17 私の優先順位
険しい顔のフェリクス様がズンズンと部屋に入ってきてディーデリック様に詰め寄った。
「お祖父様、エレンに何を言ったんです?僕のことは僕が決めると再々申し上げているはずです。勝手なことをなさるのはおやめください」
「お前がいつまでも婚約者を決めないからエレンの気持ちを聞いただけだよ」
「僕に無断でエレンを巻き込むなんて。失礼にもほどがありますよ!」
ああ、お祖父さんと孫の言い争いが始まってしまった。私は空気になりたい。逃げ出したい。
「フェリクス様、落ち着いてください。気分転換に庭を歩きながら話をしませんか?」
「ああ、そうしよう。お祖父様、失礼します」
公爵家の広い庭を歩いていたらフェリクスがだいぶ落ち着いた。普段は陽気な彼のこんな側面を見たことで私は少々動揺している。
「すまない。祖父があんなことを。君に失礼だった」
「私は気にしてないけど、早く婚約者を決めないとお互い周りが気を揉むわね」
口調は昔に戻り、互いにざっくばらんな喋り方になる。
「そうだな……。決めないとなぁ。エレンは決まりそうかい?」
「全然。たまに、もう結婚しないで後継者を養子で育てるのはどうかなって思うことさえあるわ」
「それは許されないんじゃないの?」
「でも三百年近く一度も欠けることなく子宝に恵まれ続けるなんてことあると思う?一度や二度は養子もあったんじゃないかしら。今度家系図を調べてみようと思ってるの」
「ねえ、君にとって最優先は何?」
「一番は薬師として腕を上げることよ。次が後継者を育てて知識と技術を受け継いでもらうこと。その次が結婚」
二人でベンチに座った。
「そうか…。あのさ。祖父と同じこと言うのは心底不本意なんだけど、僕はやはり婚約者候補には入らないのかな。僕は君の薬に対する熱意を後ろから支えてあげられるけれど」
「フェリクス、それ、公爵家の皆さんは納得する?私が社交界で繋がりを作ることもせずに薬や治療に没頭することは許される?生まれた子供に毒の扱いを教え込むことは許される?」
フェリクスは考え込んでいる。
「あなたに応援するからと言われて結婚してみたら、結局は周囲から普通の妻を求められましたっていうの、最悪の展開だと思う。誰も幸せにならない話だわ」
「そうだね……」
「そもそも八年ぶりに会っていきなりなんでそうなるの?私と距離を取ったのはあなたよね?急に手紙の返事も来なくなって家にも来なくなって、十二歳の頃の私は結構傷ついたのよ?八年ぶりに会っていきなりそんな事言われてはいそうですかって返事できるわけがないわ」
「それは。今、弁解してもいいだろうか」
「どうぞ。好きなだけ。最後まで聞くわよ」
またベンチに座る。さあ、聞いてやろうではないか。それであなたが納得するのなら。
「最後に会った時、君は毒草の液を薄めて飲む訓練をしていた。耐性をつけるのだと言って。青い顔をしてバケツを抱えて吐いていた。とても見ていられなかった。見ているのがつらくてつらくて。だから君の家に行かなくなったんだ」
「あんなの、どうってことないわ。本物の毒草を口にした人の苦しみはあんなもんじゃないのよ。それを薄めた毒で疑似体験しただけ。耐性をつけずに薬師になる方がよほど危険だわ」
「あの時の僕は、あれを我が子にやらせる君の母親を許せなかったんだ」
「子供のあなたはそう思ったかもしれないけど、母はちゃんと管理してくれていたわ。でもね、たしかに男の子はあのつらさに耐えられないことが多いそうよ、精神的にね。女の子の方が耐えられるらしい。薬師が女系相続な理由のひとつはそれ」
「ひとつ?他にも理由が?」
「男の人はどうしても派閥争いに巻き込まれてしまう率が高いらしいわ。毒の知識を持った人が加わった派閥争いがどうなるか、想像がつくでしょ?長い薬師の歴史で決められたルールにはちゃんと理由があるの」
またベンチから立ち上がり二人で歩き始めた。
「あなたは自分の可愛い娘が薄めた毒を飲んで吐いたりしてるの、見ていられる?」
フェリクス様がしばらく考えてから絞り出すように答えた。
「……いや、おそらく無理だ」
「でしょう?だからあなたとは結婚できないわ。何よりも公爵家の妻はやるべきことが沢山ある。薬師の私には無理よ。あなたと結婚したら、夫のあなたも友人のあなたもどちらも失うことになる」
フェリクス様は濃い赤色の髪、赤い瞳で私を見つめた。
「君が十五歳で婚約したと聞いた時、僕は自分が君から逃げ出さなければ婚約したのは僕だったと、何度も思ったよ」
「違うわフェリクス。公爵家と我が家のご縁は最初から無かったのよ。私ではうまく行かないと父と母は判断したのよ。正しい判断だわ」
「君は変わったね。昔はもっと気弱だった」
「色々あったもの、少しは変わるわ。フェリクス、昔と同じに友達でいてよ。あなたは大切な幼馴染みよ。いつの日かまたこんな風におしゃべりしてよ」
「おしゃべりならいつでもするさ」
「あなたがだめなんじゃないわ。私が公爵様の妻にはなれないのよ」
「……そうか」
二人でため息をつく。
「結婚て難しいわよね」
「僕を断った君が言うなよ」
「ごめんなさい」
今度は二人で笑って、ベンチに並んで座ったまま、空を見上げた。私の結婚への道のりは長い。
♦︎
その後、夜会に数回参加した。何人かお話をしたが、その方々が求めるのは家の内回りを守り、子を産み、家を繁栄させる妻だった。毒に魅せられ解毒剤作りに夢中になる妻ではない。
それが普通だ。仕方ない。
「結婚しないとだめかしらねぇ」
夜会からの帰りの馬車でつぶやく私。
家に着いて馬車を降りる時、ステファンが「お疲れ様でした」と声をかけてくれた。
「疲れた……」
愚痴を言ってはいけないと思いつつ甘えてしまった。ステファンは困った顔で微笑んでいた。