魔女
魔女は、人間ではない。
人間の女性と同じ姿形をしているが、彼女たちは悠久の時を生きる。自由な気質で、集団で過ごすこともなく、所属している国もない。皆思い思いに過ごしている。
価値観も倫理観も、その内に秘めたる魔力も、何もかもが人間とは違う。人間である魔術師は、理性によって魔術に制限をかける。しかし、魔女はそのようなことをしない。魔術師が禁忌としていることも、魔女は平気でやってのける。それも、より強力に。彼女たちは、己の欲求に正直だ。
それが、魔女の恐ろしいところだ。これらの魔術には、大抵「呪い」と名がついた。
とは言っても、400年ほど前までは、人間と生活を共にする魔女もいた。人間社会と繋がりを持つ魔女は、人間と魔女の違いを理解し、人間の意志を尊重した。人間の倫理は理解できないが、そういうものなのだとは認識できたのだ。だから、人間に呪いをかけたりなどしなかった。
もちろん、全てが上手くいっていたわけではない。魔女の存在を恐れ、共存できない町が多かった。人間から危害こそ加えられないものの、遠巻きにされ、結局人間と距離を置いた魔女もいる。それでも、ごく一部の魔女たちは、長い年月をかけて人間の信頼を得ていった。
自由に生きる魔女が人間に呪いをかければ、解呪する。怖がられないよう、魔術師を介して連絡をもらった。
魔術師が足りないときには、手伝いを買ってでる。怖がられないよう、人目につかない仕事を選んだ。
そうしてでも、近くにいたいと思うほど、人間が好きな魔女だったのだ。その魔女の行いを、人間は子へ孫へと伝え、何世代か後には、交流も増えていた。
あるとき、事件は起こった。よりによって王族に、呪いをかけようとした魔女がいた。その魔女を雇ったのは人間だったが、その事実が状況をより悪くした。
魔女の呪いは恐ろしい。魔女がいるから、人間も悪事を働くのだ。
そう考えた人間が多かった。元々、魔女はその存在自体が畏怖の対象だ。人間が到底敵わない力を持ち、彼女たちの行動を読むこともできない。1度燃え上がった憎悪の炎は、どう足掻いても消せはしなかった。
魔女がいなくても悪事を働く人間など五万といる。しかし、魔女への恐怖の前ではどうでもいいことだった。
何もしていない魔女たちは、人間の町を追い出された。元々人を好む魔女たちだ。呪いをかけるでもなく、ひっそりと去っていく者が多かった。しかし、恐怖に支配された人間たちは、決してそのことに気が付かなかった。
追い出しただけでは、不安に苛まれた人間が落ち着くはずもない。すぐに、魔女を滅ぼせという声があがった。けれども、魔女の力は魔術師の比ではない。魔術の前では、武力も意味をなさない。王国が魔女に戦を挑んだところで、勝ち目はない。
余所からやってきた人間が、魔女だと糾弾され殺された、という事件も後を絶たない。それほどまでに、事態は深刻だった。
結局、魔女を統べる大魔女と、不可侵の条約を交わすこととなった。魔女は王国へ入らない。人間は王国外の魔女に害をなさない。互いに約束を違えた時は、その者を殺してもよいと添えて。これが王国の限界だった。
自分に正直な魔女たちだ。厄介な王国に興味はなく、滅ぼしてやろうなどという気概もない。面倒事はごめんだと、条約通り魔女が王国に入ってくることはなくなった。人間たちの暴動も、王国の働きかけで徐々に落ち着いていく。
魔女との決別を示すために、魔術師の黒色のローブの着用が禁止となった。宮廷魔術師が白いローブを身につけるようになったのも、この時だ。
それから、「魔女は悪」という意識が王国中に定着した。御伽噺の悪役は、魔女が多い。子供が悪さをしたときに、悪い子は魔女が攫ってしまうよ、と叱ることもある。
しかし、魔女の報復に怯える人間たちは、御伽噺の中でさえ魔女を退治できなかった。魔女は呪いをかけるだけだ。
魔女が使った禁術は、魔術師たちによって研究が進められた。今後何かがあったとしても、対抗できるようにするためだ。
禁術が目の前にあると、欲にかられる者が出てくるのは、人間の性だろう。禁術を1度でも使った者は『魔女』と呼ばれ、悪の対象とみなされた。400年かけ、『本物の魔女』は人間の意識から消え去った。代わりに、『魔女』は禁術に手を出した魔術師なのだと、刷り込まれていった。
