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第百十話

 対象の固定に意味がなくなった今、アトアイシスはそれの動きを止めさせはしなかった。絶えず動き続ける事がどれ程に消耗させられるか分からないながらも、それらはただ対象を動かしているわけではない。

止まったその時、ほぼ確実な絶命がそこに待つ。

もしもそれを運良く抜け出せたとしても次々と繰り返されるその先にて、いずれ自ら死を引き当てる事は間違いない事であった。しかし、それだけでは終わらない。

この策はアトアイシスと闖入者を比較すると決定的な差が生じていた。

それは思考の時間である。

この時間をアトアイシスは際限なく使えるが、反対に闖入者はその隙がほぼ無かった。

目の前の攻め手の仕組みに気付いたとしてもそれを対処する隙は少しも無く、その時間を渡す程アトアイシスも甘くはない。そしてそもそもそこにはまだ至っていない。

触れて初めて気づくそれに事前の対処は出来なくもない闖入者も、それが空振りに終えては何度も繰り返す事は必至であった。そして、それだけに自身にも生まれる隙が死を着実に招き入れてしまう。さらにこれだけで終わるはずのないアトアイシスの攻めに対して無駄な消耗は少しでも避けたいと闖入者は考えていた。

しかし、そんな闖入者の思考時間を減らすためにアトアイシスは口を紡いだ。

「ゾルイアス」

セクタリアスの力によってアトアイシス達の所在が隠された今、傍観を続ける事も出来たが勿論にそのような事をするわけもなく、アトアイシスは傍にソルトゥエルを残してゾルイアスを差し向けた。

すると、見えない物体同士の激突の歪に紛れてゾルイアスの大きな拳が闖入者に迫る。

──ビュン。

空間の平衡が無くなった状態で迫ってくるその拳に闖入者は反応が遅れてしまう。

それは、風を切る音だけが辛うじてその起点となって闖入者に気付かせるが、連続した歪は徐々に加速していき、それは最早残像が発生する事が当たり前の領域に達していてそれどころではない。

一つ一つの歪の発生に確認を入れられる程余裕がなくなると闖入者の視線はより一層忙しいものとなった。さらにそれと同時に動かさなければならない体の事を考えるとゾルイアスの拳を前に空目したとすればそれは仕方のない事であったが、その拳を直接受ける事は相当な痛手になると言えた。そしてそれを防いだとしてもゾルイアスの力の前に大きく後退させられることは必至であり、その際に起きる歪は闖入者を亡き者にすると思われた。

したがって闖入者が取れる策は現状、躱し続けてはその先に待つ全てをその通りにし続けるしかなく、それらを打開するには思考を加速させて超越するしかなかった。

しかし、闖入者はまだそこに至らない。

──ビュン。

再び聞こえたその音に闖入者は刹那に体を反らしたが、その動きを妨げるように見えないそれに接触した。

刹那を夥しい数に刻んだその一つ一つにて闖入者は戸惑い驚き苛立って、そして大きく後退させられると痛みを伴った。

そしてその吹き飛んだ自らの体がその先の見えない物体に激突してしまう。すると、闖入者の体が加速していただけにその激突は相当な威力を示して、闖入者は背中からそこに体を打ち付けたその瞬間、呼吸を乱すとその僅かな呼吸のずれが体の挙動全てを乱した。

