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2 噂好きのダンユース夫人

 ハンナと話をしているうちにダンユース家に着いた。入ってくる私の馬車を見て既に執事が玄関に立っている。


「こんにちは。先触れもなしにごめんなさいね。どうしても夫人にご相談したいことができまして」


 そう言うと執事は私たちを中へ案内してから屋敷の奥に消えていった。私とハンナは玄関脇の部屋で待つ。やがて夫人自ら私たちを迎えにきてくれた。


「まあ、エレン。いったいどうしたの?もうすぐ花嫁さんになる人が相談事だなんて」


 ダンユース伯爵夫人は私を抱きしめてくれたけれど、まるで獲物の匂いを嗅ぎつけた猟犬みたいにそわそわしている。そのまま夫人の案内で応接室に通され、お茶が出された。


「で?なにかあったの?」

と言われて私は唇を噛み、少々ためらってみせてから話しだした。


「もうすぐ結婚式だというのにサムエルが不貞を働いているところを見てしまいましたの」

「あら!まあ!それはそれは。相手は?どこの女です?」


 私は苦悩するように両手で顔を覆い、下を向いたまま答える。


「父の古い友人の娘さんですわ。男爵令嬢で、王都に家が無いからと、社交界の季節だけ我が家に滞在してましたの」

「それで?」

「いっときの気の迷いならわたくしも堪えるのが妻になる者の務めとわかっておりますけれど……」

「気の迷いじゃないの?」

「その女性は妊娠してるそうです」

「まあっ!」


 夫人は大きな話の種を手に入れて油断したのだろう、実に楽しそうな声だ。もともと夫人はサムエルが嫌いだったしね。


「そう、コーレイン家の息子がそんな不始末をやらかしたの。それはそれは」


 私は顔を覆ったまま話し続ける。


「結婚して何年かしてからならば私に足りないところが、と反省もいたしますけれど、婚約中に浮気をして妊娠させて、挙げ句の果てに我が家のお金で日当たりの良い部屋を用意して二人で愛を育もうって言ってましたの」


 うううう、と泣いてみせた。嘘泣きのつもりだったけど、本当に涙が出た。熱い涙は後から後から生まれて私の頬を伝って滴り落ちた。


 ああ、私は悲しいのか、と人ごとのように涙を指で拭う。さすがのダンユース伯爵夫人も私を哀れと思ったのか、私に白いハンカチを手渡し自分も目を潤ませている。


「つまり、あなたの実家のお金で一族郎党を助けてもらっているのに、そのお金で浮気相手と子供も養うつもりだと」


「はい。でもそれを訴えても父はもしかするとサムエルと結婚しろと言いかねません。母は私の味方になってくれるでしょうけれど、父とサムエルのお父様とは長い長い付き合いですから。わたくし、そんな地獄に飛び込むくらいなら死んだほうがましです」


 そう言ってまた泣いた。涙と一緒にサムエルの思い出も全部流れ出ればいい。そんな思い出なぞ、ひとつ残らず記憶から消し去りたかった。婚約して五年間。楽しい思い出は数え切れないほどある。でも、どんなに素敵なグラスも割れてしまえば私を傷つけるガラスの破片だ。


 夫人はしばらく考えていたが、

「わかったわ。あなたはまだご両親には知らせていないのね?それなら私にまかせなさい。この私があなたを助けてあげる。あなたの結婚を止めてくれる人に話が伝わればいいのだから」


 夫人は私の両手を包み込み、張り切っている。きっとそう言ってくれると思っていたわ、ありがとうダンユース伯爵夫人。


 張り切る夫人に礼を述べ、帰り際に夫人に手製の保湿剤入りの小さな缶を渡す。


「あら、悪いわね。そろそろ買い足さなきゃと思ってたところなの。これ、スーッと吸い込まれてサラサラするのに良く潤うのよね」

 

 泣いた顔でどうにかにっこり笑って家に帰った。高価な保湿剤がサメの内臓から採れた脂と知ったら、夫人は驚くだろうか。



 夕食は「ドレスのサイズ直しで疲れたから」という理由で部屋に運んでもらった。


 正義の使者が我が家を訪れるのを待つ間、私は別棟の薬草管理室で過ごした。ドアを開けると薬草の香りが漂う。


 そこには常時数十種類の薬草が干されている。八割がた水分が抜けたら葉をむしり茎を刻む。物によっては根も使う。刻んだらさらに乾燥させて保存する。


 生で使う方が効果が優れる場合が多いが、季節によっては手に入らないものが多い。だから乾燥させて大量に保存しておく。


 隣の部屋では乾燥させた物を粉にしている従業員が数名。彼らが粉にした物は最後に母と私しか知らない薬草を混ぜ合わせる。その割合と内容はもちろん二人だけの秘密で、『ボウエン家の薬は他とは効果が違う』と言われる秘訣はここにある。


 奥の部屋には多種多様な毒蛇、毒蛙、毒虫が飼育されていて部屋の鍵は私と母と護衛のステファンだけが持っている。お父様はそれらが苦手なのでおそらく入ったことはない。



 そろそろ夕食が終わろうという時間。外で馬車の音がした。早くも来た。私を地獄から救う正義の使者が。


 窓の外をそっと覗くと、馬車に描かれているのは母の実家のボスフェルト侯爵家の家紋だ。きっとノルデン伯父様ね。部屋のドアを少し開けて耳を澄ませていると、やがてザワザワした気配が廊下を通って聞こえて来た。父と伯父様の話し合う声だろう、男性二人の低い声は、内容こそ聞き取れないがなかなか深刻そうだ。


 やがて伯父様が急ぎ足で馬車に向かい、馬車は出て行った。


 父にとって頭が上がらない存在の伯父様に最初に連絡したあたり、さすがだわ、ダンユース夫人。


 しばらくしてまた馬車がやってきた。コーレイン家の馬車だ。サムエル本人かしら。父親かしら。両方なら都合がいい。さあ、来るなら来い。このまま泣き寝入りなんて絶対にしないわよ。


 やがてドアがノックされた。

「お嬢様、旦那様と奥様がお呼びです」

 ハンナが呼びに来た。


「すぐに行くわ」


 化粧を整え、髪も整え、上品で控えめだけれど高価なドレスに着替えて背筋を伸ばした。さあ、戦闘開始といこうじゃないの。


 私は顔を上げて応接室に向かい、ドアをノックした。「入れ」とお父様の声。


 ドアを開けて最上の笑みを浮かべて挨拶をした。応接室に父、母、サムエル、サムエルの父、私の五人が揃った。


「こんばんは、コーレイン伯爵様、サムエル様。お待たせいたしました」



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