12 市場と酒場
今日は何の予定もなく、市場に行く時間がたっぷり取れそうだ。一応町娘の服装をしているけれど、見る人が見れば貴族の娘とわかるらしい。なので普段着に着替えたステファンが付いている。
「今日はあの海藻が手に入るといいのだけど」
私が求めている海藻はとある疲れやすい病気の人に良く効く。その病気は症状が他の病気と紛らわしくて見立てが難しいのだが、私はその病気の見分けが得意だった。
私たちは馬車を市場の馬車預り所に置いて歩いていた。
目的の乾物屋に向かう途中で、何組もの男女が楽しそうに歩いている。ちょっとへこみそうになる。こんなにたくさんの人たちが仲良く歩いているのに自分は愛想を尽かされるような、何をしたのかな、と思って(いやいや、前を向こう)と卑屈な考えを振り払う。
そう言えば、私にいつも付き添っているステファンはちゃんと休みの日に出かけたりしているのだろうか。個人的なことに口を出さないようにしているけれど、ステファンは二十六歳で独身だ。休みの日の楽しみはあるのだろうか。でも、雇用主側の私に口出しされたくないだろうから聞くに聞けない。
お目当ての海藻を買い入れ、他の店も見て回っていた。途中通りかかった安酒場の入り口近くの席にあのサムエルが座ってお酒を飲んでいた。
サムエルは相当酔っているようで、両肘をテーブルに付けてだらしなく背中を丸めていた。早く立ち去らなくてはと思うのに足が思うように動いてくれなかった。
「失礼します」
ステファンがそう言って私の背中に手を当てて前に押し出すように私を歩かせた。
「ごめんなさい。とても驚いてしまって」
「あの人に同情したくはないですが、あんな姿、お嬢様にだけは見られたくないと思いますよ。それに、関わらない方が安全です」
しばらくそうやって歩いていたら、だいぶ落ち着いた。
動揺するな。今更気の毒がるな。私の意思であの人を切り捨てたことを忘れるな。そう自分に言い聞かせて歩く。
そんな私を見かねたらしくステファンが声をかけてくれた。
「お嬢様、私がよく行く店で、庶民的ですが旨い料理を出す店があります。酒もありますから、一杯だけ、気分転換にいかがでしょう」
「行く。行きたいです。連れて行って」
そうして連れて行かれたのは大通りから一本入った小さな店だった。店は混雑していて、肉と脂の焼ける香ばしい匂いと話し声が充満していた。
ステファンは慣れた態度で隅の席を選び、私に好みを聞いてくれたが、全部ステファンに任せることにした。いくつか料理を注文してから、飲み物を聞かれた。
「お嬢様、お飲み物はどうなさいますか」
「私のことはエレンと。周りの人に気を遣わせたくないの」
「わかりました。何を飲みますか」
「強くて甘いものを」
ステファンは店の人にお酒を二つ注文した。
飲み物と一緒に料理がドン!ドン!ドン!と置かれる。ちょっと驚いたが店員は不機嫌なわけではないようだ。
「炭火で焼いたソーセージと牛の舌のシチューと羊肉の塊を炭火でじっくり焼いたものです。羊肉は半日かけて焼いているそうです」
ステファンは常連らしく詳しかった。ソーセージ以外は初めて食べる料理だ。
お酒はステファンがエール、私には大ぶりの厚手のグラスでオレンジジュースのような物が手渡された。
乾杯をして飲んでみるとオレンジジュース風のお酒は蒸留酒がたっぷり入っていてかなり強かった。ステファンは仕事中だからとエールに形だけ口をつけていた。
パクパク食べてゴクゴク飲んだ。美味しい食べ物はどんな時でも美味しいのだと思った。こんがり焦げ目のついたソーセージは、ステファンを見習って切り分けないままフォークを刺してかぶりついた。パリパリの皮の中から肉汁が飛び出してドレスの胸に飛んだ。
「マナーの先生が見たら卒倒するわね」
「こんな店に連れてきたことは内緒にしてくださいね」
「もちろんよ。連れてきてくれてありがとう」
こういうお店に来たのは初めてだし、こんな香ばしくてアツアツな食べ物も初めてだ。あんまり楽しくて蒸留酒のジュース割りのおかわりを注文してステファンを慌てさせた。
隣の席の男性が「お嬢さん大丈夫かい?それはあとから足にくるよ」と心配したが、連れの男性が「お兄さんはそれが目的だろう?」と冷やかした。ステファンは困った顔で笑っていた。
心配はありがたいけれど私はこの程度では酔わない。解毒能力が生まれつき高い上に訓練で体も脳も慣らしているから。お酒も体からすると毒物のひとつだからね。
私がジュース割りを立て続けに四杯飲む頃には店員も周りの客達も驚いて見ていた。五杯目を飲み終えるとだいぶ気分が良くなった。ステファンは明らかに困った顔になっている。誘ったことを後悔してるに違いない。ごめんね、一杯だけと誘ってくれたのにね、でも楽しいのよ。
「ここ、また来たい」
「酔いましたね。酔ったところを初めて見ます」
「酔ってないわよ」
「それは酔っ払いのセリフですよ」
「全っ然酔ってない」
「わかりました」
牛の舌のシチューはホロホロと肉が崩れるまで煮込んであって、冷たいお酒と交互に口に入れると際限なく食べられそうだ。骨つきの羊肉は表面こそあちこち黒く焦げているけれど、骨を引っ張るとするりと肉から抜けるほど柔らかくてジューシーだった。
「全部美味しい」
「それは良かったです。喋り方が子供になってますよ」
「どうせ子供ですよ。メラニーみたいに胸も大きくないし」
「からみ酒ですか」
「違うわよ」
絶対に食べられないと思った量の料理を食べ尽くし、ジュース割りを六杯飲んだ。もっと居たかったがステファンに「本当にもうやめましょう」と言われて帰ることにした。
ステファンが支払いをしてくれて
「ここは俺が」
と言う。ステファン、ひと口しか飲んでないのに。私はガブガブ飲んだのに。代金はいくらだったのだろう。申し訳ない。あとで何か贈り物をしよう。今日の私は個人のお金を持っていなかった。
私がふらつきもせずに歩いているのを見て店員と客たちが驚いていた。
「お嬢さん、またおいでよ」「いい飲みっぷりだったな」
あちこちから声がかかる中を笑顔を振りまいて店を出た。馬車まで歩いているうちに少し酔いが回ってきたが、いい気分だった。
「ありがとう。美味しかったし楽しかったわ」
「私もです。酔っ払ったお嬢様を拝見できましたし」
「それは忘れていいから。また連れてきてくれる?」
「旦那様や奥様に知られたら私は首になりそうですが。お約束は致しかねますが、いつか、ということでよろしいですか」
「首になんかさせないわよ。それは安心して。楽しみにして待つわね」
『楽しい』を補充したって感じだった。また頑張れる。
後日、ご馳走させてしまったお礼に銀のペンダントをステファンに贈った。






