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第百二十一話

 投げつけられるようにそこに放り込まれると、その感覚だけで自らがないがしろに扱われているという事を理解出来た。

唐突に起きた浮遊感と共に景色が一転すると、そこに投げられたファシルは壁に叩きつけられたのであった。

威力こそそれ程ではないものの、その事実だけで充分に敵意を向けるに値するとファシルは視線を素早くそこに向けては顔を上げたのであった。

しかし自らの周辺視野が捉えていた別の場所への移動が、上げた顔によって直接的に視覚情報として捉えさせたその瞬間にはその敵意をあちこちへと散らさせた。そしてその瞬間に平衡感覚がまともに機能しない空間であると、思考が捉えるよりも先に体が落下していくことでその現状をファシルは理解させられた。

落ちていく感覚とそこに留まって浮つく浮遊感が当然のようにそこに漂うと、しかしながらもその両方の感覚は両立に値せず、ファシルの平衡感覚をひたすらに狂わせるのであった。

何処までも落ちていく感覚の最中に、絶対に落下の衝撃が訪れない事を確信できる。

そんな不安定で気持ちの悪い感覚に次第に目を回していくと、世界が回り続ける中でファシルをそこに放り込んだ者の声が不意に走った。

ぐるぐると回る最中に聞こえたそれを辛うじてその者の声と認識出来たファシルは、自らの回転によってその声をぐるぐると回したが一か所にとどまっていると捉えてはそこへと再び敵意を飛ばした。

当面の対象としてその者の声に向けて対抗するために姿勢を制御しようと口を紡いだファシル。すると、ファシルはいつものように「それ」を口にする──はずであった。

≪……≫

言葉が口を衝かない現状だけがそこを走り去っていく。

それどころか発音するための母音とも子音ともつかない声すらも危うい。

すると、ファシルは何と発しようとしたのか分からなくなると何をしようとしたのかすら分からなくなってしまった。

戸惑いもさることながら自らの目的が不明になってしまったファシルは焦りだけを募らせていくと、次の行動を見失っては自身の考えすらも見失う事となった。

そして、ぐるぐると回る体によらずとも喉のつっかえによって吐き気を催すファシル。

只々気持ちが悪い──その事だけは理解によらず本能が告げては間違いではないと言い切れるファシル。

すると、不意に掛けられたその声の主によって自らの体の感覚が正されて、ファシルは自らが何も捉えられていない事に気付くのであった。

敵意を露呈させた事だけは間違えていない。しかしその矛先が何処で如何にと不明に陥ってしまうファシル。

声の下は依然としてその発生源を変えてはいないものの、常にそこに在り続けるようにはっきりと認識させようと在り続けているにもかかわらず、ファシルはそこに向けた視線に捉えられる者が何も無い事に只々と分からない感覚に支配されては混乱するのであった。

そこに間違いなく声の主は居るというのに、そこに居るのかが全くに確信に至らない。

すると常そこに在った、発信を続けていたその者が一方的にファシルを捉え続けると困惑の原因を的確にファシルへと伝えたのであった。

それは優しくもあり、この空間へと放り込んだその様の理由と答えであった。

そして、それこそがファシルを「愚か者」と言い表した全てであった。


 曰く、現状のファシルは失われていると。

「言ったでしょう?あなたは今、力を失っているのです」

あの御方の力を使い、彼女を退けたあの時の強さは今の貴方からは微塵も感じられませんと淡々と告げられるファシル。するとおぼろげながらも自らの中にそれが間違いではないという確信が持ててはその感触を確かに持ちえていた。

声の主はそのもの正しくという様に言い当てると更にはそこに私見を付け加えたが、それすらもファシル自身は納得する考えであると思えてはそれらを一つ一つ理解できずとも感覚だけで理解出来てしまう現状が、それだけで充分であるといえた。

「恐らく、その片鱗はカルネイン達に連れ去られたのでしょう」

今のファシルは後継者の力を失っている。

ファシルは伝わる事柄に絶望してしまうが、声の主はそれに構うことなく言葉を続けるのであった。するとファシルの心の機微に対して思う所は一切持ち合わせていない様子がそこには伺えた。

声の主はファシルの感情などに構う様子はなく尚も言葉を続けていく。

「貴方が目覚めた時、既にその者は失われていたのです」

ファシルは心を落とし込む中でその言葉を拾うと、心のうちに嫌に寂しさが伺えてはその事に気付かされる事となった。

 声の主が言うところの片鱗とは自らの中に常に在って、それは今まで失われることが無かったという事がはっきりと自覚出来た。そして、明確な寂しさはそれに起因するという事がファシルは認識出来てしまうと更にその心を落ち込ませるのであった。

