カジ村③
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次回から違う仔の話を3話更新し、その次から新作を投稿予定です。よろしくお願いします。
村民達は動揺していた。少し前まで一緒に食事をしていたドラゴンが急に飛び去っていったのだから無理もない。数名の男達は、ドラゴンが向かわねばならないほどの魔物が近くにいるのかと斧のギルマスに詰め寄る始末だ。
「ママあっち!」
スーニアが村の北側を指差して叫んだ。家族の中で最も耳がいい彼女は誰にも聞こえない音を聞くことが多く、今回も遠くから響く爆音にいち早く気づいたのだ。
「行ってみようよ!」
「スーニア待って!」
走り出したスーニアを、トアーズを抱き上げたイーシャが追いかける。ネアやコールも慌てて追いかけ、それを見た他の村民達も引っ張られるように駆け出した。
スーニアが立ち止まったのは、村の北門を抜けたところだった。ここから先は下り坂になっており、山と山の間にある平原を見渡すことができる。
普段は揺れる木々や草、穏やかな川の流れが在るそこに、炎の蛇が揺らめいていた。金色に煌めく、長い蛇だ。しかし、燃え広がってはいない。蛇の頭部分には低空飛行をするキイナがおり、蛇が育つと同時にそこかしこから魔物の悲鳴が上がっている。
キイナが新たにドラゴンブレスを放った。蛇がまた大きくなる。木々の間を逃げ惑うマルニハが、村からも確認できた。
「凄い……」
村民の誰かが言った。トアーズを下ろしたイーシャが両目を擦る。
「見間違いかな、マルニハがどんどん倒されていってるように見えるんだけど……」
「見間違いじゃねえよ。俺にも見える」
目をキラキラさせながらキイナを見つめるトアーズが走り出さないよう、手を繋いだコールがそう返す。
「ドラゴンって強いね! もうあんなにやっつけてる!」
「そうね。だけど普通のドラゴンには絶対近づいたら駄目よ? わかってる?」
「わかってるってば!」
ネアが窘めれば、わくわくした様子でキイナを見ていたスーニアが一気に膨れっ面になった。その近くで、呼吸を整えていた斧のギルマスが胸元の服を鷲掴んだ。
「ああ、村のすぐ近くでドラゴンが戦うなんて……。村長達になんと言えばいいのか……」
今にも倒れそうなほどに顔色が悪い斧のギルマスを、隣にいた男達が両側から支える。そうこうしている内にも、マルニハの数は減り続けた。
キイナの咆哮とマルニハの断末魔が木霊する。その凄まじさは左右の山々が震えていると錯覚するほどだ。しかし、それにも終わりが来る。
一際大きな影が木々を薙ぎ倒しながら突進してきた。群れのボスである。マルニハのボスは黒焦げになった仲間の亡骸を蹴散らしながらキイナに迫り、頭突きしようと狙いを定めた。
キイナは逃げなかった。空へ飛べば簡単に避けられるのに、真正面からボスを迎え撃つ。ゆったりとした動作で右の前足を上げ、突っ込んできたボスの頭をむんずと掴む。自慢の突進を容易く止められたボスは足掻いたが、キイナからは逃げられなかった。
ボスを掴んだまま、キイナは空へと飛び立つ。ふわりと浮いた体にパニックになったボスはなおも暴れたが、キイナは離さない。
「どこに行くの?」
飛んでいくキイナを目で追うイーシャが尋ねるも、答えられる者はいない。やがて直進をやめたキイナは、くるりと一回転をして真下を向き、落ちるように飛んだ。
そこは川だった。イーシャとスーニアが魚を獲っていた川だ。浅瀬もあるが、中央はとても深い。キイナは掴んだマルニハをそのままに、とぷん、と音を立てて川へ潜った。
「……落ちた?」
「いや、〈月虹〉は泳げるって聞いたけど……」
突然訪れた静寂に、村民達は戸惑った。何かしらの音を拾おうと耳を澄ませる。が、聞こえてくるのは風が木の葉を擦り、草を撫でる細やかな音色と、キイナの炎がパチパチと爆ぜる音だけだった。やがて、炎を勢いを弱め、消える。残ったのは焦げ臭い臭いと、マルニハの亡骸だけだった。
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「山の奥で大人しく生きてればよかったのに」
