宮廷魔術師
白亜の館
それは王宮にある、宮廷魔術院の俗称だ。宮廷魔術師の纏うローブと同じく、真っ白な外壁をもつ建物であることに由来する。
その館の1室に、アメリアはいた。質の良いソファに腰かけ、ローテーブルには香り高い紅茶が置かれている。そして、正面にはあの宮廷魔術師が、相も変わらない笑みを湛え座っていた。その背後には、アメリアとそう年齢の変わらない女性宮廷魔術師が、無表情で控えている。
「冷めないうちにどうぞ」
爽やかな笑顔で勧められ、仕方なしに手を伸ばす。お茶を楽しめる雰囲気では決してない。ティーカップを僅かに傾け唇を濡らすと、すぐにソーサーへと戻す。
「そう緊張なさらずに。お話を伺いたいだけですから」
緊張しないなど、土台無理な話だった。
アメリアが巻き込まれたのは、城下町での騒動だ。城下町の警備隊が駆け付け、場を治めるのが道理だろう。現に、あの女性魔術師をとらえたのは、警備隊所属の兵士と魔術師だった。彼らの管轄であることは間違いないのだ。
あの場に宮廷魔術師が呼ばれたわけではなく、偶然居合わせたために、警備隊と共に駆け付けたといったところだろう。
通常であれば、王都の各所に配備された警備隊の屯所へと連れて行かれ、そこで事情聴取がなされるはずである。
何故白亜の館に連れてこられたのか、アメリアには皆目見当もついていない。
「私は宮廷魔術師ノア・ワーズワース。後ろにいるのが部下のダーラ・ギルモアです」
ワーズワース。ノアの家名は、優秀な魔術師を輩出する名家のそれだった。「ノア」は、現ブルーレース侯爵の長子の名だったと記憶している。
王国への影響力然り、財力然り、アメリアの家とは天と地ほども差のある家柄だ。アメリアからすると、一生関わり合いになることがないはずの人物だった。
アメリアが口を開く前に、ノアは手を軽く上げ、アメリアの発言を止めた。そして、ちらりとローテーブル上の紙とペンへ視線を向ける。ノアの視線を辿ると、ペンがひとりでにふわりと立ち上がった。アメリアは思わず目を見開き、まじまじとペンを見つめる。
「貴女の名を教えてください」
「アメリア・ヘインズと申します」
顔は正面を向きながらも、アメリアはペンから目が離せなかった。アメリアの声に合わせ、ペンは紙の上をなめらかに滑る。
ヘインズ家には、魔術を使える者がいない。加えて、お抱えの魔術師をわざわざ雇う程の金銭的余裕もなかった。日常的な魔術があまり身近でなかったアメリアにとって、それは驚くべき光景だった。
クスクスと笑い声が漏れる。アメリアははっと視線をノアへと戻し、居住まいを正す。ノアは口元に手を添えており、アメリアは羞恥に頬をほんのりと赤らめ、そっと視線を落とした。
「ご無礼をお許しください」
「いえいえ、大丈夫ですよ。ふふっ。皆さん、大抵同じ反応をされますから」
笑いを誤魔化すように、ノアは1つ咳払いをする。
「では、お話しを伺います。レディ・アメリア、そもそも貴女はどうしてあの場に? オルマン伯爵とご家族は、例年4の月まで領地にいらっしゃると記憶していますが」
ダレルの名を出したわけではないが、ノアにはアメリアの身元がすぐにわかったらしい。何故伯爵家の動向を把握しているのか。甚だ疑問ではあるが、これは事情聴取であって、社交の場ではないからと、挨拶を簡略化させたことを後悔した。
アメリアは視線を上げ、心の内を悟られまいと、真剣な面持ちを取り繕う。
「私の家をご存じでしたか。大変失礼いたしました。実は、宮廷魔術院に依頼をいたしまして、そのお返事をお待ちするため、母と2人、先に王都へと参った次第です」
ノアは意外そうに眉を上げた。何かを確認するように、アメリアの頭から足先まですっと視線を動かしたが、すぐに人の好い笑みへと戻す。
「そうでしたか。お待たせして申し訳ありませんね。そちらは少々お待ちください」
「ご丁寧にありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします」
ノアの様子から、数日後にはお断りの返事が届くと思われた。元より覚悟の上だ。アメリアは顔に笑みを張り付け、気づいていない振りをして静かに頭を下げた。
「では話を戻しまして。貴女は何故あの場に?」
「買い物をしておりました。別室におります我が家の侍女が、その袋を持ったままかと」
ノアは小さく頷きながら、アメリアの返答を聞いている。
「そうですか。では何故、騒動の中心に飛び込んで行かれたのですか?」
「男性には魔術が掛けられており、怯えている女性はくちづけを強要されていたからです」
「くちづけを強要されると、何だというのです?」
「くちづけをすると危険なのかと思いまして……」
「危険とは?」
「女性魔術師の方がかなり取り乱されているようでしたので、何かよろしくないことでも起きるのかなと……」
柔らかい口調ではあるが、ノアの言葉はまるで檻のようであった。入ってしまったからには、逃げることの許されない檻。
保たれている笑顔と相まって、その囲いの中で徐々に追い詰められているような、得体のしれない恐怖を覚える。
ノアには何か、アメリアに答えさせたいことがあるのだと、アメリアは感じ取った。
しかし、夢の中の出来事からそう判断したなどと伝えても、信じて貰えるとは到底思えない。アメリアは困惑しながらも、言葉を選び答えていく。けれども、的確な理由が思いつかず、曖昧な言い回しとなってしまった。
「貴女はあの広場で、『愛し合っていないのであれば、くちづけをした途端にこの男性は死んでしまう』とおっしゃいましたよね? それは何故ですか?」
「ええと、ですね。何というか……」
とうとうアメリアは言葉に詰まり、視線を落とした。
「レディ・アメリア。貴女は、何をご存じなのですか?」
答えろと、そう言っているような気迫があった。アメリアは大きく息を吐くと、覚悟を決めて面を上げる。ノアはやっぱり笑顔を崩していない。それが大層恐ろしかった。
泣かないようにと唇を一文字に結んでから、しっかりとノアを見据え、ゆっくりと口を開く。
「我が家が宮廷魔術院に依頼した内容が、関わっているのです。まずはそちらの話を聞いていただけないでしょうか」
「依頼、ですか?」
再度出てきた「依頼」という言葉に、ノアの表情が崩れた。眉を寄せ、戸惑ったように聞き返してくる。アメリアが無言で頷くと、ノアは少し考えるような素振りを見せてから、ダーラに何事か指示を出した。