そしてさらに声の主が続けていく言葉の羅列にファシルは驚かされる事となると、その驚きは絶望を加速させたのであった。

「気付いていますか?」

「貴方の左目、それはもう──」

指摘されて初めて湧き立つ不安にファシルは、先程自身が試みた行いを認識すると驚きから始まった自らの感情を転々と変えていった。

思い出された自らがしたかった事、それは感情の赴くままに激しく流れて行く。

すると、信じたくないという思いに急かされてかファシルは左目に魔力を集中させた。

押したことで返ってくるはずの感触とそれが全くに感じられ無いといった様子に、只々素通りしては消費されていくだけの魔力の軌跡をファシルは辿る。

そこに在ったはずの感触が全くにないと知ると、どうしたってファシルはそこに透かされたような感触を見出すと、その何もない感触が招く結果は何も発現させられないというものであった。

すると導き出された結果によって先程自らがしたかった事がこれであるはずがない、と信じたくない思いでファシルは悔しさを滲ませる。

そうしてファシルは自然にその左の目を擦る仕草に囚われた。

いくら擦っても意味がないという事は当然に理解出来て、そんなことは当たり前に自らも知っている。しかし、今のファシルにはそれすらも縋りたくなるほどに失われた事の大きさに感情を揺さぶられていたのだ。

意味のない行い。

他者がそれを見れば、そのように焦る事もないだろうと思える程にその感情に突き動かされては尚もその衝動的な行いに傾倒するファシルに対して、声の主はそれを捨ておくと言葉を続けたのであった。

「もうどうすることもできない事」

「今の貴方が代わりに辿り着くしかありません」

ファシルはその者の言葉自体こそ聞き入れられなかったが、その端々から伺える意図が嘘でないことを確認できると、自らの行いは死へとひた走っていたと自覚するとともにそれをもって自身が「愚か者」であったと自覚したのであった。


 落胆と共に認識の確定が終わりを告げるやいなや、その次の瞬間。

ファシルは力を失った事をはっきりと自覚しても尚、為す術がないままにも拘らず身構えたのであった。

戦う術を持たない者がどうするというのか、滑稽にも思えるその様子もこの時ばかりは確かな事ではあったが、しかしながらそれもそのはずと言えたのであった。

目の前の者が自らの生を脅かさないとも知れないこの状況において、当たり前に在った生存するための力がすべて失われているのだ。

すると、どうしたってファシルに緊張が走る。

しかし、その者はファシルの様子に気を回すとそれが無駄である事を暗に伝えた。

「安心しなさい」「貴方に死は及びません」

力を失いながらも身構えたファシルに対してその意志の強さに敬意を表しても、何処か他人事のように言い放つその者。

その者はどうやら取るに足らない現状にわざわざ手を下す事は無いと言っている様であって、依然として交戦の意思こそ見せないその者は元居に話を続けたのであった。

すると、ファシルはその声の色を見て羅列される言葉端に嘘はないと伺い知る事となる。

「そのような貴方に興味などありません」

聞こえこそしないその言葉が嫌という程に聞こえてくるようで、ファシルは遠慮のない感触によってしばしば苛立ちを覚えさせられたが、尚も続く異様なまでの静寂とそれによって寂静に至ると口をつぐんだのであった。

そして尚もその者による状況の説明は続いたがそれは必ずしも「愚か者」と叱責するばかりではなく、しかしと続く言葉の先には奇跡ほどの可能性によって今が在ると教えられた。

「しかし、それ故に貴方を見つけるのに少々手間取りました」


 「天」にてその存在は確実な輝きであり、その輝きはあらゆるものが息をのむものとは違い畏怖のそれに他ならず、恐れに後退る事は必至であった。

それ故に恐れはその感情によって闘争を引き出させれるに至っていた。

事この「天」に限るならばその力の意味は特に重い。

それ程の重大さを逃すはずもなく、かつての事を鑑みればその片鱗が僅かであっても「それら」が少しの躊躇も無い事は絶対であったが、しかしながらそうであってもファシルが生存に至る時間を得られたのは、自身が気付かなかった力の消失に他ならなかった。

「それは他の者達も同じ」

「彼女らもまた私と同様に、貴方を見つけるのに手間取ったはずです」

「それは只、運が良かったからとしか言えないでしょう」

叱責の色こそそこには無いものの、結果として運に救われただけだと言い切られてしまったファシル。

すると、呆れた様子が続くと思えたその者の見えない表情に予想と違う色が差し込んだ。「ですが」と続けられた言葉の羅列によると今に至るまでの事に言及の感触はなかった。

「よくぞ──」

死を免れたファシルを褒めたたえるそれらに困惑すると、異様な不気味さは未だに残るばかりであった。


 続けざまのそれらに、不意に気付きを見せるその者。すると、その者は不躾な態度であったと自らを恥じては今一度の初対面の時を持ち直させたのであった。

初対面で当たり前に行われる事柄がそこには抜けている。

その者は自らが如何なる者かと名乗ったのであった。

「私の名はペトリパトパ。以後お見知りおきを」

そう言うと自らの白く大きな六つの羽を勢い良く広げたその者は、高貴なそれを舞う白きそれに良く現すと、ファシルにとっては漸くその者──ペトリパトパを認識できたのであった。

