第六十九話
そこに映る自身の体は少しの数を残すばかりであった。そしてそれは魔力を多量に失った事の現われであり、命の灯が消えかかっている事の現われでもあった。
立方体の中で自身を形成している魔力とその空間との境界が曖昧なものとなったファシルの体。その曖昧な空間でファシルは夢を見ていた。
それは以前に見た深くて暗く、そして凍える程に寒い闇。今はそこからもう逃れる事が出来ないと諦めて座り込んでいる。それは逃げたくて仕方のない場所であったが、それが叶わない今となっては恐れよりも諦めが勝っていた。その諦めたファシルに迫るいくつもの黒い手。それはファシルの体を無造作に引っ張っていく。それれらはどれも違う方向に向かっており、このままでは四方八方に引き裂かれるのを待つばかりであった。
それらに引っ張られるファシルは「またか」と呟いた。それは全くの無意識で出た言葉であった。しかしファシルにはその言葉通りに既視感を感じていた。そしてその先は決まっており、ファシルはその先の事が嫌で嫌で仕方なかった。体を引く力が次第に強くなり軋む音を上げる。そして、それはあと少しで終わる。
そんな時であった。体を引く力が突如として全くなくなった。そしてファシルの体は暖かく包まれた。それは日の光を浴びた感覚に似てじんわりとしたもので、ファシルの体は狭まるその空間の中で暖かくそして優しく救われた。ファシルはそのとても心地の良い感覚に身を任せた。
そしてファシルを包んだ空間は段々と狭まる立方体を内側から砕いた。
障壁が砕け散ったことによって空間形成を止めた双子の羽付き。そしてその後、最初の頃よりも小さくなった立方体が動きを止める。それは内部からの反発によるもので、その反発との押し合いの末に立方体は砕け散った。そしてその中から淡く光る透明の障壁が姿を現した。その中には二人の姿が伺えた。
その光景がどういったものか分かっていたが「どうして」と心の声を漏らしてしまう双子の羽付きの片割れ。それは遅れてこの状況に参加した者へと向けられていた。そしてそれはその者の行動が理解出来ないという意と同時にどうしても伝わらない自分の考えに嘆いたものであった。
光の障壁は役目を終えて霧散して消えた。そしてそれを作り出した者は眠ったままのファシルの前に立ち、双子の羽付きと相対した。その者は表情にこそ出ないが静かに、確かに怒りを現していた。
その者の表情を見た双子の羽付きはそれを意に介さず、その者の後ろで眠り続けているファシルを見据えた。
「そいつを渡しなさい」
そう口にした羽付き。その口調はいたって冷静なもので、その冷静な調子の中に鋭い厳しさが垣間見えた。しかし、その者は双子の羽付きからファシルが見えないように、視線を遮るように少し立ち居を正した。
その者のこの所作を見た双子の羽付きは、その者がどういった性格か今一度思い出すと説得を始めた。
「今ならまだ引き返せるわ」とアリファ。
「このままでは死んでしまうわよ」とイルファ
双子の羽付きは交互に言葉を連ねた。それは一人がしゃべっている様に自然なものであった。
「あなたの今までの行いは筒抜けなの」
「それを知ったうえで彼らは貴女を見逃していたのよ」
分かっているでしょと続けた言葉に、その者は視線をさらに鋭くしたがそれでも自身の考えを曲げる気がないその者に双子の羽付きの説得は続く。
「私たちがここにいるという事」
「これは最終通告なの」
未だ折れる事のないその者の信念に、双子の羽付きは少し感情の起伏を乗せて説得を続けた。
「貴女は利用されているのよ」と決めつけてかかる双子の羽付き。それを聞いてさらに気を悪くするその者。双子の羽付きの次に発した言葉はその者の神経を逆なでした。
「そいつは貴女を利用してここまできた」
「そいつは貴女を使い勝手のいい物としか考えていないの」
