後編 「畳化か、それとも西日本化か。哈日族を自負する留学生のキャンパスライフ」
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
私には記念写真の時に眼鏡を外す癖があるから、前の眼鏡をかけた写真はなかなか見付からなかったの。
それでもフォルダの底の方まで潜ったら、蒲生さんにお見せ出来そうな写真データは無事に発見出来たんだ。
とはいえ高校生の頃の写真だから今とは随分と雰囲気が違うし、服装も随分と派手だけどね。
「ほら見て、蒲生さん。こっちは台湾にいた頃に作った眼鏡なんだけど、今のよりレンズの度数が高いでしょ。」
「ホントだ、レンズの所だけ目が大きくなっているじゃない。よっぽど度の強い眼鏡だったんだね。それにしても…高校時代の美竜さんって、なかなかクラシックで派手なファッションセンスをしていたんだね。もしかして、放課後や休日は漢服で過ごすタイプなの?」
そう言うと思ったよ、蒲生さん。
何しろ写真の中の私は、緑色の漢服に身を包んでいたんだからね。
これじゃまるで、「史記」や「三国志」の時代の女官だよ。
オマケに耳飾りだの髪飾りだのと、色々とアクセサリーを付けていたんだもの。
クラシックで派手なファッションセンスとは、言い得て妙だよ。
「だとしたら、大学デビューで随分と地味なイメチェンをした事になるね。これは家族で写真館に行った時のオフショットだよ、蒲生さん。私の地元での台南市では、着飾って記念写真を撮るのが流行っているんだ。」
「知ってるよ、美竜さん!確か『変身写真』って言うんだよね。前に見た旅行番組で、台湾観光のアクティビティとして紹介されていたっけ。」
蒲生さんが変身写真の事を知っているとは、私としても意外だったね。
飲み込みが早くて大助かりだよ。
「その変身写真で両親がツーショット撮影の準備をしている間、時間をもて余しちゃったんだよね。それで退屈凌ぎに受験勉強をしていた所を、妹にスマホのカメラで写されたんだ。」
「成る程なぁ…漢服姿の美竜さんが参考書を広げていたのには、そういう事情があったんだね。受験勉強に余念がないって感じかな。そう言えば私も、高三の頃の方が今よりもミッチリと勉強していたっけ。」
共感して頂けて喜ばしい限りだよ、蒲生さん。
受験勉強が大変なのは、万国共通なのかも知れないね。
「それは私も同感だよ、蒲生さん。受験勉強で随分と衰えた視力も、最近では結構マシになったからね。それでレンズが合わなくなったから、夏休みに新調したんだ。」
幾らレンズの度数が合わなくなったからって、今まで愛用していた眼鏡を交換したら、かけ心地が変わっちゃうからね。
夏休みをかけて、ゆっくりと慣らしていったんだよ。
「あれ?だとしたら美竜さんは、眼鏡を買い替えて一月余りも経ってから、眼鏡ケースを新調したの?」
訝しげに問い掛けてくる蒲生さんの気持ちは、私にもよく分かるよ。
せっかく眼鏡を買い替えたのなら、それに合わせて眼鏡ケースを新調した方が新鮮な気分になれる。
そういう考え方も、確かに出来るよね。
「まあね、蒲生さん。私が眼鏡ケースを買い替えたのも、こうして買い替えた眼鏡ケースが畳縁の布製なのも、全ては夏休みの帰省が大きく関わっているんだよ。」
「えっ、台南の御実家へ帰省した時の事が?」
流石に言い方がオーバーだったかなぁ。
蒲生さんなんか呆気に取られて、鸚鵡返しになっちゃってるじゃない。
「そんな大層な話でもないんだよ、蒲生さん。帰省して久々に家族と一緒に外食したんだけど、その時にこんな事を言われたんだ。『美竜も順調に畳化しているみたいだね。』ってね。」
「えっ、畳化?」
キョトンとした蒲生さんの反応は、私も予期していたんだ。
こんな「畳化」なんて珍しい言い回し、あんまり日常生活では使わないからね。
「仕事や留学等で海外からやって来た人達が、日本の文化風俗に慣れ親しんでいく事を『畳化』って言うんだ。欧米の人達も日本で長く暮らしていたら、畳の上で自然と胡座をかけるようになるじゃない。たとえ本国では、家の中でも靴履きをしていたとしてもね。」
