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第百二話

 羽付きは身に覚えのあるそれらの攻撃を的確に対処していなしたが、その桁外れの怒涛に気圧されると自ずと空に舞った。

羽付きの攻撃をものともしない見えない壁は、羽付き自身がリュグネロアの攻撃をそうしたように光の球を吸い込むと自らの力に変えてそれを解き放った。

羽付きがそれに気付いたのは何度目かの衝突をもってであったが、知らず知らずの内にその場に立ち込めた濃い霧がファシルらを混乱に導いたように羽付きもまたその意識を支配されていた。そして、支配下を脱した羽付きもその時には充分に壁に力を蓄えさせてしまっていてそれらは羽付きの身に返っては降り注いだ。

再び防戦を強いられる羽付き。しかし、壁内の者が繰り出すそれらは己が力に変えるにはいささか度が過ぎており、羽付きの許容量を遥かに凌いでいた。そのため、リュグネロアに対して行ったように全ての攻撃を受け切るといった方法を取ろうものなら、文字通りにその身は破裂すると思われた。

それらを頭が理解するよりも先に身体が動いた羽付きは今に至る。

「鬱陶しい……!」

羽付きは仕組みを理解しているものの自身と相手の差が単純なその量に由来する事によると愚痴をこぼさずにはいられなかった。

次第に補充されていく力が許容量の限界に達する度、羽付きは自らもそれを解き放ち相殺していく。しかし、その吸収と解放を如何に効率よく組み合わせても地より放たれる力のそれらと比べれば天と地ほどに差があると言えたが、見えない壁の内側に立つその者の力が羽付きの力を凌駕してその身を押し上げるこの場合のそれは、字の如くの逆を行った。

それはひとえに羽付きの作り出したこの場所を表していた。


 羽付きが作り出し、ファシルらを迎え撃つと決めたこの場所は只の野天ではなかった。

この場所は羽付きにとって圧倒的に有利に仕立てられていて、それは複数の特性が機能して複雑に重なり合って出来ていた。

一つは認識の齟齬、一つは有無の逆転、そしてそれらが織り成す元来の目的である神殿の保護、これらに特化したこの場所は羽付きの力によって作り出されると最後の砦として充分に機能していた。

しかし、見えぬ壁の中で佇むその者は殆ど動くことなく攻め立ててはその仕組みに気付くと場所の特性を活かして優位性を逆手に取った。

羽付きが狡猾にも取った「深層の者」を狙った手段。この手段は充分に「深層の者」に突き刺さったが「表層の者」にとって取るに足らないそれは優に躱す事が出来るものであった。しかし二つの意識を共有するその体であるが故の、咄嗟に「深層の者」を優先したため動きが鈍化して躱しそびれそうになると「表層の者」は思い描いた行く末の殆どを捨てて手段を絞らざるを得なくなり、一つの答えに帰結してはそうするしかなかった。それはこの場所の認識齟齬を利用したもので、羽付きが見た行く末は凶刃をもってその者を砕くといったものであったが、この瞬間に「表層の者」は認識齟齬に混乱という性質を上書きすると羽付きの意識を反転させて「認識齟齬の齟齬」引き起こさせていた。しかしこの時のリュグネロアにも認識の齟齬が起きたのは、咄嗟に取った手段が本来の想定とは違ったそれであったためリュグネロアごと混乱を与えてしまったからであった。

よってあの時の羽付きの認識は、相手を砕いて消し去ったという事になっていたが実際の所は認識出来なくなっていただけであり、その場に居続けるとさらに認識されないという優位性を利用して「表層の者」は羽付きが油断するその時まで身を潜めていた。


 いい加減に防戦一方な戦い方にしびれを切らした羽付きは空から降りる事を選んだ。

空に咲いたいくつもの大輪の華を横目に地に下る羽付きはやがて咲き誇るであろうつぼみの間を縫ってそそくさと地に降り立つと再び壁の前に立った。そして見えない壁の前に立つなり焦る気持ちを隠すように余裕がある素振りを見せてはその意を口にした。