その者にはファシルとの今までの旅がそうではなかったと強く否定できたが、実際に羽付き側から見ればそうとしか言いようがなかった。
「そいつの力がどんなものか知っているはずよ!」
「その力が覚醒すれば以前のようになってしまうの!」
「それがどういうことか分かっているでしょ!」
双子の羽付きは語気を強めて言い、それは声の大きさにも影響した。
その頑なに折れないその者の後ろで眠っているファシルに少し動きが見られた。かすかに意識が戻り始めているようであった。
その事に気が付いていない双子の羽付きとその者。
それらのやり取りは感情的なものとなって、説得から逸れていった。
「なんで、そいつなの?」
「そいつじゃなくてもいいでしょ」
「そいつ程度なら他にもいるじゃない」
「よりによってなんで」
そうまくし立てて言葉を連ねた双子の羽付き。そして息を整えると少し冷静な口調に戻して諦めの意を込めて事務的に言い放った。
「渡しなさい」
「でなければ貴女自身の手で決着を着けなさい」
「貴女のためなの」
双子の羽付きから出てくる似たような言葉。
それらの言葉からは、堂々巡りになってしまうと思えた。
しかし、次に出た言葉でその場の空気が凍り付く。
それはアリファが口にした。
「クインツェッター」
という言葉であった。
夢の中なのか目が覚めているのかと曖昧な意識の中にいたファシル。それはもし他人が見る事が出来たなら、夢の中、だと断言できる状態であったがファシルは、目が覚めている、感覚でいた。
ファシルは泡に包まれて浮いている。それはふわふわとして心地がいい。その泡の中で寝転がるファシル。するとそこに外からの喧騒が遠からず響き少しの不快感を抱かせた。
「何訳の分からない事言ってるんだ」と思いつつ目を閉じたまま寝転んでいるファシル。その様子はまだ起きる気がないようで目を閉じたままであった。しかし外の喧騒は次第に大きくなり、そして鮮明になっていく。
渡す渡さないといったやり取り。それが何を指しているのか分からない。
そこへ、そいつ、と聞こえてくるとファシルは「そんな名前じゃない」と口にすることなく否定した。しばらく続いた喧騒であったが、ある単語を最後にそれは終わりを告げた。
「クインツェッター」
この単語を耳にした瞬間泡はぱちんと消えてなくなった。その衝撃は泡の中にいたファシルには頬をバチンと張られたように感じられて、一気に焦りへと変わった。それによって先程までのまどろんだ気分は全て消え失せた。
そして喧騒はなくなり、自身の鼓動の音がすべてを支配する。それはとても速くそしてとても気持ち悪い。吐き気を催すファシルは「こんなことしてる場合じゃない」と得体の知れない焦燥感にかられた。
ファシルは目を覚ました。
目を覚ましたファシルは勢いよく状態を起こした。それに気が付いたレイリアが駆け寄り何かをファシルに伝える。それはレイリアには珍しく焦った様子であったが、ファシルの耳に音は入って来るものの、それを言葉として理解できなかった。それはまるで壁越しに音を聞いているようなくぐもった音であった。
ファシルは言葉が聞き取れずレイリアを見た。
その瞬間であった。
左目に激痛が走りそしてその目から雫がこぼれた。ファシルは意味が分からず、それを拭ったが手に付いたそれを見て固まってしまった。そして再び鼓動の音が耳を支配する。それは夢の中ではない。それは血であった。
レイリアがファシルに伝えた事は、レイリアには珍しく自身の望むことであったが、それはとても浅いと言わざるを得なかった。それは目の前の者達を退けてほしいといった内容であった。しかしそれがファシルに伝わる事はなかった。何度も懇願するレイリア。その焦った様子はファシルには珍しいものとして映るとともに、それは双子の羽付きにはあさましく映った。
