第十五話 ver2
大いに盛り上がった次の日、この日は目的地である王国領の港町ハーフェンに到着する予定となっていた。
甲板では昨夜の騒ぎが嘘のように作業にあたる乗員の姿が見られて、次第に交代の時間となるなり見張りや他の作業を引き継ぐ光景が見られた。
時を同じくして、その乗員たちの入れ替わりをよそにファシルは湖を眺めていた。
水面の揺らぎに沿って反射した陽の光が絶え間なくその様子を変えた。
キラキラと輝く水面の光は眩いばかりではあるものの、それに劣る事のない輝きをファシルは傍に置いていた。陽の光を蓄えては褪せる事ない輝きを放つ宝石。
昨夜の事、その時にファシルが渡した宝石を眺めては溢れんばかりの笑みに終始するレイリア。
そんなレイリアの機嫌を横目に、ファシル自身も嬉しい気持ちを心のうちに蓄えては小さく笑みをこぼしたが、しかしながらその感情一色に染まらない感触がその色を濁していた。
指先で感じ取れるその硬い感触。
確かめるまでもないそれに、ファシルはポケットの中に突っ込んだ自らの手で何かを握る。
ファシルは指先で触れたそれによって、その手触りから感じ取れるひんやりとしたものからレイリアの喜ぶ感情を一身に感じつつもその半面冷静さを強いられた。
身震いのように感情を自身の中で揺らすファシル。
ファシルはポケットの中でなんとなく転がしたそれによって少しばかりばつの悪そうな表情を浮かべたが、その視線の先にある嬉々とした表情に水を差さないように徹すると、今も尚続くレイリアの感情に揺らぎはなかった。
静かにも揺らぐ波はファシルとレイリアの感情に染まらずそして絶えず在ると、船を先に進めたのであった。
ファシルとレイリアがハーフェンに到着するまでのひと時を過ごしていると、不意に発せられた言葉によって奇妙な揺ぎに一区切りがついた。
「そうだ」
唐突な一言は続く言葉によってさらにその滔々さを増した。
「用事を思い出した」と言っては船内へとそそくさと向かっていくレイリア。
(……!)
断りの必要はなかったものの、指先の硬さにドキリとした反応を押し付けたファシルはそんなはずはないにもかかわらず、その硬さ以上にひんやりとした感情を自らの背に流した。
そしてすぐに大丈夫であると確信するなり短い言葉でレイリアを見送っては独り安堵の息をついたのであった。
甲板にてレイリアを見送ったファシルは遂ぞそのひんやりとした硬さをポケットから出すに至った。
握った拳を表に出すと、それを開けては握っていた物が表出する。それは、その手の上にあるはずのないものでレイリアに渡したはずの魔除けの宝石であった。
魔除けの効力よりも気まずさばかりが発揮されるその宝石。それもそのはずでファシルは商人からその宝石を受け取ると物は試しと複製していたのだ。
レイリアには元の宝石を渡し、自らは複製したそれを手に持つファシル。
ファシルは、効力の次第はさておいてもその恩恵は多い方が良いと考えては複製したのであったが、レイリアの喜ぶ顔を見るなり自らの意図を沈黙させた。
もしも同じものを持っている所をレイリアに見られたなら、その宝石の価値を失うとともにレイリアから引き出させた感情すらも損ないかねないと考えては沈黙が正解だと気づいたファシル。
ファシルは複製したそれを用いて色々と試してみようとなんとなくの考えを頭に浮かべていたが、今に感じる自らの感情がその考えを否定するように警告するのを感じ取ると、しばしばその思惑はファシルの中で優先度を落とすのであった。
独り行き場を失ったように複製した宝石を陽の光に透かすファシル。
抑圧された感情がファシルに小さくため息を突かせた。するとその瞬間、弄んでいた宝石にひびが入った。唐突の出来事に驚きを隠せないファシル。
ファシルは驚くままにその宝石を自身から遠ざけた。すかさず粉々に砕けて散る宝石。
驚くあまりに独り声を挙げてしまった事に恥ずかしさを覚えて辺りに目を向けると、ファシルは人の気配がない事から安心するなり砕けたそれを見た。
確かに今しがた自らの手中にあった魔除けの宝石がそこにない。
少しの風が運ぶほどにその身を小さく砕いた宝石は、その風に乗って湖に消えた。
一連の出来事の在り様に唐突さも相まって、言葉を失うファシル。
しかし、すぐに考えを切り替えてはファシルもその場を後にした。