「私を追い詰めたつもりかも知れないが」

「まだまだ詰めが甘い!」

言葉とは裏腹にいよいよ追い詰められた羽付きは荒業に出た。

それは壁ごと外から消し去るといった方法であった。

そうすれば捉えられずにいるその者を無力化出来て延いては桁違いの攻撃を終わらせる事が出来る──そうなれば自ずと目的を達成できる。

焦る羽付きが考えた末のその手段は速やかに行われるとすぐに壁を覆う霧が作り出された。

おおよそ霧が風に流れる速さのそれを超えて包まれていく見えない壁。

その霧が壁を覆うや否や羽付きは一呼吸も置くことなく躊躇すらせずに力を行使した。すると、それがもたらす結果は早計に過ぎず狙い通りに進む事はなかった。むしろその反対の結果をもたらす結果となってしまったが、それはひとえに自身の作り出したこの場所のせいでもあった。

見えない壁と捉えられないその者。

これらが表すのはすべからく──無。

すなわち、無いものを消そうとした羽付きは焦るあまりにその事を見逃していた。すると、その事を羽付きよりも後に理解したその者が口を開いて再び嘲っては窘めた。

「馬鹿が、それをしては終わりだろう」

自らに作り、選んだこの場所の意に相反するその行い。

羽付きの必死な行動は、理論的にも実践的にも歪な結果を捻じ曲げて羽付きの望む事から大きくそれると反転した。

歪みに対して可逆がまかり通る。

すると羽付きの目玉には壁越しのその者を捉えるその時がようやく訪れようとしていた。


 無くす事が全てと信じた羽付き。しかし、それが必ずしも絶対では無い事が如実に証明された。

物理的な消失をもって、それを成しえたと考えていた羽付き。

その羽付きの持つ力はそれを限りなく成し遂げられるものであったが、砕け散ったそれが微粒子程に残ったとしても気付かなければ無いも同じであった。

そう決めつけたが故に在る事を見逃す事となった羽付きは行く末に、僅かな欠片がリュグネロアの血と混ざり合ってその身を再生させる事を想像できなかった。

そして「再生したその者」も「齟齬の上に見出せないその者」も全てを消し去るには至らないように、自身の力を過信した羽付きは全てを見失っていた。そうして、消失に至らなかった二つのそれらが羽付きの力を前に同一化して、ファシルを呼び戻した。


 壁を隔てた外には未だ映し出されないファシルの姿は、その内にあるリュグネロアにだけははっきりと映った。すると、先刻に砕けたはずのその姿に歓喜したリュグネロアはその意を安堵したものに差し替えるとこの場をゆだねるように目をつむった。それは緊張の糸が切れたようにも、状況を見届ける事の意味の無さを表しているようでもあった。


 舞い戻ったファシルはその目から一筋の雫をこぼしたが表情から見ればそこだけが歪に映った。それは体を共有する二つの意思が混在した瞬間であった。

今は静まる「深層の者」が少しだけ表に現われていたようで、しかしその意思は「表層の者」には捨て置かれると、ファシルは開いた手に乗せた黒い靄の塊に魔力を集中させてそれの名を呼んだ。

「アーディス・ヴェルドリット」

すると、そこに現れたのは重厚な一冊の本であった。

ファシルはそれを手に持つとゆっくりと頁をめくりそこに目を落として、何かを確認するように次々とめくっては目を上げた。

内容をざっと確認したファシルは続けざまに言葉を紡ぐ。

「お前の手は全て知り得た」

「これ以上に興の乗る事はあるまい」

アーディスに載った羽付きの手の内は最早ファシルの脅威になる事はなかった。そして、それらを頭に入れたファシルは次の言葉をもって壁の外にも姿を映すと羽付きに終焉を与えた。

≪ミノン≫


 ファシルは長く眠っていたアーディスを起こすと、アーディスの「起きた」出来事を書き記す力はこれから「起きる」出来事を記し始めた。

次々と文字が綴られていくその本は、過去の出来事だけを記録するのではなく未来の出来事すらも記録し始めた。

──パラパラ、パラパラ。

幾度も鳴り続いたその頁がめくられる音が今に再び鳴り始めた。

ファシルはアーディスのめくられていく頁に次々と記されていく文字に目を落としそれを見続けている。すると頁をめくる音はある所で止まり書き記される文字もそこで止まった。そしてファシルはそこまでに書かれた事に納得すると、その文字の羅列が表す事柄を羽付きに授けた。