そのわがままとも取れるレイリアの様子を見て双子の羽付きが口にする。
「命令です」
「その者を始末しなさい」
その言葉を聞こうとしないレイリア。レイリアはファシルに懇願し続けている。
なおも続くレイリアのわがままに付き合いきれなくなった双子の羽付きはレイリアを見つめたまま口を開いた。その視線は諦めが多くを占めていた。
アリファが短く「やって」と言うと、イルファが「わかった」と返事した。
アリファが言い切った。
「ヴェインツの前でそんな小細工は通用しない!」
するとレイリアの周りで音を立てて見えない障壁が砕け散る。それはファシルの知らないものであった。それもそのはずで、それはむしろファシルのためにレイリアが自身に張り続けてきた障壁であったからだ。
そのレイリア自信を包む障壁が無くなると同時にファシルの目は落ち着きを取り戻したが、今度はファシルが落ち着きを失った。
ファシルの目に映ったのは、白い大きな羽を携えたレイリアであった。
「え?」
あまりに突拍子見ない事に言葉が後に続かない。そしてその言葉を失って固まるファシルにアリファが口を紡ぐ。
「よく見なさい!」
「それがその娘の本当の姿!」
理解が追いつかず混乱したファシルはアリファを怒鳴りつけた。
「やめろ!」
それはファシルの、それを認めたくないという心の表れであった。ファシルは頭は勿論、それを一目見て理解している。しかし心がそれを拒絶したのだ。sの拒絶の反動が怒鳴りとなった。
そしてすぐにレイリアに視線を戻して伺う。
「違う、違うよな」
それは、かき混ぜられた感情の一番表層にある焦りが自身に言い聞かせるように口から出たものであった。その言葉はレイリアに訊いていると同時に
自身に言い聞かせていた。
そして尚もその言葉は続く。どうしても否定したいこの状況にファシルは言葉を連ね続けた。
これは間違いだ。
何かおかしいんだ。
そんなわけない。
勘違いだ。
そしてファシルの、そうであってほしい、という思い。
この思いに対しての肯定が今は一番欲しい。ファシルはレイリアの肯定を待ち続けた、がしかしそれは終ぞ来ることはなかった。
ファシルの視線に気づいていながらも顔を合せようとしないレイリア。レイリアは黙ってしまっていた。
そしてそれらの所作が全ての回答であるように、それにつられて黙るファシル。ファシルの表情は戸惑いを帯びたまま止まってしまった。
羽付きが口にした──フィアカントクーヴェス。
立方体が二人を吞み込まんと再び現れる。
それは煮え切らない、茶番のような二人のやり取りを見ていたイルファが創り出したものであった。それは先程までのものよりも魔力の小さなものであったが、無抵抗のまま吞まれていく二人。
それを見てさらに苛立つイルファ。
「貴様のその心の弱さが彼女を苦しませるのよ!」
イルファはファシルにそう吐き捨てた。
それでもなお反応を示さないファシルに対して次はアリファが、冷静に叱るように吐き捨てた。
「彼女を見なさい」
「その左目でしっかりと見るのです」
双子の羽付きの言葉はファシルに届いたかは分からなかった。
そして立方体は二人を閉じ込めると宙に舞った。
苛立ちがまだ収まらない様子のイルファとアリファ。双子の羽付きは宙に舞った立方体を見つつどちらからともなく「これでもう……」と何かを言いかけたがそれを遮るように「彼女たちは必ず出てくる」と言葉が重なる。
「その時は私達の手で」
「わかった」
皆まで言わずとも通じ合う二人。
二人でなくとも分かり合うそれは、説得が失敗した時点で後に残るのは一つだけであった。
二人はそれがどのような結果になろうとも、覚悟を持ってその時に臨むのであった。
立方体に呑まれた二人。その者らはしばらくの間、沈黙し続けていた。
それはファシルが口を開いた事によって終わり、そして重苦しい雰囲気へと変わった。