それは自らの不手際が及ばせた次第だろうと結論付けるファシル。
ファシルは去り際、散り散りの宝石を捨て置いたようにそこに自らの言葉も置いていった。
「もっと上手く複製しないとな」
目的の場所である港町ハーフェンは目と鼻の先にあって、本来なら既にそへと着港していてもおかしくなかった。しかし、その次第に今はない。
それもそのはずで、ファシル達の乗る船は目的の場所を目視できる程に迫りつつも着港を避けねばならない現状にあった。
ハーフェンに着く事を誰しもが望んでいたにもかかわらず、そうできない現状に船員の表情は険しい。
「フィーナ!」
レイリアの声に伴って吹く風は船を大きく煽ると、その巨体は大きく揺らされては尋常ではない速さで進行した。船体の材質が強い風によって悲鳴を上げるように軋む。
「もうダメ!船がもたない!」
船は悲鳴を上げつつ風に圧されて想定以上の速度を維持しつつの航行を強いられると、その軋む巨体の後方にて船尾の甲板で独りその者は更なる後方を臨んでいた。
船尾より乗り出さんとするその体は腕を組んではその更なる後方を臨むに、視界に着港を妨げる原因を捉えていた。
見るからに、全身を硬い鱗のようなもので覆うそれは、軋む巨体に引けを取らない程の大きさをほこり一目に怪物であると分かった。そしてその怪物は追いつかんと迫る。
おおよそ湖に起き得ないであろう波が二つの巨体によって巻き起こされると、その怪物は見た目の大きさからは想像できない程に速く泳ぐ事が出来るようであった。そして、悲鳴を挙げる巨体に対して怒号を上げる巨体は自らの鱗を飛び道具のように使うと、それは一直線に船へと飛散した。
「あの時、死んでなかったのか」
慌ただしい現状にそぐわず冷静に分析するかの如く口を衝いたその言葉の主は、その鱗を従えた黒い球で撃ち落とす。すると、先程のこだましたレイリアの言葉に応えるように風に圧された巨体がより一層に大きな悲鳴を上げた。
「頃合いだな」
悠長にそう告げたその者はレイリアに対して指示をとばすと、身を乗り出すようにあったその体を湖へと向けた。
身を投げるように湖へとその者は体を落とす。すると次の瞬間、その体が湖の水面に触れる直前で言葉が紡がれた。
≪フィリオース≫
≪クルエーレ≫
水面に触れるか否かの際に黒い翼が大きく羽ばたいた。
突如として起きる大きな風圧に波紋が広がる。
ファシルは身を翻すとその二つの巨体よりも速く飛んだ。
ファシルの指示によって船は限界ぎりぎりの航行を続けた。
怪物から逃れつつも速度維持しつつその進行方向を無理矢理に曲げる。すると、当然のようにその巨体は更なる悲鳴を上げてはそこかしこから何かが割れる音を伝播させた。
船は大きな円を描くように旋回していくと、怪物もまたその巨体にそぐわない速度を維持しつつ旋回するのであった。
二つの巨体がぐるりと旋回する。
しかし次の瞬間、その怪物目がけてきらりと光るものが飛来した。
陽の光を綺麗なまでに跳ね返す金属の表面は、その鋭さから風すらも切り裂くと抵抗を抑えた角度のままに怪物の巨体の上を鱗ごと撫でるように攫った。
怪物は追う勢いのままにあると、その迫る煌めきを躱す事が出来なかった。
反射する光を集約させて走る閃光は景色に真っすぐな線を描く。すると、如何にもな硬さであろう鱗をものともせずにその煌めきは直進して、怒号を放つ巨体から悲鳴を漏らさせた。
表面の鱗が、不自然にも真っすぐにつけられた裂傷により形を変える。
勢いよく吹き出た血が水面に色を落とした。
しかし、その悲鳴は一時に過ぎ去ると再び怒号へと変えてその巨体を進ませるのであった。
(なんて硬さだ)
手から伝わる感触に手応えがなかったと悟るファシル。
怪物の表皮にある鱗の硬さは勿論に、その下にある皮膚も予想を超えた硬さが備えられていた。
怪物と交錯したファシルは握った剣の先の行方を考えては、隙を突くように迫る鱗へと応戦を余儀なくされた。
空中に留まるファシルは思考を進めては自身の中で結果へと分析を早める。
黒い球で周囲の鱗を撃ち落としつつも怪物の後を追うと、ファシルは手応えのなさから一つの確かな答えに辿り着いた。
表面上の傷では怪物を倒すに至らない。
水面に流れた血の量やその勢いもさることながら、ファシルが付けた傷は到底浅いものではなかった。しかし、まるで感触が伴わない怪物の現状から察するに、そう結論付ける事は自然な事であった。
