森②
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ツンと髪を引っ張られる感覚に意識を取り戻したジオは、霞む目を擦りながら体を起こした。
「あ、リーダー起きた?」
聞き慣れた声に瞼を開ければ、自身が率いる冒険者パーティー、〈明けを目指して〉のメンバーが少し離れたところで火を起こしていた。が、その色がおかしい。通常の赤ではなく、深い緑色なのだ。
「お前ら、それ……」
なんなんだ? と続けようとしたジオの手首に、かぷり、と不思議な感触があった。目線を落とすと、金色の毛玉が2つ転がっており、その内の1つがあぐあぐと噛みついている。ぱちくりと瞬いたジオだったが、その毛並みはある魔物の幼体のものと酷似しており、サッと青ざめた。
「ぅわっ!」
バッと手を振り上げ、齧りつく毛玉を遠くへ放る。地面に落ちた毛玉は、ンギャウッ! と悲鳴を上げた。
「ンミャヴヴヴゥゥゥゥッ!!」
もう1つの毛玉が牙を剥いて威嚇をする。飛び起きて距離を取ったジオは腰の剣を抜き、切っ先を向けた。
「ジオやめて! やめてってば!」
真っ先にジオに声をかけた女性、クリステラが止めに入る。他のメンバーも、急いで毛玉とジオの間に立ち塞がった。
「リーダー駄目だって!」
「怪我させたらヤバイよ!」
毛玉を庇う仲間達を、ジオは信じられないものを見るような目で見回した。
「何が駄目なんだ! ネメアン・ライオンの幼体だぞ!今の内に」
「今の内に、何をする気かしら?」
ジオのセリフを遮り、地を這うような、低い、低い声が頭上から降ってきた。
「幼体の内に殺すつもり? 親の姿がないから今が絶好の機会だって言いたいの? ま、普通に考えたらそうよね」
ジオの視界に、深緑の鱗をまとう尾が映る。その尾先が、まるで槍のようにジオの喉に突きつけられた。
「確かに、ここにはその仔達の親はいない。だけど私がいるわ。手を出すのならば、まずは私を狩りなさい」
硬直したパーティーメンバーの様子に、ギギギ、と音がなりそうなほどにゆっくりと、ジオは振り返る。
高く昇った月を背負い、見下ろす深緑。1等星よりも強い光で、ミオリがジオを睨めつけていた。
「その仔達はクインとリトー。私が育てている仔らで、ここの住民よ。余所者はあなた達。偉そうにそんな物振り回さないで」
ふいっとミオリが尾を横へ薙げば、ジオの剣が遠くへ飛んだ。カラン、と音を立てて地に落ちるそれを、ジオはちらりと見る余裕すらない。
「さっさと収めなさい。次にうちの仔達に剣を向ければ私が牙を剥くわよ」
ふんと鼻を鳴らし、ミオリは〈明けを目指して〉に背を向けて毛玉達に歩み寄った。横たわるクインと、すり寄るリトーがか細く鳴く。その様に目を細めたミオリは、鼻先で兄弟の頭を撫でた。
「よしよし。びっくりしたね、怖かったね。もうさせないから、安心しなさい」
「ミャウゥゥ……」
「グルルルル……」
すがるように、クインとリトーがミオリの鼻に頬を寄せる。硬直が解けたジオは急いで剣を拾い、鞘へ収めた。
「どこなんだここは……」
息を潜めながら横目で周囲を見やる。木々に囲まれているが、そのわずかな隙間に水が見え、ここが孤島だと悟った。
「リーダー、あのドラゴン〈月虹〉だよ。〈月虹〉のミオリ。ほら、水中を泳げる珍しい奴」
ジオよりも頭半分小さい男性冒険者、テオールが耳打ちした。続けてクリステラがミオリを指差す。
「私達、ウェアウルフに追われてたでしょう? 寸でのところで彼女が助けてくれて、寝床まで運んでくれたの。火を起こしてもいいか聞いたら火種もくれたのよ」
指している指が、パチパチと爆ぜる焚き火へと移る。そこでジオはようやく、炎の色がミオリの鱗と同じだと気づいた。
「ほら、使いなさい」
そう言ったミオリが尾を振れば、一行にぽんと何かが放られた。クリステラが慌てて受け取ったそれは、一抱えほどの大きさのマジックバッグだった。
「あの、これは?」
「林檎」
素っ気なく返された返事に、ジオ達は一瞬考えた後、目を真ん丸に見開いて顔を見合わせた。
「林檎って言った? ねえ、今林檎って言った?」
「〈月虹〉の林檎ってあれだよな? 俺の勘違いじゃないよな?」
「ペリアッド町か王都じゃないとほぼ買えないって言われてる、あの幻の林檎?」
「滅茶苦茶高い奴だろ? マジ?」
驚きながらも、期待の眼差しを向けてくる人間達に、ミオリはむず痒そうに顔を歪めた。
「〈月虹〉である私が他所の林檎を食べると思う? お腹空いてるんでしょう? 好きなだけ食べなさい」
それだけ言うと、大きなあくびをこぼしたミオリは組んだ前足に顎を置いた。クインとリトーがミャウミャウ鳴きながら隙間に潜り込んでいく。もう一度顔を見合わせたジオ達はマジックバッグを開いて林檎を取り出し、その艶やかさに目をキラキラさせた。