白銀の長い髪は自らが起こす風に乗ってなびくと、そこに綺麗な顔を覗かせた。

美しいペトリパトパの顔は声色やその口調からの想像よりも若く見えるが、しかしそこにはどこか頼れるような大人びた感触が思い起こされては優雅なまでの色気を携えていた。

ファシルよりも背の高いペトリパトパはそこに威厳と落ち着きを醸し出すと、押し黙るファシルを見ては話題を変えたが「しかし」と続けた言葉の羅列に少しの高揚を滲ませたのであった。

「しかし、何とも嘆かわしい」

言葉こそ失意の意を示すもののそこにははっきりと違う色が差し込み、それは後ろ向きなものではなく嬉々とした感触に間違いなかった。

「本来なら、あの御方の力を垣間見られると思っていたのですが……」

言葉の意図がわからないファシル。

それもそのはずで、ファシルをよそに唸りながらも思考を巡らせては考えを逡巡させるその姿。

ペトリパトパはかつて、ファシルのその後継者の力を完全なる状態で目の当たりにしていたのだ。

後継者の力が完全な形で顕現していたその時とはすなわちその力の起源に相当する。

それは「先駆者」の存在であった

ペトリパトパが惚れ込むほどの存在の「先駆者」とはいったい。

そして勿論にその者はかつてない程の影響を及ぼしては世界を圧倒すると、その力の絶大なまでの光景はペトリパトパを魅了したのであった。


 かつて世界の全てを巻き込んだ大戦の最中、ペトリパトパは「天」の位置にてその身を投じていた。

あらゆる文明が全てを懸けては死を招き続けたその大戦は種族を超えて戦いの限りを尽くすとその先に待つものも、そこに至りて得られる成果も、最早意味のないものであった。

誰が始めて、何処に向かい、いつ終わるのか。

あらゆるものがその意味を失いつつあると高まったそれは、成熟の限りに尽くされた。

 闘いの中で絶対としてまかり通る事が在り、その内の一つとして在るのが「優劣」であった。

「優劣」とは絶対の平等であり、この平等の中で起きる出来事は時に屈し、時に抗い、時にその意を示した。

大戦も末期の事、その「優劣」によってその身を投じた者達は疲弊と共に限りない高みへと昇華して見せていたその頃の事であった。

他の追随を許さない絶対的な位置づけとしてある「天」は事の次第もまた然りと、無の境地と共に高みへと至っていた。

後はその位置を維持し続けられたなら再びの秩序と共に平穏を取り戻せる。そう誰もが信じていた。そしてその中にある幾多もの存在の一つとしてペトリパトパもまたそこに在った。

しかし、大戦の最中にて「天」に従事するペトリパトパは不思議にも異様な感覚に囚われ始めていた。

おもしろくない。

感情の一つとしてあるそれを理解は出来るものの感覚的にとると納得とは程遠いそれに対して、疑問だけがペトリパトパのその視界を曇らせていた。

世界には「天」を脅かすものなど存在しない。

当然の事に疑問の余地もないままペトリパトパは何時しか退屈さを見出すと、大局の中で己という存在が立ち止まったとしても、それが事態の変化に寄与しない事は明白であると気付き始めていた。

そんなことは嫌という程に理解していたペトリパトパは何故かそこに孤独を感じ取ると言い知れぬ不安と共に寂しさを募らせては自らの存在を肯定できなくなっていた。

放っておいても次第は絶対に「天」に在る。

意識が芽生えるその時には既にあったその事象が、今となっては何処か窮屈でたまらない。

芽生えた感情はどんどんとそのなりを露わにしていく。

すると何時しかペトリパトパの中で、無責任にも誰かがそれを壊してくれるといった感覚が湧き立ち始めていた。

退屈は変化の時を待っては、渇きの一途を辿っていくのである。湧き立つ感情は酷い渇きを催した。


 地上においてもそのほとんど掌握していた「天」はその位置を不動のものとすると、自らの位置に踏み入れる隙も、その場の暗雲も一つとして許さない程であった。

そうしてペトリパトパも「天」を降る事はほとんどなくなると、収束を待つばかりであったが、しかしながら先に述べた感情によって大いなる疑問を見出すとそこに呼応するかのようにその時が訪れたのであった。

突如として現れるその瞬間。

それはいとも簡単に、容易く世界を変えてしまったのであった。


 逡巡の末にポツリと一言漏らすと、ペトリパトパはファシルの眼を見た。

「私はあの素晴らしい力をもう一度目の当たりにしたい」

先程までのどこか余裕のある面影は何時しか消え失せており、ファシルは自身を見つめるその者の言葉と共に如何な真剣さがそこに在るかを知ったのであった。


「私を殺してください」


ペトリパトパは自らの願いを吐き出すと、それはファシルの力であり、それが自身を超えて行使されるところを見たいと望むものであった。

そしてその先に待つ結果は自らの死であった。

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