5 夜の訪問者
食事の途中でステファンが手のひらを私に向け、静かにするよう合図をしてから立ち上がった。彼が耳に意識を集中しているのを見て私も気配を探る。
山小屋の周りには石を並べた上に貝殻が分厚く敷いてあり、踏めば音が鳴る。風の音に混じってジャリ、ジャリ、とゆっくりな足音が聞こえた。
スルリとステファンが剣を抜き、ドアの脇で身構えた。私とハンナは邪魔にならないように奥の部屋に向かう。奥の部屋のドアを顔の分だけ開けて様子を見ていると、ドアがノックされた。
「誰だ」
ステファンが尋ねる。相手の声は私には聞こえない。
「ドアから離れろ」
ステファンがドアの脇にある椅子に乗り、高窓から外を確認している。続いて三方向の高窓から外を確認している。低い位置の窓は夜間は厚い板で塞いであるからだ。仲間はいないと判断したらしく、ステファンがドアを開けた。
よろよろと入って来たのは大柄な若い男で、右肩から胸にかけてどす黒い血で服が濡れていた。ステファンが手早く全身を探って武器の確認をしている間にもふらついている。
「大丈夫です」
私の方を向いて声をかけてくれたので急いで近寄る。
「ステファン、その人をそこのデイベッドに寝かせて。ハンナ、お湯を沸かして。ステファン、寝かせたら周囲の確認をもう一度お願い」
二人に指示を出して私は横たわった男のシャツを開き、傷を確かめる。傷の形から見ると矢傷だ。首に触れて脈を見る。熱もあるし脈が速い。額には脂汗。
ステファンが戻り「誰もいません」と報告する。
「ありがとう。この人を押さえてくれる?傷の中を探るから」
と頼む。男がうっすらと目を開けたので耳の近くで話しかけた。
「傷の中に異物が残っていないか確かめます。痛くても動かないで」
焦点の合わない目つきながら男が頷くのを見て、指とピンセットを消毒する。ピンセットを傷に差し込んで中を探ると「ウァッ」と呻くが暴れなかった。傷口に顔を近づけて匂いを嗅ぐ。微かに知っている匂いがした。
もう一度男に話しかけた。
「矢尻は残ってないわ。でも毒が塗られていたみたい。今から薬を作るから、それを飲むまで眠ってはだめよ。ハンナ、傷口を消毒して」
男をハンナとステファンに任せて急いで薬を作る。馬車で運び込んだ薬箪笥は自宅の物の四分の一ほどの大きさで、必要な薬が一式収めてある。その中から薬を四種類取り出し、粉にする。
「消毒が終わりました」
「ありがとう」
粉にした薬草の半分を糖蜜で練る。とりあえず急いで飲ませないと。
失血と毒でうつらうつらし始めた男の頭を起こしてクッションで支え、小さじを口に差し込んで練った粉薬を上顎に塗りつけた。
甘く苦い練り薬に顔をしかめながらも男が薬を飲み込んだ。続けて水をたっぷり飲ませる。
急いで台所に引き返し、残りの薬に強壮剤になる薬草の根を加えて煎じる。じっくり弱火。その間に男の服を脱がせなくては。男の服はじっとり濡れていて潮の香りがする。海から上がって来たのか。ここまでよくこの出血で登れたものだ。若さのおかげか。
「さて、この先どうしようか」
「身元がわかりませんから、意識が戻る前に縛り上げましょう」
「ううん。暴れそうなら薬で眠らせるわ」
やがて薬草が煎じ上がり、また男を起こして飲ませた。男はどうにか飲み干して、今度こそ眠った。
「エレン様、警備隊に通報しましょう。お嬢様が世話をする必要はありません」
「でもねえステファン、コラッソンの毒が使われていたの。珍しい毒だから解毒剤の効果を観察したいのよ」
毒の話になると私が譲らないことを知っているステファンが困り顔になる。ごめんね、と謝るしかない。
