19 戦況
戦況は我が国の優勢ながら繰り返し上陸してくるガラバレス王国軍に手を焼いているらしい。
春は終わり、そろそろ夏に差し掛かる季節となった。風が強い。この国は風の国とも呼ばれるほど季節の変わり目には強い風が吹く。戦地でも強い風が吹いているだろう。ステファンはどうしているだろうか。
私はフレイチェ様と一緒にいた。フレイチェ様はエーリック殿下のことを案じてあまり眠れないと言う。
「眠っても悪夢を見るだけなので、最近は眠れないなら眠れないでいいかと思うようになりました」
「フレイチェ様、眠らないとお体が弱ります。病気にもかかりやすくなります。眠くなる弱いお薬を出しましょうか?」
「それは悪夢を見ない?」
「はい。おそらく夢も見ずにぐっすり眠れるはずです」
それは茶色のキノコから作られる眠り薬。心を穏やかにして自然な眠気を誘うものだ。そっくりの毒キノコがあるので極秘中の極秘だ。真似をする人が現れれば必ずや死人が出てしまう。
「エレン様は眠れますか」
実は私もよく眠れない。薬の類はあまり効かない体なので飲まないでいるだけだ。眠くなるまで大量に眠りキノコの薬を飲んでしまうとそのまま目覚めなくなる可能性がある。
「実は私もよく眠れません」
「気になるお方が戦地に?」
ステファンの顔が浮かんだ。十才の頃からずっとステファンはそばにいてくれた。ステファンがいてくれるから市場も行けたし外出もできた。親に言えないこともステファンなら言えた。だから今は片腕を失ったように精神的に不安な心持ちだ。
「そうですね。体の一部のように身近な人が戦地にいます」
「婚約者ですか?」
「いいえ。私の護衛です」
「そうですか。護衛……私は護衛をそのように思ったことはありませんでしたので、少し驚きました」
「護衛ですけど兄のようであり友人のようであり、先生のような人です」
「大切な人ですね」
「大切な人、確かにそうですね」
フレイチェ様に薬を出し、そんな会話をして帰ってきた。大切な人、か。
そうだ。この季節、日中は山から海に向けて強い風が吹く。目潰しの細かな粉を撒いたら役に立たないだろうか。目にしみるやつ。
母に相談をすると、母はニヤリと笑って「やってみる価値はあるわ」と。「こちらの兵士たちは風向きを選べばいい」と。
私と母は別棟に行き、蓄えてある蛇毒、カエル毒、虫毒を眺める。
「やっぱりここは……」
「蛙の毒よね」
うちで飼育している毒蛙は、身の危険を感じると目頭の近くから相手の目を狙って毒液を飛ばす。相手が焼けるような痛みで目を開けられなくなっている間に逃げるのだ。
私たちは有るだけのカエルの毒液を机に並べ、台所から持ってきた小麦粉に混ぜる。こねちゃダメ。団子になっちゃうから。
水で薄めた毒液に小麦粉を入れて混ぜ、乾かす。水分だけ飛んで毒は残るようにするのが難しい。
何度も失敗して、結局は毒液を小麦粉に噴霧する方法に落ち着いた。風に乗せて飛ばしてみる。私が被験者になる。失明することはない毒だし。
「痛い痛い、いたたたた……」
大変に痛い。目が開けられない。大量の水で洗い流せばいいが、戦地にそんなに大量の水があるはずもない。
「お母様、これ、使えるのでは?」
「そうね。試してもらう価値はあるわ」
毒の粉を薬と一緒に送った。
それから二週間後。
戦況はだいぶ有利になったらしい。子供騙しの道具と否定されるかと思ったけど、前線で風を背にして使うと大変に有益だったそうだ。風の強い日に弓矢の先に紙で包んだ毒粉を包んで打ち込んだりもしたらしい。
そんなある日。
湾の中は各地から結集した我が国の軍船が占拠し、ガラバレス王国の船は湾の外にいた。が、吹き続ける強風による高波で敵船のおよそ半数が沈没、溺れかかった多数の乗組員を捕まえた。
その知らせは早馬ですぐに我が家に届けられた。
「これはもう決着がつくのではないかしら」
屋敷の中はウキウキとした空気が流れた。ずっと元気の無かったハンナも笑顔だ。屋敷の警護の者たちやステファンが帰って来る日も近い、と。
推測通りガラバレス王国軍は引き揚げた。国は沸きたった。勝利の報告は王宮まで伝えられた。
しかし。
他の貴族の兵は続々と帰還しているが、我が家の警護の者たちはなかなか帰ってこない。敗残兵による暴行略奪を警戒してあちこちを見回っているらしい。
「まだ帰れないのかしら」
「うちの領地だから後始末に時間がかかるのは仕方ない」
そんな会話を何度も繰り返した頃、私にフレイチェ様から呼び出しが来た。エーリック殿下がお帰りになった喜びの知らせかと訪問したら逆だった。
「ここだけの話ですが、殿下が行方不明らしいのです。王太子様はお帰りになったというのに」
「えっ。王家の方々は前線には出ないのではないですか?」
「そう聞いておりましたが、互いに攻め合っている時に、どうも内陸に入り込んで残っていた敵もいたらしいのです」
まさかそんな敵と遭遇したとは思いたくないが。そもそもエーリック殿下にはお付きの護衛たちがいたのではないのか。殿下を一人にするわけはない。
それから更に数日。我が家の護衛たちの一人が帰って来た。現地の状況を報告に戻ったのだ。
「お嬢様、これを」
護衛が言いにくそうに私に手渡したものは、私がステファンに贈った銀のペンダントと、それに通された私の手作りのネームタグだった。鎖が千切れたペンダント。
それを受け取る自分の手が震えていた。
「これをどこで?」
「戦闘のあった森の中です。あそこまでは早い段階で敵軍が侵攻して混乱していました。地形を知っている我々と王国軍は手を組んでエーリック殿下をお守りしながら戦っていたのですが……」