川底に寝そべったキイナが言った。相手はもちろんマルニハのボスだ。返事がない代わりに、ゴポゴポと泡が立つ音が返ってくる。当然のことだが、息ができないのだ。
「弱い奴従えていい気になって、調子に乗るからこうなるのよ。身の丈に合った生き方しなきゃね」
まるで幼子に言い聞かせるかのように、キイナはボスを見下ろした。ボスの口から、ごぽり、と大きな空気の塊が吐き出される。それが最期だった。
「あ」
視界の隅に映ったものに、キイナがパッと顔を上げる。次いで満面の笑みを浮かべた。
「来た! アルフレオだ!」
幼体の頃のようにはしゃぐキイナだったが、自分の声の大きさにハッとして口を閉じる。その頭上を通過するのは、マンタに似た魔物の群れだった。
アルフレオは川と海を回遊する水棲の魔物で、背中側は真っ黒だが腹は皆違う色をしている。育った環境、食べた餌、年齢など、様々な理由から色が変わる為、泳ぐ虹、という別名を持っており、人間に対しても無害なので、討伐の対象にはならない数少ない魔物の1種だ。
海から川へ上ったアルフレオは、泳げない場所まで行き着くと方向転換をして川を下る。その行動は繁殖を目的としていない為、なぜ遡上をするのか未だに謎である。
動かなくなったボスを脚置きにしたキイナは、アルフレオの群れを見上げた。物を言わず、邪魔にも入らず、ただただ静かに眺めている。
キイナがこの魔物の存在を知ったのは、少し前に念話で話したシキから教えられたからだった。町や村へ行ってはその都度新しい本を漁るように買うシキから得られる情報や知識は幅広い。アルフレオも話題の1つとして出されたものだったが、キイナはその魔物に強く惹かれたのだ。
「あ、あいつダイチとおんなじ色だ。あっちのはランリ、その向こうはミオリだね」
きょうだい達と同じ色をしたアルフレオに、キイナは懐かしそうに目を細めた。夜の闇の中でもアルフレオの鱗はかすかに発光していて、キイナの鱗に虹を落としては通り過ぎていく。その様に、黄色いドラゴンはうっとりと微笑み、やがて大きなあくびをした。
もぞもぞと動いたキイナは、ただの物と化した魔物の亡骸に顎を置き、楽な姿勢でアルフレオの群れを眺めた。ゆっくりと瞼が閉じられ、穏やかな寝息が流されていく。数頭のアルフレオが不思議そうにキイナに近づいては鼻らしき箇所でつつき、去っていくが、つつかれた方は気づかない。
群れは通り過ぎた。黄色を照らす虹ももういない。泳げない場所までたどり着いたアルフレオが戻ってくる頃には、川底の黄色は既におらず、魔物の亡骸も消えていた。
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満足したキイナはカジ村へ戻り、マルニハのボスを斧のギルマスに託して、山を越えて飛び去っていった。その際、食料を渡す条件として交わした約束が2つある。
1つ目は、マルニハによる被害を王都へ報告すること。自身の名前を出し、解決済みではあるが、群れをつくった理由を調べるよう依頼を出せ、という内容だ。
2つ目は、川を遡上するアルフレオに手を出さないこと。もともと村民達はアルフレオの存在を知ってはいたが、食用にされていない魔物である為に狩ったことはなかったので、改めて釘を刺された程度の約束だった。
斧のギルマスや門番達は、厄介者を討伐してくれたお礼をしたいと言ったのだが、キイナは受け取らなかった。魔物の被害を受けて、その日の食べる物にも困っていた人間達から何かを受け取る気などなかったし、何より出されていた依頼を受けたわけではなく、狩りたかったから狩っただけという自分の欲を満たす為の狩りだったのだから、受け取る理由がないのだ。
「どうしてもって言うならさ、来年のこの時期に遊びに来るからもっと村を立派にしててよ。あたしももっと強くなっておくから、あんた達の成長を見せてよね」
そう言い残して去ったキイナを、村民達は姿が見えなくなるまで見送り続けた。そして、キイナとの約束を守る為に、皆それぞれが動き出す。
1年後、宣言通りキイナはカジ村へ遊びに来るのだが、他のきょうだい達も連れ立ってやって来た為に一騒動起こることになる。その後カジ村は、〈月虹〉が毎年遊びに来る村として有名になるのだが、今はまだ誰もその未来を予想すらできなかった。