「成る程…要するに、日本人っぽくなるって事だね!確かに美竜さんって、初めて会った頃より随分と日本人っぽくなった気がするよ。こうやって喋っていると『うん』とか『はあ』とか自然と相槌が出てくるし、椅子から立ち上がる時も『よっこいしょっと…』って日本語で言うようになったからね。」
そう言って貰えて喜ばしい限りだよ、蒲生さん。
出来る事なら、立ち上がる時の掛け声に関しては触れないで欲しかったけど。
私としては「よっこいしょ」という掛け声にはオバさん臭いイメージがあるから、改めて指摘されると照れ臭いんだよね。
まあ、それで蒲生さんが畳化の概念を理解してくれたなら、私としては御の字だけど。
「蒲生さんと同じ事、お父さんとお母さんにも指摘されたんだ。それでね、こんな事も言われたんだよ。『それだけ畳化しているって事は、よっぽど日本での生活が楽しいんだろうね。』ってね。」
「確かにそうだよね。留学生活が楽しくなかったら、そこの文化に慣れる事なんてなかなか出来ないよ。美竜さんが快適な留学生活を送れているようで、ゼミ友の私としても喜ばしい限りだよ。」
こう言って笑う蒲生さんの顔は、普段よりも一層に眩しく感じられたよ。
私が県立大で楽しく過ごせているのも、蒲生さんの存在が大きいんだよね。
それを思うと、自然と頬が緩んじゃうよ。
「ははあ…成る程!それで美竜さんは、畳縁の眼鏡ケースを新調したんだ。つまり眼鏡ケースの畳化だね。」
「大正解だよ、蒲生さん。畳化した私が日本で買い直した眼鏡を収納するなら、これしかないと思ってね。私の両親も若い頃から『哈日族』と呼ばれる程の親日家だから、畳縁の眼鏡ケースには興味津々だったんだ。」
そんな親愛なるゼミ友に軽く頷きながら、私は畳縁の眼鏡ケースにそっと視線を落としたんだ。
だらしなく緩んだ頬を見られるのは照れ臭いけど、我ながら上手くごまかせたよ。
「そうして改めて振り返ってみると、自分の中で色んな所が畳化している事に気付かされるんだよね。台湾にいた頃はラーメンライスなんて思いもよらなかったのに、今じゃ餃子を付け合わせにラーメンを食べるなんて普通だからね。」
「そう言えば、中華圏ではラーメンも餃子も主食という扱いなんだよね。体育会系の人達なんかは、丼セットの蕎麦やうどんを汁物のノリで豪快に啜っているけど。」
蒲生さんが例に挙げた丼セットは、留学当初の私には未知の存在だったね。
ましてや町中華でランチタイムに提供されるラーメン定食に至っては、白米とラーメンと餃子という主食三点セットになる訳だから、どう解釈して良いのか頭を抱えた程だったよ。
そんな具合に物思いに耽っていた私を現実に引き戻したのは、不意に口を噤んだゼミ友のもたらす異様な沈黙だったの。
急に黙りこくったと思ったのも束の間、蒲生さんったら急にニヤニヤと笑い始めたんだよね。
きっと、また何か思い付いたんだろうな…
「このまま順調に美竜さんの畳化が進んだら、そのうちお好み焼き定食も受け入れられるようになるだろうね。お好み焼きをおかずに白米を食べるのも、紛れもない日本文化だよ。」
「いやいや!『西』が御留守だよ、蒲生さん!それを言うなら『畳化』じゃなくて『西日本化』か『関西化』って言うんじゃないかな。そりゃ確かに、お好み焼きを始めとする粉もん文化は関西の誇りかも知れないけど。」
こうしてゼミ友に応じた次の瞬間、私はある事に思い至ったんだ。
蒲生さんへの返事として、至って自然にツッコミを入れていた事をね。
「おっ!美竜さんったら良い感じのツッコミじゃないの。何気ない会話の中からツッコミ所を探し出す習性は、正しく『関西化』の証だよ。」
「ああっ!私ったら、ついつい本能的に…」
唖然とする私の耳に、蒲生さんの楽しげな笑い声は一際朗らかに木霊したんだ。
どうやら私は、畳化と同時進行で関西化もしていたみたいだね。
次回の帰省では、この関西化についても触れた方が良いのかな?




