依頼
室内は、シンと静まり返っていた。ノアは腕を組んで何やら考え込んでいる。その顔つきは険しい。ダーラは変わらず無表情であったが、身動き1つせず直立している。
アメリアもまた、両の手を膝の上に重ねて置き、紅茶のカップを見つめていた。ピンと張り詰めた空気に、動いてはいけないような気がして、ただひたすらにじっとしていた。
この空間は時が止まっている。そんな錯覚にとらわれそうになる。
静けさを破るように、扉を叩く音がした。それを合図に、室内の時が動き出す。ノアが顔を上げ入室を促すと、幾分か空気が和らいだ。
アメリアはほっと小さく息をついた。
入ってきた者も、宮廷魔術師の青年だった。ノアに真っ白な封書が手渡される。ペーパーナイフで封を切り、手紙にさっと目を通していく。
次第に眉間に皺が寄り、最後には額に手を当て深く俯いた。はぁと1つため息を零すと、無言でダーラに手紙を回す。
ノアはくしゃりと前髪をかきあげ、ついっと顔を上げた。アメリアに向けられたのは、笑みを張り付けていない、真剣そのものの表情だった。
「話はわかりました。夢で見た、ということですね」
「ええ」
どうやら、ダレルからの依頼書を持ってこさせたらしい。
「はっきり申し上げましょう。年に1度同日に同じ夢を見せるなどという魔術は、聞いたことがありません。宮廷魔術院で把握している禁術然りです。貴女が本当のことをおっしゃっているのかどうかも、現状では判断できかねます」
「それでは、依頼は受けていただけないということでしょうか」
躊躇いがちに声をかけると、ノアは大きく頭を振る。
「そうではありません。レディ・アメリアの夢の通り、『真実の愛の呪い』は存在し、『真実の愛』、すなわち互いに想い合う者同士のくちづけでなければ死に至ります。その情報は正しいのです。もっとも、とっくの昔に解呪はできるようになっていますが」
アメリアははっと息を呑み、零れんばかりに目を見開いた。まさか本当に存在するとは、思っていなかったのだ。
「では、あの2人がもし愛し合っていなければ……」
「ええ。男性は亡くなっていました」
ノアはさらりと告げる。
「あの時の貴女の判断は間違っていません。最悪の事態を免れました。感謝申し上げます」
ノアは神妙な面持ちで頭を下げたが、すぐに顔を上げ、ですが、と言葉を続ける。
「これは、本来なら貴女が知るはずのないもの。しかも、『真実の愛の呪い』は禁術で、宮廷魔術院が管理する機密情報です。つまり、私たちはこの依頼を引き受けないわけにはいかないのです。レディ・アメリアには、これから監視がつけられ、行動を制限していただくこととなるでしょう」
「監視、ですか?」
アメリアは動揺を隠せなかった。平静を装うには、色々と衝撃が大きすぎた。
たがが夢。そう思っていたのに、宮廷魔術師、ひいては王国から疑われる事態となっている。これからどうなるのだろうかと、大きな不安と恐怖が押し寄せた。
アメリアは眉尻を下げ、じーっとノアを見据えた。無意識に握りしめた手は力を込めすぎて、関節が白くなっている。
そんなアメリアとは対照的に、ノアは目元を和らげ、アメリアを見つめ返した。
「安心してください。監視に間違いはありませんが、護衛と思っていただいて結構ですよ。貴女が悪事を働いたわけではないようですから」
「護衛……?」
穏やかな、人を安心させるような声音だった。ノアの優しい表情と相まって、「本当ですか?」と縋り、信じてしまいそうな。
けれども今回ばかりは、落ち着かせるどころか、アメリアを余計に混乱させた。疑われているのか、保護されるのか。理解が追い付かない。
アメリアは目をしばたたかせながら、視線を彷徨わせる。
ノアはふっと柔らかな笑みを浮かべた。これまでに見てきたものとは異なり、温かく自然な笑顔だった。その表情に、アメリアの動きが止まる。
先ほどまでは、ノアの笑顔が怖かった。それなのに、今は何故だか胸がすっと軽くなっている。「護衛」と言われたこともあってか、恐怖が和らぎ、アメリアはポカンとノアを見つめた。
ノアはアメリアの顔を見て、可笑しそうにクスクスと笑う。顔を見て笑うなど失礼な話ではあるが、アメリアは何も言えず、ただ呆然と眺めていた。
「レディ・アメリア、貴女は『魔女』をご存じでしょうか?」
「……禁術に手を出した魔術師だと、聞いております」
その回答に、ノアはゆっくりと頷いた。
『魔女』とは何か。唐突な問に、アメリアは困惑しながらも既知の情報をスラスラと口にした。しかし、ここでふと疑問が頭をよぎる。
「先ほど広場で捕らえられた女性魔術師の方は、警備隊所属の魔術師ですよね? 禁術は知らないはずでは?」
ノアは僅かに目を見張ると、口角を上げた。ゆっくりと満足げに頷く。
「ええ、おっしゃる通りです。何故、宮廷魔術師でもないのに禁術が扱えたのか。それが、これからお話しする内容に関わってきます」
笑みを消し、真剣な眼差しで言葉を続ける。
「レディ・アメリアの言う『魔女』と、私の言う『魔女』は、別物なのです」