「嘘だよな」
「俺たちを動揺させるための作戦だ」
口を開いたことによって再びいくつもの感情をはらんだ動揺がぶり返したファシル。その口調は相手に問いかけていたり、自身に言い聞かせていたりと話の本質の所在がいったり来たりとしている。それは言葉こそ関連したものであるが、支離滅裂の一歩手前と言った有様であった。
ファシルは自身の焦りからまくし立てるように言い連ねた。
「なあ、そうだろレイリア」
そう言って相手を、レイリアを見て問いかけるファシル。しかし未だに目を合せようとしないレイリア。立方体の中で二人切りとなっても以前のように話す事は出来なかった。
ファシルはそんなレイリアに向けた視線の先──レイリアの後ろにある壁を見てある事に気が付いた。立方体の中はそこにいる者映し出して、それは連続した者になるはずがそこにはそれを見て唖然とした表情を浮かべたファシル自身しか映し出されていなかった。それに気が付いたファシルは残りの壁を次々と目を移していった。しかしそこに映っているのは感情剥き出しの顔をしたファシルが連続しているだけであった。そこにレイリアは一人も映っていない、目の前の本人を残して。
それに気が付くのを待っていたように、左目が疼いた。
そしてその左目は真っ赤に染まる。それはそれら全てに真実を映し出した。
レイリアの髪がなびいた。そしてレイリアは本来の姿を現していく。
白銀へと色を変えていくレイリアの髪。その髪の変化が毛先まで変えると今度は背中から生える大きな白い羽をその場に現した。その姿は連続した景色のすべてに反映されている。
本来のレイリアの姿を見たファシルはそれを強く否定した。
「違う違う違う」
「これは違うんだ」
矢継ぎ早に言葉を連ねるファシルは左目を手で隠した。右目のみで見る視界に映るのは目の前のレイリアだけであった。ファシルはそれらを否定して右目で見える世界で問いかける。
「なあレイリア」
ファシルの口調は優しくゆっくりとしたものであったが、レイリアから返された言葉は厳しいものであった。
「ごめんなさい」
その一言には全てが集約されており、そう言ったレイリアはスッと顔を上げてファシルに顔を合せた。厳しいその言葉に立ち尽くしてしまうファシルであったが、その合わせた顔を見てドキッとした。右目に映るその顔はいつものレイリアであった。しかしレイリアはファシルの左手を取って本当の世界を左目に映した。視界のほとんどを占める白。それは両の目で見る世界を交じり合わせた。そしてファシルは全身の力が抜けて立っていられなくなった。姿勢の意地が出来なくなりその場に倒れていくファシル。
ファシルは顔だけをレイリアに向けて小さく「レイリア」と名を呼び、薄れ行く意識の中そっと手を伸ばした。どれだけ力を込めても抜け落ちていくファシルの体。ゆっくりとレイリアに向けられたそれは、届くことはなかった。
「やっぱり」
「ええ、そのようね」
外から立方体を見守り続けていたアリファとイルファ。それは予想通りになった。
宙に舞う立方体は霧散して消え、そしてその中から、気絶したファシルが両膝を抱えた姿勢のまま宙に浮いている。そしてその場に大きく白い羽を羽ばたかせるレイリア。それは本来の姿、クインツェッターとしてその場に現れた。なびく白銀の髪。その姿を見たリヒトアリファ、シェードイルファは白い大きな四つの羽を羽ばたかせて、同じく宙に舞う。
そして口を開くリヒトアリファ。
「渡しなさい」
その短い一言は言い切る事すら許されず雷撃によって遮られてしまう。その無言の雷撃はリヒトアリファの最後の申し出を拒否したものであった。
相手を亡き者にするという明確な意思をはらんだ雷撃。その雷撃はリヒトアリファに触れる直前にシェードイルファの創り出した空間に呑まれて消えた。
