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16 ディーデリック翁

「エレン、ハウデン公爵家からお前にご指名が入っているぞ」


 お父様が朝食の席でそうおっしゃる。


「フェリクスの家から?私に?どなたが具合が悪いのかしら」


「ディーデリック様だ。持病の膝の痛みが気になるそうだ。今まではフランカが診ていたけれど、今回はお前がいいそうだ。ふふ」


「ふふって。あんまり良い予感がしないです」



♦︎



「やあやあ、エレン。よく来てくれた。さあ、こちらへおいで」


「こんにちは。ディーデリック様。お久しゅうございます」


 先々代の公爵様、ディーデリック様は膝以外はかくしゃくとしたご老人だ。


「八年ぶりだね。すっかりきれいなお嬢さんだ。うちの庭でフェリクスと植物観察していたのがつい昨日のようなのに。時の流れは早い」


「お膝の具合はいかがですか」


「良くない。君のお母さんの薬がなかったら今頃歩くことは出来なかっただろう」


「今回は私をご指名だそうですね。薬が効かなくなりましたか?」


「いや。君と話したくてね」


 それはどういうことか、と私は説明を待った。


「フェリクスが婚約者を持つことを嫌がってる」

「そうですか」

「想う人がいるらしい。名前を言わないが」

「はぁ」

「君じゃないかな」


 この前の夜会でフェリクスと顔を合わせたのも八年ぶりだ。そんなはずはない。そう思って返事をためらっていると、ディーデリックが質問を重ねた。


「エレンはフェリクスをどう思っているんだい?」

「懐かしい幼馴染みと思っております」

「そうか。君は侯爵家を継ぐ身だ。跡取りのフェリクスは眼中にないのだろうか」

「私がどうこうよりもフェリクス様のお相手は私ではないと思います。八年の間、お会いすることもなかったのですから」


 ディーデリックはゆったりしたズボンの裾を引っ張って膝を出して診察を促した。私は膝を指で触りながら会話を続けた。


「私は薬師の後継者ですし、侯爵家の跡取りですので、フェリクス様が私のことを友人以上と思ってくださることもないかと」


 膝は少し熱を持っていた。炎症が再発しているなら薬を違うものにしよう。体が薬に慣れて効果が鈍っているのかもしれない。


 鞄の中からサソリの毒を微量使った塗り薬の瓶を取り出した。緑色の液体を膝に少しずつすり込むようにして塗る。膝の裏側にも塗り込む。上から布を当てて包帯で包むように巻く。


 獲物を麻痺させるサソリの毒は薬草と組み合わせると関節の炎症と痛みを消してくれる。これも秘伝だ。


「塗り薬を変えます。飲み薬は今までと同じで大丈夫です」

「薬師を姉さんたちに譲る気はないかね」

「ありません」


 即答した。

 侯爵家を継ぐことより薬師の後継者であることの方が私には何倍も大切だ。自分の生き甲斐と言ってもいい。姉たちに譲ってしまったらその先何を目指して生きていけばいいのか。


「そうか。フェリクスが君に会わなくなった理由を知っているかい?」

「いいえ。お会いしなくなったのは私が薬師の勉強が忙しくなった頃ですから、都合が合わなくなったからでは?」


 ディーデリック様はため息をついた。


「君の薬師修行を見ていられなくなったと、あの頃言っていたが」


 ああ、言われてみればたしかにあの頃、少しずつ毒を薄めて摂取したり薬草の味を確かめるために生で齧って味を覚えたりしていた。吐くこともあったしかぶれたりすることもあったが、いつだって母の見極めは正しく、長時間苦しむことはなかった。


「あれは必要な勉強でした。患者さんの口に入れたり塗ったりする物について、言葉の知識だけというわけにはいきませんから」


「自分の子供にも同じことを経験させると?」

「はい。あの勉強で私の肌に痕が残ることもなく、体を壊したこともありませんでした」


「そうか」


 ここではっきりさせなければ。


「何かの仕事を極めようとすればどのような職業でもつらいことはあるのではないですか?料理人であれ縫い子であれ、漁師であれ」


 鞄から関節炎の飲み薬を取り出した。ディーデリックはその小さな薬の山を眺めながら困った顔だ。


「公爵の妻ならそんな犠牲は必要ないが」


「いいえ。私が苦痛な社交界のお付き合いがあります」


 貴族同士の『やんわりと言いたいことを匂わせる』のが上手にできるくらいならとっくに夜会の海を泳ぎ回って知り合いを増やしていた。今頃出会いを探す必要もなかった。私は貴族の付き合いが苦手だし大嫌いだ。


「あの、フェリクス様は今日のことはご存知なのでしょうか」


「いいや。私の独断だ。フェリクスに自分と同じ後悔をさせたくなくてな」


「同じ後悔……」


 そこから聞いた話は初めて知ることだった。


 ディーデリック様は若い頃に私の祖母を好いていたこと。私の祖母は薬師の後継者に選ばれてからディーデリック様と距離を置くようになったこと。


 やがて祖母は翁から見ると『温厚だが貴族としては可もなく不可もない男』つまり私のお祖父様と結婚したこと。ディーデリック様は祖母に対して好意を伝えることも結婚に反対することもしなかったことを長く後悔したこと。


 

 いやいやいや!

 それはディーデリック様から見た恋のお話だ。


 祖母と祖父は愛し合っていたことを私は知っている。祖父は薬師としての祖母を尊敬し仕事を尊重し後押ししていた。祖母が祖父を選んだのは『薬師の邪魔をしない男』だったからではない。


 だけど、ここで私が七十過ぎの翁と議論しても水掛け論になるだろう。


「お膝の具合を拝見しました。飲み薬は今まで通りで大丈夫です」


「エレン。フェリクスを結婚相手として見ることはできないかい?」


「これは本人抜きでしていい話じゃないと思います」


 そう返答していたらドアがバッと開いた。フェリクス様だった


「お祖父様がエレンを呼んだと聞いたんだけど。何を話しているの?」



 フェリクス様のお顔が険しかった。




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