第百一話
リュグネロアは立ち上がるために歯を食い縛ったが、その大きな牙を縫うように漏れるうめきと共にその力を失せさせては再起出来そうになかった。しかし、それを遥か上空より眺める羽付きにとって再起の可能性など些細な事で取るに足らない事あった。
相対する者の動静に拘らず再び空に浮かべたいくつもの光の球。それらは、羽付きの周りに現れると等間隔に並んで円を作った。
一つ一つがリュグネロアの天災に匹敵するそれらは、地より望める遥か彼方までの青天井に浮いて煌々と輝く。その輝きから受ける力強さは有機的で、今にも駆け出しそうな程に余波を漲らせていたがそれらには当然に意思は無く、羽付きの手の内に在って御されていた。すると、光の球は羽付きに付き従いつつも無言の指示をもってその身を飛来させた。
リュグネロアの下に降り注ぐ光の球の数々。
それらはゆっくりとして向かうが、ひとえに対象を付け狙う必要性の無さを表しているものであって、リュグネロアはそれらの飛来を感じ取りつつも動けぬ自身の体を思ってはもどかしさに抑えつけられた。
視界に入れずともその存在感はありありと伝わり、そしてその身の輝きの強さを近くに見ればそれだけに死が間近に迫った事を理解できた。
光の球はリュグネロアの伏せられて下がった地に近い目線に並ぶと、対象の全周を等間隔に包囲した。
(……ここまでか)
息も絶え絶えのリュグネロアは自身の行く末を至って冷静に決めつけては、なかば諦めの意を表すと包囲するそれらをよそに視線を上げた。そして、憎しみの念を空に解き放つと舞いつつも見下す者の裁決を受け入れるしかないと考えていた。
羽付きは遥か下に見るそれの視線を感じつつも勿論に考慮などしなかった。そして、裁決を下すため対象に迫ったそれらに最後通告を下すと、それとともにリュグネロアへと差し向けた。
合図をもって全周より距離を詰める光の球。それらはリュグネロアに迫るにつれてお互いが接触して、そして反発する。
地に伏せるリュグネロアを中心に、集った光の球は反発しあうと乱反射して自らの威力を無理矢理に上げていった。
元の天災を優に超えたそれが、今にリュグネロアを襲う。
刹那にその身よりも強い輝きが大地を覆いその姿を空に届けた。そして、それは全ての終わりを告げつつあった。
空に舞う羽付きはその光景を悠々と眺めていた。
──必然に向かうそれに気を留める事など無い、と。
当たり前がその目に映し出されると考えていた羽付き。しかし、その予定は大きな狂いを見せた。
空より見下す大地に大輪の華は咲き誇らなかった。
本来ならば、リュグネロアという存在の欠片一つも残るはずのない天災の炸裂がそこに起こらなかった。
光の球同士が接触した輝きこそ伺えるものの威光は無く、それは不気味な静けさを醸し出すと薄い風が通り抜ける音すら聴かせた。
在りもしない、刹那の輝きに備えて薄めた瞼。
羽付きは肩透かしを食らうと、その身を大地に降ろさせた。
羽付きはリュグネロアの前に立つと手近に作り出した一つの光の球を直にぶつけた。
余韻も情緒もなく押し付けられる光の球。すると、その攻撃は目の前のリュグネロアには辿り着かずそれどころか自身の手前で弾けて消えた。
羽付きは殻の中に浮かぶ目の視線を強める。
強めた視線は予定通りにいかない事への怒りが大いに込められていたが、しかしそれが見据えるのはリュグネロアではなかった。
羽付きの強い視線が捉えていたのは、自身とリュグネロアの間にある「それ」。
二者間にある隔たりであった。
羽付きの伸ばしたそれは、景色に溶け込んで見えない壁に触れて止まった。
おもむろに触れた見えぬ壁は触れた感触こそ伝わるものの、壁の強度を推し量るには至らなかった。そして、その感触から受ける情報で羽付きは納得した。
「そういう事か」
羽付きは自身の想像を超えて在るそれに触れながら、壁の中にて死から遠ざかったリュグネロアを見つめてつまらなそうに鼻を鳴らした。
自然消滅するには光の球が保持する力はあまりに強すぎるものであったが、それらは壁に触れたその瞬間にそれまでの痕跡を一切残すことなく完全に消えた。
壁はその結果をもって、見えないという存在感の薄さとは裏腹に在り得ない程の事を成し遂げるとそこに存在する事を大きく主張した。
無いとされるものが、そこには確実に在る。
この事が羽付きの中心を貫くように伝わりそして、その事象が動かないと思えた羽付きの感情に大きな衝撃を与えた。そして、羽付きはその衝撃をもってある事に気付いたが、その気付きが機能する事はなく目前の出来事にかき消された。
壁を隔てて、向かい合うように現れたそれから視線を外す事が出来なくなった羽付き。
羽付きの視線を独占するのは、壁の中に現れた黒い靄の塊であった。
壁越しに見える人の頭ほどの黒い靄は羽付きの視界を占領するとその視線を独占した。
吸い込まれるようにそれを見つめる羽付きは全ての感覚が視覚に集中していく過程を感じていたが、そこに自身の意思が入り込む隙は無く呑み込まれそうになった。しかし、何処からともなくなり始めた音によって羽付きは意識をはっきりとさせると感覚を取り戻した。
──パラパラ、パラパラ。
始まりこそ小さなものであったが、その音は次第にはっきりと聴覚を刺激しては鳴り続いていく。
「なんだ……?」
羽付きは殻の中に浮かべた目玉を動かすと、目まぐるしくその目線は変わった。
