前編 「気付いて欲しい眼鏡の変化」
髪型やアクセサリーの変更を周りの人に気付いて貰えた時の嬉しさは、誰でも一度や二度は経験した事があると思うの。
だけどそれは、自分が一番着目して欲しかった変更点に一発で気付いて貰えた時の話。
一番気付いて欲しい所は延々と見落とされて、その従属物や無関係の部分の変更点ばかりに着目されたら、ちょっと複雑な気持ちになっちゃうよね。
この複雑な思いに私こと王美竜が駆られたのは、留学先である堺県立大学の学生街で軒を連ねている中華料理店に来店した時だったんだ。
この日は講義を五限目まで履修していたから、大学が跳ねたら既に夕食時になっていたの。
そこで晩酌と夕食を兼ねる形で、この町中華に入店したって訳だね。
「ここの水餃子は身体の芯から温まるからね。私みたいな眼鏡女子は、レンズが曇らないよう気を付けないと。」
そうして紙ナプキンで口元を拭った私は、鞄から布製の眼鏡ケースを取り出したんだ。
この真新しい眼鏡ケースは割と気に入っているけれども、別に見せびらかすつもりなんてなかったんだよ。
「あっ、その眼鏡ケース…美竜さんったら、新しいの買ったんだ。」
だけど私の連れ合いにしてゼミ友でもある蒲生希望さんったら、この真新しい眼鏡ケースに目敏く気付いて指を差してきたんだ。
「へえ…御洒落な和柄で上品だし、それに生地も丈夫そうで良いじゃない。深緑とは随分と渋い色使いだけど。」
「アハハ!分かる、蒲生さん?この眼鏡ケースの布って、実は倉敷市の畳縁で出来ているんだ。半月前に堺東の高鳥屋で開催されていた岡山物産展で買ったんだけど、なかなか丈夫で重宝しているんだよ。」
畳縁の国内シェアの八割を担っている倉敷市だけど、近年では畳縁を用いた布製品の製造にも力を入れているんだ。
私が買った眼鏡ケースを始め、エコバッグやポーチ等々と様々な製品が出回っているけど、和を感じさせる渋くて御洒落なデザインと確かな耐久性から評判も上々みたいだね。
お気に入りの眼鏡ケースに気付いて貰えた事は、確かに嬉しかったよ。
とはいえ私としては、もう一つの変化にも気付いて貰いたい所なんだよね。
「あのね、蒲生さん。実は私、眼鏡ケース以外にも変えた物があるんだけど…それが何か分かるかな?」
気付いて貰えずにもどかしい思いをする位なら、私の方から切り出さないとね。
眼鏡という目立つ部位だもの、流石に皆まで言わなくても分かるでしょ。
そう思っていたんだけど…
「えっ?眼鏡ケース以外で、美竜さんが変えた物?うーん、そうだなぁ…」
訝しげに軽く首を傾げながら、蒲生さんは向い合わせで座った私の事をジロジロと観察し始めたんだ。
「髪型は前と同じストレートだし、服装ってのも違うよね…」
「そりゃそうだよ、蒲生さん。服なんて毎日のように着替えているんだからさ。」
自分の撒いた種だけど、あまりジロジロ見つめられるのは落ち着かないなぁ。
軽々しくぶつけてみた質問だけど、ちょっと無茶振りだったかな。
「あっ、分かった!分かったよ、美竜さん!」
「えっ!分かったの、蒲生さん?良かった、気付いてくれて。」
だから蒲生さんが軽く指を鳴らして声を上げた時、私は心底ホッとしたんだよね。
この空気を打破してくれるに違いないってね。
だけど次の瞬間、私は思いっ切り脱力しちゃったんだ。
「それはズバリ、マスカラでしょ!こないだに比べて薄くなった気がするよ。」
「えっ、マスカラ?」
目元に着目したまでは良いのに、どうしてそっちになっちゃうかな…
さっきまで外していた眼鏡を掛けたんだから、分かりそうな物なのにね。
「それじゃカラコンを変えたの?それともレーシックを受けたとか?」
「どっちも違うよ、蒲生さん。こんな度入りの眼鏡をかけているのに、カラコンなんか入れても仕方ないじゃない。それにレーシックを受けたのに度入り眼鏡までかけたら、いよいよ何をしたいか分からなくなるよ。」
そこそこ掠っているからこそ、余計に惜しいんだよね。
だけどコンタクトレンズやレーシックが出てくるなら、眼鏡まであと一歩だね。
ところが…
「えっ?違うの、美竜さん?分かった、眉毛を書き直したんだ!」
「そうそう!こないだまで御公家さんみたいな丸い眉だったから、現代的な細長い眉は慣れてなくて…って、違う!これは私の自前の眉だし、そもそも引き眉なんかやってないって!」
わざとやっているとしか思えない程のトンチンカンな答えに、とうとう私も限界に来ちゃったみたい。
思わずノリツッコミで応じちゃったよ。
「冗談だよ、冗談。美竜さん、眼鏡を新しくしたんでしょ。カラコンやレーシックを思い付くのに、眼鏡に思い至らないなんて不自然でしょ。」
「なぁんだ…ちゃんと分かってるじゃないの、蒲生さん。」
良いように翻弄されたような物だから、本当に疲れちゃったよ。
こんな面倒な事になるなら、むしろ私の方から打ち明けた方が良かったのかな。
「おフザケ気分で混ぜっ返しちゃったのは申し訳ないけど、途中まで気付かなかった事に関しては本当だよ。そもそも、既製品の眼鏡が変わっていてもなかなか気付かないんじゃないかな?よっぽど珍しいデザインなら別だけど。」
半ば言い訳がましい口調だけど、蒲生さんの弁明にも一理あるんだよね。
「例えばの話だけど…それまで美竜さんが普通の眼鏡をかけていて、急に怪盗ルパンみたいな片眼鏡にイメチェンしたら、流石に私も一発で気付いちゃうな。」
「そうかも知れないけど…見比べてみたら一目瞭然なんだよ。百聞は一見に如かずだから。」
蒲生さんの極端な例え話に半ば呆れながら、私は取り出したスマホで画像フォルダのサルベージに取り掛かったんだ。