カジ村①
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お久しぶりです。今回から3話分、こちらを更新します。その後は新作を更新予定です。
「スーニア、そっちはどう?」
「大丈夫みたい。急ごうお姉ちゃん」
幅広の川の岸に、姉妹らしき2人の少女が網を抱えて立っている。その目線は左右を忙しなく警戒しており、心なしか顔色も悪い。やがて2人は意を決した様子で川へ向かい、網を遠くに放った。
網の縁につけられた重りが綺麗に広がり、川面を掴んだ。少女達は何度かそれを繰り返し、網にかかる小魚を急いで魚籠に入れていく。4つあった魚籠がいっぱいになったところで、少女達は満足そうに微笑み合った。
「たくさん獲れたね」
「そうだね。もう充分だわ。そろそろ」
帰ろっか、と言おうとした、わずかに背の高い少女の言葉を水飛沫の爆ぜる音が遮る。はじかれたようにそちらに目をやった2人は、ヒッと短い悲鳴を上げて尻餅をついた。
川面から身を乗り出す、人間のような影。しかしその顔は人間とは呼べないつくりで、鼻がなく、大きな口が額にあり、目は頬骨の下についている。
「「キ、キーフォラ……」」
少女達の声が重なる。キーフォラと呼ばれた異形の魔物は目を細め、額の口でにっこり笑った。
川岸にキーフォラの両手がかかる。水滴が土を濡らす音に我に返った背の高い少女が立ち上がり、魔物から目を逸らせずに硬直しているもう1人の腕を掴んだ。
「ス、スーニア! 早く立って! 逃げないと!」
そう叫ぶが、スーニアは立ち上がれない。目尻に涙を溜めて首を横に振るだけだ。そんなスーニアの両脇に腕を通した少女は、小魚が入った魚籠が転げるのもお構いなしにスーニアを抱え上げ、ずるずると引きずってキーフォラと距離を取ろうとした。
少女の、イーシャの記憶の中にあるキーフォラは、川から出てしまえば長く行動できない魔物だった。水棲故に乾燥に弱く、長時間空気に触れていると肌が乾き、ひび割れ、身動きが取れなくなる。その為キーフォラに出会した時は何がなんでも逃げきれと、通っている学校の担任から教えられていたのだ。
「お、お姉ちゃん……」
「大丈夫! あいつは陸じゃ遅いはずだから、私達だって逃げられるよ!」
不安げに見上げてくるスーニアに、イーシャは精いっぱい笑って見せた。が、クンと引っ張られて後ずさる脚が止まる。恐る恐る見た先では、キーフォラが投げ出されたスーニアの足首を掴んでいた。
「ぃやあ!」
「離せ!」
遂にこぼれたスーニアの涙に、顔を真っ赤にしたイーシャが近くに落ちていた拳大の石を拾い、投げる。しかしそれはキーフォラには当たらず、暴投とも呼べる角度で川に落ちた。
「クキキキキキ、キキキキキキィ」
不気味な声がキーフォラの喉から漏れる。スーニアは震える足で自分を掴む魔物の手を蹴りつけたが、逆に枯れ枝のように長い指に絡め取られてしまい、両足の自由を失ってしまった。
「お姉ちゃん?!」
ズル、と川の方へ引っ張られたスーニアが悲鳴混じりに叫ぶ。周囲を見回したイーシャは落ちていた太い枝を拾ってキーフォラに叩きつけた。
「離せ! 離せってば!」
バシバシと何度も叩く。が、キーフォラには効いていない。それどころか、子どもの戯れとでも言いたげに微笑んですらいる。大きく振りかぶったイーシャだったが、当たる瞬間大きく開かれたキーフォラの牙に枝を噛まれ、喰い折られてしまった。
スーニアが川に引っ張られていく。折れた枝を捨てたイーシャが伸ばされるスーニアの両腕を掴み、陸へ戻そうとする。痛みに呻くスーニアだったが、少女と魔物では力の差がありすぎた。
「誰か! 誰か助けて!」
そうイーシャが叫ぶも返事はない。スーニアと川に来ることは、親にも友達にも言っていない。加えて、イーシャ達が住む村には川に近づかないようにとギルドから警告が出ている。その為、村人の加勢を望めないことは頭では理解しつつも、求めずにはいられなかった。
「クキキキッ」
嬉しそうなキーフォラが声を上げて笑い、スーニアの足先が濡れる。川に引きずり込まれるのも時間の問題だ。地面に踏ん張って抵抗していたイーシャだったが、両脚にも両手にも力が入らなくなり始めていた。
「助けてーーー!!」
腹の底から、イーシャは叫んだ。キーフォラの笑い声が嘲笑に変わる。が、それは途中で不自然に途切れた。
「「ぅわっ!」」
引っ張られる力が急に緩くなり、スーニアがイーシャに覆い被さるように地面に倒れ込む。急いで立ち上がった2人は川から離れて振り返れば、そこに魔物の姿はなかった。
「……何? なんなの?」
何が起こったのかわからず、イーシャは強くスーニアの手を握り締めた。スーニアは恐怖にカタカタと震えている。そんな2人の目の前で、川面が大きく盛り上がった。
激しい音を立てて水が川へ還る。透明の膜をやぶって現れたのは、金よりも柔らかい色合いの煌めく鱗だった。
「あーあ、昨日からずっと待ってたのに台無しだぁ」
あどけなさの残る声がイーシャ達の頭上から降ってきた。