「誇れ、貴様にこの俺自らが辞を触れよう」

すると、ファシルはゆっくりと目をつむった。


 羽付きは壁の外からも見えるようになったファシルの姿を見るなり、それが無駄であることを忘れて壁にひたすら突撃し始めた。それはひとえにファシルの姿を見て感覚的に捉えた絶対的な危機がすぐそこに差し迫っていると分かったからであった。

羽付きは必死に足掻くと壁に何度もぶつかる。

その見えない壁さえ無ければ確実に触れられる距離の二者は肉薄するも触れるに至らない。

度重なる衝突は羽付きの殻のひびをさらに進行させると遂にはその時を訪れさせた。

幾度も続いたぶつかっては下がり下がってはぶつかるこの行いもある時を境に、全くに無い反動をもって突破に至った事知った羽付きであったが、視界に映る破片が自身のものと気付くとそこから先に触れるのはファシルの体ではなく死という概念そのものであった。

それはファシルが壁を失くした瞬間の事で、それと重なった羽付きの突撃が感触を忘れて透かされるとそのままファシルに向かっていった瞬間であった。

羽付きの悲願である壁の突破は叶うなりそこに在ったのは、砕けて見やすくなった視界と目を見開いた瞬間のファシルの姿。

羽付きは時の流れがゆっくりとして見えた。そしてファシルの目の物語る威光は無防備に迫る羽付きを隔絶する。

「在りしものに死を」

綴られた言葉をファシルが口にしたその瞬間であった。

アーディスは強く輝くと逃れる事の敵わないその辞をもって、自らに接触する羽付きの身を焦がしていった。


 触れると同時に崩れていく羽付きのその身体。

音もなく訪れたその時に呆気にとられると、羽付きは自身がここに在る事をはっきりと自覚した。


 羽付きは慢心していた。

無くし去る力が絶対であると疑わず、それによって羽付き自身に及ぶ危機など迫る事はないと考えていた。そしてもし危機が迫る事が──その時が万に一つもあるならばその都度消し去ればいいと考えていた。

しかしながら、その危機が差し迫った時に訪れたのはそれすらを通り越して消えていく自らの身体のみであり、その身はぼろぼろと崩れ去っていく。

羽付きの殻は少しずつ蓄積させたひびを遂には砕けさせると辺りにその身の破片を散らばらせた。

それらの破片は天より注がれる光を屈折させると一箇所に収束させた。

どれもこれも不規則にばらばらに散っていく破片は刹那にだけそれを映すと、そこに映っていたのは毅然と立つファシルの姿でありそしてそれは羽付きみとって一際強く輝いて見えた。

輝きの強さに感化された羽付き。

すると、羽付きは崩れた殻から飛び出ると諦め悪く動いた。

余裕綽綽の態度からは到底考えられない程の泥臭さ。

それまでは生に無関心であった羽付きの様子も、ここにきて生に執着すると殊更に足掻いてみせた。すると、殻から飛び出た羽付きの様子が変わっていく。

それは姿形を怪異のそれから変えて、一際強い輝きを放つとその姿で羽付きは神々しい復活を目指した。

復活を成し遂げれば再起の可能性はいくらでも見出せる。天に飛び立つ羽付きの視線は空を捉えて明るく見えた。

しかし、殻から飛び立つその姿が如何に美しくとも羽付きの未来はアーディスに見染められており、その先に輝かしい未来など待ってはいなかった。

聴こえてくるのは嘲りに終始したその者の鼻で笑うそれ。

「させるか」

そして羽付きの変わりゆく姿は縦一直線に両断された。

そこにはイリスを手に立ち塞がるファシルの姿。

二手に分かれた視線が空を見上げ続ている。その夢見た数多の可能性が一つも叶えられずに終わってしまう。

アーディスに載ったこれから「起きる」出来事。

それに倣ったファシルが待ち構えると羽付きの未来は両断されて復活は成し遂げられずに終わり、その二つに分かれた身は死に呑まれて無くなった。


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