第五十五話
≪エルシーク≫
ファシルは魔力によって形成された槍を持った。
≪クルエーレ≫
ファシルの姿は砂塵が舞うと共にに消える。閃光のように奔る数多の矛先が多角的に、そしてそれらは一か所に収束する様に、中段の構えをとる金色の鎧を襲うが、金色の鎧は構えたまま微動だにしない。
「違う」
高速で駆ける矛先は紙一重のところで弾かれた。その様は金色の鎧の言葉を体現するように、それら全ての突きを拒否した。金色の鎧は中段の構えから動いてはいなかった。
舞った砂塵はファシルが戻る事を待っていたように落ち着く。それはとても短い時間の現われで、その短い時間の中でファシルの初手は終わりを告げた。ファシルの高速で繰り出された槍の攻撃では全く歯が立たなかった。
動かずして全ての攻めをいなしたその様子からは、何がどうなったのか分からなかったファシルは、糸口がつかめないまま次の手に移った。
≪セス≫
ファシルは両手に剣を構えた。そして今度はゆっくりと相手に近づく。中段の構えのまま動こうとしない金色の鎧。その姿は金色の石像のようであった。その石像にゆっくりと近づいていくファシルであったが、それは近づくにつれて大きくなっていると思える程であった。それだけ目の前の金色の石像に気圧されるファシル。ファシルはとうとう石像の間合いに入った。しかし、石像は動く様子がなく、ファシルの歩みがどんどんと進む。闘技場を息が詰まる程の緊張感が包む。間合いの安全域を優に超えて、危険域に届いたファシルの足は恐る恐るといった様子であったが、それでも動きを見せない石像に対してファシルは剣を振るった。その場所は相手の懐と言っていい位置で、腕の可動域的に防ぎようがないところであった。
緊張感を伴いつつの攻めは果てしなく長いと思えたが、いざ剣を振るった
瞬間、神経伝達の速度よりも速く展開した。金属が触れ合う音が耳から伝わる時点でファシルの体は後方に飛んでいた。
ファシルにとって絶対避けられないと思えた至近距離からの攻めは、いともたやすくいなされたのだ。
吹き飛んでいくファシルは、剣を地面に突き立てて後方の壁に触れるギリギリのところで体を止めた。
うつむいたままファシルは思考を巡らせた。そしてある事に気づく。
速さじゃない。
感覚的にその事を受け取ったファシルは、顔を上げて相手を見据える。するとそれに呼応するように金色の鎧が口を開いた。
「そうだ」
ファシルの心の内を読むように短く言ってのけた金色の鎧はさらに口を紡ぐ。
「よく見ろ」
そう言った金色の鎧はやはり動いてはおらず、中段の構えをしているだけであった。しかし、その姿を見たファシルはあるものを捉えた。それは金色の鎧の周りに漂う。
幼いころ、ガイアスに剣を習っていた時の事。
ファシルは、自身の剣が鋭くガイアスを攻めた時にそれを瞬く間に返された事を思い出していた。今までそれが何なのか分からなかったファシルであったが、今この瞬間それを理解した。
「流れか」
そう短く呟いたファシルに金色の鎧はフッと鼻で笑った。
やっと気づいたかと言わんばかりの顔をする金色の鎧は構えを解いた。すると、金色の鎧の周りに漂うそれは少しばかり雰囲気を変える。
「そうだ」
気の流れだと金色の鎧は言い切った。
「次に移るか」
そう言って金色の鎧は次の構えに移る。
金色の鎧は、その手に持つ大きな剣を腰のあたりに持っていくと、刃先を後ろに逃がした。正面からは刃先が見え辛いその構えを見たファシルはそれを、ある者の姿と重ねる。それは、刀を腰の鞘にしまっている色音の姿であった。
その姿勢のまま金色の鎧は腰を少し落とした。すると次の瞬間、間合いが無くなった。
反応が遅れたファシルは咄嗟に両手の剣でそれを受け止めた。
「違う」
しかしそれは間違いであった。
再度、叱りを受けると同時に両手の剣は砕かれてしまった。反応こそ遅れたものの、初手を防いだファシルであったが、素手になってしまった。
ファシルは次の攻め手に備えて両手で防ぐように構えたが、次が来ることはなかった。金色の鎧は見逃してくれたのだ。
「見えたはずだ」
もう一度よく見ろと指導者の様に言うと金色の鎧は、再度同じ攻め手を放つ。ファシルに向かう、気による攻めは視覚で捉えていては間に合わなかった。それをもろに受けてしまうファシル。その様を見て金色の鎧は
「阿呆が」
と言い捨てた。
壁に叩きつけられたファシルを金色の鎧は離れた位置から見ている。感覚的にしか気の流れを理解していないファシルに、金色の鎧は気とはなにか説明しだした。
気とは森羅万象、如何なるものにも宿っているもので、それは変幻自在であり不変的である。この矛盾した存在は、目に見えるものではなかった。ファシルが先程捉えた気は無意識に感じ取っていただけで、見えていたわけではなかったのだ。それを見えたと勘違いしたファシルは、再度それを捉えようと視覚的に見てしまい避け損なったのだ。