「相変わらず」
「頑固な事」
リヒトアリファとシェードイルファの言葉は他愛ないが、二人は微塵もふざけてなどいない。
そしてクインツェッター、リヒトアリファ、シェードイルファの三名は示し合わせたように同じ言葉を連ねた。
「「「ミヌロスト」」」
「「「プロ―ドゥ」」」
「「「ブドゥツノスト」」」
それらは一つ唱えるたびにお互いの周囲に大きな魔方陣となって出現する。
魔方陣はそれぞれが詠唱者を中心に回転を始め、それらは別々の軸を中心に回り、そして加速したそれらはお互いを囲む大きな球体となって魔力を増幅させた。
辺りを漂う魔力を吸収していく二つの球体。それは如何に小さなものであっても吸い寄せられて次第に球体の規模を大きくしていく。その大きさはそのまま魔力の大きさを表しており、一定の大きさを保ったまま球体は辺りの気や魔力を目に見える形の対流として起こしたそれは最後の言葉を待っていた。
充分な力を溜め込んだ二つの球体。それぞれの中心に在る者はお互いに言葉を重ねた。
「円環は力を成す」
その文言を聞いた二つの球体は反応を示すように一際眩しく輝き始めた。それはその場に二つの陽が出来たように眩しく、お互いが同じくらいに輝いてその場を照らした。そしてさらに眩しくしたその輝きはどんなに小さな影も一つ残らず消し、その場を白一色へと変えた。そして最後の言葉紡ぐ。
「シュクルス──ヴァース」
三名の言葉をきっかけに光の砲撃が双方から放たれた。
触れ合う双方向の光の砲撃。それらはお互いが向き合っているために衝突を免れない。触れた光ははじき合って、押し合っていく。その押し合いで圧された光は影を落としていき、影は色を持って現われて双方の球体を行き来した。
お互い譲らない光の砲撃はしばらくすると一方に偏り始めた。それはクインツェッターの方に近く、そこに影を落としていく光。リヒトアリファとシェードイルファの二名による魔力の総量は相当なもので今現在のみで見ればクインツェッターに勝ち目はなかった。
「「はあっ!!」」
さらに力を込めて追い込みにかかるリヒトアリファとシェードイルファ。その力を込めた声は光の砲撃をさらに後押しした。
どんどんとクインツェッターの近くで影を落としていく光。それは、それまでに行き来するように動いていたとは思えない程に偏りを見せている。そしてその光の砲撃は片方を完全に超えていく寸前であった。
しかしそこでクインツェッターが口を開いた。
「ごめんなさい」
その言葉は本来、この砲撃の応酬を止めるための、自身の行いの間違いを認めて相手に許しを請う意味の言葉であったが、クインツェッターのその言葉の本質は全く違い、その後に続く言葉がそれを証明した。
「私はここで死なないの」
その至って冷静な言葉の連なりは傲慢とも思えた。しかしそれは結果を確定させた。そしてなおも紡ぐ言葉。次のそれは本来の意味であった。
「ごめんなさい──お姉さま」
クインツェッターが紡いだその言葉を最後に光の砲撃は、片方の抵抗をなくしたように一気に押し返して終わった。
光の砲撃が止み、わずかに残った魔力の粒がその場に浮遊する。
その粒はリヒトアリファとシェードイルファを中心に色濃く浮遊している。
そこへ近づいたクインツェッター。その顔は固く口を閉ざして無言を貫いていた。それは一度開けば雪崩れ込むように、いくつもの言霊となってしまい言葉を遮ってしまう。それをしたくないクインツェッターはそうするしかなかった。それだけ目の前の二人から出てくるであろう言葉が少ししかない事を分かっていた。
リヒトアリファとシェードイルファの前に来て黙り込む二人の妹。その表情は二人にとっては見慣れたもので、相変わらずなものであった。
何時しか見たそのわがままな表情にシェードイルファが「ふん」と短く呆れた様にため息を漏した。そしてその後に続けてリヒトアリファが言葉を紡いだ。
