第五話
日が沈み始めた頃、ヒロさんはまるで普通の友達の様に「じゃあな」と言って帰った。幽霊の彼が何処に帰る気なのかはわからないけど、メトロノームを使った練習法と、それになれたらYouTubeで『パワーコード』を検索して練習する様に言った。
『ほとんどが個人練習』
そう言っていた様に、これ以上は僕がそれを弾けない事には始まらないのだろう。
夕飯の後もひたすら繰り返し、その度にこれから何回この音をだす事が出来るだろうかと丁寧に弾く。思い通りにいかない指に、その日僕は、次に進む程納得する事は出来なかった……。
ギターを始めて一週間が過ぎた。
バイトや学校以外の時間は、寝る間を惜しんで練習している。動画もみて単音やパワーコードは少し早いテンポでもある程度弾ける様になったと思う。
だけど、ヒロさんにとってはそれでも遅いのかもしれない。どう考えても基礎練習が出来る様になっただけだった。そのせいで、次に進む為の公園に向かう勇気が出なかった。
「もっと綺麗に弾ける様になってからにしよう」
そう呟いて、公園に向かう足を止めた。
「ギター、辞めたの?」
「辞めては無いけど、まだ納得いかなくて……」
つい背後からの声に返事をする。
振り向くとヒロさんが笑顔で僕をみていた。
「なんだよ。中々来ないから、てっきり辞めたのかとおもったよ……」
「ヒロさん!?」
驚くと同時に、まだ納得出来るまで出来ていない自分が情け無く後ろめたい様な気持ちになる。そして僕は顔を引きつらせて言った。
「いや……あの……」
そう言うと、ヒロさんは首を傾げる。
「練習、してるんだろ?」
「それはもちろん! でも……」
「でも?」
「まだ、納得出来る程弾けてはいないんです」
すると、彼は二回程頷いて言った。
「そうか、それなら祐樹はギターの才能あるかもな!」
「そんな事は……」
「だって、納得出来てないって事は、自分の中に理想とする音があるって事だろ? 普通はある程度弾ければ満足するんだぜ?」
「なるほど、そう言う考え方もあるんですね」
「そう。とりあえずどのくらい弾ける様になったのか見せてみろよ!」
自信の無い僕の気持ちとは関係なしに、彼はまた家に来る事になった。そして、それまで練習していた基本練習を緊張しながら弾いて見せる。
「うん、大分と安定する様になってるな。パワーコードも様になっているじゃん。ミュートは動画で見たのか?」
「そうですね……やっぱり音が綺麗じゃないですよね……」
僕がそう呟くと、ヒロさんが紙とペンを出す様に言った。メモを取る様に机に置いたのをみて彼は呟く。
「C……G……F……G。この順番で少し早めにパワーコードを弾いてみてくれる?」
「えっと……」
「そうそう、3フレット目だよ。うーんもうちょっと早い方がいいかな?」
言われたとおりに、パワーコードをなぞる。三回目を弾き始めた瞬間にヒロさんは歌い出した。
「えっ……」
「ちょっとお、何で止めるんだよ」
「まさか歌うとは」
「音楽なんだから、歌うだろ?」
「なんなんですか、そんなアーティストみたいな事いって……」
「いや、アーティストだからね!」
そう言って、ヒロさんは屈託の無い笑顔で笑った。だけど僕は、別に彼が歌い出した事に驚いたわけじゃない。自然に歌い始めた力強く聞きやすい歌声と懐かしい様な新しい様な不思議な気分になるメロディが、彼を遠い人だと思わせたからだ。
「それじゃ、もう一度!」
やっぱりすごい。
僕のギターなんかじゃがっかりさせてしまうんじゃないのか。
「ちょっとちょっと。もっと自信持って弾けよ? 技術的には全然わるくはないぜ? 一週間練習したんだろ?」
「そういわれても……」
ヒロさんは口を尖らせ、「仕方ないなぁ」と呟くと、続けて言った。
「圧倒されてるかもしれないけど、メンバーの実力が同じバンドなんてないんだぜ?」
「そうなんですか?」
「そりゃそうだろ! 人間なんだから。得意不得意はあるし、歴も違う。だけど、同じコードの上なら一緒に楽しめる!」
「な、なるほど……」
「それに、音源でいい音になるのとセッションして楽しいのとはまた別だしな! もちろん俺は、楽しい方がいい音になると思っているけどな」
その言葉に嘘がある様には見えない。それどころか、彼はギターを触りたくてウズウズしている様にさえ見える。
「それにさ、ギターが作られたばかりの時代に俺達二人で行ったならこれが出来る俺たちは世界一のバンドと言えるんじゃないか?」
「そりゃ、ギターのバンド自体が無いですから……そうなりますけど……」
「じゃあ一体何と比べているんだよ」
「だって今は……」
「そのギターの音で、パワーコードが弾けるのは祐樹だけだろ?」
そういわれて僕は、一体何と比べていたのだろうかと思う。多分ヒロさんは調子に乗れと言っているわけじゃない、何年もやっているプロと比べても仕方がない、自分自身が本気でやっているかが大事なのだと、そう言っている様に思えた。
本当にそうだ。ヒロさん位のレベルだとしても上はいくらでも居る。だけど彼はプロになった、それは技術を超えた何かを持っていたからなのだとその言葉から感じずにはいられなかった。
その日僕は、何度も彼と合わせた。上手く弾けたとは言えないけれど、その時の僕らは世界一のアーティストになった様な、そんな気分になれたんだ。
これが僕の初めて音楽を楽しんだ瞬間になったのは言うまでも無い。
お読みいただきありがとうございます。
昨今、色々な音楽が手軽に聴ける様になったと思います。それと同時に、レベルも上がって来ている。だけど、先人達のクオリティに心を折られた人は沢山いるんじゃないかと思う今日この頃です。
♪♪♪
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