そうしてその後に待ち受けるのは連続した歪への対処の遅れ。

闖入者は目前まで迫るそれに為す術が無くなると、舌打ちと共にそこから姿を消してそれを躱した。

≪ブイローア≫

消耗を避けたい闖入者は自らの手を晒す事も避けていたが、事ここにおいて無い手段に翻弄されては如何に気に入らなくとも、自らの手を晒すしかなかった。

瞬く間に起きた歪越しにゾルイアスの拳がそこを通過するが、しかしながらそれは闖入者に掠りもしなかった。

すると、遥か後方からゾルイアスの背中目がけて槍が飛んだ。

加速し続けた闖入者が放った槍はゾルイアスの死角を見事に突いた。

黒い炎が禍々しく揺らめくとそれは一直線にゾルイアスに迫ってはその軌道を射し示した。

穂先に触れて瞬く間に崩れ去っていく見えないそれらも、その勢いを殺せはしない。

そして完全に躱せない位置に差し迫った槍に対して、ようやくゾルイアスは向き直ったが最早それをどうする事も出来なくなると、ただそこに立ち尽くした。

歪すらも崩れさせて行く黒い炎はゾルイアスの身体を貫き去った。すると、忽ちにその身は燃え盛り黒い炎に呑まれていく。

再び姿を消した闖入者は未だ駆け抜ける槍をその軌道の先で受け取るとその姿を現してゾルイアスを見た。

槍を携えた闖入者は歪を躱しつつも燃え盛るゾルイアスの身体を見るが、その感触が不十分であると闖入者の表情はさらに険しくなってしまう。

≪クルエーレ≫

闖入者はある事に気づくとすぐさまその事を確かめにかかったが、それは間違いではなかった。そしてその事は闖入者にとって余計な事であり、さらに厄介なものとなった。

加速した闖入者は槍を構えると突き進む。

その姿に残像が起きると歪はその後の後を追うに留まって全くに闖入者を捉えられない。

すると、闖入者はゾルイアスの身体に肉薄するなりその身体を握った槍で切り裂いた。

燃え盛る身体であるが故に脆いそれとは全くに違う感触が槍から伝わる。

それはほとんど無いに等しく闖入者が切り裂いたその身体は「そこに在るがそこに無い」を実現していた。

残像が追いつく頃、それを追う歪を待たず加速して動き回るとその最中に闖入者はある結論に辿り着く。

その答えは分かっていたとしてもすぐには対処できないものであった。

全てはアトアイシスが呼んだ、セクタリアスの名の下に起きる現象で、その名の者を真っ先に倒さなければこの後の展開に勝利は無いと言えた。

「……時間差か」

加速した最中に在る闖入者は歪を置き去りにすると、ゆっくりとそう呟いた。そしてそれは当たりであった。


 セクタリアスの力は空間の支配に留まらなった。

それは時間の関与であり、セクタリアスが作り出した空間において物体一つ一つに与えられる時間の概念は一定ではなくなっていた。

仮に全く同じ石が二つあったとしてその石それぞれにかかる時間が違うと、片方は触れられるがもう片方は触れられないといった事が起きえた。

そしてセクタリアスが支配する空間において不可視にすることも可視にすることも容易く、それと同時にそれらの時間を変動させる事も出来た。すなわち、そこに見えている物体が既にそこには無いという事がまかり通る歪な空間となっていた。

それ故に見えない物体の存在が許されると、それと同時に見えているにもかかわらずそこに無いという事もあり得た。

そしてさらに厄介な事は、見えていてそこに無いものが時間を無視してそこで干渉を起こせる事であった。これによってこの空間の全ては攻撃を全くに受けず相手に攻撃できるといった一方的な事が出来た。

それを用いたのがゾルイアスの攻撃であった。

ゾルイアスを相手取る闖入者は残像に必死になっていたという一見間抜けなものとなっており、ゾルイアスに反撃してもそれは全て空振りに終わるものであった。

それ程にセクタリアスが支配する空間は歪なもので、そしてセクタリアスの力に対して先読みは不可能であった。

時間の延長も短縮も容易いならば、闖入者がいくら加速してもそれを見てから対処が出来てしまう。そしてそれもまた一方的な攻めを助長した。

しかし、闖入者にとってこれらの仕組みも一先ずは対処できるものであり、その先の分からない事に怖気づくよりも対処できる事に出し惜しみをすることはなかった。


 この空間において起き得る当面の事象の仕組みを知り得た闖入者も狙いをセクタリアスに絞ると策を講じたが、その策は前提が不確定なものであった。

闖入者の考えが間違っていなければこの空間に「無限」はあり得ない。

見えない物体も、時間の軌道上のどこかにて発生してはその瞬間に見えなくなっている。

そうであるならばその時の先読みがいくら不可能でも、その時間が限りなく無に等しくとも、それらを超えて加速すればいい。

そうすれば時間は延長され、その時は一瞬ではなくなる。そしてその時を突けたならこの空間のすべては、握られた得物の相手ではない。

その考えに至った闖入者は考える事をやめて、ただひたすらに加速した。すると、加速につぐ加速がもたらす事は闖入者に幾重にも恩恵となってもたらされた。

一挙手一投足が高周波のそれを超える。

闖入者の加速の恩恵が起こすそれは、見えない物体に触れられたとしても却ってその接触が物体を自壊に導くといったものであった。

これは一方的なものではないが、この時に壊れるのは優劣に依存するものである。すなわち、接触したその時には互いにその影響がもたらされたとしても、見えない物体如きに劣るはずのない闖入者の体が勝ち続けて自壊するのは決まって物体の方であった。

そうして闖入者は接触時の崩壊に勝ち続けると、これにより意図せず再び自由を得たのであった。

加速の恩恵で可視中に接触できない時を作り出すと、疑似的にセクタリアスを真似る闖入者。

闖入者はセクタリアスの支配する空間で自らの支配下領域を設けると、自らの動きを最小限にして待ちに徹した。

闖入者が待つのは見えないそれでも、見えているだけのそれでもない。

すると幾度かの歪を無視した次の瞬間、闖入者の体に大きな陰りが出来た。

──ビュン。

闖入者はこの時を待っていた。

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