「で? さっきの魔物は命であたしに詫びたけど、おチビ達はどう謝るつもり?」
鱗同様柔らかい色ではあるものの、稲妻のように鋭い眼光に射貫かれ、2人は硬直した。
川から突如現れた、黄色い鱗の、人間の言葉を話すドラゴン。そのような魔物を相手に上手く立ち回れるほど、少女達の肝は据わっていなかった。
▷▷▷▷▷▷
「コール! そっちは?!」
「いない! 村中に聞いて回ったのに誰も見てないって!?」
山間にあるカジ村は騒然としていた。男達は農具を武器代わりに肩に担ぎ、子ども達は動揺し、女達は子どもらやお互いを宥め合っている。
「ああもう、あの子達ったらどこに行っちゃったの! 誰にも言わずに出かけちゃうなんて!」
1人の女性がキーキー喚いている。その表情は不安そうに歪んでおり、冷静に話ができそうにもない。
「ネア、やっぱり2人は川に行ったんじゃ……」
コールと呼ばれた男性が言えば、ネアはより一層顔を歪め、両手で髪を激しく掻き乱し始めた。
「川になんて行くはずないじゃない! 川の近くには奴がいるのよ?! ギルドからも止められてるんだがらあの子達が行くわけがないわ!?」
「頼むから落ち着いてくれ!」
ネアの両手を掴み、抑えながらコールが叫ぶ。周りにいる村人達は、おそこは見たか? 向こうの畑は? など、隠れられそうな場所を確認し合っている。
「ママ」
控えめな、しかししっかりとした声が大人達の騒ぎ声の隙間を縫い、ネアの耳に届いた。ぱっと振り返ったネアは、上目遣いで自身を見上げる幼い男の子を見つけ、少しだけ落ち着いた。
「トアーズ、どうしたの? おうちにいてって言ったでしょう?」
「うん、ついてきてごめんね? でもママにおしえたくって」
そう言って、トアーズは顎を上げて母を仰いだ。膝を曲げたネアが両掌で息子の頬を包む。
「なあに? 言ってみて?」
「あのねー、えっとねー……」
もじもじと、トアーズは言いづらそうに体を捩った。ネアの隣に立ったコールも膝を折り、目線を合わせる。やがてトアーズは、短い指を絡ませながらぽつりと言った。
「おさかなさんをね、いつもいれてるカゴがないの」
「……お魚を入れるカゴ?」
「うん。ママとね、おねえちゃんたちとね、おさかなさんをつかまえにいくときにもってくやつ」
目を見合わせたネアとコールは、それが魚籠であるとすぐにわかった。コールがトアーズに尋ねる。
「なあトアーズ、そのカゴは何個ないんだ? わかるか?」
「ぜんぶないよ。4つともないの。ぼく、おなかがすいておみずをのみにいったらカゴがなかったからおしえにきたの」
言いたいことを言い終えたのか、トアーズは満足そうに笑った。対照的に、大人達の表情は酷く青ざめていった。
「魚籠がないってことは……」
「やっぱり川に?」
「ああ、イーシャちゃん、スーニアちゃん……」
「なんてこと……」
絶望したかのように、大人達の声が沈む。その内の数人は涙を浮かべてさえいる。無言だったネアは、その場に力なく尻餅をついてしまった。
「ネア……」
コールがネアの肩を抱く。反応はない。さらに強く、コールはネアを強く抱いた。
ばさり
前触れもなく羽音が鳴り、続け様に大きな影が村人達を通り越す。
「ド、ドラゴン?!」
影を目で追った女性が叫べば、村人達は悲鳴を上げて逃げ惑った。ハッとしたネアがトアーズを抱き上げ、コールは2人を家屋の方に押しやりながら目を凝らす。遥か空の先でくるりと向きを変え、こちらに戻ってくるドラゴンを見て、コールは細めていた目を真ん丸に見開いた。
「〈月虹〉だ!」
張り上げられたコールの声に、え? と数人が振り返る。それとほぼ同時に、村人達が逃げた為に生まれた空間にドラゴンが降り立つ。
黄色の鱗に、胸元に下げられた神宝石。そして、知性を滲ませる穏やかな眼差しが、そのドラゴンが特別であることを示していた。
「村とはいえ、門番ぐらいは立ってるものじゃないの? 誰もいないから入って来ちゃった。入村許可証、今からでも間に合う?」
首を傾げるドラゴンに、誰も返事ができない。すると、ドラゴンの背中で何かがもぞもぞと動いた。
「キイナさん、降りたい……」
「か、風強すぎ……」
2人分の、少女の声。はじかれたようにそちらを見たネアは、ドラゴンの翼を伝い降りようとする少女達の姿に涙をこぼした。
「イーシャ! スーニア!」
トアーズを抱いたまま、ネアがドラゴンの背後に駆け寄る。どうにか地面に降りたイーシャ達は、泣きそうになりながらネアに抱きついた。
「ママァ!」
「ごめんなさいぃ!」
トアーズを降ろし、2人の娘を抱き締めたネアが嗚咽を漏らす。ほっと胸を撫で下ろしたコールは、つんつんと肩をつつかれて振り返り、ピキッと固まった。
「入村許可証。間に合うなら用意してよ。駄目なら一度村から出るからさ」
眼前に迫るドラゴンの、キイナの顔に見下ろされ、コールは身動きができない。慌てた男が村の入り口まで走り、置かれてある入村許可証の紙を持って戻るまで、キイナはコールを見つめ続け、コールは冷や汗を掻き続けた。