「勝手にしなさい」
その言葉は幾度も聞いたもので、二人の姉がいつも折れて口にするものであった。それはその時々でいろんな意味を込めたものであったが今回は少しの優しさが垣間見えた。
その言葉を聞いてやっと口を開くクインツェッター。
光となって消えていく二人の姉に向けられたそれは、相変わらずわがままなものであったが、前向きな言葉であった。そしてその言葉を聞いた二人の姉は笑顔を返して消え、一人となった妹は堪えきれず頬に雫を伝わせた。
「ありがとう」
レイリアの膝で意識を取り戻したファシル。その視界に入った顔は心配そうにしている顔であった。
しばらくぼーっとしていたファシルは思い出した様に、その場からすぐに離れた。そしてすぐに左手で左の目を覆う。
そして二人の間に沈黙が流れた。二人の離れた距離はそのまま心が取った距離に思えた。
「ファシル」
先に口を開いたのはレイリアであった。
「今まで騙していてごめんなさい」
「私はあなたが追う羽付きの仲間なの」
レイリアの言葉を黙って聞くファシル。その表情は今までの事が夢で現実ではないと、そうであってくれ、と淡く期待していた。しかし連ねる言葉がそれを徐々に否定して現実を突きつけた。
レイリアがファシルと初めて森で出会ったあの時あの場所すべては指示されたものであった。そしてレイリアはファシルを監視することが主な任務であった。そのために行動を共にしていたのだ。
それらレイリア自身の知る事、隠している事を話すと「でも」とすべてが命令ではなかったと否定した。
「ファシルを傷つけたくない」「ファシルに嫌われたくない」
とレイリアの気持ちを伝えた。それはその後にもいくつか続いた。それは視点を変えれば身勝手でわがままなもので、とても許される事ではなかった。
そして最後にレイリアは
「私を信じて」
と懇願したレイリアがファシルに手を差し出した。
ファシルは真剣な面持ちのままその手を見ていた。
手を伸ばすレイリアを見るファシル。ファシルはいろんな感情が心に渦巻いてどうすればいいかわからないでいた。
確かにレイリアは明確に敵であるが、今までの旅が嘘ではなく、それは本当の事であると彼女の口から聞けたこととそれについての謝罪でファシルは十分にレイリアを信じられると、許そうと考えていた。
ファシルには大変な出来事の連続であった旅。その時々にいつもそばにいたレイリア。それは心象風景の一部と言っても過言ではなかった。
それは当たり前にそこに在って、自分にとってとても大きな存在。ファシルにはかけがえのないその存在は今となっては離れる事はないと考えていた。
レイリアの言葉を聞き終えたファシルはためらうことなく、当たり前のようにその手を取ってまた以前のように旅をしようと考えていた。そしてレイリアの手を取ろうと自身の手を伸ばした。
その時であった。
手と手が触れる寸前、ファシルの体は暴走した。
そしてファシルの世界を支配するように鳴る鼓動の音。それは他の音をかき消した。大きく速くなる鼓動の音。
ファシルは左目を抑えていた左手の制御を失った。
赤くなって疼き見開く左目は目の前のレイリアを完全に羽付きと認識した。そうなってしまってはどうする事も出来ないファシル。ファシルの左手は目の前の敵を明確に殺すために動いた。ファシルは咄嗟に地面を蹴ってレイリアから距離を取ると、レイリアの手を掴もうとした左手は力が込められておりかろうじて空を切る。
ファシルは右手で左手を掴んで抑えた。
ファシルの左手は攻撃の姿勢に入った。
あと少しで手を重ねて元通りになると思えた二人の仲。それはファシルの体の暴走を持って不可能となった。
ファシルの体の暴走を見て全てを理解したレイリア。
自身の体の突如として起きた暴走の理由。