怪物の表皮はファシルの剣をものともしないとあると、その強度は計り知れないものであった。さらにその表皮の上に備わった鱗は時に飛び道具として、時に鎧として機能する。
すなわち攻防一体の役割を果たす鱗が目下の対処目的物であり、それさえ対処出来れば怪物を倒す事が出来ると考えられていたその計画はそもそも破綻していたのだ。
異常な硬さの鱗の下の表皮すらもその次第にあるとあっては、外的損傷からの踏破は不可能に近い。そしてその表面上の鎧は即座に回復してはそこに備わった。
尽きる事のない鎧とその下に隠された真の鎧。
重ね着した鎧を前にファシルは折れた剣を捨てると、やがては尽きる自らの黒い球によってその場からの移動を強いられた。
飛び交う鱗を少しづつ受けて体に裂傷が出来る。
ファシルは自身の身から流れる血をよそに次の策を考えていたが、そこに先程までの悠長な感触は一切ないと言えた。
鱗を躱しつつ、船を追う怪物を追うファシル。
すると、不意に怪物が首だけを後ろに向けて大きく口を開いて見せた。
失策に終えて焦るファシルは鱗に視界の多少を奪われると、それであっても充分な視界があるにもかかわらず怪物の行動の次第に対して後れを見せてしまった。
先程とは打って変わって自らが怪物との相対速度を最大限にしてしまうと、怪物の大きく開いた口が中心に捉えたその直線上にファシルは自身の体を置いてしまっていた。
(しまった……!)
失策に続く焦りは更なる失策を及ばせる。
ファシルは怪物の咆哮をもろに喰らう事となった。
自らの鱗共々薙ぎ払うように咆哮が大きくこだました。
目に見えて音による歪みが空中を伝播すると、ファシルはその中心で一時とはいえ音を失ってしまった。
一瞬にして失われる感覚が耳に集中すると、時の流れが感じ取れない程に遅く流れて行くのを見たファシル。すると、ファシルはこのゆっくりと流れる時の中である事を思い出していた。
全身が吹き飛びそうな感触の中踏みとどまるようにそこにしがみつくとファシルは咆哮が止むその時を待った。
(その手だ……!)
空中に留まり続けていた体はそこに起きていた歪みの消失を待って行動を起こすと、消えるように素早く動いて見せた。
怪物の視線が見失った標的を探しては忙しなく動くと、自らの横を通り過ぎた風によってその行方を知っては船へと顔ごと振り向き視線を奔らせた。
すると、そこには見失った標的の姿がある。
それを見つけた怪物はすぐさまにそれを追って自らも動こうとした。
しかし次の瞬間のことであった。
怪物は自らの体が動かない事に気が付くと、それどころか何時しかその体の動きが完全に止まっている事に気が付いた。
そこに磔にされたように身動きが全くに取れない怪物。
思いもよらない次第に喚くように咆哮を辺りに撒き散らして見せる怪物。
周囲の景色に歪みが発生しては、当たり散らすように放たれるそれは自らが飛ばした鱗すらも撃ち落としたが、しかしながらその固定された体は全くに解放へと向かうようには見えなかった。完全な固定がそこに完了している。
それは怪物がファシルに向かって咆哮した時にかき消された言葉の連なりに答えが在った。
怪物自身が聞く事の出来なかったそれらの連なりはこうであった。
≪ワンド≫
≪アージオ≫
咆哮の最中にて、何かを思い出したファシルは無意識にそう口にしていたのだ。そして確信に至った自らの考えをもとにすぐさま行動に移ると、それは咆哮の止んだ時点で既に終わっていたと言えた。
悲鳴を上げる巨体がこれ以上のそれを上げられないと思えたその時、怪物の動きが止まったことを遠くに見ていたレイリアの下にファシルが突如として現れた。正確には凄まじい速度で飛翔したに過ぎなかったが、その速さにレイリアの目は追いついていなかった。
ファシルは一直線にレイリアの下に来るなりその手を引いた。
「一緒に来てくれ」
忙しないその言動に理解が追いつかないレイリアは戸惑うものの、ファシルの強引なまでのそれに身を任せた。
ファシルの手に導かれてするりと収まるレイリア。すると、レイリアは遅れてきた思考に赤面した。
それもそのはずで、レイリアはお姫様のように抱きかかえられたからであった。
この時だけは、今しがた追いついた思考でも赤面する次第に至ったレイリアは再び混乱に陥ると、恥ずかしさだけをしっかりと掴んでいたのは間違いなかった。しかしファシルはそのような事を知る由もなく、レイリア抱くと再び船を離れて怪物へと向かって飛翔するだけであった。