コラッソンの毒はコラッソンの木の樹液から作られる。傷が塞がるのを邪魔する働きがあり、じくじくしたままの傷から腐り始めて全身に腐敗が回って死ぬ、という苦しみが長引く毒だ。
ただ、コラッソンの木はこの辺りには無い。もっと暖かい国でしか育たない。だからこの辺で使われることはまず無い毒だ。男は南の国の人だろうか。肌の色が少しだけ浅黒い。毒矢を射られるような、どんな理由があるのだろうか。
♦︎
男は丸々一日眠り続けてから目を覚ました。目を覚まし、真っ先に礼を述べる声は掠れていた。
「助かった。あのままだったら死んでいたはずだ。必ず礼はする。僕はケイン。君は?」
「私はエレン。困った時はお互い様よ」
ケインと名乗る男は二十歳にはなってなさそうだ。金に近い明るい茶色の髪に冬の空みたいなアイスブルーの瞳。彫刻のように美しい顔立ちで、まだ幼さが漂う。着ていた服は上等な物だった。
「さて、まずは食事と薬ね。少し待っててね」
柔らかく煮た野菜を入れたチキンスープ、薄味で煮て潰した芋を出したら完食した。
「食べ足りないでしょうけど、今は我慢してね。満腹するまで食べると回復が遅れるの」
「わかった」
大人しく了承したケインは、食後に出された煎じ薬をゴクゴクと飲む。苦いだろうに顔に出さない。
「傷を拝見します」
そう言って肩に巻いた布を外す。薬が効いたらしく出血は止まっていたし傷は塞がる方向にあった。
今塗ってある薬を優しく拭き取り、再び塗り薬を塗りつけ、布を巻いた。
「エレンは医者?」
「いいえ。薬師よ」
「そう。君のような人に出会えて僕はついてた。心から感謝するよ」
「できることをしたまでよ。コラッソンの毒が使われていたから、それに応じた解毒薬を使いました」
「コラッソン……。そうか」
「どんな人が毒矢を使ったの?」
「……いや、わからないな。いきなり襲われたから」
少しだけ目に迷いが出たけど、言えないか。そりゃそうよね。仕方ない。どんな人がコラッソンを使ったのかを知りたかったけど。
「傷が化膿する心配がなくなるまで、しばらくはかかります。それまでは回復に専念してください」
「ほんとにすまない。そうだ、これを」
ケインはそう言うと首に下げていたペンダントを外して渡そうとした。楕円形の金の台座に丸いルビーを埋め込んだものだ。それをそっと押し返す。
「いいえ。治療費は不要です。でも、それでは気が済まないとおっしゃるなら、ここは貸しにいたします。私が困った時に助けてください。それで十分です」
この人にもう会うことはないだろうけど、それで終わりにしてもらおう。回復過程の記録を取れるし、由緒ありそうなアクセサリーを貰うのはためらわれる。
矢傷は順調に治りつつあったけれど、傷の深い部分から順番に塞がらないと中から腐りやすくなる。なので傷口の皮膚が深い所より先に塞がっていないか、毎日塗り薬を塗りながらチェックした。
ケインは用心しているのか、身元がわかるようなことは話さない。私も聞かなかった。それでも育ちが良いことはわかる。何か事件があったのだろうけど、矢を放った相手は本気でこの人を殺そうとしていたはずだ。
「帰りは自宅まで馬車を雇うから心配いらない」
そう言い張るケインはお金になりそうなものはペンダントしか持っていない。家までの距離がどれほどかは知らないが、それでは不便すぎるだろう。
(乗りかかった船よ)
十日ほどしてだいぶ回復したケインを村まで馬車で送ることになった。ステファンに頼み事をすると
「そうなさるだろうと思っておりました」
と苦笑された。
模範的な患者だったケインは何度も何度も礼を言って山小屋を出て行った。