその声は、二人を追っていた羽付きがその場に追いついた事の現われであった。そして追いついた者達によって最悪の状況へと変貌する。
追ってきたのは、大きな四つの白い羽を携えた四人の羽付きであった。