気とは元来、速さとは交わりえないところにある。それは言ってしまえば抽象的なもので、普遍的な速さとは概念が違う。
それ故、いかに速く動けても避ける事は出来ないと同時に、どれだけ遅く動いても避けることは出来るのだ。
金色の鎧による授業は終わったが、ファシルは理解できなかった。その様子を見た金色の鎧は諦めたような素振りを見せた。
「ガイアスに似ているな」
そう言うと金色の鎧は間合いを詰めた。今度は気による幻影的なものではなく、実体であった。頭の理解が追いついていないファシルであったが、金色の鎧は容赦なくファシルを襲う。ファシルに向けて突き立てた大剣の刃先は一層速く進み、それを避ける隙などないように見えた。この時金色の鎧は、終わらせるつもりであった。
ファシルは咄嗟に目で捉えようとした。しかしそれではどうする事も出来ずに死ぬだけであった。速さの概念を飛び越え、省いたように詰まる間合い。剣先は紙一重に迫っていた。別の角度から見ればファシルの体に大剣が触れている様にすら見える位置であったその刃先は、しかしながら触れることなく壁に突き刺さった。
「やはり似ている」
金色の鎧は再び笑みをこぼした。
なぜか動いたファシルの体。その動きは先程までとは違い、無駄がなく最小の動きでそれを躱した。その後に続く無数の突きも、それら全てを躱しきるファシル。その様子に金色の鎧は嬉しそうに言い放つ。
「避けていても」
相手は倒せんと言いつつ無数に放たれる大剣の突き。
それは針の穴すら大きく感じられるほどに敷き詰められた突きで、相対する者には最早、壁の様に見えていた。
それ程に狭い隙を縫って、金色の鎧の大剣にファシルは手を触れた。
「いいぞ」
今度の行動は正解であった。
≪ジズ≫
聞こえてきた言葉に、相手から距離を取る金色の鎧。
「そうだ、それでいい」
技量以外の条件は同じでなくてはなと、相手を見つつ嬉しそうに言い放つ金色の鎧。その視線の先には、金色の鎧と同じ大剣を構える相手。
そもそも、気の流れが読めないと打ち込めないのだが、金色の鎧が相対する者にその心配は無用となった。
「いくぞ!」
金色の鎧の言葉を合図に二人は地面を蹴った。
金属が触れ合う音が闘技場を包む。その音は途切れを知らず鳴り響いている。
それはどれも小気味よく、それはそれを奏でる二人の心情を現しているようであった。
「もっと」
「もっとだ!ガイアス!」
金色の鎧は相対する者に懐かしさを感じていた。それは認識をゆがませる。時間、空間といったあらゆる事を錯覚していく金色の鎧。金色の鎧はガイアスと打ち合っていた。その姿は恐れを知らず、勇敢に立ち向かっていく。後先を考えるといった野暮な事はなく、ひたすらに打ち込んでいく。その様子は若い青年であり、弾ける様な肉体であり、剣術すらも若返っていく。触れ合う音はより一層激しさを増していくが、それでもなお途切れる事はない。相手との何もかもが、息がぴったりなのだ。
金色の鎧は嬉しさをこれでもかと表情にも浮かべる。金色の鎧はこの時を待望していたのだ。そして永遠に続けたいと思っていた。それだけ今の状況は金色の鎧にとって至福の時なのだ。
ファシルは、時々漏れ聞こえてくる、ガイアスという名に対してぶつけられた嬉しいという感情をひしひしと感じ取っていた。相手は自分を通して父、ガイアスを見ている。それにはファシルも嬉しく思っていた。それはまるで自分の事のようであり、誇りに思えた。自己が誰かといった事は些末な事のように思えた。それだけ闘技場を舞台に闘う二人は甘美な感覚に酔いしれていた。
ファシルは、ガイアスからガイアス自身の過去の事を聞いたことが無かった。しかしそれを今、剣戟一つ一つに感じている。ファシルはこれ程に強い、思いと技量を噛み締めた。それに対して一つ思いが芽生えた。
ガイアスはこれほどの相手を失った後、どのように生きていたのだろう
そうファシルの頭をよぎった。
この瞬間、甘美な感覚は途切れて、ファシルという自己が完全に目を覚ます。ファシルはその感覚にとても大きな疑問を抱いたが、それを許してくれる相手でもなければ、暇もなかった。
「ガイアス!」
そう一言だけ叫んだ金色の鎧は渾身の力を大剣に込めた。それは相手に対して最大の敬意も込められており、一切の隙もなかった。
最後の一撃を放つと感じ取ったファシルは剣を構えなおすと気を捉えようと探った。しかし、気を捉えることは出来なかった。自己が目覚めたファシルは技量が足りないのだ。相手との歴然たる差にどうする事も出来なかった。まざまざと見せつけられる相手の凄さ。それは果てしなく、まだファシルが届くところになかった。