『魔女』は女性でなければ都合が悪い。男性であると、『魔女』とは呼べないからだ。禁術に手を染めた男性は、隠蔽された。
ベルチェ王国において、『本物の魔女』の存在を知らされるのは、魔術師と中枢の者だけだ。他国の者から詳しく話を聞かない限り、『本物の魔女』の存在を民が知ることはない。しかし、魔女を恐れない国はなく、他国の人間が話題に出すことも滅多になかった。
「宮廷魔術院で管理している魔術は、魔女が人間にかけた呪いです。400年前までの我が国での事例と、それ以降に同盟国から得た情報ですね」
ノアはふぅと息を吐くと、すっかり冷めてしまった紅茶に手を伸ばした。
「つまり、あの魔術師が禁術を使えたのは、魔女から伝授されたため、とお考えなのですか?」
ノアは1つ頷き、そっとカップを戻す。
「その可能性は極めて高いでしょう。400年間呪いを受けた者が確認されていないため、魔女は紛れ込んでいないことになっています。しかし、彼女たちは魔術師より強力な魔術を使える。入ってきていても、おかしくはないのです。怒りを買いたくはないので、こちらから探すことはしていませんし」
「失礼を承知で伺いますが、宮廷魔術師の方が伝えた、ということはないのですか?」
「もちろん考えられます。しかし、余程の愚か者でない限り、他人の喧嘩に禁術で手を貸す者はいないでしょう。すぐに明るみに出ることくらいわかりますし、そうなれば一生監禁されます。まあ、これはあの魔術師への尋問待ちですね」
ノアは魔女の仕業だと確信している。そう理解し、アメリアは嫌な可能性に行きついた。膝の上で重ねた手を、再度ぎゅっと握りしめる。真っすぐにノアを見据え、徐に口を開いた。
「私が魔女と繋がっている、ともお考えですか?」
アメリアの瞳が不安に揺れる。
「ない、とは断言できませんね。ですから、『監視』はさせていただきます」
ノアは事もなげに言い放った。
アメリアは手の力を強め、唇を噛み俯いた。アメリアが呪いの名を知るには、宮廷魔術師と魔女のどちらかから聞くしかない。『夢で』など信用ならない以上、疑われるのはもっともだ。
アメリアの憂慮渦巻く内心とは異なり、頭上から優しい声が降ってきた。
「レディ・アメリア、心配はいりません。何日も前にオルマン伯爵から依頼がきていますし、先ほどは騒ぎを止めに入っています。しかも、貴女は魔術を使えませんね。私は、貴女が魔女と繋がっているとは思っていません。ただ、監視しないわけにはいかないものでして」
その言葉に、アメリアはハッと顔を上げた。アメリアを見つめるノアの表情は柔らかかった。アメリアを気遣い、安心させようとしているのがわかる。アメリアは素直にノアを信じることにした。たまらず安堵のため息をつき、小さく頷いた。
心に余裕が生まれると、もう1つ疑問が浮かんでくる。
「私に護衛が必要な件は、どこで繋がるのでしょうか?」
ノアはスッと真面目な顔つきになり、眉間に皺をよせる。
「恐らく魔女は、一部始終を見ていたでしょう。その場合、貴女に邪魔をされたと感じているかもしれない。魔女の心情を察するのは非常に困難ですので、推測の域を出ないのですが……。邪魔された腹いせに、貴女に接触してくる恐れもあるわけです。呪いをかけてくるかもしれません。いや寧ろ、貴女には既に魔女の呪いがかかっているのかもしれませんね」
「夢……」
「ええ、そのとおりです」
思ってもいない事態に、アメリアは息を呑んだ。
その時、扉を叩く音が聞こえた。ノアが入室を許可すると、また1人青年の宮廷魔術師が足早に入ってくる。ノアに近づき、何事か耳打ちをする。ノアは気難しい顔をして、わかったとだけ返した。宮廷魔術師はアメリアに軽く一礼し、そのまま部屋を出ていった。
「レディ・アメリア。やはり、魔女の仕業でした。不自由な生活を強いることになるとは思いますが、ご理解ください」
ノアの推測は曖昧なことだらけではあったが、宮廷魔術師である彼はアメリアよりも魔女に詳しい。ノアを信じて任せるしかないのだ。アメリアはしっかりとノアの目を見てから、静かに頭を下げた。
魔女は魔術師より強い。魔術師は魔女には勝てない。
その事実を、今は考えないことにした。