「あ、言い忘れてたけど」
ちらり、とミオリが横目で見る。
「シューヌと砂糖とバターをつけてクエリンの皮で包んで焼くと美味しいわよ。焼き林檎っていうんだってさ。全部マジックバッグに入ってるから作ってみたら?」
「「「「「「美味しそう!」」」」」」
「焼くのは3時間ぐらいね」
「「「「「「長い!?」」」」」」
満面の笑みを浮かべた後、ショックを受けたように眉間にシワを寄せる人間達の息の合い具合に笑いそうになったミオリは、ふいっとそっぽを向いてうたた寝を始めた。
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「それで、どうしてウェアウルフに追いかけられてたの?」
目を覚ましたミオリは、声を潜めつつも楽しそうに話しているジオ達が焼き林檎を食べ終えているのを確認してから尋ねた。
「あ、その、私達の故郷にそいつらの群れが出るようになってしまって、追い払おうとしてたんです」
口の端に垂れた林檎の果汁を拭いながら、クリステラが答えた。
「と言っても、僕達まだ冒険者になったばかりで、あんな群れ初めてだったんです。分散させて討伐しようとしたら、逆に追いかけられちゃって……」
あはは、とテオールが頬を掻く。
「挙げ句の果てに洞窟に追い込まれて、命辛々逃げてきたってわけだ。子どもの頃からよく探検っつって遊んでた場所だから、どの道が行き止まりでどこが出口に続くのか知っててよかったぜ……」
身震いしながら言うジオに、ふうん、とミオリは頷いた。
「で、その出口とやらはどこにあるの?」
「あっちです。森の向こうにある山の裾に繋がってて、私達の故郷は山の反対側なんです」
「……言われてみれば、山を越えた先に家があったわね。あそこは町かしら?」
「規模的に言えば村ですね。でも最近人口が増えてきてるから、そろそろ町に発展しそうなんです」
「そんな時にウェアウルフが近くに住み着いてしまったから村長達が困ってて、僕達が頑張ろうってなったんですよ」
「全く歯が立たなかったけどな」
はは、と自嘲気味に笑うジオに、他の男性冒険者が頷く。クリステラ含む女性冒険者達は悔しそうに唇を噛み締めた。
「冒険者に成り立てだからって、私達だってそれなりに頑張って修行してきたんです。なのに全然役立てなくて……。6人もいるのに倒せたのはたったの4体。情けないです……」
「そうかしら?」
思わぬミオリの反応に、え? とクリステラは首を傾げた。
「ウェアウルフは群れで行動する分、単独で動く魔物よりも隙がないわ。ましてや相手はかなりの数いるんでしょう? あなた達、見たところまだ若いし、その歳で4体も狩れたなら上等だと思うけど」
前足の爪を噛んでくるクインとリトーをそのままに、ふすふすと鼻を鳴らしながら言うミオリにジオ達は顔を見合わせる。同種であるドラゴンの中でも上位として名を馳せているミオリからすれば、ウェアウルフ程度に逃げに徹した自分達など嘲笑の極みだろうと思っていたからだ。
「とはいえ、私としてもこの森に奴らが入ってくるのはいただけない。平穏に暮らしたいんだからああいう奴らはお断りよ」
そう続けたミオリが立ち上がり、ネメアン・ライオンのきょうだいを大きな口にまとめて咥えた。そして長い首を伸ばし、クインをクリステラに、リトーをテオールに預ける。思わず受け取ったクリステラとテオールは、幼体ならではの毛並みの柔らかさについ笑みをこぼした。
「ンミャウ?」
「ミャウゥ?」
「お出かけするわよ。私の狩りを見せてあげる」
「「ミャウッ!!」」
狩り、という単語に反応した兄弟が鳴いた。目を見開いたジオがミオリを見上げる。
「か、狩りを見せるって?」
「言葉の通りよ。私の平穏な日々の為に、この仔達の一人立ちの準備の為に、ウェアウルフを狩るわ。そこの2人はクイン達を落とさないと約束するなら背中に乗りなさい。私の狩りに連れてってあげる」
ふふん、と得意気に言うミオリに、クインとリトーを抱えたクリステラとテオールは何度も瞬きをして、リーダーと他のメンバーを交互に見た。
「ま、待ってくれ! 狩りは空を飛ぶんだろう? リーダーとして仲間を危険な目には遭わせられない!」
「だったらあなたも乗るといいわ。3人程度余裕で乗せられるから」
それならいいでしょ? とミオリがジオに目を移す。
「見たくないの? ドラゴンの背中から、ドラゴンの狩りを。間近で」
「「「……見たい」」」
「決まりね」
言うや否や、ミオリは3人が乗りやすいように翼を伸ばして背中へと続く坂を作った。ごくり、とジオ達が唾を飲む。もちろん、空を飛ぶことへの恐怖はある。だがそれを越える好奇心を抑えられないのが若者の性である。