二人はそれが、ファシルの体に刻まれた力の本来の姿であると分かっていると同時にそれは避けられない事だと分かっていた。
二人の望む未来はここで、永遠に叶わないことが確定した。
その嫌と言う程に知らしめてくる体を必死に抑えるファシル。その容易く伺える未来はファシルの望むところにない。それを認めたくないファシルはその未来に足掻こうと必死にそれを否定する。
そしてその姿はレイリアにはとても悲しいものとして映っていた。
「大丈夫」「すぐに直るから」「違うんだ」
ファシルの必死に抗う姿は痛ましく、それは自分のせいであると分かっているレイリアもまた、それを認めたくなかった。
抑える力は暴走する体を抑えるため次第に強さを増していく。それはそれだけ体が大きく反発している証で、それがファシルの手を完全に離れるまで、少しの時もなかった。
分かっていた事ではあったが、実際に目の当たりにするそれはレイリアの心に相当な痛みを伴わせた。そして何時しか止めていた歩みを再び始める。
それをファシルは拒絶するだろう。
それでもその苦しみから解放してあげたい。
レイリアは自身の事よりも目の前の大事な相手のために動いた。
体を抑える事に集中するファシルは周りの景色に気を回す余裕をなくして、自身の内に囚われていた。
心ではすぐにレイリアの手を取って仲直りをしたいと考えていたが、それを自身の体は許さない。
レイリアと離れたくない。
ずっと一緒にいたい。
なんでこうなるんだ。
以前のように戻りたい。
ファシルの心は酷くかきむしられて乱れていった。
歩みを再開したレイリア。そのレイリアの顔は悲しみに包まれていた。
そしてゆっくりと確実に歩みを寄せてくるレイリアに気づくファシル。その表情は焦燥しきっていて悲しい。
「だめだ」
「お願いだ」
「止まって」
「レイリア」
それら連ねた言葉は本心であると同時に本心ではない。相反するそれらの気持ちは、ファシルとレイリア双方の気持ちでもあった。
それでもなお歩みを止めないレイリア。その顔は今にも泣きだしそうな、それを必死にこらえている表情であった。
「来るな!」
その叫び声にびくっと体を強張らせるレイリア。
それはファシルの必死に絞り出した言葉であった。ファシルは二つの選択肢の内、こちらを選んだ。どちらを選んでも深い悲しみしか生まないそれら。それらは何処まで行っても交わることが無かった。
歩みを止めたレイリアの視線の先、堪えきれずに下を向いてこちらを見ていないファシル。
そうして表情の伺えないままファシルは、小さく「来ちゃダメだ」と言った。
その言葉を聞いてとうとう泣き出してしまうレイリア。彼女もまた小さくそして弱々しく「ファシル」と言葉にした。それはすがるような気持ちで何度も繰り返された。
「終わりだ」
「ここまでだよ」
「お別れだ」
と顔を下げたまま言い捨てるファシル。その体はファシルの制御を離れていく。そしてレイリアのすすり泣く声が大きくなっていった。
「ごめん」
何度も呟かれえるファシルの言葉と、その小さな呟きに重なるレイリアの
「いやだ」
という言葉。
それらは小さくも強い感情表現で、二人のその言葉はただひたすらに悲しかった。
そしてその時が来てしまう。暴走寸前であったファシルの体が、ファシルの制御を完全に離れようとしている。
「もう行くよ」
その言葉端からはたくさんの感情が伺えて、そのファシルの顔は間違いなくそれら全てを秘めたものであったが、その悲しい顔をみせまいと必死に顔を拭って左目をつぶりながら真っ赤になった顔で不細工な笑顔を見せた。
そして一言告げるとファシルは、その場を大きく揺らして吹き飛ぶように消えた。
そしてファシルの優しさに立ち尽くしていたレイリアはその場にしゃがみ込んで泣いた。それはこれ以上ないくらいにその場に漂った。
「さようなら」