音の出所を探る羽付きはその身を振るう──あの方向、この方向、その方向、どの方向と。しかし、いくら探っても全くに出所は掴めない。
しばらくの捜索が繰り広げられるとやがて、探りの鈍さに呆れてかその音は大きく反響し重なり合っては音を散らして羽付きを煽りたてた。
──パラパラ、パラパラ、パラパラ、パラパラ。
出所を掴めぬままの羽付きを放り出して、分散したその音は始まりの起点を増やしていく。
いくつもの波長が羽付きの周りのそこかしこで波打つと同調しては反発しその聴覚を不快に攻め立てた。
──パラパラ、パラパラ、パラパラ、パラパラ、パラパラ、パラパラ。
うるさく煽りたてるその音。すると、不快の波が押し寄せたことによって次第に積もっていった苛立ちが遥かな山を築き上げると、羽付きの苛立ちは頂点に達した。
目前のリュグネロアを捨て置いて空に舞い上がる羽付き。その姿は居ても立ってもいられないと言わんばかりに忙しなく、慌ただしい。
音の出所を探るようであり、その音から逃れるようでもある羽付きのその行動は成果を得る事が出来ずに徒労に終わってしまう。
なぜならそれは、空にこそ答えが無いものでそこが本領ではないからであった。
──パラパラ、パラパラ、パラパラ、パラパラ、パラパラ、パラパラ。
すると、未だ掴めぬ出所に荒れる羽付きを一陣の風が頭ごなしに撫でた。
突如として強く吹いた風に煽られる羽付き。
風は長らくそこに吹き付けられると終わりが無いように思えたが、ひとしきりの吹き様に気が済むなり去っていった。
かくして強い風に晒された羽付きではあったが、その身を地に落ち付ける事は無く終えた。
すると羽付きは、その風と共にさらわれたのか苛立つ自分が居なくなっている事に気付いてそれと同時に音が一つに収束している事に気付いた。
一か所より鳴る音は、その出所を明確に感じ取れた。
──パラパラ、パラパラ。
一つの出所にも拘らずはっきりと主張するそれは、優しく撫でるように吹く風にあおられて小気味の良い音を速めた。
──パラパラパラ。
羽付きは探る事を止めると至って冷静になり、正確に把握できるその場所に降り立った。
その場所とは壁の中にあった。
何故見失っていたのか、呆れるほどに単純な音の出所。
壁の中に在る黒い靄──音はここから鳴り響いていた。そして、連続したその音は小気味よく今もなお鳴り続いている。
事ここに来ては心地よさすら伺えるその音に、冷静さを取り戻した羽付きは自らに奮い立つとその衝動をぶつけた。
ガンガンと壁にぶつかる羽付きのそれは壁の堅牢具合を証明すると、突破に至らない不変的事象を連続した音に重ねては鳴り止まずに在り続けた。
壁も音も確かにここに在るにもかかわらず視覚には捉えられず、無い。
いつしか壊れたように何度も何度も突撃する羽付きは、なぜそこまで苛立つのか最早分からなくなっていた。そして、リュグネロアから受けて出来たひびをさらに進行させると尚もぶつかり続けた。
二つの音が混ざり合う中で壁内の黒い靄が反応を示すと、その小さな暗雲はそこに僅かな稲光を走らせた。
鳴り続けた連続音がピタリと止まる。
──ガンガン、ガンガン。
羽付きはひたすらにぶつかり続けていたが、そこに残っている音が自身の衝突音のみであることに気づくと我に返った。
羽付きは自身の音の居残りを終えて帰らせると、そこに出来た久しい静寂にて景色の歪みを認識する暇を取った。
棒立ちのように佇む羽付きは、かなり痛んだ殻越しに再び壁内を見た。
黒い靄もその後方に伏せるリュグネロアも依然としてそこに在る。
相も変わらぬ光景。
一心不乱に続けた自身の行動に疑問を持つ羽付き。しかし、それはすぐさま味合わされた感覚によって意識を奪われるとその疑問は彼方に消えて、今に飛び込みそうな羽付きだけがそこに残った。
羽付きは先程までの自身の行いに対して受けた嘲る感覚に尖らせた視線で応えた。
少しの時を遡って見方を変えると、壁の中に在る黒い靄の塊は外からのあらゆる連なりを遮断していた。それがどういった事かは壁内の不気味に思える程に不自然な音の静止によって伺い知れた。しかし、一度外に響いた音と同じくパラパラとした音を鳴らすとなれば、それ程にうるさくない常識の範囲内の音量をもって壁の中でもそれは連ねられていた。
どこか俯瞰で眺めるリュグネロアは、音の連なりが及ぼす結果が外と内とで全くに違う事を見て取った。それは、外の羽付きはあちこちへと翻弄し、内のそれは落ちつきはらって奔走に構うことなく鳴り続く。
リュグネロアは自身が危機的状況下にあるという事が間違いではないと知りながらも互い違いの光景を眺めていた。
やがては止まるその音。
外で喚き続いたそれも何時しか自身の音を残すのみと知りやがて静止したが、それは内の者に対してこの上ない滑稽さを晒していた。そして、羽付きは見えぬ壁からその身を離したが、それは冷静さを取り戻しての事かそれとも恥じらいからか或いは……。
そのように差し向けた者は羽付きの姿を目にして嘲笑った。
小さなその声が、壁の中に浮く黒い靄の傍から漏れ出るのを聴いたリュグネロア。するとリュグネロアは、その視線の先に見えた者に対して歓喜の心を表した。
隔てた壁の内側で──黒い靄はひとりでに浮いているわけではなかった。
外の羽付きが未だに捉えられぬその者は、やがてリュグネロアの前に鮮明な姿を現すと携えた靄を見つつ口にして、それまでに起きた天災を再びもたらした。
羽付きに更なる天災が今に降り注ぐ。
「なるほど、こうするのか」




