35 疲労回復薬の意外な効能
ステファンは父の下で財政管理を学んでいる。さぞやつらいのではと心配していたが、そうでもなかった。
「商売人の息子ですから」
ステファンはそう謙遜するけれど、商売人の子供でも向いてない人は向いてない。ステファンは父も驚くほど飲み込みが良いらしい。
「これは私が楽隠居できる日も遠くない」
父はそう言ってホクホクしている。
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「エレン、まだ新しい薬の実験をしているの?ひと休みしない?」
私が集めた何種類もの樹皮を刻んだり煮出したりしていると、ステファンが声をかけてくれた。
「少し休もうかしら」
「料理長がエレンに食べて欲しいって木苺のパイを持たせてくれたけど」
「今すぐ食べます」
ふふっと笑ってステファンが部屋に入ってきた。無駄のない身のこなしは大型の野生動物みたいで、見るたびに優美だなと思う。それを言うと「恥ずかしい」と照れるのだけれど、その照れた表情も愛しい。
ただいま絶賛デレデレ期間である。主に私が。ステファンは「心の中は大デレです」と言うけど、見た目と態度は変わらない。結婚は三ヶ月後という最短コースだけど、結婚式が待ち遠しいのは私だけではないと思いたい。
こんなに誰かに心を奪われることは今まで無かった。恋愛がどんなものかわからないまま結婚するところだったあの頃のことを思い出すと(危なかった)と思う。
それに、メラニーに出会うまではサムエルも恋愛の経験がなかったのではないかと思う。お互いに何も考えずに貴族らしい政略結婚の流れにドンブラコと流されるままだったのだ。
今はステファンの気持ちを第一に考えることに喜びを感じる。この人を喜ばせたい。この人を幸せにしたい。この人の役に立ちたい。好きな人のために時間や労力を使うのが楽しくてたまらない。
「で、これができたのですよね」
「ええ。座学で疲れるであろうあなたのために作ったの。疲労回復効果はそこそこあるの。問題は……」
そこまで話して黙り込んだ。目の前には透明な液体。崖に生える銀葉松の葉を刻んで蒸して圧をかけて絞り、数種類の薬草のエキスを混ぜたものだ。生薬のひとつは毒草で、たくさん摂取すると吐き気がするものだ。でも少量なら新陳代謝を活発にしてくれる。
最初に私が飲んでみた。疲労回復はしたような気がする。だけど私はまだ二十歳だから効果のほどが今ひとつわからない。実はステファンも何日か飲んでくれたけど同じ感想で
「私も眠れば疲れは取れますから。せっかく作ってくれたのにはっきりわからなくて申し訳ない」
と言う。
せっかくなので次は父に飲んでもらった。
結果、一週間たって疲れ具合はわりと改善されて「効くんじゃないかな」という感想だった。「劇的に楽になるわけじゃないけど、いい感じだよ」と。たいていの薬はそういうもので、劇的に効くのはなにかしら副作用が伴うからそれでいいのだけど。問題発生。
なんということだろう。父の手の甲の茶色のシミが「劇的に」消えたのだ。
父は寝る前に飲み、飲み終わったコップの底に残った数滴を何の気なしに手の甲に塗っていたらしい。何とつつましい行動でしょ。コップの底の数滴を無駄にせずに手に塗るなんて。最近手の甲にできた老人性のシミを気にしていたそうな。
「消えただろう?」
「消えてますね」
父とステファンが男二人で感心している。困ったのは私だ。こんなに劇的にシミが取れる薬など聞いたこともない。今はシミが消えているだけだが、この先はどうだろうか。これを塗り続けたら白くまだらに色素が抜け落ちるなんてことがあったら困る。
「ここはやはり誰かに実験をしてもらうべきだよ。害がなければ素晴らしい夢の薬だ」
ステファンが熱心だ。商売人の血が騒ぐのか。父も乗り気だ。
「お父様、このまま塗り続けてくださいね」
「大丈夫なのかい?」
「大丈夫かどうかを確かめるために塗りつづけてほしいんですよ。万が一色素が全部抜け落ちても手の甲だから許してくださいね」
父は目をパチパチさせて「私に被験者になれと?」と哀しげに呟く。
「命にかかわることはありませんもの、お願いします」
「ま、まあ、エレンがそういうなら続けてみるが」
まずは父の結果を見てからにしよう。最低でも二ヶ月。それから他の人にも試してもらおう。
ところがである。
父の身の回りの世話をしているベテランの侍女が父のシミが消えていることに気づいてしまった。
「旦那様!手の甲のシミが消えてますね!どうなさったのです?秘訣があるならぜひわたくしにも!」
と鬼気迫る勢いで問い詰められて、父はしゃべってしまった。五十代の女性にとってシミは非常に重要な問題だと熱弁もされたそうだ。
「でもね、ウルエラ。まだ完全に安全かどうかわからないのよ。あなたの顔に塗るのはまだ早いと思うの」
私はやんわり断ったが、ウルエラは
「旦那様はもう三週間も塗ってらっしゃるのに、これといって問題が無いとおっしゃってます。私にも試させてくださいまし!私はシミが消えたら使うのをやめますので問題はありませんよ」
と譲らない。
あ、そうか。
何も瓶詰めにして売り出すだけじゃないわね。患者に私が塗って、シミが消えたのを確認したら塗るのをやめれば、副作用の確率はグンと下がるはず。
ウルエラは「もしこの薬を塗って肌に問題が起きても苦情の申し立てはしません」「他の誰にも口外しません」という誓いまで立てた。
まあ、酷いことが起きれば私は手厚く補償するつもりだけどね。子供の頃から世話になってるウルエラだもの。






