森①
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森の奥深くで揺れる湖の真ん中に、ぽつんと浮かぶ小島がある。深緑の葉をまとう針葉樹が数本生えるそこは中央部分が開けており、草の状態から何者かが寝床にしていることが窺える。
木々の間から、葉よりも深みのある緑が現れた。ドラゴンのみで結成された王都公認のパーティー、〈月虹〉のメンバーであるミオリだ。口には血抜きをした獲物を咥えており、ミオリの後を小さな毛玉が2つ、ころころとついてくる。
どさり、と獲物を落としたミオリは、小さく噛み千切った肉塊を口に入れたまま炎を吐いた。と言っても、端から見れば口元から火の粉が漏れる程度の弱い炎だ。それをぽとりと草の上に落とす。
「いいよ。お食べ」
ミオリが声をかければ、
「「ンミャウ!」」
可愛らしい返事があった。
ミオリが寝床としている小島には、ネメアン・ライオンの幼い兄弟が同居している。もともと住んでいたわけではない。縄張争いに敗れたのであろう親獅子の骸にすがっていた兄弟をミオリが拾って今に至る。
〈月虹〉にとって、ネメアン・ライオンという種の魔物は特別である。故にミオリは、腹を空かせて泣きじゃくる小さな毛玉達を見捨てることができず、世話をしているのだ。
「クイン、そんなに慌てて食べなくて大丈夫よ。まだいっぱいあるからね。リトー、鼻に欠片がついてるわ。ちゃんと舐めなさい」
はぐはぐと焼いた肉に食らいつく兄弟を温かな眼差しで見守りながら、ミオリは再び獲物を小さく食い千切り、今度は生のまま草に落とす。先に気づいた兄のクインが生肉に飛びつき、弟のリトーは一瞬迷った後、焼いた肉に齧りついた。
生肉と焼いた肉の塊をもう2、3個作ってから、ミオリは獲物を丸呑みにした。それを見て真似をしようとしたクインがこれでもかと口を開くが、とても丸呑みにできそうにはない。自分の肉を食べ終えたリトーはミオリが落とした肉が残っているにも関わらず、クインが齧りつく肉の反対側を食べ始めた。
「グルルルルルッ」
「ンミャヴヴゥゥゥッ」
「喧嘩しないの」
唸り声を上げ始めた兄弟の頭の天辺を優しくつつきながら、ミオリはきょうだい達の幼い頃を思い出していた。
(セキレイとダイチもよく1つの肉を取り合ってたなぁ。その度にママに怒られてたっけ)
懐かしいなぁ、と思いながら、前足の爪を軽く振る。取り合われていた肉が2つに裂け、兄弟は反対方向に転がった。
「ありがとうママ」
赤と橙のきょうだい達を黙らせた母に感謝しつつ、ミオリは涙を滲ませながら大きなあくびをした。
▷▷▷▷▷▷
ピリッ、と鱗に違和感を感じ、ミオリは瞼を開けた。日が沈み始めた夕暮れ時。一番星が煌めく空に向かって、長い首を伸ばす。腹部に触れる温もりは、遊び疲れて眠っている兄弟だ。
「……西」
僅かに明るい空に目線を移し、呟く。湖がある森の一帯はミオリの縄張りとなっており、よほどの命知らずでなければ魔物は立ち入らない。そんな森に、ミオリやクイン達以外の魔物が、いる。
「ミャウ?」
眠そうな目のリトーがミオリを見上げた。弟の尻尾を咥えたままのクインは起きる素振りすらない。
「リトー。ちょっと森を見てくるから、クインとお留守番しててくれる?」
そう言うミオリに、リトーは短く鳴いて応えた。ドラゴンとネメアン・ライオンでは会話をすることができないが、リトーはなんとなくミオリの言葉がわかるようで、ミオリが望むままに従うことが度々あった。
「うん、いい仔。湖に近づいたら駄目よ? あなた達泳げないんだから」
鼻先でリトーのおでこをちょんとつつき、クインを起こさないようそっと立ち上がる。針葉樹の輪を抜けて、湖の縁まで歩いたところで、ミオリは翼を広げて飛び立った。
西に向かい、速度を上げる。先ほどよりもはっきりと気配を感じることができるようになり、ミオリは顔をしかめた。
(人間がいる。しかも複数。冒険者パーティーが来たの?)
過去にも何度か森に人間が来たことがあった。王都のギルドからここがドラゴンの縄張りだと通達されてはいるが、狙いの魔物を追う内に立ち入ってしまう者達が少なからず存在する。その度にミオリは様子を見に行くのだが、今回はどうにも様子がおかしい。
(魔物に追われてるみたい。逃げてるんだ)
先に気づいたのは魔物の気配だったが、どうやら人間の方が森へ逃げ込んできたらしい。追いかけている魔物は、ミオリにとって馴染みのある種族だった。
「ああ、情けない……」
飛びながらため息をついたミオリの耳に、騒がしい男女の声が聞こえ始める。舌打ちしそうになるのを堪えながら、ミオリは高度を下げた。
木々が開けたところを、合計6人の男女が駆けてくる。その全員の顔が恐怖に歪んでおり、数名は今にも転びそうだ。
「無理無理無理無理っ! あんなの無理だってば!」
「喋ってねえで走れ! 喰いころされるぞ!」
「も、もう限界っ……、走れないっ……」
「止まったら死ぬって!?」
言い合いながら逃げているのは、真新しい防具を身にまとった冒険者達だった。皆若く、パーティーを結成してそう経っていないのだろう、追ってくる魔物達への反撃が何もできずにいる。
「ウェアウルフか……」
冒険者達を追っているのはウェアウルフの群れだった。空から見て10頭は確認できる。ミオリはさらに高度を下げ、双方の真上、木に掠めるすれすれの高さを飛んだ。
背後から悲鳴が聞こえてくる。風圧に負けた冒険者が転んだらしい。くるりと方向転換をして、ミオリは冒険者達とウェアウルフの群れの間に降り立った。
「追いかけて入ってきただけなんだろうけど、ここは私の縄張りよ。荒らすならそれなりの覚悟をしなさい」
土埃を上げて立ち止まったウェアウルフ達が、突然現れたミオリを見上げてブルブルと震え出す。敵う相手ではない、と瞬時に悟った群れのリーダーが一吠えすると、群れは一目散に逃げ出した。
「正しい選択ね」
ふん、と鼻を鳴らしたミオリが振り返れば、冒険者達は皆ぽかんと口を開けていた。そのあまりの様に、はあ、とため息をつく。
「あなた達、あの程度の魔物相手に悲鳴を上げて逃げ回るなんて、冒険者に向いてないんじゃない?」
自分含め、強い力を持つ魔物はごまんといる。いくら群れているとはいえ、ウェアウルフ程度に尻尾を巻いてしまうなら冒険者として生きていくのは難しいだろう。そう思ってわざとらしく嫌な言い方をしたミオリだったが、反応がない。よくよく見れば、冒険者達は皆ミオリを見上げた姿勢のまま気を失っていた。
「……はあ」
深い、深いため息をつきながら、ミオリは項垂れる。薄暗かった空は真っ暗になり、満天の星空が広がっていた。