ファシルにしがみつくようにレイリアはその服を掴むと、それはファシルを信頼していないわけではなく、恥ずかしさばかりに支配されての事であった。
レイリアにとって、瞬時に火照った顔に空を翔ける風は心地よく思えた。
風のように飛翔すると、ファシルはその最中に質問をレイリアへと投げかけた。
「魔力は尽きてないよな?」
ファシルの意図を捉えられずそれどころではないレイリア。
そんなレイリアは短く「ええ」と返すばかりであったが、ファシルはその返事に満足いったのか同じ様に短く「よし」と返したのであった。
ファシルはレイリアを抱く手に力を込めた。すると、自ずと二者の距離はさらに縮まる。
さらに取り乱すレイリアと、より強く抱いたその力のままに速く翔けるファシル。
やがて、レイリアとファシルは怪物の前に辿り着くのであった。
レイリアとファシルは怪物の前に在ると、その様子を窺った。
鎖によって固定された怪物がそこから逃れようともがいては咆哮を放ち続けている。
辺りに撒き散らした咆哮がそこかしこに歪みをもたらしては止みそうにない。
すると、ファシルが不意に口を紡いだ。
「今から鎖を外す」
すると、突然の事に「えっ」と即座に反応を見せるレイリア。
レイリアがその意図を掴めずにいると、ファシルはその反応を気にせずに説明を始めた。
「アイツは水中に居ると再生をし続けてしまう」
「だから、空中に飛ばしてほしいんだ」
「そうすればなんとかなるはず」
逸る心持を表すように、口を衝いた言葉の数々を説明として放っていくファシル。
それに引き換え心を落ち着けたレイリアは一つの心配事を口にした。
それはファシルの策についてではなく、ファシルの信頼に応えられるかの確認であった。
立て続けに起きる事態に動転しての事なのか、ありとあらゆる要因がレイリアの不安を搔き立てるに至っていた。いつになく自信がなさそうに見えるレイリア。
そんなレイリアの事を知ってか、その表情を見ずとも知り得ての事かファシルは優しく口を紡ぐ。
それは「出来る」という短くも確約のように切り出されてはさらに言葉が添えられた。
喚くそれから目を逸らさなかったファシルがレイリアへと視線を合わせた瞬間であった。
「レイリアならできるよ」
弱気な言葉に間髪入れず返されたファシルの言葉はレイリアに勇気をもたらした。
すっと手を怪物へと向けたレイリアに迷いはもうない。
「わかった、やってみる」
レイリアとファシルはいい加減にうるさいそれへと視線を移すと作戦へと移った。
「いくぞ」
「まかせて」
鎖が外れ解き放たれた瞬間、怪物は真っすぐにこちらへと向かってくる。
空中に見える歪みを携えて迫る巨体は全ての攻め手をレイリアとファシルへと向けた。
あらゆる障害が二者に迫る最中、レイリアが言い放ったそれとかざした手によってそれらは真っ向から妨げられた。
「フィナク」
突風が全てを包むとその進みを止めさせて、そしてその発信源の巨体すらも包んだ。
水中に在った巨体が空中へと姿を現す。
≪イドゥヴァーリ≫
完全に怪物の巨体が空中に浮いた瞬間、次はファシルが言葉を紡いだ。
すると怪物の巨体を突き破り、四方へと根を張るように木が伸びしきる。
突如の事に喚きは完全な悲鳴へと変わるが、その口すらも伸びる木によって塞がれた。
大きな木に串刺しにされた怪物は鳴く術を失うと、もがくにも至らない程に痛みにさらされた。
湖の上、伸びた木がそびえ立つ。それはまるで怪物を磔にするためだけに在るようで、歪なまでに枝を伸ばしていた。
次第にもがく事すら出来なくなる怪物は陽の光にさらされては無力化されていく。すると、ファシルはレイリアを抱きつつ怪物に背を向けた。
≪ヒリオ≫
湖上にて磔にされたその巨体が再びに悲鳴を上げたのはそのすぐ後の事であった。
陽の光に焼かれるように、しかしそれとは全くに違う火種がその巨体を焼き払う。
黒い炎に包まれて、漸く悲鳴を外へと吐き出せたその時、その巨体から放たれるものとは思えない程にその音は小さくとても強い絶叫であったが、その音が伝わるよりも先に怪物は灰と消えた。
湖に戻った静寂の中でそこに波を立てることなく、レイリアとファシルは船へと戻っていった。




